特に中高生、こんな人間になったらイカン!という、反面教師的な感じで見てもらえたらと思います。
会話の部分は極力思い出すように努力していますが、一部脚色しています。
幼少期は人見知りとか言われつつ、よく喋る方だった。自分でもよく分からない。
ただ、気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こしていたらしい。
小学校低学年の頃は活発で、子供の中ではどちらかというとリーダー格的な存在だった。
小学校高学年の頃から少し内気になって、不登校が目立つようになってきた。
複雑化してきた人間関係についていけなくなったのかもしれない。
勉強はしなくてもほとんど100点だった。
中学校に入ってからは運動部に入部するも、人間関係を苦に3ヶ月で退部。
その後別の運動部に加入するが、中学2年生で退部し、そのまま不登校になる。
勉強は小学校と同様全くやっていなかったが、平均点は40~60点とめちゃくちゃだった。
高校は地域でも最底辺レベルの場所へ進学。
そこで何を思い立ったのか、急に勉強を頑張りだし、大学進学を目指しだした。
中学1年生の時にもクラブの悩みが原因で心療内科に一度っきりの通院をしたことはあったが、本格的に通院したのはこれが初めてだった。
そこで「箱庭テスト※1」や「バウムテスト※2」を受けた。
薬は毎食後に1錠飲むものを2週間分もらって、2週間に1回通院することになった。
この頃、幻聴も聞こえるようになっていて、周りの生徒や先生が私の悪口を言っているような気がしていた。
授業中の私語のせいでイライラしたかと思えば、幻聴にビクビク怯えたりして、受験を控えた高3の秋頃に精神の疲弊がピークに達した。
そしてとうとう、再び不登校になってしまった。
木箱の中に砂が沢山敷き詰めてあって、それを自由にいじって形を作る。
その後、周りにおいてあるおもちゃを配置するテスト。
私は世界地図を作って、各大陸に関係するおもちゃを配置した。
(インドは仏教発祥の地なので坊さんのおもちゃなど。)
ちなみに私の結果は「お子さんは想像力が非常に豊かですね^^」であった。
だから何だというのか。
今悩んでいることには直接関係無く、また解決の糸口にもなりそうにないような結果だったので、無駄骨だったのではないかという気がした。
※2
白紙に鉛筆で木の絵を自由に書かせるテスト。
非常に有名なテストで、ほとんどの病院でこのテストを受けさせられた。
何の木でもいいし、葉、枝、木の実、根、それぞれあろうとなかろうと自由である。
結果は聞かせてもらえなかった。
酒の種類もウォッカ、ブランデー、ウィスキーのような度数の高いものを愛飲するようになっていた。
入手ルートは専ら通販だったと思う。
学校に行かなくなってからは、酒を飲みながら受験勉強をするという無茶苦茶な生活を送っていた。
また、学校に行っていないにもかかわらず、学校の人間が自分の悪口を言っているような気がして、やはりイライラしたり怯えたりしていた。
それを誤魔化すためにまた飲酒を繰り返すという始末だった。
そして1月の末のある日、イライラが最高潮に達して、(自分の部屋の窓ガラスを殴り割ったりして一通り暴れた後)、Sクリニックに行って気分を落ち着ける点滴をうってもらうことにした。
点滴を打ってもらった後、主治医の先生が「そんなにしんどいなら一度入院したらどう?」と私に持ちかけてきた。
私はクリニックに来る前に、大量の精神安定剤を服用してきて、頭がボーッとしていたので、「どうせ今の状態じゃ受験もできないし、楽になるなら入院もいいか」と思って、二つ返事で承諾した。
そのまま紹介状を書いてもらってタクシーでO病院に向かったのだが、これが地獄の始まりだった。
(O病院は入院施設があるだけあって、かなり規模の大きい病院です。)
そこで主治医の北条医師(仮名。今後登場する人物も全て仮名です。)が偉そうに椅子に腰掛けていた。
北条医師の腰掛けている椅子と、私と同伴した母が座っている椅子との距離は2メートルくらいあって、かなり異様な距離感に感じた。
この後3つの病院に入院するのだが、これだけ離れているのはこの病院だけだった。
もはやここまで離れられるとギャグの領域だ。
話した内容は、まだ頭がボーッとしていたので覚えていないが、北条医師の偉そうな印象だけははっきりと頭に残っている。
話を終えると、病棟へ案内された。
エレベーターに乗って、2階に到着し、エレベーターのドアが開くと、異様な光景が目に入ってきて、ボーッとした頭が一瞬で元に戻ってしまった。
目の前に病室がある。あるのはあるのだが、その前に防弾ガラスのようなドアがあって、自由に出入りできないようになっている!
それはなんだか、病院というよりも、刑務所や拘置所をイメージさせられた。
ちなみにナースとは言っても、漫画に登場するような細くてメリハリのある体の色っぽい看護婦ではなくて、柔道部の主将みたいな巨漢やら、ハイパーメタボリック親父やら、真っ黒に日焼けした顔に白い歯がキラリと光るナイスガイ(この人はいい人だったけど)みたいな連中ばっかりで、間違っても院内恋愛など期待してはいけない。
エレベーターを降りた後の事は、あまりにも目の前の光景がショックで覚えていないのだが、その後自分の病室に案内された後に大事件が起きた。(というか起こした。)
病室は4人部屋で、向かいのベッドの人は机の上に数え切れないほどのコーヒーの缶を山積みにしていて、それが長い入院生活を物語っていた。
ベッドに横になるなり、私はすぐさま「ネットは使えるよな?あと、エレベーターの前にガラスのドアがあるけど、当然外には出られるよな?(笑」と母に聞いた。
母は答えにくそうに、ネットは使えない、外にも当分出られない、と答えた。
そんなバカな話があるだろうか。
ネットが使えないのは、まぁ我慢するしかない。
しかし、外に出られないというのはどういうことだ。
こんなの、監禁と同じじゃないか。犯罪じゃないのか。
つい数時間前まで自由の身だったのに、突然わけの分からない場所に連れてこられた。
そう思うと急に怖くなってきて、入院して早々退院を決意した。
詰め所は鍵が掛かっていて、外からは絶対に開けられないようになっている。
だから、看護師が鍵を開けてドアが開いたのを見計らって、ドアが閉まる瞬間に中に押し入った。
中には女性/の看護師が2人くらい、男性/の看護師が1人くらい居た。
幸い、体格は私の方が大きくて、「暴れたらこっちのモンだ!」と確証した。
流石に女性/に詰め寄るのは気が引けた。
私にも一応、ジェントルマンの血は通っている。
(正直に言うが、興奮していたし、声も荒げていた。しかし暴力は振るっていない。)
すると、どうやら奥のほうで看護師が待機していた様で、さきほど言った柔道家タイプの看護師が3,4人出てきて、私を見るなり物凄い勢いで突進してきた。
全身からスーッと血の気が引いていくのが分かった。
多分、彼らは私が男性/看護師に対して暴行を働いていると勘違いしたのだと思う。
私は(かなり興奮していたのは認めるが)ただ単に退院させてほしかっただけなのに。
しかしそんな事などお構いなしに、巨漢たちは全体重をかけて私を制圧してくる。
全体重をかけて制圧するというのは、文字通り、私の上に巨漢たちが覆いかぶさる形になって、動けなくするのである。
ちょっと間違った見方をすれば、3,4人のゲイが私を暴行しているようにも見えたと思う。
無駄なのは分かりつつ、「お前ら離せやァァァッ!離さんかい!!」と自分でもびっくりするくらい大声を上げていた。
「大人しくせい…。お前はクズや…。」
一瞬、信じられなかった。
看護師が患者に対してクズ…?
こういうことって精神病院ではよくあるのか?
いや、確かに私はクズだ。それは認める。
だが、今まで看護師というのは、私の様な素行の悪い患者に対しても愛の手を差し伸べてくれる天使だと思っていた。
しかしどうやらそれは幻想だったらしい。
この言葉で完全にぶちぎれた私は「お前ぶち杀殳すぞゴラアアアアア」と激しく抵抗した。
今となっては、こんなつまらない言葉、無視しておけばよかったのに、と思う。
しかし、ただでさえ興奮しているところにこんな言葉を浴びせられて、平静を保てるほど私は出来た人間ではなかった。
今ならもうちょっと大人な対応ができるかもしれないけど、当時は高校3年生のおこちゃまだったし。
それを見て、心底申し訳ないと思った。
アホなことをしてしまった、と思った。
しばらくすると腰の辺りの服を捲り上げられ、次に別の看護師が注射器を持ってきて、それを注入した。
興奮していたせいか、チクリともなんとも感じなかったが、「いったい何を注射されたんだ!?」という恐怖で頭がいっぱいになった。
その後、ベテランの看護師らしき人が「はい!拘束!拘束!」と言って、若手の看護師が私の体に水色のベルトを巻き始めた。
私はその頃になるとすっかり戦意喪失していたので、されるがままになっていた。
拘束具をつけられた箇所ははっきりとは覚えていないが、手首、腰、足は確実につけられたのを覚えている。
その後の記憶は無い。気がついたら、隔離室に居た。
隔離室は反省室や保護室とも呼ばれ、集団生活に悪影響を及ぼす人や、自杀殳や自傷の恐れがある人などが移されます。
つまり、通常の病棟での治療が困難な人を、隔離するわけです。
私も看護師に暴行を働いたと見られたわけで、これは集団生活に著しく悪影響を与えるわけですから、隔離室行きになったわけです。
隔離室はどんな部屋かと言えば、上の画像を見てもらえれば分かりますが、あるのはベッドとトイレと監視カメラとドアだけです。
トイレは自分で流せません。
入った当初は拘束具をつけられていたので、トイレにも行けませんでしたが。
時計が無いので時間も分かりません。
窓も無いので朝なのか夜なのかも分かりません。
食事が運ばれてくる時間で大体、朝ぐらい?昼ぐらい?夕方ぐらい?って分かるくらいです。
薄暗い部屋で、拘束具をつけられて、体の自由がきかない状態で、手足が麻痺してきて、時間の感覚が無くて、呼んでも誰も来なくて、何もすることが無くて、
いつになったら出してもらえるのか分からず、ただただ不安と戦っていくうちに、
本 気 で 発 狂 し そ う に な っ て く る 。
今まで生きてきて、本気で発狂しそうになったのは後にも先にもこれだけ。
どんな凶暴な人でも、数日入れておけば、廃人みたいになって帰ってくる。
そういうところです。
この後K病院ってとこにも入院するんですけど、そこには刺青バリバリ入れたヤ/クザさんがいまして、最初の方こそ「ださんかゴルァ!打ち杀殳すぞおい!」って物凄く騒いでたんですけど、2日目だったか3日目だったか、やっぱり大人しくなりましたよ。
あそこで平静を保てる人は本当におかしい人か、お釈迦様くらいじゃないでしょうか。
食事を運んでくる看護師も私を監禁している犯罪者に思えたし、いつまで経っても隔離解除してくれない北条医師も鬼に思えた。
突然拉致されて監禁されているのと何ら変わりないじゃないか、と思えた。
いや、彼らは「医療行為として行っている」という建前がある以上、もっと性/質が悪いかもしれない。
ちなみに拘束具は1日で1つずつ取られていく(今日は腕取って、明日は腰取って、という感じ)という方式でした。
全部外れて“伸び”ができた時は幸せだったけど、まだ隔離室にいるという現実を認識したら、一気に憂鬱になった。
結局隔離室には2週間はいっていた。
2週間目の時に北条医師の診察があって、彼は「あと1週間やっとこうか」と呟いたのだけど、周りにいた数人の看護師が、
「・・・も、もういいんじゃないでしょうか。反省しているようですし。」と私を擁護してくれて、2週間で解放された。
気難しい北条医師に対して、看護士という下の立場からモノをいうのは勇気がいったと思う。
その点は感謝しなければならない。
さて、実際、私は隔離室に入ってからは人が変わったように大人しくなった。
この陸の孤島では、抵抗しても無駄だということが身に染みて分かったから。
しかしこの時、周りの看護師が私を擁護してくれていなかったら…そう考えると恐ろしい。
向かいのベッドの人は重度の精神病のようで、自分にトイレに行けないらしく、部屋に“オマル”が設置されていた。
ホールはいつも満員だったため、食事は3食とも部屋で取るのだが、私が食事している時でもお構いなしに「ぶぶっぶびぃっ!!ぶぶぅ!」と音を立ててババをするもんだから、本当に参った。
またこの人は風呂も入れないみたいで、看護師に「○○さん、今日はお風呂入れそう?そろそろ入ったらどう?」とよく言われていた。
頭はフケだらけで不潔感丸出しだった。
でもまぁ、これは病気だから仕方が無い。
その他では、1日中独り言を言っている人、
乾燥肌なのか知らないが皮膚がぽろぽろ落ちて部屋の床を皮だらけにしてしまう人、
「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ」と何度か言った後、机をバシーン!と叩くお婆ちゃん、
「あたしの田舎においでよ!たのしいっから!ねっ!」と1日中誘ってくる女性/、
不眠症を治すために電車に飛び込んだ人などなど、
まぁ書き出すときりが無いが、いろーんな人が居た。
でも、別に性/善説を唱えたいわけではないが、根っからの悪い人はいないと感じた。
何か嫌な態度を取られても、「ああ、これは病気のせいで具合が悪いんだな」といつも思っていた。
実際、私も躁うつ病とまではいかなくても、日によってテンションの上がり下がりが激しく、抑鬱気分の時は他人に辛くあたりがちだし。
ちなみにこの病院の入浴日は週2日である。
聞いたところによると刑務所と一緒らしい。
週2日しか風呂に入らない、なんて人は滅多に居ないと思うが、一度試してみると予想以上にきつい事に気がつく。
私が入院したのは冬だったので、体臭はそこまで気にならなかったのだが、頭がかゆくてかゆくて仕方が無い。
ヒゲソリ用のカミソリは、風呂に入る際に看護師から手渡しされる。
で、風呂から上がった際に看護師に返却する。危険防止の為である。
危険防止というのは、要するに他人を傷つけるとか、自杀殳自傷のことである。
よく拘置所でも自杀殳防止の為にベルトを没収されるという話を聞くが、それと全く同じことが精神病院でもあるのである。
私は北条医師にiPodの使用許可を貰って、病院に持ち込んで愛用していた。
基本的に精神病院は治療に関係のないモノは持ち込み不可なのだが、こういったものは頭を下げて頼み込めば許可がもらえるのだ。
私はHR/HMが好きで、入院中の憂さ晴らしにiPodを愛用していた。
ある日、ホールでiPodを操作していたら、20台後半くらいの、髪が長くて華奢な体格の黒石さんという患者さんがやってきて、「それ、iPod nanoの新しいやつ?」と聞いてきた。
当時私が使っていたのはまさしくiPod nanoの最新版で、カメラ機能がついているということで話題になったものだった。
…しかし!精神病院はカメラ持ち込み禁止なのである。
ただ、当時の私はカメラ持ち込み禁止なのは分かっていたのだが、iPod nanoにカメラ機能がついている事をすっかり忘れていた。
そこに、黒石さんが「iPod nanoの“新しいやつ”?」とわざわざ最新版かどうか聞いてきたので、カメラ機能がついていることを思い出したのだ。
私は黒石さんが単純にiPod nanoのカメラ機能に興味津々な、好奇心旺盛な好青年なんだろうと思って、「そうですよ」と満面の笑顔で応対した。
すると黒石さんは「カメラ機能ついてるよね?」と真剣な顔で問い詰めてきた。
私はまたしても「もちろんです。」と気持ちよく返した。
すると返答した瞬間にパッと私のiPodを取り上げ、そそくさと立ち去った。
私は生まれて初めて泥棒されたショックで、動悸・息切れが激しくなり、パニック状態になった。
普通、泥棒と言えば持ち主の居ない隙に盗むものじゃないだろうか。
持ち主の目の前で堂々と持ち去るって、そんなのアリか?
あれこれ思いながら辺りを見回すと、黒石さんは詰め所の前に居て、なにやら看護師と話をしていた。
こうしちゃいられないと、走ってその場に駆けつけると、看護師は困惑した様子で黒石さんに対応していた。
昔の事なので正確な会話は再現できないが、大体こういった流れだったのは覚えている。
黒石「これカメラついてんだけど?カメラは持ち込み禁止だろ?」←彼は標準語だった
看護師「○○さん(私の名前)は北条先生に許可もらって使ってるねん。文句あるなら北条先生に言って下さい。」
黒石「何言ってんだよ。使っちゃいけねぇもんは使っちゃいけねぇだろ?」
私「すみません、一応、許可は頂いてますんで・・・。それにカメラ機能はずーっとオフにしてますし。」
黒石「お前、俺の事撮ってただろ?廊下ですれ違った時撮ってただろ?」
私「はぁ?撮ってませんが・・・?そんな事して何になるんですか・・・?」
黒石「ブログとかにアップして笑ってんだろ?」
私「意味が分からないんですがってかココ、ネット使えませんよね。」
黒石「退院してからアップできるじゃねーか」
私「そこまでしてあなたに粘着して何の得があるの?疑うならiPodの中身見てみますか?ペットの動画くらいしかありませんから。」
黒石「意味ねーよ。証拠消してるかもしれねーじゃん。」
私「急に取り上げられたのにいつ消すんですか・・・。」
看護師「黒石さん、もうあんまりガタガタ騒ぐんやったら隔離行きやで」
黒石「なんでそうなるんだよ…おかしいだろ…。」
看護師「○○さん(私の名前)、もう行っていいです。」
後日、黒石さんの病室を訪ねて、「俺はあなたを撮影していない。あなたは俺のiPodを急に取り上げるという失礼極まりない行為を働いたが、それに対して謝罪は無いのか」と聞いてみたが、撮影していないという証拠はどこにもないし、iPodを急に取り上げるのは別に失礼ではないという答えが返ってきた。
その後、日本のIT関係のモラルは遅れているとかいう訳の分からない自論を延々と繰り広げられ、結局こいつを謝らせるのは無理だと諦めた。
カメラ付のipodを知らず知らずのうちに持ち込んでいた自分にも非があるものの、黒石さんのやり方にも腑が落ちない。
なんだか蹴ったクソの悪い事件だった。
ちなみに黒石さんの病室を訪ねたその日ははじめての外泊(※3)だった。
1ヶ月ぶりに吸う娑婆の空気はウマイ!…とは言わないものの、ちょっと感動モノだった。
1ヶ月程度では外の光景は変わっていないが、中には20年、30年と入院している人がいて(マジな話です)、そういう人が退院すると、それはもう浦島太郎状態らしい。
何故そういった長期間入院することになるかと言うと、身内がタヒんでしまっていたりして、退院しても帰るところが無かったりするんですね。
そうなると、もう病院しか居場所がなくなる。
あと、知的障害があったりして、自力での生活が困難な方とかも居ます。
治療の一環で、入院中に一旦自宅に帰り、家で過ごして様子を見る。
家で大人しくする事が出来るか、家族とうまくやっていけるか、薬の管理はできるか、睡眠はとれているかなどを見る。
最初は一泊二日から。
2回目の外泊だったと思いますが、それくらいの時に、やっぱり外の生活はいいなぁという憧れが出てきた。
それで、私は任意入院というかたちなので、自分で退院を申告できる。(※4)
※4
「任意入院に際してのお知らせ」にこのようにある。
“あなたの入院は任意入院でありますので、あなたの退院の申し出により、退院できます。
ただし、精神保健指定医があなたを診察し、必要があると認めた時には、入院を継続していただくことがあります。
その際には、入院継続の措置をとるについて、あなたに説明いたします。”
任意入院の他に措置入院、医療保護入院がある。これは自分の申し出では退院できない。
ただ、その前に一度家族を交えて話し合いをするとのことだった。
話し合いには北条医師と私と母の他に祖父も付き添った。
私は当然家族は退院に賛成してくれるだろうと思った。
…が、甘かった!
家族(特に母)は今までの俺の素行の悪さを必タヒで北条医師に訴え、まるで俺を一生病院に閉じ込めておきたいかのように饒舌に喋り続けた。
飲酒のこと、タバコのこと、自分の部屋で包丁を振り回していたこと、窓ガラスをぶち破ったこと、自傷行為の度が過ぎて救急車で運ばれたこと、などなど。
それから、北条医師は衝撃的な一言を発した。
わたし、そんなこと、
一 言 も 言 っ て な い よ? 」
それから、こんな風なこともいった。
「キミ、家族や私のことを騙そうと思ったの?騙せると思ったの?」
まさか、騙そうなんて、考えたことも無い。
退院したいと言った時、退院を許可してくれる風な事を言ったではないか。
あれは俺の完全な聞き間違いだったのか…。
「ぁぁぁ…ぃぇ…あの…騙す…いや、あの、そんなんじゃないです、多分勘違いです。いや、勘違いです。すみません。俺勘違いしてたんやと思います。」
俺は狼狽しながら必タヒに弁解したが、北条医師は疑わしそうな目でジーッと俺を見てた。
それが本当に腹立たしかった。俺は勘違いしただけだったのに…。
その後、「キミ、家族に迷惑かけてんの自覚してる?父親がいないから、やりたい放題しすぎてんだよ。」と説教された。
家族の目も冷たくて、なんだか糾弾会にいるような気分だった。
ただ迷惑をかけてきたのは事実なので、申し訳ない気持ちで一杯になった。
でも私なりにしんどい部分があったのもまた事実であり、その部分だけ切り捨てて批判されるのも何だかやるせない気分だった。
対談が終わった後、母親に「退院許可貰ってないのに、許可貰ったってお母さんに電話で言ってきたけど、あれは何やったん?あんたホンマに頭おかしなったんちゃうよな…?」という風な事を言われた。
そりゃないだろ、ママ!
対談が終わった後、当然退院の話は取り消しになった。
引き続き入院を続行して“治療を継続する”という事になったのだが、私の正直な気持ちから言わせて見れば、あんな劣悪な環境で、治療など有り得ない。
事実、私の精神状態は日を追う毎に悪化していき、毎日毎日イライラしたり落ち込んだりしていた。
病院内で暴れればまた隔離室行きなので、何とかこらえていたが、その分のストレスを面会に来る家族に対して辛く当たって発散していた。
家族は洗濯物を交換するために週に1回か2回来ていたのだが、自由の身であり、しかも俺を病院に閉じ込めている当事者であると思うと、恨めしくて仕方が無かった。
入院前は良好だった家族関係も、入院をきっかけにどんどん悪化していった。
話は変わるが、私と親しくしていた20代前半くらいの女性/患者の竹内さんについて、書いておきたいことがある。
竹内さんも主治医との話の途中、カッとなって、暴言を吐いて隔離室行きになったのだが、看護師に取り押さえられる途中、男性/看護師に顔面を殴られたらしい。
隔離室から出てきてからは、それを不服として、病院内から弁護士に相談していた。
私も看護師が患者に暴行を加えるようなことがあってはならない(ましてや女性/に!)と思って、竹内さんを応援していたのだが、ある日突然竹内さんが私の部屋にやってきて、「私ちょっと別の病棟に移されることになってん」と言って、その日のうちに本当に別の病棟に行ってしまった。
O病院には男性/と女性/が共同生活する比較的症状の軽い人たちの病棟と、男性/と女性/が別々になった病状の重い人たちの病棟が存在する。
通常、前者の病棟で3ヶ月過ごして、それでもよくならない場合は後者の病棟に移るのだが、竹内さんの場合はまだ入院して3ヶ月も経っていない。
なのに別の病棟に移るということは、いったい何事だろうか。
隔離室に入ったというのは理由にならない。私が移っていないんだから。
病状の重い人は、面接や電話が制限される事があるが、竹内さんが無理矢理“病状の重い人扱い”されたというのはちょっと考え過ぎだろうか。
病院に入っていると、色々と悪い方向に考えすぎてしまうので、この一件も入院中は変な方向にばかり考えてしまっていたが、今は竹内さんが無事退院していることを願うばかりである。
こいつ多分今でも相当おかしい