色々と思い出したので書き込んでみる。
私が産まれ育った家は、田舎の寂れた港町にある古い府営団地だった。
近隣の住人が「団地の子とは遊んだらあかん」って言うのも納得出来るような、しょーもないスラム街の様な所だった。
小学生はスーパーで万引きした戦利品を自慢しあい、中学生は煙草や酒を持ち歩かないとなめられる。金属バットで殴り合いの喧嘩もよくあった。
母子家庭や生活保護が多く、放置子やクレクレは溢れ返っていた。
頻繁に泣き声や怒鳴り声や物を壊す音が響いていた。うちの母もよく発狂して暴れていたから文句は言えないけど。
孤独死した老人の遺体は年一回くらい見つかるし、近くの浜辺で死体が埋まっていてニュースになったこともあった。
私はそんな中で極力目立たないようにして生きていた。
私の家の斜向かいに、某宗教信者の母子家庭の家があった。
子供が3人いて、私と年が近かったけど親同士が仲が悪かったのでほとんど交流はなかった。
私が中学に入った頃から、その家の母親を見かけなくなった。3人の子供がコンビニ弁当やマクドの袋をいつも持って帰っていたので、お金はあるみたいだった。
ドアを開け閉めする度に、通路に生ゴミの臭いが広がるのが不快だった。
市役所の職員らしき人が何度か訪ねてきたようだけど、子供が追い返していた。
そんな状況が2年程続いてから、その家は引っ越すことになった。
役場の職員か宗教関係の人達か知らないけど、オバチャンが何人か来てその家を掃除し始めた。
ここからが個人的に衝撃的だった。
例の家を掃除しているオバチャン達が、何度も悲鳴をあげているのが聞こえた。
何時間か経って家から顔を出して見ると、強烈な腐敗臭が広がっていた。通路や階段には茶色い液体が零れて、一階へと続いていた。
手袋とマスクをしたオバチャンが次々と黒いゴミ袋を運び出していて、そこから生ゴミの汁が滴っていた。
応援を呼んだのか、オバチャンの人数はかなり増えていた。
徹夜で掃除をしていたようで、オバチャン達の悲鳴は夜中まで聞こえていた。
次の朝外に出てみると、棟の前にあるゴミ捨て場が黒いゴミ袋で埋まっていた。収集日じゃなかったので、例の家から出たゴミしか無いはずだった。
団地のゴミ捨て場は4棟が共同で使うからかなり大きい。それが一世帯から出たゴミで一杯になってしまった。
明らかに床面積を上回っている、というか家の容積の5分の4は占める量だった。どうなってんだあの四次元ゴミ屋敷は。
確か当時女子高生の長女とニートの長男と中学生の次男が住んでいたはずだけど、あのゴミの中でどうやって生活していたんだろうか。
その後も大変だった。通路に染み付いた臭いはなかなかとれないし、棟全体にGが超大量発生した。
ドアや窓の隙間や、排水口からどんどん出てくる。あの家を開放したせいでわんさかと走り回るようになった。
オバチャンの悲鳴はGの王国でも発見していたんだろうか。
虫恐怖症の私は1ヶ月程、祖父母の家に避難させてもらった。たまにムカデが出るけど、10匹/dayでGに遭遇するよりはよっぽどマシ。
それからしばらくして我が家も引っ越した。
今から10年程前の話。
引っ越して以来初めて団地にいったけど、何も変わってなかった。
独特の陰鬱な空気が流れていて、昼間から酔っ払ったオッサンがこっちを睨み付けてくる。
異様な雰囲気の中で、懐かしさを感じつつも違和感や不快感を感じなかった私は『育ちが悪い』んだろうんsー
大阪全部がこんなんじゃ無いけどね
一般的に南に行くほど民度が低いって言われてるよ。特に浜辺の町は低所得層が多い。
隣の学区の小学校では、走行中の車に石をぶつける遊びが流行ってたそうだよ。
エアガンの狙撃もざらにあったなー
文字に起こすと京都弁とそない違いないけど、喋ってる姿は圧巻