しかし父は異常に親権に執着があり、私だけ父の元へ連れ戻された。
実母と離婚してすぐ当時父の愛人のうちのひとりが我が家へ入る。
同居始めて3ヶ月で腹違いの弟が生まれ、私の存在は限りなく薄くなり、一応衣食住の世話は
してもらっていたが、明らかに待遇の差があり、子供の私は常に萎縮していた。
小学一年の家庭訪問のとき、
担任が二人目の母に家庭内での様子を訪ねようと話を向けると、
「私は○○の妻となるべくしてこの家に来た。後継(異母弟)も生んだ。
この子(私)の母親になる為にこの家に来たわけじゃないので」
ときっぱり言った。
ここで子供だった私は、「なるほど自分には母親はいないものとして生きて
行かなきゃいけないんだな。」と覚悟せざるを得なかったこの時が第一の修羅場。
長くなるので端折るけど、小学校~高校卒業まで父はこのようなことを繰り返し
5度の結婚と離婚を繰り返し、異母きょうだいは知ってるだけで11人いる。
結婚はしなかったけど、父が一番可愛がっていた愛人が生んだ女児がいる。
その子は16歳でデキ婚出産、そして17歳で車に轢かれて死んだ。
その女児を多数いる異母きょうだいの中で一番愛していた父は半狂乱に、、
女児が生んだ子(♂)は、誰も引き取ろうとせず何故か私に預けられ、
大学生・高校生のわが子と一緒に育てている。
30代前半で夫に先立たれ、それでもどうにか働きながら頑張ってきた子育ても
終盤にかかってきたところに、また小さい子の育児が始まった・・・
私の当時の心が修羅場だった。
今は大学生の長男も高校生の長女も、年の離れた弟のように可愛がっている。
私も、忘れていた小さい子の甘い匂いにヤラれ体力気力ともに20代のころの
ようについていけないけど、どうにか頑張っていかなきゃなーと腹くくれた。
その子が先日3歳になったので記念カキコ。