誰かが我慢している間はそれで良しとする。
妻が改善要求を出しても応じない。のらりくらりと逃げ回る。
しかし妻へのご機嫌取りは怠らない。
トメをなだめることにも余念がない。八方美人に徹する。
暫くは見かけこそ波風立たず平穏無事。
この平穏は誰か(主に妻)の忍耐がもたらしているが気がつかない。
気がついていても平穏なうちは着手しない。
これが最良策だと信じている。
しかし不満の原因は改善されず蓄積していく。
そしてとうとう妻バクハツ。
うちのダンナがそんな感じだった。
私が爆発して現在同居解消して義両親と近距離別居してます。
でも、また最近ダンナが同居を匂わすような発言をしてきて激しく鬱だ…。
なんであんなに大喧嘩してるのに同居するのが嫌だってわからないんだろう…。
当面の決着が付きましたので、長くなりますが報告させて
頂きます。特に前半、長い前置きです。ご容赦ください。
夫、私ともに30前、結婚して2年になります。(夫は兄弟ナシ)
入籍直後から完全同居になりました。理由は、舅に先立たれ
気弱になっていたから(亡くなって5年です)。姑は70間近。
それまでは夫も一人暮らしをしていたので、普段の生活を
見ていなかった。そして私も結婚前に10回ほどお客として
行っただけで、本質がどうなのかは分かっていませんでした。
実際に住んでみると……もう、気弱なんて絶対に言えない程
元気元気。家事は全て私、嫌味のマシンガン、遊びまわる。
ご近所にも100倍に膨らめた話を吹聴しまくる始末。
それでも、時々仏壇の前でぼんやりと舅の写真を見ていること
があり、その背中があまりに悲しく、我慢していました。
一番ショックだったのは、半年ほど経った日に起きたこと。
姑の大声電話の内容が漏れ聞こえてきた(自室にいた)の
ですが、これが私達夫婦の夜の生活について。
怒りとショックで血の気が引いたところに、今度は私の持って
いる下着の話に。結婚してから履いてない下着です。
で、箪笥などの覗き見を知りました。
「(下着を知っているのは)お前の気のせいだって。でも確かに
夜のことを言われるのは嫌だよな」と、姑に抗議。
姑もその時は謝りましたが、聞かれていると思うと怖く、レスに。
しかし、姑は反省したそぶりを見せたのは数日だけ。また
変わらなくなりました。
1年を過ぎると、私が買った服を着だし(嫌味つき)、指輪も
2つほどなくなりました。
夫は「母さんも歳とって、それぐらいしかネタがないし。
周りの人も冗談だって分かってるから、流してくれよ」。
私がだめだこりゃ、と落ち込めば
「俺はお前の笑ってる顔が好きだから、笑ってよ」と。
この状況で笑える女なんてこの世にいるか。
それが続いてた今年の夏、実母からの電話で「幸せにしてる?」
という言葉を聞いて、全て吐き出しました。
吐き出しながらも、こういう時は泣くはずなのに、涙が出ない。
母親は仰天して、父親と兄に連絡。体育会系の二人は飛んで
こようとしましたが、吐き出したら何故か自分の心が晴れ晴れ
して、「大丈夫。ちょっと待ってて」と落ち着かせました。
そして家庭板で勉強。
日記は細々とつけていたので、その内容をパワーアップ。
事細かに書き、思い出すものも全て加え、姑の暴言、夫の
対応も録音(これが一番手間取った)。
つけた2日前に夫が花束を買ってきました。
もうタイミングが良すぎて笑ってしまった。その笑顔を
喜びを勘違いするあたりがもう(ry
しかもその花が花瓶ごと移動して真っ青になるところが(ry
決意表明のメールに対し話し合おうと必タヒな旦那に
会いたくなくて、兄夫婦宅に逃亡しました。(前回です)
兄夫婦宅には、結局土曜日の朝までいさせて貰いました。
兄夫婦が私にと、服や冬物のコートを買ってくれました。
化粧品まで買ってくれて、やっと女に戻れた!と実感。
それに袖を通したら、久しぶりに号泣しました。
この二人に付いてきてもらい、実家に帰りました。
実は、金曜に帰らなかったのは、夫が実家にいたから。
家を出た木曜の夜に車を飛ばして実家に行き、丸々一日
両親に責められていたとのこと。
玄関開けてまず見えたのは、土下座する夫の姿。
土下座きた!と思っていたら、体が先に反応して、旅行
バックで側面から殴りつけてた。
服しか入ってない鞄じゃなくて、スーツケースにしとけば
よかったなーとぼんやり考えながらも、体は止まらずに
夫ぼこ殴り。
金具が当たったのか、頬から血が出たところで兄が止めて
くれました。夫は何も言わず、また土下座。
から出して、
「見なさいよ。これ。買ってもらったの。ほら、見なさいよ」
とアピール。
今にして思えば、もう汚されないぞーという気持ちの表れ
だったんだろうなあと思うけれど、その時は自分でも
何やってんだろ私と呆れていました。
そこでまた兄に止められて、兄嫁さんが背中摩ってくれて
初めて自分が泣いてることを知りました。
暫く夫と離されて、両親に今までの報告をしました。
日記や(そこでは聞かなかったけど)録音したものなんかを
出したら、それまで怒りモードだった両親が泣き出し、
再び私も泣いてしまいました。
いかつい父が顔をぐしゃぐしゃにして泣くのを初めて見た
し、母親が「結婚の時に気付いて止めていれば」と言う姿を
見ていたら、自分がなんて親不孝なことをしたのか思い知り
ました。
一種の罪ですよ、エネミー夫と結婚するのって。
で、兄嫁さんが煎れてくれたお茶を飲んで落ち着いて、
やっと6者面談。
私は率直に、今までのことで庇ってもらえなかったことで
愛情はもうほとんどないことを伝え、離婚の意思を伝え
ました。
で、夫のほうはと言うと、これまたお笑いなのですが
花を買ってきた理由が分かりました。
夏頃から私が動き出したことを、雰囲気はすぐに気付いて
いたそうです。愚痴(私は愚痴じゃなくて訴えのつもり)を
ほとんど言わなくなったし、自分(夫)への視線が冷たく
なったのを敏感に察知していたのだとか。
でも、まず疑ったのは不倫。なんじゃそりゃ。
悶々としたまま夏が過ぎ、いけないことだと分かっていて
携帯を見たらしい。時系列でいうと、これが花を買う前々日
(月曜)の夜中。そして出てきた脱出計画のメール。
で、私の返信で「全く愛情がなくなったわけじゃなくて
辛いっていうのは本心だね」という一文を見て、花束を
買ってきたそうです。(これが水曜の夜)
だから物で釣られる時期は過ぎてるっての!
花を渡された時、私が笑顔だったから、まだ再構築は可能
だと思ったらしいです。
ちなみに彼の再構築は、別居すること。そして完全に姑と
縁を切ること。家を売ったお金と亡舅の遺産で姑をホーム
に入れること。でした。
そうです。お風呂が長かったのはそういうわけか…。
でも、脱出を止めようとすれば携帯を見たことがばれる、
不倫を疑ったこともばれる、だから言い出せなかったと。
花束は夫にとって最後の賭けだったらしいです。
笑顔で受け取ってくれて、大事そうに飾った。まだやり直す
ことは可能だと感じたのだと。
でもそれが、翌朝姑に玄関に置かれたのを見た私の顔が
眉一つ動かなかったのを見て、夜にもう全て話そうと思った
らしい。
(私、ここ勘違いしていましたね。初めて気付いたのかと
思ってた)
話が前後してしまうのですが、私が訴えていたことは
ちゃんと把握し、私のいないところで姑に抗議してくれては
いたそうで。
でも全然姑は反省しないし、私が知らないところでやっても
意味ないじゃないかと。
結局、何かを壊すのが怖かっただけ。その何かが母親なのか
私なのか、どちらも選べなかっただけ。で、私が壊れただけ。
ログを見たところ、>>208さんが仰っていることがまさに
当てはまりますね。
波風立っていないと思っても、水中は潮が荒れ狂ってるのに。
ことになりました。
私が夫を好きになったのは、優しいところ、そして私の笑顔が
好きだから、と言ってくれたことを嬉しく思ったからです。
でも、「優」だけじゃなくて「柔不断」がついてたし、笑顔が好き
ならもっと向き合ってほしかった。
会社も何もかも放り投げてこれるぐらいの気持ちがあるなら
もっと早くに再構築して欲しかった。
それに尽きます。
で、結局、一度離婚することになりました。
私はもう、姑と同じ苗字を名乗りたくない、それに尽きる為です。
(○○の嫁だものと言われ続けてきたのが思い出すだけで苦痛)
そして、今まで姑に着られたり持っていかれた私の物を取り返す
意味で慰謝料を貰う形になりました。
しかし、夫に対しての愛情がなくなったのかと言えば、本当に
そうだとも言い切れないのも事実です。
夫に対する気持ちが愛情なのか惰性なのか見極めるためにも
一度離婚をし、その上で愛情があるのならば1年後に再婚(私の
旧姓で)することになりました。
その間は私も派遣で仕事をすることにし、夫は今年中に前述の
姑の対応をすることになりました。
まあ、これが一時的なものなのか、夫がいなくなって嫌だという
気持ちなのか正直、よく分かっていませんが、しっかりと見極め
たいと思います。
応援、心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
お疲れさまです。
ダンナ、トメとの縁切りは出来ないだろうね。
エネミー夫には結婚出来るだけの度量がなかったんだよ…
ダンナ自身の「闘い」はこれからだからねー
相手のアピールをゆっくり観察してじっくり考えてね。
自刹騒ぎ(狂言)とか起こしそうな雰囲気だけど冷静にね。