姑が骨折してから要介護になり、同居して面倒を約20年面倒見続けた
娘は小1から鍵っ子で、夏休みも家で一人なことが多かった
旦那は一度も介護も子育ても手伝わなかった
娘が21歳になって姑が亡くなった
49日も過ぎたあたりで今度は私の父が倒れた
旦那に同期&介護したいと伝えたら渋られた
上の娘が就職を決めてから私の父と同居を開始
一年もせず旦那が「他人のいる生活なんか耐えられない」と離婚届を持ってきた
耐えられないって、自分の親の時から家にいるより外に遊びに行く時間のほうが10倍は長いのに、何を耐えることをしたんだろう
私には散々自分の親の面倒を見させたくせに、なんて自分勝手な人なんだろう
そう思うと急に何もかもバカらしくなった
家事をする気もおきず、すべてが適当になった
下の娘は家事を手伝ってくれたけど、上の娘は言われても家事一つしなかった
もうあんたも社会人なんだよ、22歳の時私はあんたを身籠って母親もやってたんだよと怠惰を叱った
そしたら娘がぽつりぽつりと話し出した
一人でチキンラーメンを食べて一人でお風呂に入って一人で歯磨きして一人で寝てた
お母さんに私のことをよく出来た優秀なお子さんと褒める人がいた
お母さんは自慢だったんだろうけど、私は優秀であることが辛かった
学校では他の保護者から質問攻めにあった
なんで?どうして?あなたのお家は卒園式にも入学式にも来ないの?
参観日までこないなんて捨てられた子なの?それとも拾われた子なの?
あなた実はろくな生まれじゃないんじゃないの?うちの子に近づかないでくれる?
運動会の日にも知らない保護者から囲まれてそう言われた
守って欲しかったお母さんは介護と妹の面倒で来れなかった
8度の熱があっても学校に行かされた
風が治らないのを私のせいだと叱った
仮病だと言われたことが今でも辛い
私が今チキンラーメンを見ると吐くのは昔の思い出があるから
私がぬいぐるみをベットに置かないと眠れないのは一人だと孤独死してしまいそうだから
私に一人前の人間を求めないで
妹みたいに娘の模範みたいな人間になるなら死ぬほうが楽
お母さんのことは好きだよ
一番頑張ってたのも今も一番辛いのも、私と妹の親権がとれなくて逃げられなくて誰より頑張ってたの知ってるよ
頭ではわかっていても気持ちでお母さんを助けたくても、体は動かない
この家を守ることなんて何もしたくない
みんな居なくなっちゃえばいいのに
私はイライラして、それなら出て行けと言ってしまった
毎月お給料の殆どを入れていた娘はお給料を入れなくなって、翌年ためたお金を元に出ていった
一人になったらきちんと家事をしていた
3年前に一度だけ相続の話で家に入れてもらえたけど、とても綺麗だった
部屋を埋め尽くすほどあったぬいぐるみは家にはひとつもなくて、きっとあのぬいぐるみは娘の心の盾だったんだと今更気づいた
姉の失敗を妹にはさせまいと、下の子は姉と違って子育てに専念した
そのせいで下の子は小4まで一人でお留守番もできなかった
深くは考えていなかったけど、姉と妹の違いはとんでもなく根深かった
妹は姉を見下しているし、姉は妹を別世界の生き物のように見ていた
一度姉が妹を虐めていて叱りぬいて一晩外に放り出したことがあった
思い返せば小1の頃は約束を破るたびに外に放り出して家に入れなかった記憶もある
その頃の私は娘に手を挙げないためにそれが精一杯だった
妹が約束を破ったところで、こんこんと理解するまで言い聞かせられていた
それもよく思い出せばその間姉が家事をしていたからだ
私はとんでもないことをした
父親が家事も育児も手伝わない分、ずっと姉がその代わりをしていた
気づいて後悔して、娘に何かしてやれるだろうかと思った矢先に末期がんだと判明した
数年お腹が痛かったが、介護のせいで自分の身にかまっている暇がなかった
私の人生ってなんだったんだろうか
娘を不幸にするためだけに人生をおくってきたんだろうか
妹には告げたが、姉には告げずに逝こうと思う
まさか自分が親より先に逝くことになるとは
娘を不幸にした私に親不孝な結末は似合いすぎていて神様の皮肉に反吐が出そう
残された時間で、妹ととことん話すといい。
とんでもないことをしたと言うけど、家事育児介護同時の苦労を負わせたのは夫。あなたも娘たちも被害者。
だいたい誰の親よ。自分の母親の介護してる人に、ひどい仕打だよ。全部があなたの責任じゃない。
介護を20年も…。本当に大変だったと思う。
姉に文句言った他の保護者もクソ!小さい子によくもそんなひどいこと言うよね。
姉は子どもだったから説明出来なかったんだね。
とにかく妹と思う存分話して。今までにあった色んなことを。
最期の最期まで姉妹を区別するの?
二人の娘にしこりを残して逝くの?
残りの時間が少ないなら
考え抜いてやりきってから逝ってあげて
二人にたくさん話してあげて
手紙でも良いし、ビデオでも良い
きちんと向き合って、お願いだから
介護生活だったのに、どうして娘は鍵っ子だったのかしら?
ここまで壮絶じゃないけど夫婦の関係性がうちの両親に少し重なる。
長女寄りの立場なので言いたいことが山ほどあるけど
どれももう過ぎたことで、その都度お話できれば参考になったかもしれないけど…っていうことばかりで
他人ながら苦しいです。
上の娘さんが何を思い何を望み
病を抱えた母がどう接すれば今後苦しまずに生きていけるかは
彼女にしか分からないというか
もしかしたら彼女にも分からないかもしれません。
ここまで行くとどういう方法を取っても完全にしこりがなくなるということは難しい気もしますから
上の方が仰有るようにご自分の亡き後私は最後まで差別されたと嘆き苦しむことになっても
今さら平等に扱われても迷惑だ黙ったままでいてほしかったと非難されることになっても
ご自身のしたいようになさってほしいと思います。
あなたがどうしたって娘さん達は自力で生きていくのですし
上の娘さんも一通り吐き出す機会があり
その後離れて暮らした部屋がスッキリとしていたなら
距離をおくことで色々好転し始めたということですから。
もう両親のことや幼少の頃のことは一区りして気持ちで自分の人生を歩み始めているんだと思います。
簡単に割りきれるものではないし影響は残ると思いますが
あなたが思うよりずっと力強く生きていけるのではないかという印象を受けました。
どんな家庭であれ子供はいつか親の支えを外して生きていくので
考えすぎずに、ただご自身が後悔のないようになさってください。
皆さん深夜の独白にお付き合いいただきありがとうございます
娘のことにスポットを当てて書きましたので多々省いたことも多く読みにくくなってしまい申し訳ありません
>>980
昔の出来事でしたので、今と随分環境が違いました
地域差もあるのかもしれませんが、昔は骨折してリハビリが必要な要介護者としても長く病院に入院させることができません
介護の制度もととのっておらず、そうなると私が姑のために毎日病院まで送迎をし、姑に付き合う必要がありました
朝一で起きて姑の身の回りのことを行い、下の娘を保育園に預け、家のこと、姑の家のこと、姑の風呂などを済ませ、姑を病院に連れていき、下の娘を迎えに行き、姑を拾い、必要なら買い物をして家に帰る
数年こんな生活が続きました
娘が帰宅する時間は必ず家に誰も居なかったのです
そのうち姑が自分で転んで骨折し、足を切断することになった時には入院できたんですが
下の娘もまだギリギリ小学生にあがる前で、さらに幼稚園の役員にも抜擢されてしまい
毎月の入院費と保育料18万相当(当時は高額医療制度など説明もなく、ネットもなかったので知りませんでした)のために仕事もはじめました
姑はなんの保険にも入っていません出した
この時は上の娘にかける時間が本当になく、ご飯を準備して置いておいたとしても旦那が娘の分を奪って食べてしまいました
旦那はまだ小3の娘を家政婦か何かだと言い張った前例もありましたが、娘が隠すので気づけませんでした
その人たちの嘆きの声で介護制度が大きく取り上げられたこともあったと記憶しています
建物の作りひとつとっても昔はバリアフリーという考えもなく、それだけで人がヒョイヒョイと登れる数段の階段の前に心が折れそうになったことも多々ありました人
一人の人間の介護は複数の人間の人生を潰します
それくらい犠牲の多いものです
介護問題は今も尽きないと思います
私は私の経験から、同じ負担を娘にかけたくないと、自分の親は老人ホームに入れるよう手配しておきました
私が亡くなればお金も入るのでそちらで苦労をかけることもないでしょう
介護は人の命一つと同じ重さなんだとつくづく思わされます