黙り込む、という手段で、
彼女の言葉を奪っていたんだと思う。
(他もそうかもしれないが)
嫁に来たらまず近所に挨拶回りして、
ご先祖様の墓参りをするらしい。
俺はこれを知らなかった。
新婚旅行の翌朝
彼女は
「ご挨拶回りするなら、
着物に着替えないとダメですよね。」
とお袋に言った。
お袋は、
「このへんで近所に挨拶回りする嫁なんて訊いたことも無い。」
と笑った。
俺は披露宴に隣人ということで
ご近所がほとんど来ていたので、
そんなもんかと思った。
彼女は不審そうであったが、
それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ、お墓参りにいくのじゃない?」
と言ったが、お袋も何も言わなかったので
「まぁいいんじゃないの?」
と流してしまった。
それは大失敗だったことが後からわかった。
彼女が泣きながら帰って来た。
聞けば…。
「以前にスーパーで
隣の奥さんに会ったので
挨拶したら無視された。
気づかなかったんだろうと思っていたら、
今日あなたの叔母さん(近所)に叱られた。
何故挨拶回りくらいしないのか。
姉さん(俺のお袋)からあなたが
『近所へ挨拶なんて面倒だからしない』
といった話聞いたけど
あまりに非常識過ぎる。
近所をバカにしてるのか。
みんな怒っている。そう聞かされた。
これはどういうことなの?」
「挨拶回りくらい常識なのに、
しないほうが悪い。
恥をかかされたのは私だ。」
と言う。
「お前がしなくていいと言ったじゃないか。」
といえば
「そんなこと言うはず無い。」
と言う。
話にならないので
それ以上追求できなかった。
彼女も
「もういいから。私は気にしてないから。」
と言ったので、
そのままにしてしまった。
彼女は挨拶回りの品物(洒落たタオル)を用意していたが、
それらはいつのまにか無くなっていた。
妹が勝手に持っていったことがわかったのは、数年後だ。
彼女は仕事と家事を必タヒにこなしていた。
夕飯が早いので、
夜中に腹が減ったというと、
彼女はやきそばやチャーハンを作ってくれた。
料理は上手かった。
お袋が下手過ぎたかもしれん。
お袋は買ったものを並べるだけの主婦だった。
はじめて肉団子を作ったとき、
親父が「こういうものは家でも作れるんだなぁ」と感心していた。
が、口に入れてすぐに吐き出して「これ腐っとる!」と言った。
彼女は驚いて、親父が吐き出した肉団子を口に入れた。
「別に大丈夫だと思うけど…。」
その言葉に親父もまた肉団子を口に入れ、
「うん、美味いわ。」と言った。
買ったものと違って
柔らかかったから、という理由だった。
お袋が「おかしなもん作るからいかんわ。」と言った。
彼女は黙って下を向いて食べていた。
俺は…何も言ってやらなかった。
彼女をかばうべきだったがしなかった。
それは理由があった。
彼女が俺に言った。
「お義母さんと私が喧嘩になったら、
お義母さんの味方になってあげて。
大事な息子を取られて、
その息子が嫁の味方しちゃったら、
お義母さんの立場がなくなるよ。
私には後でフォローしてくれればいいから、
お義母さんの味方してあげてね。」
この言葉に甘えた俺は、
見て見ぬふりをし、
そのうちにフォローすらしなくなった。
当時の妹は当時の亭主を連れて
毎週2泊しに来ていた。
続きは明日とか言わんで、
要約して最後まで書いてくれ。
箇条書きとかでもいいから。
細かく書きすぎて、ウザイな。
この後、妻は妊娠して親に報告した。
お袋は「産む気なの?」と一言。
さすがの妻も、一晩中泣いて怒った。
これには俺が「俺の子を刹せというのか。」とお袋に怒った。
妹が「子供なんか産んだら、働けなくなるでしょう!」と言った。
当時、俺の給料は全額借金返済に回っていて、家族の生活は妻の給料に頼っていたからだ。
つわりのひどい間、お袋は「つわりなんて気の持ちよう。私はつわりなんか無かった。」
と言い続けたらしい。
このことは、後で出てくる離婚調停の席で初めて聞かされた。
米の10kg袋2個を担いで、台所のある2階に運ばされた話も聞いた。
お袋が「そんなこともできんなら、子供なんか産めるわけが無い」と言ったらしい。
子供が産まれて妻は会社を辞めた。
特技があったので、土日にお袋に子供を預けて働きに出てた。
平日はおふくろも働いていたからな。
妹が「お母さんにタダで預けるの?保育料くらい払いなさいよ!」というので
毎回3,000円払っていたらしい。仕事は5時間程度家を空けることになる。
子供が1歳の誕生日、妹と妻が派手な喧嘩をやらかした。
原因は「態度が悪い」と妹が難癖をつけてきたかららしい。
妻は出ていくと言い、妹は「金も返さないんなら出てけ!今すぐ出てけ!」と
妻の衣類をタンスから引っ張り出して外に投げ捨て始めた。
子供の1歳の誕生日ケーキも蹴り飛ばしやがった。
俺は妹を殴り、車のキーを持って出ていこうとした妻を追った。
妹の当時の旦那が身体をはって車を止めていてくれた。
その夜、妻と話し合って、出ていくことを決めた。
金は妻が隠し持っていた結婚前の貯金を使うことにした。
まぁまぁ
>昔 ◆JRps2MHPuE
大詰めだな、あと一息ガンガレ
妻は今でもこの76日間が人生でいちばん幸せだったと言っている。
1ヶ月後、俺は仕事を辞めさせられた。
親父が勤め先(仲人で債権者)に来て勝手に退職させると言って
退職金までその場で受取ったらしい。
76日後、仲人と親父がトラックで乗りつけて、
俺らの家財道具を一切積みこんで実家へ運んだ。
元の部屋の元の位置に収まった家具を見て、妻は涙も出ない様子だった。
「お前らが同居して借金を返す条件で、銀行が金を貸してくれたんだから
お前らが出てったら、親父たちは首をつるしかないんや。
わかってやってくれ。」と仲人に言われた。
納得するしか仕方がないと思った。
妻は38kgまでやせ、ものを言わなくなった。
髪は後ろ半分無くなって、かつらを被るようになっていた。
背中から腕にかけて湿疹だらけで、幽霊のようだった。
子供の幼稚園入園が近づいて、妻は働き始めた。
土日は式場のバイト、平日は近所の家で内職の手伝い。
もともと人懐っこい性.格なので、近所の人からは好かれるようになっていた。
娘の入園と同時に、妻は保険会社に勤め始めた。
俺は大反対したのだが、「保育料が払えない」という妻に、勝手にしろと言うしかなかった。
妻は保険会社で大活躍だった。
1年後には、本社で表彰されるくらいになっていた。
妻の給料は増え、家族の生活は贅沢になった。
その反対、保険をとってこなきゃ、凄い辛い環境だし。
友達、家族にまずはいってもらって、そうしながら「そこから」ラインを作った人が、表彰されるって感じだよ。
一年後と言うなら、追加の資格もとれていない筈だが、それでも表彰って凄いと思う。
そう、本当にすごかったようです。
保険会社に入るときに、親父が条件を出しました。
「親戚と近所と友達に保険を勧めるな。」
そういう中で、毎日夜遅くまで頑張っていました。
俺を含め家族はみんな「飯はまだか!」「風呂の仕度はどうした!」と
感謝どころか「働かせてやってるんだ」という態度でした。
もっとも、保険会社の事務で働いていると聞かされていて
実は生保レディだと知ったのは半年後のことでしたが。
コネがないと、表彰なんてありえない。
彼女が結婚前から子供が産まれる前まで勤めていた会社の
社長が彼女を可愛がっていましたから、ずいぶん紹介も貰ったようです。
バブル崩壊前で、世間の景気も良かったし。
受けたのは新人表彰(全国7位)なんで、そんなにすごくないのかもしれないです。
そうかもしれない。けれど妻は泣き言一つ言いませんでした。
ずっと後の話ですが、カウンセラーの先生に聞かされて印象が強かった言葉です。
「奥さんは誉められたことの無い人です。だから、保険会社で保険を取るたびに誉められて
それが嬉しくて、そういうところに生きる喜びを見出しちゃったんですね。」
おい、昔。ココまで引っ張って、夜遅いから明日とか言うな。
きっちり吐き出せ。
いいのか?かえって迷惑かと思って明日にしようかと思ったんだが。
つか、突っ込んでくれたほうが話しやすいかもしれん。
脱線するかな。
妻は妹を平手打ちし、
取っ組み合いの喧嘩になって
親父が妻を殴って(ぐーで)
2人を引き離したという事件がありました。
俺は仕事にいっていて知らなかった。
このことも、当時の妻からは
「ちょっと転んだだけ」と聞いていて
離婚調停で知ったことの一つです。
蹴られたのだそうです。
そのころの妻は、
ボーナスのたびにお袋にねだられるまま、
バッグだコートだと買って与えていて
嫁姑は上手くいってると思っていました。
妻は家事に手抜きをしませんでした。
時間には幼稚園に子供を迎えに行き、
いったん家に帰って夕食の仕度をし
お袋が帰ると娘を預け、
また仕事にいきました。
帰りはいつも10時過ぎで、
帰るなり洗濯物を片付けアイロンをかけ
翌日の米を研ぎ…
夫婦の会話はまったくと言って良いほどありませんでしたが
もともと会話はあまりなく(俺が無口だから)
気にしませんでした。
そのうちに二人目を妊娠しました。
6年振りの妊娠でした。
かなり病院にも通っていたのですが
妊娠する気配はなく、
最初の子供が女だったので
お袋や親父の「男を産め」攻撃は
激しかったです。
下手に一人いると、
周囲は気配りなんぞしてくれません。
「あなたは子供よりお金が好きなんだね」と
お袋と仲の良い同僚に言われたと
泣いていたこともありました。
産まれたのは男で、
妻はこの子供を
一切お袋に預けませんでした。
最初から無認可託児所と保育ママさんに預け、
親父はめったに男孫を見たことが無いと
妹にこぼして、妹が怒鳴り込み
また大喧嘩になるという繰り返しでした。
出産後、
長女の保育園の都合もあるので
実家に帰らなかったのですが
退院した夜から
夕食の仕度をしていました。
それが身体に良くないということを
あまりわかっていなかった私です。
お袋も何も言いませんでした。
というより、「早く仕度してよ」と言いました。
妻は何も言いませんでした。
黙って夕食を作りあげて、
部屋に帰って横になっていました。
スマンもう読んでて気分悪ィわ。
お前ら今すぐ一家首吊ってsh(ry
ひどいひど過ぎる。出産後にその仕打ち
妻は突然家事をしなくなりました。
台所にも入りません。
毎日長男と外食して、
コンビニでお弁当を買って帰るようになりました。
お弁当は私と長女の分です。
私とも口を聞きません。
冷たい目で薄ら笑いを浮かべて
ちらっと見るだけ。
汚らわしいものでも見るように、
視線を合わせようとしなくなりました。
長女が産まれてすぐのころに、
ダブルベッドでは眠れないと私が言ったので
眠る部屋も別、
顔も見ない日が何日も続いて、
ちょっとこれは…と思ったころ
私宛に裁判所から封書が届きました。
離婚調停の呼び出し状でした。
となりの部屋に眠る妻からの調停?
私は混乱しました。
が、怖くて妻を起こしてまで
事情を聞く勇気はありませんでした。