寂しいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwからwwwwwwwwwwww
ちょっとwwwwwwwwジジイの話にwwwwww
つwwwwwwwwwwwwきwwwwwwwwあwwwwwwwっうぇwwwwwwwwwwww
つきあっちゃるわ
もう泣いてもいいんだぜ?
最高wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いちいちw欝のめんどくさいから省く
まず俺の生い立ちから語る ハイパー自己満足タイムはじまり
寂しいだろうがめでたいじゃねーの
生まれたときにはもう父親はいなかったのね 死別とかじゃなくて妊娠判明した次の日には姿をくらましてたらしい
母親は産休を早めに切り上げ、すぐに働きに出た母方には親類がいなかった、理由は教えてもらってない。
それでも父方の祖父母がいい人で、俺が一人で留守番できる年齢になるまでずっと面倒見てくれてた。
娘の生い立ちを聞きたいのに
なぜオヤジの生い立ちから入るんだ?www
続けなさい
その結果が半端なかったらしくどっかのお偉いさんに東京まで呼ばれて、他に全国から呼ばれた子供達と一緒に1泊2日でテストとか模擬授業とかやらされた
その後「ぜひうちの学校に」と東京のなんか有名な学校の校長から言われたらしいが、母が猛反対しておじゃんになった
理由は俺が「友達と離れたくないから」と言ったかららしい、まったく記憶に無いけど。
母親はそれくらいいつも俺の意思を尊重してくれてた。
駄々を捏ねたら叱るけれども、夕飯のおかずとか休日行きたい所とか聞いてきて、俺が希望を言うとそれを必ず叶えてくれた。
仕事ばかりで俺にかまってあげられなかった分を少しでも補いたかったらしい。
飲ませてやろうぜ
マターリいこう
2年、3年の部員は居なく、俺らの学年で誰も入らなかったら廃部だったらしい。
結局俺と友達の他にも3名入部し、廃部は免れた。
昼の弁当の時間に音楽を流したりするだけの部活だったが、
その面子で勝手に放課後に放送室に集まってトランプしたり、音楽聴いたりしてなかなか充実していた
ある日部員の女の子がザ・フーのアルバムを持ってきて昼休みに流してた。
教室に戻るとクラスメイトが「なんだこの曲は、もっと違うの流せよ!」とブーイングしていたが、その女の子は「こういう音楽もあるんだって皆に教えるために流した」と言い張った。
その効果はあまりなかったようだが、俺はちょっと興味が沸いていた
俺はその後放課後になれば放送室でAに洋楽についていろいろ教えてもらっていた。
Aも嬉々として俺に色んなことを教えてきたが、正直に言うとさっぱり理解できなかった。
ただ、もの凄い勢いで勧めてきたLet it beを聴いて泣きそうになった事だけは覚えてる
他の部員3名は、マージャンを覚えようと夢中になっていた
話の流れもめちゃくちゃかもしらんが知らん、しね
部員紹介しとくか
俺 スーパー天才池面 ごめん嘘 フツメン ちょっと勉強ができるフツメン
友人 天才池面 こいつはマジもんの天才
A子 ちょっと天然入ってる
B子 メガネ 性格男みたいな女
あと一人は途中で転校したので覚えていない
後は自分たちで番組作ってみたり、受験に向けて勉強してみたり、マージャンやってたりひたすら洋楽聴いたりで部活を引退した。
その頃俺の成績はちょっと上がって上位10%に入るくらいだった。
親や教師は県No.1の進学校にいけと言っていたが、その後大学を卒業するまでの金を親に負担させるのはイヤだったため、高卒で働くために商業高校へ行った。
母は進学校に行けと俺をぶん殴ったがだが断ると華麗に商業高校合格する俺まじ親孝行
といってもやってる事はあんまり変わらず上に書いたようにずっとぐだぐだ洋楽についてしゃべってたりしてただけ。
高校は部員全員別々になった。
入った高校には放送部も無く、俺はエリート帰宅部となりバイトに精を出した。A子とは細々とお付き合いを続けていた。
俺の高1の誕生日にマフラーをもらい、巻いてあげると言われて首に手を回され
身長が30cmあったので、背伸びしてもとどかずジャンプしてしがみつくようにキスしてきた。
俺リア充wwwwwwwwwお前らざまぁwww
なんという青春時代・・・俺なんて兄貴の部屋でジャンプしてエ□本みつけだしていたというのに
そんで高校でも特別面白い事は無く、DTのままトップ近くの成績を維持し、3年になる頃にはアホみたいに資格を取り、高校生で今までとった奴の居ない資格を取り新聞の地方面に乗ったりもした。
その後就職シーズンになり、余裕でハイパー大企業に内定をもらった。
地元にでかい分社があり、実家から通えるという事も決め手だった。
嫌いになれwwwwwwwwwwwwwねぇwwwwwwwwwwwwwwwwww
語りたまえ
友人→京大 まじはんぱねぇ
A子→普通の大学
B子→専門 保母さんになると喚いていた
そして就職
まwwwwwwじwwwwwwwwwwwww激務wwwwwwwwwwwwwwww
残業時間3桁wwwwwwwww電卓打っても打っても計算終わらないwwwwww
むwwwwwしwろwwwwww増えていくwwwwwwwwwwww
錬金術wwwwwwwww等価交換ってしってるかwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ただし残業代は満額払われたのでとんでもない給料になった
使い道も無く実家暮らしなので母親と俺が暮らせるだけの金以外は全て貯金に回した
オッサン飲み過ぎwwwwwwwwwwww
ちょっとスピード上げる
金を使う暇も無いくらいに忙しかったので、ありえない勢いで金が溜まっていった替わりに
2県隣で一人暮らししているA子とは滅多に会えず、少しづつ疎遠になっていった。
あっという間に2年がたち、成人式で再び放送部の面々が集まった
友人は相変わらずの天才で、わけの分からない話をしていた
A子はどこにでも転がってそうな普通のおとなしい女の子だった。 中学生からなんら容姿が変わっていない
B子は垢抜けていて、ビン底みたいだったメガネがエ□いメガネに変わっていた 順調に行けば保母になれるといっていた エ□い保母だ うらやましい
その後春過ぎに、相変わらずの残業を終えて日付が変わる頃に帰宅したら、 家にA子がいた。
「親が蒸発して、学費も何も無くなって大学辞めてきた。家事一切をするので泊めてください」と涙目で言った。
母親は既に泊める気でいたらしく、俺の部屋だった筈の所にはA子の荷物が置かれていて、俺の私物は全て廊下に出されていた。もともとそんなに私物は無かったのが救いだった
この時に初めて知ったのだが、A子の方も片親だったらしく小学校の頃に母親が病気でしんだらしい。
親類をいろいろあたってみたがどこにも連絡は行っておらず、捜索願も出したがまったく音沙汰は無かった。
こんな変な形で、同棲生活が始まった
引っ越して、成人式も場所が違った。
ちなみにA子の外見について語っておく
身長は150cm弱で、細めの体系 髪の毛は肩くらいまでで軽い内巻き
顔は普通 多分普通 似てる人はいないけど普通
中学校からずっとこんな感じ
A子は掃除洗濯炊事などなどしっかりやってくれていて、体を壊しかけていた母も助かったといっていた。
ただ料理がおいしすぎて、俺が少し太った。 幸せ太りという奴か
その1年後、A子の誕生日に結婚した。
ちなみにまだDT
少し稼ぎは減ったがそれでも母とA子を養っていくには十分すぎた。
ある長期休みを前にして、A子が俺に「温泉に行こう」と言ってきた。
母親も「私はめんどくさいから二人で行って来い」というので、二人で少し遠い場所にある温泉旅館へ出かけた。
その晩、A子に襲われた。
「いつまで待たせるの」と真っ赤になりながら言った。効果は抜群だった。
その夜、大人の階段を登った
コレに吹いたwwwwww
もげろ
新婚にしては少ないほうだったのかもしれないが、母親が居たので仕方が無い。
確かそれから1年半ほど経って、妊娠が発覚した。
皆で喜んだけど、しばらくして母親が倒れた
カーチャーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!
医者は命にかかわる事はないが入院は長くなると言っていたのでちょうどいい機会だから仕事もやめてゆっくり休ませることにした。
A子が毎日見舞いに行き、母親の世話をしてくれていた。
そんなA子の腹も少しづつ大きくなり、無理をさせるのはいけないと思い、 俺が仕事を休み、母親とA子の身の回りの事を片付けていた
そして臨月
A子はかなり小柄だったので、帝王切開をする事になった。
A子は笑って「元気な子を産んでくるよ」と言った。ちなみにまだ俺には性別は知らされていなかった。
手術も成功し、母子ともに健康 2951グラム、女の子だった。
A子の名前が○○子だったので、それに倣い「有希子」と名づけた ちなみに長門は俺のもの
術後も特に問題は無く、早めに退院。ついでに母親も退院。
家が少し狭くなったので、思い切って新築を買った。現金一括、俺TUEEEEE
娘も6ヶ月くらいになり、体も大きくなり、新しい服を買いに行こうということになった。
外は雪が降っていて、有希子が風邪を引くといけないので有希子と俺は留守番という事になった。
俺の服のセンスが無いのもあったのだろうが。
母親の運転で、A子と母は出かけていった。
あれ…最後の一行が凄く引っ掛かる…フラグ…?
日またいで書き込みするならトリつけてくれ
今それマジやめろwwwwwwww
おいやめろ
その街には高速が通っていたけど、その日は上に書いたように雪で通行止めだったらしい。
そんなせいもあってか下道にもトラックが溢れていたそうだ。
信号待ちをしていたA子達の車に、雪の降らない地域から来たチェーン未装着のトラックがスリップして追突
前の車との間に挟まれてペッチャコ だったらしい
A子はどうだったか聞かされていないけど、母親は少しの間生きていたらしい
だからといってどうということもないが、とにかく二人はしんじゃった。
母親の死に顔は見たが、A子は見せてもらえなかった。
どっからか沸いてきた葬儀屋に全部任せて、二人を同じ墓に収めた
A子の遺骨がまともに残っていなかったのは何でなんだろうか、未だに謎だ。
もうやめろ
いややめないで
いま
ある日変なおっさんがやってきて、「A子しんだんだろ?遺産は?」と言ってきた。
話を聞くとA子の父親だった。殺意を持って人を殴ったのはこれっきりだと思う。
その後警察を呼ばれて、見事俺逮捕
不起訴ではあったが、いろいろと噂が立っていてとても地元で暮らしていけるような状態ではなかった
日本語へたくそだからその後とか使いまくってるけど許せ
一連の騒動が上司の耳に入ったらしく、会社に来いと呼び出しを食らった。
会社に行くと、やっぱりざわざわ、まじ帰りたいと思った。そして上司に「本社に行って来い」と言われた。
ハイパー本社まで出向いて説教かよと思ったが、断りもできないので出向く事に。
説教かと思いきや、意外な内容だった。
「話は聞いている、その分社じゃやりにくいだろうから、転勤しろ。子供のために早く帰れるように、変則労働制のところを用意した」との事。
上司が本社に掛け合ったそうだ、涙がでた。
そして春になり転勤、まったく縁もゆかりも無い街だった。
残業代は出ないが、その日に割り振られた仕事を終えればいつでも帰れるというところだった俺にとっては神のような制度だった。
有希子を保育園に送った後に出社、4時過ぎには仕事を終わらせて退社、保育園へ迎えにいった。
料理も覚えた、家事もがんばった。
気がついたら有希子も小学生になっていた。
有希子ちゃんは良い父親を持ったな