私の小学校は学級崩壊レベルで荒れており、児童に暴行されて負傷、入院した副担任の代わりにやって来た30代後半くらいの女の先生がいた。
クソみたいな事なかれ主義の担任、いじめをもみ消そうとする学校側と違い、よく集団で殴られていた私は面倒を見てもらったしお世話になった。
しかし、小学校5年の春、先生は自律神経失調症でやめてしまった。
私は私立の中・高一貫校へ進学し、リンチ氏の危機から逃れることが出来てたため高校に備え、体を鍛えた。
何事もなくミリオタの友人に影響されつつも高校を卒業し、一般曹候補生として自衛隊に入隊。
住み慣れた町を離れ、四国の駐屯地へと行き、前期教育を受けた。
両親や弟との歓談もそこそこに、班長や教育大隊の基幹要員にあいさつ回りをすることにした。
最後に区隊長の元へといった時に、どこかで見たことあるような女性が近くにいて、聞けば奥様だという。
制帽を取って会釈した時に、その女性に名前を呼ばれて驚いた。
「久しぶり、大きくなったねえ、小学校の時以来やね!」
区隊長も知り合いか?と奥様の方を見て、私も「四国に小学校の頃を知る知り合いなんていたかな?」と考える
すると、奥様は「実家に帰る前に赴任していた小学校の教え子」と説明してくださり、ようやく小5の春に辞めた先生であることに気が付いた。
軽く聞いた話によると、退職後に実家に帰って店の手伝いをしていて区隊長と出会い、結婚された今は専業主婦になっているそうだ。
「夫婦そろって人に教えることは好きだけど、学校の教師として戻るのは怖くて出来なかった」という事を聞き、よく先生に泣きついていた私は申し訳ない思いであった。
区隊長に「徒手格闘は不器用やけど、射撃はうまい」と言われ、「強くなったねえ、安心した」と言ってもらい、私は泣いた。
「まだ早い、送り出しまで取っとけ」と笑われたけど、涙が止まらなくなって涙目で異動のトラックに乗ることになってしまった。
この季節になると、皆のオヤジさんで優しかった区隊長と厳しくも楽しかった前期教育隊を思い出す。
あと、学校を去っていった先生のその後を知り、ひどい思い出しかない小学校時代を振り返ることが出来た。