ついでにフリン女から慰謝料をもらい、旦那の母親も捨ててやった。
無職、家なし、ばばあ付なので、がんばってほしい。
フリン女には、会社の方に慰謝料請求の内容証明郵便を送って差し上げたし、慰謝料の入金確認後に、フリン女のご両親にご挨拶に伺っておいたので、素晴らしいことになってるんじゃないかなあ。旦那と離婚したので、もう知るすべはないが。
やるべきことはきちんとできたので気分はすっきり、アラフィフの身なりも構わないような女を(構う時間がなかっただけなんだけどね。)怒らせると怖いとわかったでしょ。これからは自分のために時間もお金も使うことにするよ。
私
元旦那:長男で、姉と弟妹の4人兄弟。
F子:不倫相手
義母:当時同居で認知症
以上が大体の登場人物になろうかと思います。
結婚したのは23歳の時で、35歳のころ義父の肝臓がんが見つかり、5年ほどは通院治療で、何とかしのいでいました。
免許を持っているのは女性では私しかいなかったので、通院治療等はほぼ私が手伝っていました。
その後余命宣告を受け、入院したのですが、夜間になると本人が暴れるため、完全看護ではありましたが、病院からの依頼で、夜間は(大体8時ころから翌朝まで)ほぼ毎日私が病院につめておりました。
その後半年ほどで、義父が亡くなりました。
そのころは近距離別居でしたが、義父が亡くなってから2月ほどしてから、義母の様子が少しおかしくなり始め、最初は老人性鬱だとのことで治療を始めました。
治療を始めてから、おおよそ1年ほどしてから、夜中に家に知らない人がいると言って、義母が110番するということがあり、老人性鬱から認知症に進行したことがわかりました。それから同居することになりました。
正直もとからあまり気が合わないこともあり、できれば近距離別居のままか、施設にお願いをしたかったのですが、旦那もそうですが、旦那兄弟からの反対もあり、同居になりました。
同居になる前から義母の生活費は我が家から毎月20万を渡していたので、そのお金で施設に入れてほしいとお願いしたのですが、周りの強硬な反対に会い入れることができませんでした。
正常な時とそうでないときが交互にあるような状態がしばらく続きましたが、一日のほとんどが正常でない状態になるのにそう時間はかかりませんでした。
認知症とはいっても、足腰も弱っていましたので徘徊などはなく、ただ子供のように一日中私の後を追いまわすようになりました。
義母が起きている間はお手洗いやお風呂なども落ち着いては入れない状態がずっと続いていました。
離婚する3年ほど前に、旦那が携帯を家に忘れるということがありました。
私は元々人の携帯などはさわりもしないのですが、何度もメールがあり義母があまりにも気にするので、仕方なしに旦那の携帯の電源を切っておきました。
旦那が帰宅してから、携帯の電源が切られているのに気付き、私に携帯を見たのか聞きました。
私は正直に、義母が気にするので電源を切ったと答えましたが、その時の旦那の様子にピンとくるものがあったので、旦那の浮気を疑いました。
どれほど私のことを舐めていたのか知りませんが、その後も携帯にロックすらかけていなかったので、すぐに浮気の証拠メールを確認することができました。
すいませんお客さんが来たので、続きは夜にでも。本当にすいません。
ここでよく言われるような写真等はなくメールだけでしたが、「化粧もしないでオバサンどころかおばあさんだ。」とか、「君の百分の一でも聡明で、美しければ家に帰るのもこんなに苦痛ではないのに。」とか、「あんな女の子供だから将来もたかが知れてるだろう。
君との間に賢くて、かわいらしい娘がほしかった。」などと書かれており、F子からは、「おばさんだから年寄りの気持ちがわかるんだから、介護職にはちょうどいい人だよね。」とか、「女捨ててるって〜さん(旦那の名前です。)がかわいそうで、涙が出そう。」等のメールや、「今度は〜ホテルで遊ぼう。」や『ベッドで〜さんに頭を撫でてもらうと落ち着く。」などとあり、怒りが過ぎると頭が芯から冷えるというか、たぶんその時の私の顔は真っ青だったと思います。
あまりにも悔しくて涙も出なかった。絶対に後悔させてやることを誓った。
しかしながら、証拠はメールだけ、どうするか考えた。
考えても名案が浮かばず、ずっと悩んでいた。
そんな時義母と買い物に行った際、私がレジでお金を払っている間に勝手にスーパーの外に出て自転車とぶつかるという事故が起きました。
両足の大腿骨を骨折し、入院することになりました。
この義母の入院を旦那と旦那兄弟に責められましたが、このことに関しては、私も旦那の浮気の証拠をどうやって手に入れるか、気もそぞろだったので、申し訳なく思っていましたが、この入院によって思いがけなく時間が手に入りました。
まず、私は浮気相手の身元調査を興信所に依頼して情報を手に入れました。
旦那の会社の取引先のOLでした。
浮気調査も依頼しようかと思いましたが、離婚した後に少しでもお金を残しておきたかったのでココセコムを契約して、夫のカバンにGPSを仕掛け位置情報を手に入れることにしました。浮気にはホテルの他にF子のアパートを利用してることがわかりました。
ホテルはいろいろなところを利用しているようだったので、F子のアパートに的を絞って祥子を取ることにしました。
旦那から、食事はいらないと言われた日に、F子のアパートの近くで車を停め、夫とF子の浮気の動かぬ証拠をやっとの思いで手に入れました。
これを10回ほど繰りかえし十分に証拠を手に入れました。
ついでに旦那のカバンにばれないようにICレコーダーを毎日仕掛け、音声データも手に入れました。
どれほど私のことを舐めているのか、私を疑うこともなく本当に簡単に手に入ったのです。
これに関しては子供の権利であると思っています。
浮気に気付いてからは、旦那の口座には、一定額しか残さず、残りは現金で、貸金庫に確保、生活費は貯金からだし、共有財産の額をどんどん減らしていきました。
そして、あとは家をどうするかです。
結局ローンが残っていたので、ローンを私が払うということでもらうという条件を出すことにしました。
そして、旦那の荷物をまとめました。
旦那は玄関に荷物がまとめられているのを見て最初きょとんとしていましたが、証拠を見せて離婚したい旨を告げると真っ青になっていました。
その時にはすでに子供たちには離婚の話を通していたので、夫の味方は誰もいません。
唯一の味方の義母は、認知症で、両足骨折で入院中です。
夫は初めて私の存在を思い出したのではないでしょうか。今まではただの家政婦ですからね。
そこからは、早かったです。
裁判にかけると夫に言われましたが、子供は3人とも私についてくると言っていますし、今まで夫の両親の介護等をやってきたので、財産に関しても有利でしたし、弁護士に相談するも、妥当な要求だと言われたようでした。
実際義母の生活費を兄弟で3分割していなかったことで、夫の弁護士は預金額に何の疑問も抱かなかったので、こちらの要求が通りました。
私名義の預金も調べたようですが、そんなもの現金で貸金庫に入れてるのにあるはずがありません。
預金の半分と家をもらいました。
私はわざとその時F子には慰謝料の請求をしていませんでした。旦那とF子が別れてしまっては面白くありませんから。
結局離婚が成立した旦那は、家を出ていきました。
その時には義母がまだ入院していたので、旦那には介護の大変さはわかっていなかったようです。
旦那は家を出ていくとF子と付き合い始めました。
この時はF子も旦那との結婚を考えていたと思います。二人で同棲を始めたようでした。F子の元居たアパートの倍くらいの所に住み始めました。
私は旦那の懐具合を正確に把握できてたと思います。
半年ほどしてからF子の会社に慰謝料請求の内容証明郵便を送りました。
旦那とF子が怒鳴り込んできましたが警察を呼んでやりました。
旦那とF子は警察に抵抗し、公務執行妨害で連れていかれました。
警察からは私の夫だと主張しているとのことなんですが、との問い合わせがありましたが、もちろん旦那ではありません。
離婚しているのに押しかけてきて怖いと言っておきました。
結局F子からは、50万しか取れませんでしたが、(頑張ればもう少しとれたと思いますが、面倒になってきた)その変わり、慰謝料の領収書をF子の実家に届けに居て、事情を説明しておきました。
その後、旦那はF子とうまくいかなかったようで、我が家にストーカーまがいのことをしてきたので、我が家は家を売って引っ越しました。
そして、結局一人になった旦那に義母を旦那兄弟は押し付けたようで、娘のところに旦那から助けてほしいとのメールが来ましたが、「寝言は寝て言え。」とのメールを最後に家族全員形態を変えたので、今どうしているのかは知りません。
思ったより長くなってしまったし、読みにくい文章でごめんなさい。
まあ、大体こんな感じです。
介護を妻に押し付けて愛人こさえるような鬼畜夫は妻や子に捨てられて当然。
「復讐は一つの美しき正義なり」って大昔のドラマの伊武雅刀の台詞を思い出しましたよ。
> あんな女の子供だから将来もたかが知れてるだろう。
子供の父親としての情もバッサリ切られた瞬間ですね。
どうかこんな鬼畜のことは忘れて、新しい人生を謳歌してください。