結局、妻の葬儀関係(その後の経費も含めて)では、合計300万以上掛かってしまった。
互助会のようなものには入っていたにも拘らず、なんかオプションが付く度に跳ね上がっていく。
更に、家の宗旨は仏教ではない為、オプション扱いで何かと高いものばかりだった。
母親のときは、医療を含む損害保険や、生命保険のおかげで、手元から出て行くお金はそんなにも無かったのだが、
妻の場合は、損保も生保も無い上に弔問客も沢山来てくれたので(会場にも入りきれないほど)、規模としては大きなものになってしまった。
中には逢ったことも無い親戚(妻側)とか、名前すら聴いたことの無い親戚も来て、何かと出て行くものが多かった。
仏教で言うところの四十九日にあたる法事が終わって納骨となった折も、お墓に名前を刻んでもらったり、祭司に来てもらったりと
何かと出て行く費用は馬鹿にならなかった。
ここからは、正直、僕の甲斐性が無い、ただ単に稼ぎが悪いことから来るものだ、と猛省している。
収支がだんだんと狂ってきた。
出来る手立ては手を尽くした。自分が仕事で居ない間の父の浪費が痛かった。
いわゆる、エコとは真逆の行動である。
光熱費は倍以上に上がった。後でわかったことだが、男3人になってしまった当初、
夕飯は父にお願いをしていた。今思えば、大きな間違いだった。
息子には父が固く口止めしていたらしいが、夕飯の殆どがレトルトか牛丼、
そしてスーパーの弁当のローテーション。これでは駄目だ、と思った僕は、
仲の良い従兄を通して、妻側の遠い親戚にあたる隣町に住む女性に、夕飯時のお手伝いを頼むことが出来た。
その女性は、DV被害から逃れ、親と住んでいたので、快諾してくれた。
それがあんなことになろうとは。
父は幼い頃、大きな家に住んでいて、そこには使用人もいて、自分は何もしなくてよかったと。
しかしあの戦争が全てをワシから奪ったんじゃ、と。家も家族も裕福な暮らしも。
彼は、自分にその才能があったにも拘らず、孤児院に身を寄せるしかなくなって、
結果、中学までしか通わせてもらえなかった、と。
中卒の所為で自分は、お前らには想像も出来ん苦労を味わったんじゃ、と何度も同じ話を聞かされていた。
ワシをそんな風にしたあの戦争が憎い。あの時代が憎い。
そして何より、先見の明なく家族をばらばらにしてしまった父親(僕の祖父:僕は写真でしか知らない)が憎くてたまらない。
父親の所為で、ワシはほんの9歳で、母親を失ったんじゃからのー!と
そして自分は、その裕福な時代、祖母にはものすごく可愛がられた、とも。
戦前の頃で、直系嫡子なのだから、よくある話だとは思っているが、
その全ての要素が、彼の、いわば「自己愛」フィルターによって捻じ曲げられた思い出と解釈に変換されてしまっているのだ。
かわいそうな人だ、と思う。哀れですらある。しかし、その父親に対する憎悪が、あんな形で僕に降りかかろうとは思いもしなかった。
どうやら、彼の中では、「父親は息子にひどいことをした」というのが定着していて、その所為で彼は僕にどんな酷いことをしたとしても
彼がその父から受けたことに比べれば甘いもの、なんだそうだ。だから、彼はことごとく僕のやることなすことに逆らうのだ。
(僕には弟がいるのだが、結婚して家から出ているので、何ら近づこうとはしない。)
そして、孫は溺愛する。僕がいくら息子を自立できるように厳しく指導しようとしても、安易な助け舟を出して台無しにしてしまう。
このままでは息子は、父のコピーとなってしまう。
だから僕は、件の女性を招いたのだ。何より、息子が学校から帰宅した折に「おかえり」と言ってくれる女性の声があることの和やかさ。
男3人で1年過ごしてみて、息子がそれを渇望していることが見て取れた僕は、ちゃんとパート代に相当する費用を払って来て貰えるようにした。
当初は、息子も非常に喜び、よく懐いていた。その女性も、残した息子と同じような年齢の息子を重ねるように接してくれていた。
しかし、父は大きな勘違いをしていた。
裕福な家に育った時代の、使用人だとも思いこんだっぽい。
そしてあろうことか、その女性に手を出そうとまでしたのである。
幸い、未遂に終わったが、その話を聞いて、僕は即刻、その女性に詫び、来てもらうことを止めて貰った。
そのことが、父にとっては、せっかく自分にあてがわれた女を、息子である僕が引き剥がした、と解釈したのである。
「オマエまでもがワシから何もかも奪うんか!?」と罵倒された。
「やはりこの世に信じられるものは居らん。みんなが敵じゃ!」と。
子供が学校に出掛けた後(その間も父は呑みながら3時間掛けて朝食をとる)、仕掛けておいた洗濯物を干し、
その後、洗い物や掃除をした後、父の昼食を作り、
彼がまたもや飲みながら昼食を2時間くらい掛けてとっている間に、父と息子の夕食を調理し、
後はレンジで温めるだけ、と言う状態にして仕事に出掛ける。
10時ごろに仕事が終わると、帰路途中にある深夜も開いているスーパーで割引商品などを選んで購入し、
帰ったら、山のように積み上げられている昼食と夕食の洗い物を片付けて、浴槽のお湯を洗濯機にバケツで移した後、朝に仕上がるように洗濯機をセットし、
寝るのは早くて1時、遅くなると3時くらいになる毎日だ。
何度説明しても彼らに節約とかエコの概念がないので、節約できるところは僕が削っていくしかないのだ。
それでも、電気水道ガスを、まさに湯水の如く使う父。
米は新米のコシヒカリでないと機嫌が悪くなり、それでも食べるかどうかもそのときの気分しだい。
余ったご飯を冷凍保存しても、冷凍米は不味いから、と食べない。
無駄をなくするために、少なめに炊くと、僕の食べる分が必然的になくなる。
おかげで糖尿の良い対策にはなっているが。
ただ、それでも足りない費用は、僕が自分の保険を解約したり、手持ちのコレクションを売ったりして凌いで来たが、
そろそろ僕も疲れた。
息子が当初の目標どおり東京に進学し、もし父も居なくなったら、
この家を僕独りで住む意味を見出さなくなった。
本当は今すぐにでも蒸発したいくらいだが、妻との約束がある。
息子を一人前にして初めて、その約束を果たしたことになる。
父は、僕を使用人としか思っていないようだ。彼らが用意した普通の食事をしている間、僕は洗い物や彼らの次の食事の準備をしている。
僕が食事を取らないのが普通になっているようだ。
おかげで、妻を亡くしてから30キロほど減量できた。もとは太めだったからなあ。
自分が食べない米を研ぎ、自分が食べない食事を作り、自分が殆ど居住していない家の支払い・掃除、メンテをし、
世のお母さん方がある日突然の蒸発願望を抱くこともあることを、今実感している。
義兄の世話も僕がしなければならなくなるのです。
何の為の人生なのか、判らなくなってしまっているのが今です。
奥様を失ってしまわれた諸兄の方々、こんなヘタレも居るのです。
なんか、変な終わり方でごめんなさい。鬱かも知れませんね。
ハッピーエンドでなくて、申し訳ありませんでした。
このスレは、心が折れそうになったら、また覗かせて下さいね。
さようなら、皆さん。今まで有難うございました。
追い出せないなら施設なり入れてしまえ、金はかかってもいいじゃないか?
はっきりいうが10年後を考えると子供に全力投球しないと先がない
先がないというのは子供自身だよ、そんなの見てて結婚とかできるか?
普通の生活に幸せがないって思い込んでるだろう
そしてきっと自分も父親にああしないといけないと思い込んでるだろう
全部抱え込んで自分はそれでいいが、本当の家族の単位である息子が気の毒だ
きっと心の中で自分の地位の低さに泣いて育ったんだろう
今からでも遅くないから本当の家族を大切にしろ
義理は義理なんだから背負い込みすぎるな所詮他人だ…嫁は死んでないが言わせて貰った
それこそ「てめぇ、誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ!」位のことは言っていい。
>>334は養子か?
生まれたときから父親の姿を見ていれば、こういう事態になるのは予測できたと思うんだが。
息子に影響出てきちゃってます困っちゃうどうしよう~w
サクっと殺ったか緩慢に殺ったかの違いでしかねえじゃねえかよ。
無駄死に、死に損、という言葉はこういう時のためにある。
所詮他人の皮相的な見方でしかないな
偉そうに評論家を気取るなら、自分が>>334と同じことをやってからもう一度来い
334なりに必死でやってきてるじゃないか
まあ人の感じ方は色々なのはわかるけど、なんでそんな
酷い言葉をぶつけることができるのかはわからん
それが2ちゃんと言えばおしまいだが
父親に好き放題させてるところでもう334はいろいろダメだ。