姪っ子が結婚した
誰も読みたかないだろうけど、思い出を書いていこうと思う
姪っ子(以下メイ) 23歳
メイは兄夫婦の子供
兄とはだいぶ年が離れていて、11歳差
義姉も兄と同い年
俺が14歳の時に当時25歳の兄夫婦にメイが生まれた
メイだけはとんでもなく可愛く思えたのが不思議だった
父は頑固で無口、怒る時には手も同時な人だったが、
初孫となるメイには家族のだれも見たことがないような
デレデレ顔になって気持ち悪かったな
散歩に行けるようになるのをすごく楽しみにしていた
しかし大問題が
メイが父と俺にだけはなかなかなついてくれなかった
3歳ぐらいまでは父と俺の声が聞こえるだけでおびえて固まる、
不意に視界に入ると泣き出す、抱っこしようとすると号泣して
義姉か母に助けを求める有様
そんな時の父のさみしそうな顔は忘れられないが、
母曰く俺も父と同じような表情だったらしい
結局、父とメイの自転車散歩は実行されることはなかった
それを聞いて落ち込んだ
ともあれようやくなついてくれて、こっちもアホほど可愛がって遊んでた
で、メイが5歳の時、母とが義姉の母が相次いで病没した
それなりに愁嘆場だったが、メイにはまだよくわかってなかったのかな
義姉の父はずいぶん以前になくなっていたので、メイは7歳にして祖父母を失った
その年の俺は何とか就職が決まって実家を離れていたし、
兄家族も実家から離れていたため相談の結果
実家(田舎で小さいながら一軒家だった)は売りに出し、半年後には更地になっていた
実家が壊される時、兄家族と一緒に見に行ったのだが、
メイの「じいちゃんのオウチ、無くなるね」て言って泣き出したのつられて
俺もちょっと泣いた
兄家族の乗る車がトラックと衝突し兄は即タヒ、
義姉は3日間意識不明のあとなくなった
メイは奇跡的に打撲だけで済んだ
メイの親族は俺だけになった
多くはないが相続した遺産と貯めていた小金で日本一周なんぞをしていた
兄夫婦のタヒに絡み、いろいろなゴタゴタがあったが一番の問題はメイのことだった
無職の若造が引き取って育てるなんてことはできるはずもなく、
結局児童養護施設に預けられることになった
幸い、メイのいる施設とはそんなに遠くなかったので
できるだけ毎週会いに行くようにしていた
施設に入ってからのメイは、やはり事故の精神的影響が大きく非常にふさぎがちだったらしい
それなのに俺が会いに行くとすごいうれしそうにしていた
だから少しでも励みなれたらと思ってこまめに会いに行くようにしていた
それが裏目に出るとは思いもしなかった
メイがいじめの対象になっているとのこと、
その原因が俺にあるということだ
メイは俺と会った後はすごく元気になるらしく、そのことが施設にいる他の子供、
特にリーダー格の年上の女の子から疎まれるようになったらしい
基本、この施設にいる子どもたちは保護者がいなかったり虐待を受けたりで
親や親族と会うことのない子供たちだ
そんな中メイにはいつも親族(俺)が会いに来て楽しそうにしている、
なんでお前だけが!となり、
いじめの対象となった
ちょっと席はずしてました
施設職員と今後の話し合いをしたのだが、その時に言われたのが
メイと会う回数を極端に減らしてくれとのこと
他の子たちと差が出ないようにしたいとのことだったが、
俺にとっては残されたただ一人の大事な身内だ
とても了承しがたい
しかしその方がメイのためになるなら、としぶしぶながら納得
そのことをメイにも伝えたんだ
嗚咽しながらこんなようなことを言ったんだ
「マサトおじさん(俺)は私のことキライになったの?お父さんもお母さんも
誰もいなくなったのに、マサトおじさんまでいなくなったら一人ぼっちになっちゃう
そんなの嫌だ、
それにここにいるのもホントは嫌で嫌でたまらない」
会うときはいつもニコニコしていてわがままも言わずにいたメイだったが、
やっぱり相当無理をしていた
当然のことだが
ぐしゃぐしゃに泣きながら、でもどこかで遠慮してるのか
いつもならまとわりついて来るのにこの時は
俺から少し離れたイスから決して近づいてこようとしなかった
そんなメイを見て、たまらず俺も泣いた
そして最近、空想程度に考えていたことを提案した
「おじさんと一緒に住むか?」
お金の問題については相続やら兄の生命保険やらで
どうにかなる見通しがあった
あ、保険金についてはもちろんメイが受取人だが
弁護士を挟んで俺が後見人となってて、メイの養育費などとしてはある程度融通かきいた
遊んで暮らせる金じゃないが、なんとかなるかなと思ってたんだ
そしたらメイのやつ、
「いいの?マサトおじさんは私のこと邪魔じゃない?嫌いじゃない?ほんとにいいの?」
なんて聞いてくるんだ
12歳のくせに気を遣いすぎなんだよ、このバカ
「当たり前だ!メイのことが嫌いなわけないだろ」
って思わず怒鳴った、泣きながら
あとは二人して泣いてた
思い出したらいまちょっと涙目
初めてスレ立ててやってるんでちょっといっぱいいっぱいです
あと読みにくいし遅くてごめん
涙もろいおっさんの話に付き合ってくれてありがとう
最重要の金銭は先に言った通りなんとかなるが、まずは住むところ
6畳一間のボロアパート住まいで二人で暮らせるようなトコではない
そしてメイはあとひと月で中学生になる、
できればそれまでに新生活を始めさせてやりたいが時間がない
もうバタバタだった
そんな時に社長という名の救いの神はいた
今回のことも相談すると、翌日には新居を紹介してくれた
社長の知り合いの不動産屋に探させたらしい
2DKの文化住宅、しかも社長宅のすぐ近く
「なにかあったら俺(社長)の嫁さんにメイのことを頼め、
お前だけでできることなんかたいしてないからな」
ありがたくて最敬礼した
やったねたえちゃんのAA貼らなくてよかった
奥さんと22歳と18歳の娘さんがいた
社長は俺の事情を以前から知っていたが、奥さんたちにはこの時初めて説明した
みんな泣いてくれた、
その後でなんでもっと早く言わなかったの!って奥さんに怒られた
俺はもうほんとに社長家族には感謝しかなかった
まさとおじちゃんってコテつけたらいかがだろう
ややこしい話のオンパレードだった
そして入学式には間に合わなかったが、4月中旬から新生活が始まった
まあ、最初の内は本当にぎこちない生活だったと思う
お互いにへんな遠慮というか、距離感がつかめないというか
それでもメイが笑って、学校の話をしたり、社長娘と遊びに行ったりしたこと
を楽しそうに話すのを見て、
本当にこうしてよかったと思った
同居を始めてしばらくしたある夜、メイが寝ている部屋で悲鳴が聞こえた
部屋に行くと震えながら泣いているメイがいた
落ち着くのを待って話を聞くと、あの事故のことを夢で見たらしい
事故の瞬間のことはショックや気を失っていたことで憶えていないが、
唯一憶えていることが救出直後の母親と話したことだった
チまみれの母親がメイを呼び、
「よかった、よかった、メイが無事で、よかった、お父さんは?」
メイはよくわからないまま答えた
「お父さん元気だよ、大丈夫だよ、お母さん、お母さん!」
ただ、もうそれに母親は答えず意識を失い、
メイもそういう会話をしたことだけしか憶えていないそうだ
その場面を夢に見た、しかもこれまでも月に2~3回は見てどうしようもなくこわいらしい
同居して初めてわかることってあるんだなぁ
今スレタイ見直してさらに切なくなった
話を聞きながら、何もしてやれないことがどうしようもなくつらかった
その日はメイが落ち着いたあと、ぐっすり眠るまでとなりいてやることしかできなかった
どう考えたってトラウマになるよな
その後も、たまに同じようなことがあり俺がメイの部屋で
そばにいてやったり、逆にメイが俺の寝ている横に来て丸くなってることもあった
少なくとも、そうすることで安心できてたのなら良かったと思う
一応言っとくが、ピンクなゲーム的展開はないので準備すんなよ?
社長家族にはもう世話になりまくりだった
奥さんには食事の世話をしてもらったり、メイに家事を教えてもらったり
二人の娘さんには妹同然に可愛がってもらってよく一緒に遊び行ったりしてた
中1の時の体育祭、平日だってのに俺はむりやり有給取らされて
なぜか社長一家とメイの応援に
行くなんて一言も言ってなかったから無茶苦茶びっくりしてたな
帰ってからメイがなんて恥ずかしいことすんのよ、ばかって笑ってたのを良く覚えてる
あと、初潮が来た時の俺のオロオロッぷり
ある時トイレに入ったらトイレの床がチまみれでメイがいない
なんじゃこりゃ!と思って慌てふためいて、とりあえず社長の家に行ったら
男は出てけって奥さんと娘さんたちに追い出された
あとになってその時の俺の様子をネタに今も茶化されてるよ
同性の相談相手が近くにいて良かったな
わろたwww
中2の秋だったかな
突然、クリームシチューを市販のルーではなく手作りで作ることに凝り始めた
奥さんも作り方は知らなかったが協力していろいろやっていた
できたシチューは十分うまい物だったがメイはなぜか納得しない
さすがに毎週シチューが続くとなんでだ?と聞いてみたが、
理由は教えてくれなかった
そんな話を奥さんとしゃべってたら実は、と教えてくれた
母親の得意料理がクリームシチューだったのだ
何年も前のことだから、作り方も味もよく憶えていない、けれど何とか作ってみたい
健気だね、この娘っ子はほんとに
だからしばらくシチューは続いたが文句言わずに食べてた
「どう、おいしい?どう?」
てしつこく聞いてくる
もちろんうまかったのでそう答えたら、妙にうれしそうにしてたからついポロっと聞いた
「お母さんのシチューができたか?」って
そしたらメイのやつ、硬直してなんか泣きそうな顔になったんだ
おもわず俺の方がおろおろしたな、あの時は
目から汗が…
思い出の味だろ良かったなって行ったんだよ
そしたらなんて行ったと思う?
「ごめんなさい」
だよ
なにがごめんなさいなんだ?って思うよな、さらに
「ごめんなさい、マサトおじさんがいるのに、お母さんのことなんか思い出そうとして」
だよ
まったくメイのバカたれが
今更両親のことを引っ張り出すようなことをしたら、
俺が嫌がるんじゃないかって思ったらしい
いやいや、そんなこと思うならシチュー食わすなよ
と言うか俺がそんな風に考えると思ってたのか!
なんかそんな感じで無性に腹立たしくなって、哀しくなったな
だからこう言った
「メイがお父さんやお母さんのことを憶えていてあげなきゃどうする?
なんでそこで俺に遠慮するんだ?
俺がそんなことでメイのことを追いだすとでも思ってるのか、俺をバカにすんな
遠慮なんかすんな、バカ、もっとお父さんやお母さんのことを教えろ
俺の兄貴と義姉さんでもあるんだぞ」
こんなようなことを言った、と思う
多分、同居を始めてから初めて怒鳴ったと思う
で、メイ泣きながら謝る
俺、謝んなって言いながら泣きそう
その後、シチューは定番になりました
ちなみにそれ以前はメイが自分から両親の思い出なんかを話すことはなかった
ずっと遠慮していたんだと思う
でもそれ以降はそんなことはなく、よく話してくれるようになった
やめとこう
心の内側が外に向って開かれてる証拠