発覚が5年前で、職場フリン2年でした。シタは45歳になった。
この2年は思い出すこともなくなっていたし、最近は、夫婦にとって必要な試練だったのかもとまで
思うようになっていた。
恋人にプロポーズされてそれを受け義実家に挨拶に行ったところ
姑に片親育ちの女との結婚なんて許さない、子供がいるのに簡単に
離婚するような親に育てられた子供も信用できないとかなりきつい口調で言われ
当時は私も若かったので苦労して育ててくれた母のことまで言われて頭に血が上り
それなら認めてくれなくても結構ですと喧嘩を買う形になってしまった
彼は出来れば実家とも仲良くしてほしいと言っていたけど、最終的に自分を選んで
実家とは縁を切ってくれた
当時千葉在住。
元夫の地元は愛媛県の西部にあり、松山市まで車で2時間近くかかるようなところだった。
10月に結婚して翌月、連休を挟んで有休をとり
5泊6日で義実家に結婚の挨拶に行った。
元夫は車の運転が好きなので車で行くと言い、私はさすがに長距離すぎると思い反対した。
が、眠くなったらほんの少し交代してもらうだけで、基本自分が運転していくからと言い
また二人分の交通費を考えるとその方が安いと言い、仕方なく了解した。
夫が「子どもがいないのは世間体が悪いから兄貴にセーシ提供させよう」なんて言い出した
正直当時は温厚で優しい夫が
そんなこと言うなんて思ってなかったから耳を疑ったよ
私は子どもがいなくてもいいし2人で生きていければ充分だって主張したけど
不妊が分かって以来日に日にどう見ても夫はおかしくなっていった