持病とか何も持ってないのに、いきなりポックリと。
思い出しながら書くからペース遅めだぞ。
チラ裏だが聞いてくれ
早く就職しろ
確かこんな文面だった気がする。
「お父さんがたおれちゃった
はやくびょういんきて」
とか
そん時は
「まぁ、あんな親父だからそう易々とタヒぬことはねーだろ」
とか思ってて気にせずvipしてたんだ。
そん時は勘違いがどうとかいうスレ見てた気がする。
これまだ鮮明・・・とはいえないが覚えてる。
「おとうさん意識なくなった
どうしようどうしよう
しんじゃうよ。
はやくきて」
ちょwwwwwww
どこかもわかんねーのに行ける訳なくねwwwwwww
って思ってまたvipやってた。
そん時はABが読売一面とかで盛り上がってた覚えがある。
「お父さんしんじゃった
タヒんじゃったよ
どうしよう ほんとに早く」
って来て、内心メッチャ焦ってた。
イヤイヤ、あの親父がタヒぬなんてあるわけ泣くね?
前日までピンピンしてたあの親父がだぜ?おかしいおかしい。
親父は少林寺拳法やってて、道院持ってたんだ。
中国の少林寺とは違うぞ。
やってる人はわかると思うけど、間違えられると結構悔しいんだ。
道院とはいっても、去年の9月くらいに建てたばっかの新しい所で、門下生も1桁しかいなかったけどな。
それで地域のスポーツ振興会みたいなイベントで、親父はデモンストレーションやったんだ。
ずっと演武組んできた人と、そりゃもう激しい感じで終わった後にはアオタンが出来るくらい。
「イヤァァァ、痛そー。」
とか話してて、親父は
「こんな傷でタヒにゃしねぇよ!」
って笑って言ってた。
なのに、その次の日にタヒぬとかねーぜ親父
すまん
半年とはいえ結構思い出すの苦労なんだ
色々困惑してたらおかんから電凸
おかん「アンタ今何やってんの?」
俺「いや、寝てた」
とっさに出たのが嘘だった。本当はめちゃめちゃ混乱してた。
おかん「今妹と病院にいるから、今すぐ来なさい。○○病院だから」
俺「おk」
そう言って俺は着替えて、犬の散歩に行って、リビングに行ったんだ。
そしたら置手紙があって
「お父さん倒れた。○○病院に来て」
って書かれてた。
場所書いてあるやんか。
とまぁ冷静さを取り戻しつつ家を出た。
冬も終わりかけの中途半端な時期だったのと、焦りで汗が凄かったと思う。
周りの人結構引いてた。
病院までは電車で30分だから、それまでちょっと色々考えようと思った。
で、次で降りるというときにおかんから電話
おかん「もうすぐ帰るけど、今どこ?」
俺「次で降りる」
おかん「あ、そう。わかった。駅からはタクシー使いなさいね。お金はあげるから」
俺「把握」
てなことを話してたら到着。
タクシー使って病院まで言った。
急いでおかんに電話
俺「金がない!!!!!」
おかん「病院で払ったげるから気にするな。早く来い。」
お金の面は大丈夫になった。
到着。
おかんが入り口で待っててくれて、諭吉渡してくれた。
お釣りはもらっといた。
単純にめんどくさかった
「大動脈破裂」だそうだ。詳しくは後で書く。
ラッキーとか思ったけどおかんの眼が潤んでた。
おかん「お父さんどういう状態か知ってるよね?」
俺「おう」
おかん「よし、なら行こう」
って言って、おかんに連れられて病院に入った。
それでも黙ってついて行った。
おかんが「ここにお父さんがいるから」と指をさしたのは霊安室だった。
ドラマとかではよく聞くけど、実際に入るのは初めてだった。
入るとしても、もっと遠い未来のことだと思ってた。
ドアを開けると、父方の祖母、母方の祖母、おかんの兄貴がいた。
で、ストレッチャーの上には親父が寝てた。
タヒんだとか全然実感できなかったんだ、その時は。
近くにはソファとテーブルがあって、結構な量のペットボトルと食べ物があって
長い時間ここにいたって嫌でもわかった。
その時、親父がタヒんだことよりも待たせて申し訳ないって気持ちが強かった。
まぁ、実際亡がら見てみても案外実感できないもんよ。
「まだ暖かいんだよ。触ってあげて」
って言ったけど、俺には触れなかった。
触ったらなんかいけない気がしたんだ。いや、本当に。
そしたらおかんの兄貴に呼ばれてちょっと部屋を出た。
兄貴「本当は即タヒだったんだ。病院に運ばれたときにはもうタヒんでたんだってよ」
って言われて、俺の頭はますます混乱した。俺がvipしてた頃には既にタヒんでたんかい。
部屋に戻ると、みんな親父の顔見てた。
けど、俺はあまり見なかった。だってそのまんまの寝顔だし。今更・・・って感じだった。
今思うと、もっと見とけば良かった後悔してる。
親父は病院に残したまま、俺おかん妹の3人は帰る事になった。
こんな精神状態で運転させたら危ないってんで兄貴が運転して、実家まで送ってくれた。
本当に感謝してる。
家に帰って、みんな疲れたから簡単なご飯食べて寝ようって事になった。
俺は、3人の中で比較的落ち着いてられたから俺が作った。
その時は麻婆豆腐作った。いや、よく覚えてるもんだ。
んで、その日は寝た。
当時でいいか?
俺
高校卒業したて、大学入学間近。
予餞会休んだせいで皆勤賞逃す。
おかん
たぶん44歳
産廃の会社の事務やってる。
親父曰く「アイドルみたいだった」
妹
高校1年
めっちゃ頭いい。
中堅高校だった俺とは比べ物にならない。
朝一番に起こされて、即刻病院へ。
親父は昨日と同じままの状態だった。
変わったのは体温くらいらしい。(俺は触ってないからわからない)
俺たちが来て1時間後くらいに兄貴登場。
おはぎ持ってきてくれて、おいしくいただいた。
それからまた1時間後くらいに、親父を家まで送るってんでワゴンが来た。
ストレッチャーごと移動させて、救急車入るみたくワゴン車へ。
そのワゴンには親族が一人乗れるんだが、そこには俺が乗ることになった。
おかんは運転、兄貴も運転、妹は家。
俺はまだ仮免だったから運転は出来なかったんで、俺になった。
ちなみに二次試験前だった
案外人のタヒって実感湧かないもんだよな
そこには、業者の方2名と、俺親父。
車内は誰一人話さないで無言だった。
そこで不意に思ったことを聞いてみた。
俺「こういう所で泣く人ってどれくらいいますかね?」
業「そうですねー、女性.大概泣いてますけど男性.泣いてるかたいらっしゃいますよ」
俺「そうですかー・・・」
そこで俺はもう一つ気になったことを聞いてみた。
俺「この車って、運転するのに二種免許いりますか?」
業「いやー、これは大丈夫です。一種で大丈夫です。」
俺「そうですかー・・・」
その時、俺は結構ショックだった。
ちょっとご飯炊いてくる
息子にあげるのはもちろん麻婆豆腐
なぜなら彼もまた親父になるからです
んで、家に着くとどこに親父置くかって話に。
この時点でちょっと嫌だったんだけどね。
話し合いの結果、やっぱりリビングにしようってんで急いで片付けた。
布団を敷いて、その上に親父を寝かせたんだ。
その時ちょっと親父に触っちまったんだけど、すげー冷たかったんだ。
じゃ投下してく
親父を寝かせる所作ってると、親族大集合した。
うちって、おかんの兄弟が上に二人いるから結構人数多いんだ。
いつもは4人でいたリビングに倍以上の11人なんて入るから狭いのなんの。
そんなこんなで親父を寝かせた。
ありがとう
しかしめっちゃ長いぞw
で、実家には犬がいるんだ。豆柴の雌なんだけど。
そいつは冷たいくせに、親父にだけはデレてたんだ。
親父が仕事から帰って来ると、すぐに飛び付いていって腹も見せてた。
わかるやつはわかると思うけど、犬って笑うんだよな。
眼を細めて、本当に笑うんだw
なんだけど、布団に寝かせた親父には見向きもしなかったんだ。
何でだろうな、本能でわかるんかな。すげぇ辛かった。
俺の部屋の掃除もw
そしたら、おかんの姉さんはしばらく泊まるって言うんだ。
そりゃそうだよな、夫を亡くして後追いとかされたら困るし。
外を見てみると、もう夕方だった。
家は西日が強くて、部屋が妙に神秘的だったの覚えてる。
どこの県か教えてくれるか?
ちょっと道院の関係で特定されやすいだろうから勘弁
東日本とだけ言っておく。
まだ経験してないから「自然の摂理だから仕方ない」って思ってるけど
実際に経験すると、こんな考えじゃなくなるんだろうな
いや、案外割りきれるもんだぞ。
女性.はそうもいかなかったみたいだけど
いつもの日常なんだけど
別の世界にきたみたいな感じ
分かる!俺もそうだった!
帰ってくると家にいるもんだとついつい思ってしまう
その日は姉さんが作ってくれたグラタンだった。
俺と妹は喰えたけど、母さんは一口手をつけただけだった。
姉「食べないと体持たないよ…」
おかん「いや、大丈夫。それより子供達に…」
俺「俺らはいいから、おかん喰え」
おかん「だから大丈夫だかr…」
俺「いいから喰え!!!」
おかん「ごめん…」
こんな怒鳴ったの久しぶりだわってくらいでかかったと思う。
ご近所さん申し訳ない。
ベッドに入ったけど、寝れる訳もない。
親父との思い出フラッシュバック。
ラーメンが好きで、スープは全部飲んでた。
マイルドセブンが好きで、たまにマルボロ吸ってた。
BMWに乗ってたけど、車内が煙草臭くて気持ち悪くなるからあまり乗りたくなかった。
4人で最後に食べた飯は、鍋だった。
美容師だったんだけど、最後のほう薬で朦朧として、『店開けなきゃな』とか立てもしないのに言ってたのには胸に来るものがあった。今だに夢に出る
タヒぬ間際に、意識も無いはずの親父の目からボロボロ涙が流れてるのを見てる時に、『ホントにタヒぬんだな』て思った
けど、まだ信じられない
現実味が湧かないんだよな
自分語りスマソ
最後まで付き合うから、頑張ってくれ
俺の部屋は東窓なんだ。
下に降りるとみんな起きてる。
なーんだ、みんな寝れなかったのか。
朝御飯は簡単にトースト。
おかんは凄い勢いで食べてた。怖いくらい。
昼前に、もう一回親族一同集合。
地元でやってる葬儀屋が来て、葬式までの手取りを教えてた。
聞いてたのはおかんと俺。それと兄貴。
ここでちょっと厄介な事になったんだ、
それはそれでいいんだ。
が
亡くなった場所が問題だった。
病院、又は自宅で亡くなればすんなりといったんだが、親父はそうじゃなかった。
親父は会社の駐車場で亡くなってたんだ。
その直後に亡くなったらしい。
会社の人は、エンジンかけたまま動かないのはおかしいっていうんで見てみたら
亡くなってたんだ。
これも前に書いたが、病院に運び込まれた時には既にタヒんでた。
それは聞いてた。
即タヒとは聞いてない。
車の中で既にタヒんでたってことじゃんか。
苦しむ間もなくって言ってた。
相当痛かったんだろうな。
それで、葬式の場所取りに必要な「タヒ亡診断書」が病院から貰えない。
さて困った。
こればっかりはどうしようもない。
結局、場所が取れたのは4日後だった。
翌日
家族の誰かが毒を盛ってないか事情聴取。
車から消費期限の過ぎた半額パンが見つかった。
翌々日
墓をどこに入れるか。
うちの事情って少し複雑で、まぁ墓が3つあるんだ。
それで最終的に俺の祖父、つまり親父の親父がいる墓に決まった。
3日後
場所がどんどん埋まってく。
病院から連絡なし。
事件性.ゼロになるまで、遺体を傷つけてはダメってんで
ドライアイスとかも置けなかったんだ。
さすがに俺もキレかけた
あまりにも連絡が無いから、ちょっとコネを使うことに。
親父の知り合いに警察の元お偉いさんがいたらしく、その人に助けを求めることに。
それから30分後、病院から連絡。
診断書できました。
コネsugeeeeeeeeeって思った。
早速ドライアイス。
通夜は2日後、告別式は3日後になった。
今すぐ手術してもらえ
親父に瘤は無かったんだが、脳内なら確実にヤバイ
最悪脳タヒだぞ
その次の日は線香ラッシュ
次から次に人が来るわ来るわ。
その時おかんは普通に話すことも出来て、よかったよかったと安堵してた。
でも、次の日からそんなことは無くなった
脳動脈瘤のサイズによっては、
破裂する危険性.り手術で失敗する危険性.方が高いから、
様子を見た方がいい場合もある。
なんか泣けてきた。親がタヒんだらなんもできねえ
この時既に礼服。
この服にもちょっとあってだな。また別のお話。
霊柩車に乗せる前に、色々遺体につけるものがあるんだ。
白い布なんだが、まぁ簡単な作りのやつ。
それを着ける時、どうしても親父に触れてしまう。
めっちゃ固くて、めっちゃ冷たかった。
比喩表現無しで、氷だった。
ごめん、ちょっと行ってくる
一気に最後まで行くぜ
あれって、床に転がすと全体が揺れるだろ?
あれと同じ事が親父でなったんだ。
ゴロンって。
見たくなかったね。完全に「物」になってた
俺が行く頃にはすげぇ沢山の人がいて、正直ビビった。
改めて親父の凄さを思い知ったわ。
そして、棺ごと定位置に
生花も数えきれないくらい来てて、総裁とか連盟会長とかからまで来てた。
親父何もんなんだよ…
3人は凄く喜んだ。
少しでも親父の傍にいてあげたかった。
そして通夜が始まった。
かといって何かが違うって訳でもない。
ただ単に坊さんがお経読んで焼香済ませるだけだ。
親族の俺達がまず焼香。
その後一般。
だが、それが凄かった。
坊さんがお経読み終わってもまだ続くの。
あまりにも長いから、1,2回落ちた。
すまん、親父
みんな帰宅。俺達残る。
そこでは、やっぱり親父の話なんだ。当然っちゃ当然だけど
この後どうしようか。大学行けるのか?家売るの?
そんな事から、生前の話まで。
なんかほのぼのしてた。
親父がまだ「残ってる」から。
次の日に焼くなんて頭にも無かったよ
俺はパスタサラダの豚しゃぶ食べた。
喰い終わったら、みんな眠くなったので寝た。
凄い安眠だったと思う。
親父と寝る、最後の夜だった。
こっからはもうハイペースで。
俺も明日学校だ
違うのは参列者の数くらい。多少減ったかな?
ここでちょっと重大な事があったんだが、話がそれるのでここでは書かない。
機会があれば書く。めっちゃ短いけど。
いやいやいや、ここに来て俺理解できない。
これから親父どうするんだよ。
ちなみに、俺泣かなかったんだ。
これも前に書いたけど、割りきれてたから泣かなかったって思ってるんだけど
うーん、どうなんだろ。
で
周りはめっちゃ泣いてる。
鼻のすする音がそこらじゅうで。
ちょ、俺まで泣くじゃんか。
その時、門下生の一人が俺に聞いてきた。
「お兄ちゃん、悲しくないの?」
ってな
そりゃ悲しいよ、悲しいに決まってる。
でも、じゃあなんで泣かないの?
わからん
「割り切ってる」って思ってるけど、俺はまだ実感出来てないだけじゃないのか?
そんな事考えてる内に俺に花が渡された。
置いた場所は今でも覚えてる、左耳の隣だ。
お袋なら泣け
お袋じゃねぇ、おかんだ
俺が置いたのはその一輪だけ。
他の花は参列者に俺が渡していった。
命日の前日、演舞をやった人にも渡した。
その人も涙ボロボロ流して悲しんでくれてた。
それを見たら、もらい泣きとかではなく素直に嬉しかった。
の前に、蓋に釘を打つか聞かれた。
おかんは泣きまくってて話せる状態じゃなかった。
俺に任されたわけだが、「釘」ってワードを聞いたときグラッてなった
実際、今も結構グラグラ来てる
それはまた辛いな…
自刹の亡骸って本当にキツいよな。
「止めてください。親父に釘は、打たないでください。」
って伝えた。
それを聞いたおかんは、更に泣いていた。
それでも、俺は泣けなかった。
やっぱりいつもの寝顔。
今にも起きそうだ。
蓋を閉じる
その時におかんが
「いやぁぁぁ!!行かないで!!!」
って言葉が未だに耳に残ってる。
あの時は本当に泣くかと思った。
出棺
焼き場の前に立つと、扉に吸い込まれそうな
なんとも言いがたい気持ちになった。
棺が扉に吸い込まれていく。
おかんはただ泣いてるだけだった。
泣いてないのは、俺だけだった。
その時間が地味に長いから嫌なんだよな。
参列者にお酌したり、お礼回りにで結構疲れた。
外の空気も吸いたいし、一旦俺は席を外した
「あー、あれ親父かー。」
とか思いながら見てたら、従業員らしき人が話しかけてきた。
なんでも、焼いている親父を見せてくれるらしい。
焼いてる途中とか見せて大丈夫なのか?
そのまま倒れたりしないか?
とか考えたけど、チャンスは今しか無いわけだし
最後を見てやろうじゃないかって思い、俺は承諾した
「あれが君のお父さんだよ」
と言って見せてくれた。
そこには
肋骨が見えていて、腕は肘から先しかない。
頭は頭蓋骨と肉が両方見えていた。
けど、さほど怖いとは思わなかった。
これはマジでわからない。
俺バイオハザード無理なのに
たぶん、それを見てようやくタヒんだんだなって実感できたからだと思う。
それから戻ると、またお礼回りに行くよう言われた。
飯も食べた。寿司が出てて、味がしなかった。
骨壺に入れるんだが、ここでちょっと嬉しい事が。
「喉仏」ってあるよな?
あれは、まぁ骨なんだが。
それを見ると、坊主が合掌してるように見えるから「喉仏」なんだそうだ。
通常、この骨は脆くて形が残りにくいんだが
親父のは綺麗に残ってたんだ。
斎場の人も
「ここまで残ってるのを見るのは2回目だ」
って言ってた。
おかんは位牌、妹は写真、俺は骨壺を持つことになった。
いざ持ってみると、中々重い。
しかも、まだ少し熱いんだ。
昨日はあんなに冷たかったのにな
俺は親父の葬式で親父の眠ってる姿見ても涙は出なかったけど、自分の友達が心配して来てくれた時に号泣した
気が緩むとやっぱり泣いちゃうんだよなー
親族のみ実家へ行くことに。
親父、帰宅。
位牌と写真、そして骨壺が仏壇に置かれた。
そして、みんなで線香をあげた
今その時の事を書こうとしたら思い出が溢れてきて涙が止まらんwww
なんで喧嘩したまんま逝っちまったんだよじーちゃん・・・
一つ一つの仕事が出来るのは勿論、なぜそれをするのかって理由を、
歴史を踏まえて話してくれたんだ。
すげぇな、プロだなって本気で思った。
親族の皆様にはお世話になりましたと伝えて帰ってもらった。
久しぶりの4人。
1時間くらい、3人で親父見てた。
その時は、おかんも忌もうとも泣いてなかった。
「普段の生活を取り戻そう」
ってんで、みんなで頑張った。
俺は無事に大学に行けたし、おかんも仕事してる。
妹は美大に行きたいとか言い始めた。
その後に、また別件でゴタゴタありました。
おしまい!
付き合ってくれた人達ありがとう!
早く寝ろよ!