年上のAと私は、「ひきこもり」を通じて知り合った。
そのころは「ひきこもり」の原因に病気や障害などがある場合もあるということは
理解されなくて、まとめて「変わった人」「甘ったれたダメな人」扱いだった。
そのころ私は、今でも持っている内臓系の難病が、なぜか急に通学中に悪くなり、
ひどい痛みに苦しんだうえ気絶し、汚い話だけど電車の中で上からも下からも
ぶちまけてしまった、ということをきっかけに外出が怖くなって、
(周囲にヒソヒソされているようでどんどん外出範囲が狭くなった)
でも両親は精神科などは嫌がり、長引いて1年半余り引きこもり。
(おかしな話だけど、両親は私のことを「病気があるだけの健常な子」ということに
どうしても思い込みたくて、精神科受診したら「障害者」となってしまうと思い込んでいた)
Aは、職場でのいじめ・パワハラで苦しみ、しかし昔気質のご両親が「辞める」ことを許さず
心が壊れてしまって2年ほど引きこもった。
ある時、地元のテレビ局から「地方における「ひきこもり」の難しさ」というテーマで
取材を受けた。最初は父が、途中から私も取材を受けるようになった。
女性の記者(違うかもしれない)さんは真面目で押しつけがなしくなく、
丁寧に私の話も聞いてくれた。
父もA父も、自分たち以外の家庭のことを知りたいと希望し、記者さんの協力で
最初は個人情報を伏せながら情報を交換、後には了解の上で直接交流するようになり、
私もAとメールのやり取りをし始めた。
記者さんは途中から来なくなったけれど、私父もA父も私たちへの対応が変わり、
私もAと交流する中で少し元気になって、通院しリハビリやカウンセリングを受け
先に私が、少し後にAも社会復帰できた。A父からは
「あなたの存在がAにも良い刺激になったと思う。どうかこれからも友人でいてほしい」
と感謝された。
お通夜の後、Aと話していたなかで分かったのが、取材が来なくなった理由。
ある時、もともとの記者さんたちと別のところから、私たちにテレビ出演の
相談があったらしい。
ところがその内容は、バラエティ番組でお笑い芸人が訪問し
ひきこもりを笑いものにするような内容だったので、父とA父は激怒し拒否、
取材に来ていた記者さんたちと、その企画は関係があるのかないのかわからなかったけど、
状況的にもともとの取材から情報が伝わっていた可能性が高く、
父たちは記者さんたちも信じられなくなり以後は取材を断ったらしい。
断った企画と思われる番組が放送されたとき、私の父は見なかったが
A父はあえて観て、文書でテレビ局に徹底的な抗議をしたらしい。
その番組の内容はひどいもので、知的障害か心の病気かがあるようなひきこもりの女の子に
「ひきこもり脱出の特訓」と称して、
無理やり拉致して町中に置き去りにして隠しカメラで笑いものにしたり、
圧迫面接して泣かしたり、コンビニバイトのロールプレイでDQNの応対をさせて
パニックを起こさせたり、最後に「東京で働く」という夢を語った女の子に
東京行きの片道切符と、1か月家賃払い済みのウィークリーマンションと履歴書用紙を
「プレゼント」して送り出す(さすがにこれは演出だと思うけど)
という、今聞いても気持ちが悪くなりそうな内容だった。
もしかしたら私たちがそんな目にあっていたかもと思うとぞっとする。
A父は「これは医療機関や福祉事務所に連れていくべきものだ」と抗議文を
送っただけでなく、障害者の団体にも抗議の呼びかけをしたらしい。
その頃から、面白おかしく「引きこもり」を取り上げるような報道が減って
医療や障害面のアプローチが注目されていったので、A父の抗議もその一助になっているのかもしれない。
A父の行動は立派だし尊敬すべきと思う。Aもそう言った。
でも、Aを「仕事を辞めるな」と追い込んでしまったのもA父で、
そのことは結局最後まで反省や謝罪の言葉はなく、Aにとっては
しこりが残り続けているのがなんとも苦しい。
弱っている人への理解のないTV番組酷いわ
A父の行動ってある意味自分の行いに対する贖罪の一種なのでは?
A父も最初は無理解から逆効果な対応を取っていて、病気に対する理解が進むにつれ
後悔したと思う。でも時間が経っていればいるほど、謝りづらい
でもその後弱者を笑いものにするTV局から守ってくれてるし
(そこにA父のメンツを守るためとか利己的な動機があるかは第三者には不明ですけど)
謝罪があれば、Aさんすっきりしただろうけど、TV局への抗議が
昔気質なA父の無言の謝罪だとそう思えれば、少しは楽になるのではないだろうかと
ぶしつけに思う