関係者はほぼ鬼籍な上、当時6歳の私の記憶なんてたかが知れてる。
母が再婚した。
母の再婚相手Aと私は養子縁組をした。
Aは893だったので、私は893の養女になった。
小学生になったばかりの私は、893という職業がどんな物か知らないどころか
その存在すら理解はしていなかったけれど。
「お嬢」と呼ばれて可愛がってもらっていた。
Aは一緒にお酒を飲んだ人とすぐに兄弟になるという不思議体質で
大量の弟がいて、私には見分けのつかない弟達も皆、優しくしてくれた。
ぼんやりした子供だったのだろう。
後々母が言うには、
「娘(私)がいれば狂犬(A)がご機嫌な飼い犬になるから、周囲は私をお姫様扱いしていた」
そうだ。かなり幸せな時期だったと思う。
母とAの間に何があったのかは分からないが、ある日、母は私を連れて家出をした。
正確な日時は覚えていないが、秋だった。結婚期間半年。
Aは当然若い衆を使って追って来た。
母と私は、関東地方内を転々とした。
私の義務教育より、逃げる事が優先になった。
きゅうちゃんの本名は知らない。年齢も容姿も覚えていない。
私もきゅうちゃんと呼んでいた。
きゅうちゃんは一人暮らし。
パチンコ屋と蕎麦屋のお店を持っていた。
私は学校には行かず、蕎麦屋の二階で寝起きしてパチンコ屋のはじっこで遊んだ。
多分、一週間か二週間くらい。
友達に会えず、いつも遊んでくれるAも若い衆もAの弟達もいなくて、淋しかったのだと思う。
(母は子育てが苦手で、私の為の料理もお風呂や歯磨きの世話も宿題を見るのも
Aの担当だった。考えるとAの女子力が高すぎる)
きゅうちゃんの膝で読書したり昼寝したり。正直鬱陶しかったと思う。
でも、彼はすごく温厚な人物らしく、嫌な顔一つしなかった。
きゅうちゃんとの別れは突然だった。
早朝急に起こされ、今から出掛けると母に言われた。
着替えだけして車に乗せられた。
読みかけの本も、塗り絵もまとめる時間がなかった。
きゅうちゃんともさよならだと言われて、私は嫌だと泣き喚いた。
普段文句を言わない私の反乱に困惑する母を見兼ねたのか
きゅうちゃんが頭を撫でてくれた…ような気がする。
平日、小学校低学年の子供が学校に行かずに号泣していたら、目立つと思う。
きゅうちゃんはそれを考えたのだろう。
一生懸命宥めてくれた。
「ごめんねお嬢。きゅうちゃんはお仕事があるから、一緒に行けないんだ。
でも、また会えるから泣かないで。
きゅうちゃんは、お嬢の笑っている顔が好きだから、笑って」
もっといっぱい言ってくれたけれど、一部分しか覚えていない。
私は泣きながら必死で笑顔を作った。きゅうちゃんは可愛い笑顔だと誉めてくれた。
こんなぐしゃぐしゃの笑顔可愛い訳ないじゃんと思ったけど
また会えるように指切りげんまんをした。
電車、バス、最後は徒歩で、古い感じの旅館に着いた。
母が宿泊できるか聞いているのをボーッと眺めながら
ここで泊まれなかったらどうしようと思っていた。
いつも寝る時間はとっくに過ぎて、寒くて疲れていた。
朝からほぼ飲まず食わずだったと思う。
旅館に着くまではしっかり歩いていたのに、もう一歩も歩きたくなかった。
幸い泊まる事が出来た。
食欲がなかったので、お風呂に入っただけですぐに休んだ。
少しでも何か食べるように言われけれど、お茶をちょっと飲んだだけで何も飲み込めなかった。
一人で髪を乾かしている時に、あまりの眠さでドライヤーを落としてしまい
母に怒られた事を覚えている。
知らない部屋で一人で寝るのは怖かった。
部屋の戸を開け、廊下の隅に母の後ろ姿を見つけ、すごくほっとした。
母の方に歩きかけ、彼女が電話をしている事に気付き
足音を立てないようにゆっくり静かにに歩いた。
母の口から「きゅうちゃん」というのが聞こえ
きゅうちゃんに会えるのかと期待しながら声を聞いた。
ちゃんとした言葉は覚えていない。
後ろ向きだったし、すごく小声だった。
単語を繋ぎ合わせて、きゅうちゃんが死んだ事が分かった。死ぬまで殴られたって。
朝、また会えるって言われて、一生懸命笑って別れた。でも会えなくなった。
あんなに大好きなきゅうちゃんを、誰がどうして殴ったんだろう。
私はそっと部屋に戻り、布団に潜り込んだ。
あまり涙は出なかった。朝はあんなに泣いたのに。
この時から今まで、きゅうちゃんの名前を口に出した事はない。母からも聞いた事がない。
多分、母と私を匿った事がバレたのだろう。
彼の死が、どういう扱いになったのか、私は知らない。
撲殺事件になったのか、行方不明になったのか。
本名も年齢も容姿も住所も分からない。
ただ、きゅうちゃんと呼ばれた男性が、おそらく母と私のせいで殴り殺されたってことだけ。
きゅうちゃん、ごめんなさい。本当に申し訳なく思います。
きゅうちゃんにも、親兄弟がいたと思う。どんな思いをしたことか。
ごめんなさい。恩を仇で返してしまった。
私達を助けた事、心から後悔したんじゃないかと思う。
どんなに痛かったか、怖かったか。
そんな目に合わせておいて、私は彼がどこの誰かも知らない。
本当にひどい話だと思う。ごめんなさい。
許して貰えるなんて、思っていません。
そして、このまま誰にも言わずに地獄まで持って行くと決めています。
泣く資格もない。ごめんなさい。
ここがスレ違いならどっかに書いて欲しい
一番黒い事を書いてホッとしていました。
その後は、殺された人はいないです。
Aがもしかしたら…という状況なのと
ジサツした方はいますが、まとめてないので時間がかかります。
それでもよろしければ、普通の奥様になるまでの顛末を書き込ませていただきます。
待ってます
前の続きと思って下さい。
母はジャズバーとかでピアノの弾き語りをしながら逃げ回った。
彼女は、ちょっと有名なジャズバンドが日本にいた時に
メンバーにスカウトされるくらい、腕の良いピアノ弾きだった。
見た目もかなり良かったから、飛び入りでも歓迎される。
楽譜はいらないから身軽に飛び回り、一晩で三軒程回ってチップだけで十万以上稼ぐ。
でも目立つから長居できなかった。
一ヶ所数週間から二ヶ月くらいで次の引っ越し。
知り合いを頼った事も何回もあったけど、最後は大抵
塩撒かれたり疫病神呼ばわりされて終わった。
まあ当たり前なのだが、当時は理解出来なかった。誰も説明してくれなかった。
最初は優しくしてくれた大人が、数週間で睨んでくるようになる。
恐怖だった。
学校に通学できない時期も多かった。
転校の記録から足が付く可能性も大きかったんだろう。
転校手続きの書類無しで通わせて貰った小学校もいくつかある。
教科書もランドセルも、いつもお古を使わせて貰った。
私の逃亡生活は、小三の一学期で終わった。母は親戚の家に私を置いて消えた。
もうすぐ梅雨が明ける頃だったと思う。
大人達の会話から、私は預けられたのではなく、捨てられたと分かった。
私を引き取りたいという人は、いなかった。当然だ。
893と縁のある、ほとんど学校に行っていない子供。
いつバツ2の母親が転がり込んでくるか分からない。
誰が、時間とお金をかける価値があると思うだろう。
大人達の静かな押し付け合いの結果
とりあえず母が私を引き取りに来る可能性を考慮して
置き去りにされた家庭で居候する事になった。
もうすぐ夏休みだから、学校は行かなくて良い。
夏休み終了しても母親が現れなかったら、とりあえず近くの小学校に転入させる。
冬休み以降は、また話し合いをする。
夜中のひそひそ話や昼間の電話の声を黙って聞いた。
怒鳴り声のない静かな話し合いの存在を、初めて知った。
夏の話し合いの時より、私の評価は上がっていた。
休み明けすぐの算数と理科のテストが百点だった事、漢字のテストが学年トップだった事。
大人しくてお手伝いを嫌がらない事、我が儘を言わない事、
挨拶がきちんと出来る事、敬語が使える事。
「パンドラの箱を開けたら宝石だった」と言っていた。
私はそのままその家で居候を続ける事になった。
冬休み時点で高まっていた私の評価は、春休みの話し合いでは急降下していた。
成績はトップクラス、行儀も良い。
でも、友達が出来ない。
クラスメートに対しても敬語を使う。教室で孤立している。
誰にも馴染もうとしない。喜怒哀楽がない。話し掛けられなければ口をきかない。
無表情。まばたきもほとんどしないから気味が悪い。
もっと沢山あったけれど、繰り返し言っていたのはこんな感じ。
私と接する時間が一番長かったその家のお嫁さんが、狂ったように叫び立てるので
話し合いは筒抜けだった。
私のせいで、予想よりお嫁さんに嫌な思いをさせていた事に気付き
申し訳なく思いながらトイレに行くと、お嫁さんと鉢合わせをした。
お嫁さんの負担を和らげたくて、私は笑顔を作った。きゅうちゃんのお墨付きの笑顔。
次いで、まばたきが出来る事をアピールしようと、高速でまばたきをして見せた。
本当に悪気はなかった。安心して欲しかった。良い子だと思って欲しかった。
でも、絶大な逆効果だった。
トイレ前の薄暗がりで笑顔で高速まばたきをする私を見て、彼女は発狂した。
奇声を上げて私に飛び掛かり、首を絞めて来た。
びっくりして、大丈夫、私まばたきできるよアピールを続けたが
視界がだんだん黒くなって、一度パッと赤くなって、すぐに真っ黒になった。
気が付いたら朝(昼かも)で、布団に寝ていた。
私の母方の祖母の家は医者が多く、その家にも二人(もしかしたら三人)医者がいたので
必要な医療措置は受けていたと思う。
春休み中の引っ越し・転校が決まっていた。
お嫁さんは入院したらしい。
私は声が出なくなっていた。話そうとすると喉がひきつって息が上手く出来なかった。
孫には滅多に会えない、という事だった。
優しそうな人達だったが、どうでも良かった。
私の人間関係は、一旦受け入れられて憎まれて引っ越しというのがデフォルトだった。
お嫁さんも、最初はすごく優しかった。
髪をとかしてリボンを結んでくれたし、公園に連れて行ってくれた。
ずっと優しくして欲しかったけれど、それは経験上無理だと分かっていた。
もし私がもう少し子供らしい子供だったら、何とかなったのではないかと思う。
でも私は、話し掛けられると敬語で言葉少なく返し
相手の次の言葉を待ってじっと見つめ返すような子供だった。
順調にお嫁さんのヘイトを稼いでいるのを感じても、どうすれば良いのか分からない。
家の空気はぎすぎすしてきたが、叩かれる事も罵られる事もなかったのでまだ大丈夫
と思っているうちに、お嫁さんは狂ってしまった。
そしていつも通り引っ越しになった。
老夫婦の家は、居間に本棚があった。二階に続く階段の途中にも、小さな本棚。
書斎にも大きな本棚。子供用の本はない。構わなかった。
小二で与謝野晶子訳の源氏物語を読んだと言えば、分かって貰えるだろうか。
本は私の命。
読んだ物全てを理解出来る訳ではないが、私にとって異世界への扉だった。
Aの家にいた頃は、ちゃんと子供らしい本を読んでいた。
赤毛のアン、ムーミンシリーズ、スプーンおばさん、メリー・ポピンズ、長靴下のピッピ等
Aチョイスの本。分からない漢字の為の漢和辞典と国語辞典の使い方を教えてくれたのもA。
私の親戚には全く伝わらないが、Aは良い親だったと思う。893だけど。
逃亡生活に入ると、嵩張る子供用の本は読まなくなった。
文庫本なら、上手くいけば五冊くらいを荷物に紛れ込ませる事が出来る。
時々学校に行って、仲良くしてくれるクラスメートがいても
「ごめんね。ママが遊んじゃダメだって」と断られたり
遊ぶ約束をしても私が引っ越しでブッチしたり、人間相手は無理が多い。
本は大丈夫。本は文句言わないから。
という訳で、本だらけの老夫婦宅は天国だった。
自由に読んで良いよと言ってくれたおじいちゃんが神様に見えた。
どうせ孤立するのだから、不自由はない。
ずっと読書していれば良い。
そう思っていたのだが、この見通しは良い意味で裏切られた。
最初は「声が出ないなんて仮病だ」と絡んできた男子がいたが
喋ろうとして息が詰まって倒れる私を見て女子が守ってくれるようになった。
明らかなハンディキャップがあると、多少奇妙な行動を取っても
「自分たちとは違うからそうなるんだ」となんとなく納得してしまうのかもしれない。
声がなければ口調も分からないし。
理由ははっきりしないが、私は障害のある少し変わった子という
それまでとは違う括りでクラスに受け入れられた。
テストの点数についても、受け取られ方が違った。
ガリ勉・生意気・良い子ちゃんぶる嫌な奴から、頭の良い一生懸命な子になった。
いつ手のひら返しが来るのかが怖くて、学校に行きたくなかった。
でも、学校に行かない問題児として家を追い出されるのも怖くて、登校拒否は出来なかった。
多分梅雨の頃、書斎で懐かしい本を見つけた。
きゅうちゃんの家に置いて来た、ファラデーの「ロウソクの科学」。
何か叫んだような気がするけれど、ちゃんと声が出ていなかったかも。
気が付くと病院のベッドで、額の左の辺りに大きなガーゼが貼ってあった。
書斎で転んでおでこをぶつけた、らしい。
おじいちゃんに
「本を持っていたから、転んだ時に手を使えなかったんだ。
転ぶ時は、本より自分を守りなさい」と言われた。
怒られるかと思ったけれど、怒られなかった。
本がどこにあるのか聞きたかったが、手段がなくて歯痒かった。
声が出ないというだけではなく、筆談も難しかった。
文字は普通に書ける。文章を書き写す事も出来る。
テストの答案も書けて、クロスワードも出来る。
なのに、自分の思っている事を書けない。
質問に答えようとすると、汗が出て震えて文字にならない。
自分の手が別の生き物になったようだった。
当時の私にはメリットが多いくらいだったが、この時初めて話したいと思った。
「ロウソクの科学」が欲しかった。
ドラマのように奇跡的に声が出る訳もなく、頭を打っているからと
一日入院後、普通に帰宅した。
帰って即、書斎に行った。
おじいちゃんもおばあちゃんも、びっくりしていた。
いつもは靴を揃え、おじいちゃんおばあちゃんに頭を下げ
手を洗って音を立てないように居間に入るのに、靴を脱ぎ散らかして書斎に直行したらしい。
「ロウソクの科学」は、元の場所にあった。
今度は何も起こらずに、手に取る事が出来た。
おじいちゃんもおばあちゃんも、書斎に入って来た。
「その本、好きなの?」
どちらに聞かれたのか、覚えていない。
何回も頷いた。
「子供向きの本じゃないと思うけど?」
正直、あの家に子供向きの本なんてなかった。
ドストエフスキーとかヘッセとか辻邦夫とかロレンスとか。
勿論、読んだけれど。
ロウソクの科学は読みやすい。小一でも分かるように書かれた良書だと思う。
「じゃあその本はあげる。いつも頑張っているご褒美」
嬉しくて泣いた。
この時の気持ちを、どう伝えれば良いだろう。
いつも幕を一枚隔てたような世界
ホラー映画を見ているような、薄墨がかかったような世界が、輝いて見えた。
本を貰っても声は戻らず、夏休みになった。
四年生にして初めて、夏休みの宿題という物の実態を知った。びっくりした。
休みじゃないのかよ、と思った。
ドリルなんて、やってもやらなくてもテストに影響すると思えない。
漢字を覚えるのに書き取りが必要って、誰が決めたんだろう?
植物なんか育てたい人が育てれば良いし、私は眺めるだけで満足だ。
宿題は大体七月中に終わったけれど、読書感想文は苦労した。自分の言葉は難しい。
何度も投げ出そうとして、挫折仕掛けて、その度にロウソクの科学を抱きしめて
三週間かけて二枚と一行を書き上げた。
二学期に少々誇らしい気持ちで提出したのだが
後日おじいちゃんに、次から感想文を書く時は事前に本の題名を教えて欲しいと言われた。
「チャタレイ婦人の恋人」は、教師に不評だったようだ。