もう少しで国相手に裁判おこすところまでいったことかな
かなり長文になりそうだが
今日某全国紙に障害年金がもらえない事例として
載りそうなので区切りがついたとして
ここで言いたいこと吐いて区切りつけたい、勘弁な
本人たちに悪気はないんだろうけど
子供の人生は自分たちが考えてるとおりに進まないとダメだと
考える人達だった
いつまでも子離れが出来ずに
世話をやこうとして子供の意志を潰していく
まぁそんなんでずっと苦労してた、
自分で言うのも何だが俺自身の心もかなり屈折して
人の言うことはなんでも従って
5年に一度ぐらい大爆発して
斜め上の行動力でものを解決するようになっていた
(ブラック企業やめるときに上司を経由せずに
直接本社の社長に退職届叩きつけたりw)
始まりは東日本大震災。
加えて円相場の影響で勤めてた工場が一年後あぼーんした。
当時俺の体は約20年前の職場での働き過ぎによる
(IT企業で月に400時間w)過労で救急車で運ばれて以来
ゆっくりとではあったが確実に壊れていっていた
せっかく会社潰れて休みができたし精密検査するかと病院へ
結果は数字的には障害者手帳三級がもらえるレベル、
早急に手術が必要です、
しない場合命の保証はできませんとのこと
そして病気に対応できるレベルの大病院に週一で通ってくれと
429:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/12/11(木) 01:10:15.11 ID:+DYl6BhR.net
子供が障碍者になる道はないので
障碍者になることを認めない性格
+対応できる大病院まで車で一時間
正直このまま通院もしないで病死しようと思ってた、
それから二ヶ月間ハローワークに通いながら就職活動、
でも相手先には体のこと正直に言ったので全部不採用
そのことには体に水が溜まり始め
横になると呼吸ができなくなっていた、
ああもうじき死ねるんだ、
もう体が動かないやとその日は就職活動しないで休んでいた
そしてその日の夜親と大げんか、
原因は俺が最後にと思って「明日遊びに行く」といったことで
「仕事もしてない奴が遊びに行くとは」と親が殴りに来た
産まれて初めて親を殴り返した、
で結果俺が家を出て行くことになった
バック二個に替えの服を詰めて現金30万もって家を出る。
二日間は健康センター
それから三日間は
幽霊でも出そうなボロビジネスホテルに泊まりながら
俺の病気を見てもらえる病院の近くでアパート探し
ようやく見つかって、
そこの役場に身体障害者手帳の交付、
年金事務所に厚生障害年金の申請
この時点で残り現金5万と
あとは失業手当が月に14万が残り4ヶ月
風邪一個でも命取りになるレベルとのこと
障害者手帳はすぐにでた、
しかし当てにしていた年金は書類が多すぎる
一番の問題は一番最初に病院にかかった時
(最初の会社で倒れた時)の
初診日の証明をしてくださいと言われたこと
それって無理じゃね?
カルテは5年で廃棄していいって法律で決められてるし
年金事務所はなんでもいいから証明してねっていうだけ
仕方ないので今までかかった全部の病院にいって
カルテはありませんという証明
(一枚四千円から五千円を5枚)
そして最初の会社に行って
当時俺がその病気にかかって退職したという証明書
これをもらって提出
結果は不受理、理由は初診日の証明ができてないから
ここからの選択肢は
1 再度証拠を集めて再審査請求
2 国を相手に裁判
3 あきらめる
ずっと厚生年金を一度も滞納せずに払ってきたのに
これはありえないだろうと
3の道は絶対選ばない。
とはいえ1の証拠もこれ以上ない。
2に裁判かと法テラスとかに相談
ここで問題は裁判するにも金が無い、
ただでさえ最初の資金はカルテがないって証明と診断書で
5万近い金を使い無くなりあとは失業保険が残り1ヶ月
まずは資金を
とりあえず生活保護かな?と役場へ
あっけなく門前払い、
後に知ったことだが生活保護の担当は
生活保護費を横領していた
次に社会福祉協議会へいって
障害者用の小口資金の融資を頼む
そうしたら
「障碍者の方は返還を滞納するんで
なかなか貸せないんですよ」
??、お前らなんでここにいるの?
職員8人もいて椅子温めて給料もらうだけ?
しかたないので最後の手段、
自分の体のことを隠して就職活動
採用する企業があった、これが転機を呼びこむ
そこの外部業者でしかもデータを見れる部署
そして俺は自分が入院した時期に関して
完全に特定できる記憶を持っていた
テレビでアニメ「GS美神」の18話を見ていたことを
はっきり覚えていた
wikiで放送日を確認。
そしてその日でデータみると・・・あった
確かにそこの日にちで入院してた、
でも病名とかないので初診の証明にはならない
病院のNo.3の立場の先生に頼み込む、
なんとか証明できませんかと
そうしたら医療訴訟用対策に
昔のカルテもマイクロフィルムにして
保管業者が預かってる可能性があるとのことで
捜索してもらう
これもあった、
それをもとに初診日証明書を作ってもらい再審査に
こうしてようやく厚生障害年金が出たのであった
これで手術ができると入院手続き、
入院日歩いてナースセンターに行ったら
看護婦さんが驚いていた
通された部屋はナースセンターと直結の部屋
「ここに歩いて入ってきた患者は初めてだよ」
それほど俺の体は数字的に悪かったらしい
俺の次の日の夕方入ってきた人は朝亡くなっていた
そして俺はまだ生きている、
生活保護費より安い障害年金から
健康保険や年金+住宅光熱費を支払うと
ほぼすっからかんなので
昼間は病院のベットで寝て点滴その他、
夜は病院で仕事
アパート代いらなくね?と思いつつ生活している
でも俺は今自由なんだ、
人生で本当に初めて自分の意志で生きている
そのことが一番嬉しい
良かったな。と言っていいのか分からないけど、
健康になって長生きしろ
自分で自分のために生きるこれからの人生は、
楽しいこといっぱいあるよ
大変だったんだな。
経験した苦痛から考えたら報われてるとは
とても言えない勝利だけど、
それでもあなたが掴み取った事に敬意を表するよ。
よくぞそんな絶望的な状況から文字通り生還したね。
これから、楽しい事がいっぱいあるといいな。
気力だけでもってたんだろうな
これから徐々にいい方向にすすめればいいね
436:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/12/11(木) 07:38:36.40 ID:TYiI+IF3.net
>自分の意志で生きているそのことが一番嬉しい
この気持のままずっと穏やかに暮らしていけることを祈る。
しかし、役所の人間の一部は糞以下の糞だなとつくづく思う。