夫の実家はいわゆる「代々続く大きな家」。
そんな家の、私から見た義祖父のこと。夫の父親の父親。
間も無く終戦を迎え、義祖父の職場から懐中時計や写真立て、帳面なんかが義祖母(夫の父親の母親)の元へ届いた。義祖父は遺体不明の死亡扱いで故人に。
いわゆる大きな家の次代が死んでしまった。
しかも、戦争の中子供が生まれても幸せにはなれないと時の当代だった義高祖父(夫の父親の父親の父親)が言ったため跡取りなし。家中が悲しみに包まれた。
その後しばらくして、四十九日の法事を義祖母らが執り行った。その最中のこと。
戸を開ける音と「死人が戻ったぞぉ!」の声。義祖父は死んでいなかった。
要約すると、あの瞬間何が起こったのか大凡分かった義祖父は近くの家に飛び込んで壕を掘り、時間が経ってからひたすら西へ西へと移動を続けていた。
義祖父の理論では「偏西風で線量が減った頃」を計らって帰宅したとのこと。
義祖父が生きていたことに一族大喜び。
話は義祖父の戸籍の回復に変わった。でも義祖父は回復しないことを選んだ。
義祖父「一族の中にいる人材さえあれば戸籍などなくて構わない。」と。
皆が説得しても「今後こんな奴は現れないだろうから、いい例だと思ってくれ」と。
結局そのままで、義祖父は文字通りの生霊として過ごすことに。
1949年、義父が誕生。
岐阜の戸籍の父親欄は空白。義父が義母と結婚する時もこの話になったんだとか。
戦争で生霊になったけど、宣言通り一族の人たちに支えられながら生き続けてる義祖父。この話を聞いた時ぶっ飛びそうになった。
そんな義祖父は先日104歳に。灯油のポリタンクを2つ持って歩きでスタンドへ買いに行く。
信じてもらえないかもしれないけど、本当の話。
近くの家に飛び込んだのはGJだ
美輪明宏も絵を描いてて全体を見ようと身を引いた時に原爆が光って、直撃されなかったから助かったらしいから
一族に医師が何人もいるので特に何も問題なく幽霊生活できてるとのこと。
身分証が何もないってとても面倒なんだそう。
その話っていつ頃聞いたんですか?
なんつーか、その「秘密」を教えられた時点で
本家からも本当の身内って認められた〜みたいな?
結婚前の挨拶で教えてもらいました。
>>100
後出しでアレですが義高祖父は軍の出で、当時一線を退いていたが話として存在は聞いていたと。
内部被爆が知られてないから「偏西風で線量が減った頃」なんて感覚は持てないと思う。
まあ嘘話ではなく「釣り人の話はでかくなる」の体で、本人も信じてる”体験談”なのかもしれない