ある日、疲れていたのか初めて酔った感じになり、娘の私に語り出した。
娘も大人になってきたと思って気がゆるんだのか。
まだ若く、張り切って働いていた父。
昔ということもあり、同じ大学校卒の先輩後輩ばかり多い会社でもあり、
仲間、先輩後輩の絆のとても強い会社だったよう。
ある時、後輩の一人が病魔に侵され、余命いくばくもない…と医者は診断。
ただ昔のこともあり、本人にはひたかくしに…というのが当時は主流だった。
なので本人には余命宣告をせずごまかしていた。
しかし本人はそれを疑い「オレは死ぬんだろう!教えろ!」と妻に吠えるようになる。
ひどく度を失った状態で連日ナースや妻を怒鳴りつけたりするので、精神不安定だからと
尚更告知できないという意識が周囲で高まり、それに伴って本人の凶暴さも増すという
悪循環が出来上がっていた模様。
そのうち、妻にドイツ語の辞書を買ってこさせ、カルテを盗み出して解読しようともした。
ここまで来て完全に要注意患者扱いで病院も彼に対して厳戒態勢に。
すると、元々家庭内独裁者的な脳のあったらしい後輩、とにかく奥さんを責め立て、
怒鳴って脅す、なだめすかすと思えばまた脅す、というのを繰り返した。
気の弱かった奥さんは耐え切れず、とうとう責められるままに口を割ってしまった。
ことに父は、私を含む子供が彼らの子供と同じくらいということもあったし
後輩からなにかと慕われてもいたので気にかけていた。
数家族で一緒に旅行をしたこともある。
後輩が購入したばかりの一戸建ては、周囲に同僚たちも多く住んでいる場所で
我が家も徒歩で行ける範囲に家を構えていた。
ある日、後輩宅に一番近い家に住んでいる同僚の奥さんから父に電話が。
「今、一時帰宅しているはずなのに、朝になっても雨戸が開かない。
車もなくなっている。なにか嫌な予感がする」
雨戸が開かないぐらいで?とも思うが神経質なほど几帳面な奥さんでもあり
朝になれば必ず雨戸をあける。出かける時は近所に声をかけてもいたそうで
一時帰宅していることとも重なり、同僚の間では割と一足飛びに「まさか」という
思いが高まったらしい。
全員で心当たりという心当たりを探し回るが行方はわからず、子供までいないと
いうこともあって警察に「人命に関わる恐れがある」と捜索願。
行方不明からある程度時間がたっていないと受理されない、とか、受理したとしても
事件に巻き込まれた可能性がはっきりしていない以上、警察はわざわざ捜してまわりは
しませんよと言われるも、それでも、と提出。
そのまま同僚総出で探しまくったが、深夜になり、警察から
「某国立公園を走っていたタクシーの運転手から、届出にあった車と車種、色が一致する
車が先を走っていたが、カーブを曲がってみたら消えていた、という通報があった」
と連絡があったそうだ。
その国立公園は数ヶ月前に我が家含む数家族で一緒に旅行した場所だった。
夕食後、仲居さんに「夫婦で出かけたいので子供たちを預かってもらえないか」と
言ったけれど、「そういったサービスはしておりませんで…」と断ったところ
あっさりと「そうですか、わかりました」と引き下がったとのこと…。
本人の運転で、助手席に奥さん。後部座席にまだ小さな二人の子供という状態で
ダイブした車が崖下から見つかったと警察に聞かされた仲居さんは
「あの時私が預かっていれば!!」と泣き崩れていたらしい。
レンジャー部隊(?)が遺体を引き上げてくれたそうだが、小さい子供二人の遺体は
隊員が丁寧にいつくしむように直接背負って引き上げてくれたそう。
前の座席の親二人は見られたものではなかったそうだが、子供二人はまるで眠って
いるようだった、と発見場所に駆けつけた父は涙ぐんで話していた。
ここまでだけでも当然、父含む会社同僚たちには充分以上に修羅場だが、
なぜかこのまま、後輩夫妻の通夜・葬儀も父を先頭にした同僚たちが
実行委員のようになって営むことになったらしい。
後輩夫妻の両親は共に遠方だったため、後輩夫妻の新居で執り行うのが良いだろう、
たが夫妻の両親が来てから手配では遅くなる、という配慮だったと思われる。
同僚にとってもショックであり悲しくて仕方ない中、必死かつ粛々と手配などを
進めるが、到着した後輩夫妻両親は、来るなり新居の二階へ4人そろって直行。
孫や、わが子の持ち物は全部自分たちのものだとか、お前の娘(息子)のせいで
こんなことになった!殺された!だとか、通夜・葬儀の手配になどかけらも興味を
示さずに相手をなじり、残されたものは全てこっちのものだなどと形見・遺産分け
について大喧嘩。階下で読経・焼香が始まっているのにお構いなし。
行ったことで、ようやく4人とも渋々降りてきて通夜の席に座ったとか。
「あの時の啖呵には、母さんすごいなあと惚れ直した」
と父。(具体的な啖呵の再現は聞けなかった)
しかしその後も同僚たちが手配した通夜ぶるまいの食事について
「我が家の格に見合ってない、なんだこのちんけな食事は。もっといいものを出せ」
などとこういう時だけ4人そろって文句。
再び母が「自分で金出してから言えやゴルァ」的なことを言って黙らせたらしい。
精神を削られまくりながらなんとか葬儀まで終了したが、まだ続きが…。
葬儀が終わった、とまだぐったりしているうちに某国立公園の管理事務所(?)から
父に電話が。
国立公園なので、景観上、車引きあげてくれないと困ります、とのこと。
遺体の引き上げに立ち会っていたのが父だったので、父に連絡が来たのだろうけども
父もあの後輩夫妻両親に連絡しても無駄だろう、どうせこっちにおはちが回されるなら、
と思ったようで、同僚たちでカンパを募って代金を工面して引き上げ作業。
スクラップとして牽引されていく前に、なぜか車内の血や肉の清掃も父たちで行ったそう。
うぷ!となりながらの作業を終えて、へとへとで家に帰りついた父に母が
「本当に大変でしたね、あなた、お疲れ様でした」
と、当時「力の出るご馳走と言えばこれ!」と言われていた、ビーフステーキを出した。
トイレに駆け込んだ父は「一度惚れ直したのが、プラマイで普通にもどった」とのこと。
母は「そんなこととは知らなかったんだもん…」と今も涙目で言う。
更に「そういえばなにか届いていましたよ」と母から渡された小包をあけたら
それは無理心中前に後輩が父あてに出したもので、中身はカセットテープ。
暗い暗い声で、もうこうなったら一家全員道連れに死ぬしかないと後輩の声で語られていた。
「ついては後のことは全て○○先輩(父)にお任せします……」
ここまで聞いたところで父は耐えられず停止ボタン。
捨てるにも捨てられず、どこかにしまいこんでそのまま忘れることにした。
後輩夫妻の家の近くに私の実家はまだある。ウォーキングの途中で父も時々その家の前を
通りかかるが、その家は売れないのかなんなのか、その後、人が住んでいる様子はずっと
ないそうで、その家を見るたびに父はなんとも言えない気持ちになるそうだ。
以上、いまやすっかりじいちゃんになっている父が、まだ若い父親だった頃の修羅場でした。
その一家とした家族旅行の時の写真は私の子供の頃のアルバムにも貼ってあります。
先輩後輩でそこまで?とか、そんなにまでして告知しなかったものなの!?とか
自分が余命わずかだからって妻子道連れって、昔はそんなに「一家の主は絶対」な思想が
あったわけ!?とか色々思うところあります。
後輩とその嫁のボンクラ両親に代わって葬式取り仕切る
心中の生々しい痕跡の後始末してきた日に肉料理出されてとーちゃん涙目
お父様お母様は乙だったが、殺された奥&おこさんが浮かばれない
死ぬんはてめえ一人で十分だろうが 支配者気取りのくぞ男め
奥さんも二人の子供殺しの犯人だ。
殺人犯がひとり、犠牲者が3人
もしくは殺人犯がひとり、共犯がひとり、犠牲者が2人
だよね。
もういい加減に、「無理心中」改め「殺人」でいいと思うわ