私の祖父はモダンな人で、戦前の農村で
バイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで
変わった人だと言われていたらしい。
背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの
村で一番の庄屋さんの長男がお国のために行かないなんて
と非難されて、泣く泣く出兵。
手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。
が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり
服を縫ってやる代わりに英語を教えてもらうようになった。
もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。
日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが
祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wで
さっそうと佐世保港に現れ、迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw
この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内から
そんな祖父の思い出話を聞いて
その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか
例の白い礼服を着た祖父の得意げな写真とか
アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って
可愛がってもらっていたらしい。
ここまで書いたら本人特定されるかな?
この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw
じいちゃんすげぇ
対人スキルが高い男って憧れ
シベリア抑留されたものの、パン係になってパン作りスキルゲット
アーンド出兵前より丸々肥えて帰ってきた人の話思い出した。
ありがとう!
ちなみにうちの祖父も収容所の料理係に任命されて
イギリス料理を習ったそうだけど、帰国しても一切作らなかったらしい。
やっぱりイギリス料理って・・・と思ったw
料理といえるのだろうかw
もしかしておじい様が和食を教えてあげたりしたら、今頃イギリス料理の歴史は変わっていたかも…w
素晴らしいおじいさまなんだね!きっと誰からも好かれるような素敵なダンディな方なのね。
祖父は私が幼い頃に亡くなってしまっているので
本人からそのあたりの話が聞けなくて本当に残念です。
余談だけど、当時祖父のいたところでは他の収容所同様に食料が足りていなくて、
祖父は、島にいた大型爬虫類や野ブタを捕まえて調理するように指示されたそう。
野ブタは巨大すぎてつかまらずむしろ返り討ちに遇い
かろうじて捕まえた大型爬虫類の肉は
残念ながらおいしくなかったと不評だったそうだけど
祖父曰く、それはイギリス風の味付けだったからであって
味噌か醤油があれば何とか食えたはずなんだけどなぁ、だそう。
本当かどうかは不明ですw
iPhoneからだからID変わってるかも。
ここを姉に見せてみたら、個人的にもうひとつ衝撃的なことが。
「あんた、普通の人に庄屋って言っても通じんよ?」
・・・今まで標準的な言い方だと思ってた!
うちの地元では高度経済成長期頃で村長がほぼ世襲で
村長の家(つまり祖父や私の実家)を庄屋と言っていました。
今でもその名残で、お年寄りはうちの家を庄屋と呼びます。
普通「庄屋」って言ったら、江戸時代の歴史用語のほうなんですね。
混乱させてしまった方がいたらごめんなさい。
今でも使うかというと地域差はあるだろうけどさ
うちの職場にも元庄屋の家柄の人いるよ
今は極々普通のリーマン家庭だけど、地域の人からはやはり丁重に扱われていたな
田舎もん丸出しで恥ずかしい!って枕に顔埋めたい気分だったw
県知事と県議を出してるわ
田中角栄なんかも庄屋じゃないけど
それクラス(郷士)の家だったかと
って感じでうちの方の田舎も言うよw
聞いたことはあるけど昔の偉い家なんだろうなーという事くらいしか知らなかった。
勉強になったわ。