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:名も無き被検体774号+2012/02/26(日) 02:57:21.23 ID:Zloc48I00抗がん剤→吐く→高熱とか色々→副作用なくなる(白血球復活)→また抗がん剤、というサイクルで
基本的に2週間に1クール(体調がなかなか復活しないときは3週間で1クールとか)行った。
自分は少しずつ治療に慣れ、
妹の持ってきてくれたハリボーグミを無駄食いしてはトイレダッシュゲロコンボを決め
「レインボーゲロが出たよ!」とはしゃぎ
味の薄い入院食にえぐえぐ言ったり、たまに将来を悲観して泣いたりしながら過ごしていた。
まず、暇つぶしの漫画を貸してくれたお兄さんは33歳子持ち、奥さん妊娠中と聞いた。
「江戸前の旬」を全巻貸してくれたので、江戸前さんと呼ぼうw
江戸前さんは信用金庫勤めで、接待のゴルフ中に倒れたことで病気が発覚したとか。
私は、両親に守られて過ごしていたが、彼は奥さんや子供を守る側だった。
闘病は本当に大変だろうに、それを全く顔に出さない人だった。
「泣いて病気が治るんだったらいくらでも泣くけどさぁwwwそうじゃないじゃんwww
だから俺はグルメ雑誌とか見て過ごすわけww退院したときにいっぱい食えるようにな!!!」と言っていた。
そんな明るい江戸前さんが私は仲間として好きだったし、元金融業界にいた父ともよく話していたようだ。
私と違ってクリーンルームには入らなかったので、途中からあまり話せなくなってしまったが
私の誕生日には、看護師さん経由でお菓子をくれたりした。
江戸前さんの明るさに救われていた部分も多々あった。
当時24歳くらいのやんちゃそうな感じで、同じくクリーンルームに入っていた。
クリーンルームに、共有の電子レンジがあり、色々と食べていたのだが
お前食うの速いなwwとかからかわれたりしていた。
同じ病名ということもあり、会えば話をしていた。
病室のテレビは基本的に有料(テレビカードを買う)のだが、
お兄さんはPCを持ってきて、PCでテレビを見てるから
料金はかからないと自慢された。
自分のPCを持っていなかった自分は、ちょっと悔しかった。
まぁ、江戸前さんもテレビお兄さんも死んじゃうんだけどね。
えっ
江戸前さんかっこいいと思ったら(´ω`)
物静かな白血病のメガネのお兄さんがいて
お互いに副作用が~とか、不謹慎ネタを言い合って過ごしていた。
あっという間に年末になり、いつもは紅白を見ながらみんなで年越しすき焼きを食べるのに
この年は病室で一人寂しく過ごした。
元日には両親と妹がやってきて、あけましてー、とかさっさと退院できるといいねー、とか言いながら過ごした。
そして、1月の2週目から治療の最終クールを行うことになった。
とりあえず、このクールが終わったらもう一回最初にやったような検査をして、
体内がどうなってるか改めて調べるらしい。
ちなみに、1クールごとに脊髄に注射(マルクというらしい)をして、
脊髄にがん細胞がどれくらいいるのか?というのを治療の目安にしていたようだが、
3クール目くらいから、脊髄にはほぼがん細胞はいなくなっており、自分はいけるんじゃないかと思っていた。
しかし懸念していることが一点だけあった。
ざわ…
手術で切除した際にほとんどなくなり、治療を行ったことによりしこりが再度大きくなることはなかった。
しかし、5クール目くらいに、大きいしこりがあったごく近くに、
小指の先くらいの小さなしこりがあることがわかったのである。
その小さなしこりが今回の病気によるもので、最終クールの治療を行ってもなくならないようであれば
また別の治療を考えなければならない。
眉毛先生は、やはり耳鼻科で手術しないとなんともいえないが、
位置の関係上、今回の病気によるものの可能性が高い。とりあえず最終クールの治療を行い、その後調べる。
と言っていた。
副作用コンボには慣れたし、病院にも馴染んではいたが
やっぱり外の世界で暮らしたいし、入院長期化は嫌だった。
そして最終クールの治療が終わったが、
小さいしこりはなくならなかった。
冗談じゃなく、テンション的には「死ぬかも・・・」くらい、お先真っ暗状態だった。
家族全員が集められ、CTスキャンの画像を見ながら
眉毛先生による説明が行われた。
眉毛「えー、治療が全て終わり、血液検査やマルクの結果もよく
1さんもご家族も良くがんばりました。
とりあえず退院はしておkです。」
1&家族「え?いいんですか?」
眉毛「しかし、ここにやはり小さいしこりが残っていますね」
眉毛「これの正体がわからないと、寛解(血液の病気で言う完治みたいなもの)とはいえないでしょう。
別の日に再度手術をして、調べてみましょう」
というわけで、別の日に手術を行った。
執刀はクールビューティー先生で、再手術にもかかわらずうれしかったのは秘密。
左顎の下という位置にもかかわらず、なぜか結構喋れたのだが
麻酔がちょいちょい効いていないのか
「すいません、いたいれす」
「あー!むりむり!今きってるでしょ?おえええ」とか言って、
先生も看護師さんも苦笑していたw
うるさい患者である。
クールビューティー先生「1ちゃーん、しこり取れたよー」
1「どんなれすか?あくにんヅラしてる?」
「お母さんには見せておくけど、1ちゃんは安静ねー、
ちなみに最初よりは悪人ヅラしてないよ」
「ありがとうございまふ」
この手術の結果はやはり2週間くらいかかるらしく
電話がかかってくるまで家で待機していた。ちなみに、生きた心地は全くしなかった。
結果をお知らせするので、病院に来てくださいといわれた。
クールビューティー先生「1ちゃん、今回はね」
1「(どきどき)はい」
「悪性じゃなかったよ」
1、J( ‘ー`)し「おお!」
「詳しいことはまた眉毛先生から解説があるから、そっちでね(ニコッ」
いそいそと血液内科の病棟へ
眉毛「おめでとうございます、と言ってはなんですが、
この腫瘍は悪性ではなく耳下腺が石灰化したうんぬんかんぬん(以下ry
つまり悪性腫瘍ではありませんでした。本当によかったですね。」
1、J( ‘ー`)し「先生ありがとうございます、本当にありがとうございます」
眉毛「というわけで取り急ぎ寛解ということになりました。
こういう病気は、寛解後5年再発しなかったら完治、という目安があります。
次回は1ヵ月後、その後の最初の1年間は3ヶ月ごと、2年目は4ヶ月ごと、3年目からは半年毎にきて下さい。」
がん細胞には悪いがボッコボコにさせていただいた。
いやボッコボコにしたのは私じゃなく眉毛先生だけれども。
通院は面倒だが、まだ入院してる江戸前さんやテレビお兄さんの顔も見れるから
まぁいいか、と思っていた。
とにかく私は病気に勝った。それが本当にうれしかった。
眉毛先生の言うとおり、最初は1ヶ月後に病院に行った。
再発なし。無罪放免である。
忙しい先生には悪いが、どうしても聞きたいことがあった。
1「眉毛先生、あの、テレビお兄さんって眉毛先生が担当ですよね?
元気にしてますか?」
眉毛「あー、あの人はね」
眉毛「亡くなったの」
私ポカーン。
嘘だ。
同じ病気で、同じように先生の治療を受けて
同じように過ごしていたのに、同じ食べ物を食べていたのに
嘘だ。絶対に嘘だと思った。
そのまま入院病棟に行った。
顔なじみの看護師さんに挨拶とお礼をしつつ、
さりげなくテレビお兄さんのことを聞いてみる。
小声で、亡くなったの、と言われた。
他の患者さんもおり、小声の会話になったが
「お線香を上げたい」ということを伝え、ご家族の方に連絡してもらえるように頼んだ。
母が出て、取り次いでくれた。
1「あ、あの」
テレビ母「ごめんね、あの子亡くなったの」
1「お辛いときに、申し訳ありません。入院中は大変お世話になりました。
お線香を上げさせていただけないでしょうか」
テレビ母は、ご自分も辛いときだろうに快く応じてくれて、ご住所を教えて頂いた。
その次の土曜日に約束をして、電話を切った。
テレビさん宅には、父が連れて行ってくれることとなった。
テレビ母「あなたが退院した後、うちの子はちょっと悪くなっちゃってね・・・
眉毛先生に治療してもらったんだけど駄目で。最後に眉毛先生の判断で外泊させてくれたの。
でも、その時にはもう足腰が弱っていて。自分の部屋には行けなかったわ。
それでも好きなテレビを見たり、笑って過ごしていたの」
「外泊が終わって、病院のベッドに戻った後、しばらくは話が出来たんだけど」
「突然”うっ”て言って、気を失っちゃってね、そのまま」
テレビお兄さんにお線香をあげて、その日は帰宅した。
同じ病名がつき、同じ先生に治療を受け、自分だけが助かった。
自分が現れることでテレビ母に辛い想いをさせてしまったのではないか、
もっと考えてから行けばよかった、無神経だったと反省した。
続き書きます
それから自分は、徐々に回復していった。
高校にはいけなかったが、先生たちのお情けで課題だけで卒業させてもらった。
ちなみに、みんなの卒業式は3月1日だったが
自分だけ、3月の半ばに特別に卒業式をやってもらった。
普段は入れない校長室に、クラスのほぼみんなが集まってくれて、
何かスピーチを、と言われた。
「私は病気にかかってしまったけど、クラスのみんなが千羽鶴や手紙をくれた。
無事こうやって卒業できたのはみんなが励ましてくれたおかげもあると思う。
お世話になった人たちに恥の無い人生を生きたい」
みたいなことを言ったと思う。
ちなみに、お父さんからも一言・・・と担任の先生に言われ
普段は絶対に泣かない父が号泣していた。
私の入院中、父は気丈に振舞ってくれていたが、やはり辛かったのだろうか。
母はいうまでも無く、卒業式の最初から号泣していたw
夏ぐらいには、普通に動き回れるくらい回復していた。
私は社会復帰の一環として、父が働いている会社での
事務仕事のバイトを紹介してくれた。
外出時にヅラが蒸れて暑かったことをなんとなく覚えているw
そして、蒸れたヅラと共に、江戸前お兄さんのお見舞いに行った。
しかし、看護師さんに退院したといわれた。
テレビお兄さんと違って、江戸前お兄さんとはメールアドレスを交換していたので
「退院したって聞きました!おめでとー!」とメールしたが
なぜかメーラーデーモンさんからお返事がきた。
え、ちょ、と思った。
お互い退院したら、江戸前さんの奥さんやうちの両親も含めてみんなで
旨いと評判のラーメン屋にいくと約束していたはずなのに、
忘れ去られていたのかもしれないと思うと悲しい気持ちになった。
そして、バイト中に実家に掛かってきた一本の電話で、真実を知ることになる。
バイトから帰ると、母が泣き笑いみたいな顔をしていた。
J( ‘ー`)し「1・・・落ち着いて聞いてね」
1「え?どしたの?」
J( ‘ー`)し「江戸前さん、亡くなったんだって」
1「まったまたーwwwww」
J( ‘ー`)し「いや、ほんとに。」
「1がバイト行った後に、江戸前さんの奥さんから電話をもらってね。
最近亡くなったって。
電話だから、詳しいお話は聞けなかったんだけど
電話の後ろで、お子さん二人の遊んでる声がして
それでお母さん悲しくなっちゃって・・・住所とか聞けなかったの
1「・・・」
J( ‘ー`)し「1ちゃん、江戸前さんから漫画借りてたでしょ。」
確かに、江戸前の旬は返したが、そのとき発売されたばっかりだった
「クロス・ゲーム」の一巻を借りていた。
J( ‘ー`)し「奥さんね、そのことを知ってて。
それは形見として持っていてください、
そしてそういう人がいたことをたまに思い出してあげてくださいって言われたのよ。」
その後は、父が「江戸前さんの分も生きような」とか言ってた気がするが
あまり覚えていない。
数回ほど携帯メールをしてみたが、
返事をくれるのはメーラーデーモンさんだけだった。
それから、テレビお兄さんと江戸前さんの死を引きずりながら
私は進学、就職をした。
時折、死への恐怖が襲ってくることはあるけれど
それを乗り越えながら、この前やっと寛解から5年が経ち
幸いにも再発は無く、完治と呼べる状態になった。
実家は東北の山奥だが、今は東京近辺で一人暮らしをしながら、
会社に行っている。
だけど、逝ってしまった人もいる。
何が運命を分けるのか、あれからずっと考えているけれど
未だにわかっていない。
江戸前さんにはまだ、お線香を上げられていない。
仕事でめちゃくちゃ怒られたときはかなり凹むが
それでも、あのクリーンルームでの経験に比べたら
まだましだよなぁって、また会社に行く気力が沸いてくる。
生きていると色々あるけれど、私はこれからも生きていきていきたいと思う。
何か質問あったら答えます。
これから入院する>>44さん、
顔に傷とかが残らないように、手術がちゃんと成功するように祈ってるね。
マンガを大切にして、江戸前さんを時々
思い出すことでいいんじゃない?
今は幸せだよ、自分が普通に働けてることで両親がかなり嬉しそうにしてくれてることもあるかな。
妹も就職が決まったしね。
>>86
神様はいないと思うなぁ。いたとしたら、私な不道徳なやつよりも
二人のお兄さんを助けてくれたと思う。
もしいたとしたら相当文句言う自信はある。
あ、眉毛先生は神様だと思っているけどww
>>87
ありがとう。漫画は今でもちゃんと持っているよ。
無理なのはわかってるけどもう一回会いたいなぁ。
あごの傷は気になるの?
自分は断然ラーメン派、油少な目麺固めメンマトッピングで頼む
あごの傷は今でもうっすら残ってるけど
あごを引いちゃえば見えないからあまり気にならないよ。
とりあえず良かったね。
年が近そうなので感情移入してしまいました。
体を大切にね。
俺は油少なめ麺固めで煮玉子トッピングが好きだw
傷が目立たなくてよかったね。
クールビューティーせんせ腕いいんだな。
良い夢見ろよ(-_-)zz
元気そうで何よりだw
幸多からんことを祈ってるよ。
構ってちゃんとかたたかれると思ったが、ヌクモリティを貰えて本当に嬉したったんだぜ。
こんな時間までお付き合いいただき、レスを頂きありがとうございました。
あっ。
しんみりさせちゃったところ悪いけど、どうしてもはっきり言いたかったことがあった。
1は刺身とか生クリームとかすき焼きの生卵とかいわゆる生ものが大好きなんだが
入院中は、感染源になるかもしれないということで
それらを一口たりとも食べられなくて辛かった。
クリスマスケーキや誕生日ケーキは妹に全て奪われたからな。
けど今はwww社会人になったので自分のお給料で生もの食べ放題ですwwww
マイブームはえんがわですwwwwえんがわえんがわwwww
それだけは言わせていただくwww
ではでは!本当にありがとうございましたー!ノシ
これからもえんがわと共に元気でな!
>>1ちゃんには幸せになって欲しいよ
辛い治療に堪えてよく頑張った
感動した!!!!