今のご時世なら、もう起こりえない事だと思う。
実家に住んでいたころ、ある日を境にあるおじさんが道を通るようになった。
そのおじさんは非常に目立っていた。リヤカー屋台のような物を引きずっていたからだ。
ただ赤提灯には何も文字はなく、笛を吹いてるわけでもなく、焼き芋屋のような「おいも〜♪」なんて声も出してない。謎のおじさんだった。
当時子供だった自分は、その目撃情報を父に伝えた。父は見かけたら声かけてみるよ。とだけ言った。
それは何?と聞くと「前に聞いてた「謎のおじさん」から買ってきたものだよ」と言い、そのままキッチンに行った。
そして出てきたのは熱々のおでんだった。
あのリヤカー屋台のおじさんはおでん売りだった。
父が聞いた分には「秋〜冬の終わりまで週2〜3回おでんを売りまわってる。いつも同じ時間帯に出発している、500円で約10個の具を売ってくれる」だそうだった。
同じ時間帯に出発してるので、いつも17時半〜18時くらいにこの道を通るようだ。
1度会ってみたくて、500円を握りしめて待っていた。本当におでん屋だった。
自分はタマゴが好きだという事を伝えると「じゃあ、サービスだ」とタマゴを2個追加してくれたことは未だに記憶にある。
たまにおでんが売り切れ間近になってることもあったらしく、目立ってるにも関わらず知る人ぞ知るおでん屋と化していた。
今じゃ考えられないが、それが5年以上続いた。
少なくとも我が家では、おでん屋のおじさんがくると「ああ寒くなってきたか」と、風物詩になっていた。
ところがある年、おじさんがおばさんに変わった。事が理解できる年齢になってたのもあり「ああ…もしかして…」ってなった。
そのおばさんも2年きたっきり、こなくなってしまった。
今じゃ食品衛生法に引っかかるし、不審者扱いされるだろう。
仮におでんを売るにしても立派なキッチンカーとかで売るだろう。
だが自分は、絵に描いたチャルメラのようなものがそっくりそのまま出てきたおでん屋を忘れない。
絶対に美味しいヤツやん。
小学生の頃によく買いに行ったわらび餅を思い出した。
夏の間だけお爺さんがリヤカーで売りに来ていて、弾力のある冷たい透明の餅と濃厚な黒蜜が絶品だった。
20年程前で食品衛生に煩くなってきた頃で、母親からは「汚いから買うな」って言われていたけど
毎日こっそり友達と買って公園で食べていた。
中学生になったくらいに、売りに来なくなってしまった。
思い出補正もあるだろうけど、人生で一番美味しいわらび餅だったわ
昭和〜平成初期までかなあ
うちは地方都市のあるところだけどわりとちょっと前まで似たようなおじさんいたなあ
年期の入ったワゴン車でポン菓子を炒ってるおじさん、べっこう飴を作ってる老夫婦の屋台、
ボロボロの軽トラでラーメンやわらび餅売り歩いてるおじさん等々
そんなおじさんはだいたい村の知り合いだからか、じいちゃんが「今日あすこにわらび餅来とるわ」て居場所をかぎつけて買いに行ってたw
今思うとケータイとかなかったのにどうやってじいちゃんはかぎつけていたのだろうか…