義母が私の横で電話してて
「そう。うちは孫は4人なの。子供は三人おるんやけど、孫は4人しかおらんのよ」
(私の顔を横目で見て)「お嫁さんが一人しか産みませんからねぇえええええ!」
スルーして帰ろうとした時義父が誇らしげに
「お前ら、帰るの一時間遅らせて
○○伯父さん(妾囲って借金まみれで子供がぐれて一人変氏して今生活保護の)見舞いに行け。
子供たちに縁切られとるから、お前らが行ったら喜ぶわ」
だから、そういう親戚付き合いを強要するから、怖くて子供が産めなかったんでしょ!
初めての盆休みはQ州までフェリーで行って親戚宅を転々と宿泊。
子供は取り上げられ、夫は伯父達とカラオケに。
私は初対面のオバさん達に囲まれてひたすら洗い物。
いつ終わるか、この後どこかへ行くのかまったくわからず、
ただただ他人の居間でぼーーーーーーーーーっつとTV見てるだけ。
ンコのついたオムツは私の衣服に包んで私のかばんの中へ。
朝から晩までずーーーーーーーーっつと義家族でさえない
初対面の他人に囲まれて過ごした九州旅行は一生忘れません。
それどころか、義実家に帰れば次から次に電話で親戚やら近所の人を呼びつける義父。
「今、○県の三男が嫁と子供連れて帰って着とるから、ちょっと来いや」
そして始まる宴会。
義母の料理を手伝いつつ酌と愛想笑いで固まる頬の筋肉。
借金おじにはいやみを言われおとされ、それでも愛想笑い。
義父も借金おじに愛想笑い。
一秒一秒が地獄だったわよ。
だから、子供を諦めたのに!
次の子が生まれたらまたこの繰り返しだと思って。
お約束だけど旦那が空気すぎる
全くです。
夫は親戚連中に「ほほーーーーおぅ。あの三男坊の○男が、こんなに立派になったのかぁ」
とお世辞言われて にんまり してました。
私には「どやっ。おれの親戚、イイ人ばっかりだろ?よかったな。お前、幸せもんだな」
という態度(口には出さない)
自分だったらまず旦那を締め上げるわ
人の旦那を悪し様に言うのはあまりよくないとは思うけど
蛙の子は蛙なんだねぇとしか思えない
頭の弱い義両親とその考えを否定しないダメ夫
子を守れるのは親だけだよ
きっちり旦那を教育して「父親」にするか
きっぱり見限って「他人」になるか決めるのはあなた
安易に離婚しろとは言わないけど将来の事考えて色々証拠は残しておくといいよ
離婚にも仕返しにも使えるしね!
蛙の子は蛙。
まさしくそうです。
それにやっと最近気づきました。
じつは、結婚して20年以上、一人娘は成人しています。
娘が生まれた直後から義母は会うたびに「二人目」攻撃でした。
私はその時、出産なんて不可能だと思っていたので適当に濁していたんです。
そうしていたら、子供が5歳くらいのとき、
義母が「どう思ってるの?」とはっきり訊いてきたので
「考えてないです」と私も初めてはっきり答えて、それ以来二人目攻撃はなくなりました。
夫の兄が結婚して、そこに子供が二人できていたことも大きいと思います。
それ以来10何年も子供産め と言われてこなかったのに、昨年急に
「一人しか産みませんからねぇええええええええええ!」と言われてびっくりしたんです。
それも2回も。
一回目は電話で会話している相手に対して横目で私を見ながら大声で。
二回目は電話を切ったとたんにまた私を横目で見て、
「うちは孫は4人や。
お 嫁 さ ん が 一人 し か 産 み ま せ ん から
ねぇぇぇぇえええええええええええええええ!」と言ったわけです。
40代後半。
これまでの人生で産める時に産んでおけば、と何度も後悔してきました。
娘も幼い頃は
「ママ、私ね、妹が欲しいの。妹か弟。そしたら一緒に遊べるもん」と何度も言っていたし。
その度に心が痛んだけれど、時には気持ちが迷うこともあったけど、
どうしても踏ん切りがつきませんでした。
義実家で、親戚宅で、私の知らない団結した人たちに囲まれて、
じろじろと値踏みされどう反応していいかわからず
ひたすら愛想笑いだけをしていた時のことが頭に浮かんで、恐怖に震えてしまうからです。
義両親が私達の家に来るときには、まず義父の姉夫婦(夫の伯母夫婦)を訪ねます。
事前に知らされないため手土産も用意しないまま、義両親おお供として行くわけです。
実はこのおばさん夫妻が仲人です。
仲人を頼む時に義両親に連れられて夫と共にオバサンのお宅を訪問しました。
その時に、義両親、伯母夫妻に4時間ほどかけて、
いかに親戚が大切か、いかに身内の仲が良いか、どれだけ助け合って来たかを
懇々と聞かされ、そしてビデオを見せられました。
3時間ほどのビデオだったと思いますが
「姪の×子の結婚式の後の親戚の宴会」やら「△おじさんの銀婚式」やら
特に理由なく集まった宴会の映像などです。
「こういう親戚付き合いを面倒だと思うかも知れないけど、
自分の旦那さんが大事なら、親戚とはよーーーーーーーーーく
付き合わなきゃいけないものなのよ」と仲人のおばさんにも言われて。
あちら側の家で、あちら側の人5人に囲まれて、私の味方は一人もおらず、の状態で
丸一日かけて親戚の大切さを叩き込まれました。
おばさん夫妻だけでなく、義両親がこちらに来ると、突然
「同県に住んでいる昔の友達を訪ねる」
言い、私と夫と0歳の娘はああもすうもなく連れて行かれました。
初対面の他人の家で、手土産も用意しておらず、話題もなく、ひたすら愛想笑いをするだけ。
義父と旧友の話を興味深そうな表情を作って ウンウン とうなずくのみ。
あーーーーー!
本当に、どうして嫌だと言わなかったんだろう。
嫌なものは嫌と言って、自分を守るべきだったのに。
勝手に一人語りしてすみません。
なんか、書き出したら止まらなくなってしまって。
(ここは勝手にぐちっていいところなんですよね? と言い訳してます)
私も勿論悪いです。
自分の親が毒で、親戚、近隣の人は皆恐ろしい、と洗脳されて育った自覚があったので、
人付き合いに関しては「とにかく自分が間違っている!」という鉄壁の自信があったんです。
「親戚付き合いをいやだと思うなんて、外道のすることだ!」
「私が外道と知れたら、もう社会で生きていけなくなる!」
「何があっても隠さなくては!!」
本当に、こう思っていたんですよね・・・。
二人目を産まなかった理由は、義両親の親戚づきあい強要ももちろんあったのですが、
自分自身の母親としての自信のなさも強かったです。
自分に子供が愛せるだろうか、
自分の親のように子供を食い荒らす化け物になるんじゃないだろうか。
そんな恐怖に身を震わせていましたから。
そして、他には夫の幼児性です。
陣痛が始まったときに嬉々として
「じゃあ、ゲーム買ってきていーい?」と車でうきうきと出かけて行きました。
取り残されて急に不安になった私は助けを求めて病院に電話したのですが、
「こちらに何分くらいで来られます?」と聞かれ返事に窮しました。
夫がいつ帰ってくるかわからないし、もしタクシー呼んだら何分かかるんだろう・・・と
困惑したからです。
40分くらいです、と言ったら看護師びっくり。
「えっ? そんなにかかるの? お住まいはどこ? ご主人は? 今いないの?」
「あ、あの、今仕事で・・・・・・」
とごまかして結局まだ陣痛の間隔が長いから、入院してもいいけれど
ただ待つだけになりますよ、と言われ自宅待機することにしました。
帰ってきた夫にそのことを告げると
「あぁ、そう」と背中を向けてゲームをセットして後はもう没頭。
私は陣痛の合間に掃除と洗濯と風呂掃除とトイレ掃除、夫のシャツのアイロンがけ、
私が入院している間の夫の食事の作りおきをしました。
今思うと、どうしてこんなひどいことをされてなお罪悪感を持っていたのか
不思議で仕方がありません。
愚痴ってスッキリしたらゆっくり考えてスパッと決断すればいい
年食ってヨボヨボになるまで奴隷すんの?
いやその前に旦那親の介護要員にされるのか。
目を覚ましたんならさっさと行動に移さなきゃもう時間ないよ。
人間の体で一番栄養にならないものがストレス
ここで発散できるなら書きたいこと書いてスッキリしたらいい
そうしたら今度は前を向こう!
立ち止まって後ろを振り向いたり躊躇する時間も大切
でも前を向いて1歩1歩でもいいから進もう!
娘さんが成人してるならこれから先結婚するときが来たら
あなたの失敗談や経験、改善点とか教えてあげればいい
悪しき慣習はあなたが切ればいいんです
あなたと娘さんの幸せは人任せじゃなく自分で掴めばいいんだよ
この話の主題は家庭観になるのかなあ
自分が毒親持ちだったから自家庭の流儀を踏襲する気になれず
旦那の家庭の流儀に流されっぱなしになった、と
義実家の方針はそれはそれでアリだとは思うんだよね
自分達の共同体の輪を広げて自前のセーフティネットを作るってことだし
(ただ伯父を勘当してないあたりだいぶ意味を忘れ形骸化してる気はするけどw)
あとはなんだねえ旦那は夫の役割を全く考えてないねw
これは社会全体がそうなってきてる感じもあるんだけど
大人は年をとれば勝手に大人になれるもんだと勘違いしてる人がたくさん出て来てる
そうじゃないぞと、確かに皮膚感覚でなんとなくでなれる人達もいるけど
運動音痴みたいにほっときゃそのままな人達もたくさんいるんだぞと
話を戻してその皮膚感覚で出来ない人達はじゃあどうするか
一生懸命考えながら暮らすしかないでしょと
夫の役割妻の役割子の役割を話し合ったり言い聞かせたりしながら
体に染み込ませるしかないんじゃないかなと思うわけですよ
レス下さった方、ありがとうございました。
書き込んでいるうちに少しずつ心の中が整理されてきました。
普段は忘れているこうした過去のことも、抑圧などが発生するとまざまざと思いだすんですね。
自分の辛さを誰にも理解してもらえなかった、自分が辛いと表現できなかった、
自分も相手も大切にしつつ自分の要求を伝えて相手に助けを求めることができなかった。
それは自分の非であると思っています。
今だからこそ、そう思うのですが、
渦中にある時は「辛い」と思うことが自分の咎だと信じていました。
そしてさかのぼれば自分の成育歴がそうさせているのだと思い至り
親との確執が思い出されてなお辛くなる。
本当にばかですね。
自分が昨夜書いた文章を読んで、自分でいらいらしました。
どうして自己主張しないのか、流されて文句だけ言って、
私はこんなに我慢してる、と被害者ぶって人のせいにして。ただのバカです。
でも今そう思えることは、当時の自分から進歩できたということなのかもしれない、と
せめてもの慰めにするつもりです。
そうした親戚べったりの時期を過ごし、私は保育園に子供を預けて仕事を始めました。
20年前は今よりも幼児を持つ母親の就業に理解が乏しく、環境は厳しいものでした。
子供の病気で欠勤が多く居づらくなった結果転職を繰り返しながら
子供が就学する頃にはやっと私も落ち着くことができました。
仕事を持つ理由は経済的なものを元より、自分に自信を取り戻すためでした。
結婚前は一人暮らしで世帯主。自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当然。
それが誇りでもあり、自信の基であったのだと思います。
技術や資格を身に着けるための学費を貯めようと、
昼は正社員で販売業、夜は飲食店でアルバイト。
朝9時から夜1時まで立ち通しで働き、2年で200万ほど貯金できました。
その頃は毎日疲労困憊してはいたけれど、明るく快活で前向きでいられました。
それが、妊娠で結婚、退職して職を失い収入をなくすと見る見るうちに自信を喪失して、
毒親の家にいた子供時代のように
「生きていてごめんなさい」
「産まれてきてすみません」
「役立たずですが、できるだけのことをしますからどうか許してください」
に戻ってしまったんです。
親は「産まれてこなきゃよかったのになぁ・・・」としみじみと私を眺めて言っていたので。
また後で続きを書かせてください。
つかもう書ききったあとは貴方が旦那と義両親を
断捨離する結末しか見えないw
普通に考えておかしいんだよ
40代の今時人生むしろこれからって人が
成人した孫のいるような歳の老人に
嫌味言われて言い返すこともできずに泣き寝入りしてるのなんて
中年と老人じゃ体力も気力も段違いのはずなのに
そういう根本的なものを忘れちゃってるんだな
親に自尊心を潰されて社会に出た私は、仕事をすることと収入を得ることで
自尊心を育てていったのだと思います。
だから結婚出産でそれを失ったことで再び「生かしておく価値のないごくつぶし」に
自己評価を落してしまったのだと。
パートとは言え、仕事を持つことで自尊心を回復していった私は
夫に対する態度も変えることができて、それに押されて夫も変わって行きました。
子供が乳児の頃、体調が悪くて何か月も微熱と咳が止まらず
何かと伏していた私を見るたびに舌打ちをして、
「俺のメシはっ!」と腕を引っ張って起こしていた夫も
やがて自分でラーメンを作って一人で食べるようになりました。
盆正月の義実家訪問の日数は「休みの日の前日から最終日の深夜まで」から
最後の一日を残して帰宅するように短縮。
三連休には必ず前日から泊まりで行っていた義実家も
今回は2泊のみ、今回は用事があるのでいけない、と断るようになり、
親戚の集まりも私の仕事を理由に何度かに一回は不参加にしました。
私が親戚づきあいから遠のいて行くと
それに歩調を合わせるかのように夫も参加しなくなって行きました。
義実家にも足を運ぶことも減り、一人で行って来たら、と勧めても断るように。
尤もそれは、自分一人で帰省したのでは「俺に服従する妻子」という勲章がなく
メンツを保つことができないからでしょうけれど。
仕事を持ち義両親と距離を持って自分自身を取り戻して行くと
あれほど恐れていた「母になること」も自然に喜びに変わって行き、
子供が何よりも愛しい存在になって行きました。
こうして一見平穏な家庭を築くことができたのです。
私が健康で仕事をしている限りは。
そう、私が誰の助けも必要としない限り平和な家庭を保てるのです。
ひとたび病気になったり仕事を失ったり、身動き取れなくなったりしたら、
またあの地獄に戻らなければならない。
そう思い込んでいました。
仕事を盾に親戚の集まりを断れる。では仕事辞めたら?
しょせんはパートや派遣でしかない。産休や育休なんて存在しない。
退職したら子ども二人抱えてどうやって就職できよう。
また親戚べったりの中に閉じ込められて、家族で過ごすことも叶わず、
家族で出かけるなんて夢のまた夢、またQ州に行く?
今度は子供二人連れて、親戚の家を泊り歩き、また愛想笑いに頬を引きつらせる?
自分が母になる困難を克服できたとしても、夫をどう制御できる?
はいはいする乳児を蹴って「しつけ」する父親の姿を、
もう物心ついている上の子に見せて育てる?
そして上の子に一生残る心の傷をつける?
考えただけで背筋が凍りました。
でもそれを夫や義両親に言うことは、私にはできませんでした。
傷つけたくなかったからです。
いったん切ります(改行が多すぎるとのこと)
夫は私に一度しか暴力を振るったことがありませんし
その時本気で怒ったら妻に暴力を振るうことはいけないのだと理解したようでした。
義両親は結婚以来何かと気を使ってくれて
外出した時の食費などを出してくれたり、誕生日にはプレゼントまでくれました。
親に誕生日を祝ってもらったことが一度もなかったので、私は本当に驚きました。
結婚、出産に関しても義両親はお祝いとして現金をくれたり、品物を送ってくれたり。
私の両親は相手方親戚の前で、娘にあれをやる、これを持たせると
気前の良い法螺を吹いては全て反故にして、両親の交通費や外食費も全て私が負担しました。
それに比べて、義両親は本当に私を思いやってくれたと思います。
子だくさんが幸せ、親せきと仲良く、という価値観の強要以外は。
だから、誰も傷つけず皆が幸せになるために、子供を持たないことを選んだのです。
失職もしなくて済むし、仕事を理由に義両親や親戚と距離を置ける。
もっとも、結婚した当時羽振りのよかった借金オジが金策に困り
親戚中に金の無心をしたことで親戚の仲が悪くなって集まりも減っていたようですが。
立て続けにすみません。
ここまで書いて、やっと頭の中が整理された気がします。
1人で心の中で大騒ぎした結果が、これ。
そんな気がしています。
どなたかが書いてくださった夫の役割とは
本人にとっては「いきなり殴る赤ちゃん」でしょうか。
子供をしつけると称して些細なことで暴力を振るっていました。
何度か止めましたが、結局彼本人がそうされていたようで、
それがあるべき父の姿、と思っているようです。
夫は義父を尊敬していますし。
子供が高校生になったくらいからもう暴力はありませんでしたが。
あ、これは父親の役割、でしたね。
夫の役割は、赤ちゃんになること、だと思います。
本人に言った事もあります。
病気の妻に食事の用意を強制する、できないと罵る、赤ちゃん言葉でねだる、など、
家庭を形成するパートナーである私に対してあまりにも甘えているので。
「結婚したら赤ちゃんに戻れると思ってた?ハダカで バブー って言ってたら、
誰かがおむつしてくれて抱っこしてくれてミルク飲ませてくれると思ってた?
弱ってる時に助け合う為に結婚してるんじゃないの?
自分一人が完璧なサービスを受けるためだけに結婚したの?
私だって人間なんだよ。」と。
「私はあなたのお母さんじゃない。母親が欲しかったら親の家へ帰れ。
そこでおむつしてもらって」
この話は夫が一人で帰省、義父と義兄二人と一緒にゴルフした時のことでした。
私は1歳の子と自宅。
私に熱が出て、後で考えたらインフルだったのかもしれませんが、40度近い高熱で関節に激痛。
義実家に電話して(携帯はありませんでした)
夫に「熱が出て、40度くらいあって・・・」と言ったところ
「え?・・・・・なにそれ。 帰らなきゃだめなの?」
イライラした口調で言われて、
夫と義家族の楽しみを邪魔して申し訳ないと思っていた私は(馬鹿ですね)
「ううん、いい。じゃあ、ゴルフ終わったら帰ってきて」と電話を切ったのです。
そして、子供を連れて這うように買い物、子供の相手をしながら料理、風呂掃除、
暴れる子供を風呂に入れて髪を乾かし服を着せて寝かしつけ。
意識を失いそうになりながら必死にやっていました。
時計をちらちら見て、
もうゴルフ半分くらい行ったかな? 後何時間くらいで帰って来るかな。
帰ったら子供にご飯たべさせてもらうおう。
もうゴルフ終わった頃かな?
帰ったら子供をお風呂に入れてもらおう。
もう高速に乗ってるかな?
帰ったら子供の髪を拭いて、服着せてもらおう、
後もうちょっと、後、きっと30分くらいで帰ってくる。
そうしたら、子供の布団しいてもらおう。
そう思いながらひたすら子供の世話をしていました。
また切ります
そして、少し熱も下がった翌日の夜。
「ただいまーー!」上機嫌で夫が帰宅しました。
そして横になっている私を見て「メシは?」
私に食事はしたのか、と心配して聞いてくれたのかと思って「食べてない」と言ったところ
「は? 話する気もおきんなっ!」 と吐き捨てて、
床にごろ寝してTVを大音量で見始めました。
あぁ・・・メシって、彼のご飯のことだったのか・・・・と
遠のく意識の中でぼんやりと考えていました。
その後は部屋中に広がる刺激臭で起こされ、なに?この匂い。と聞いたら
「エアーサロンパス」
筋肉痛になっちゃってさー。
と眉間にしわよせながら半分嬉しそうな表情で答えた夫。
その時に、熱が下がったら離婚しようと決意して、上記の言葉になったのです。
結局夫が泣いて謝って、以来今に至っているわけですが・・・。
本当に、肌で感じ取れず学んでいくしかない人もいるんですね。
書き込みが途切れる時はこれで終わりなのかまだ続きそうなのかくらいは言ってくれ
これで最後です。
書き方や内容に色々指摘をいただきまして、不愉快な思いもさせたかと。
流儀がわからなくてすみません。
内容に不快感を持った方もいらっしゃると思います。
何も解決していないし、昔の話をほじくり返すに終始しただけの内容ですが、
愚痴を吐いたことで、私は頭が整理されました。
誰かが見てくださったということで孤独も和らぎました。
読んで下さった方、ありがとうございました。
レス下さった方、1本当にありがとうございました。
お疲れ様
過去を振り返るのは今に生かすため
自身の闇を見つめるのは飼いならすためと割り切ればいいよ
あと頭の中で整理したものは日記にでも残すといいよ
毎日つけなくていいから決意表明みたいなものだけ
記憶だけだとどうしても日々の生活で薄れていっちゃうから