すごく嫌な思い出で、朝から氏にたくなった。
当時は私は18歳。
元彼は7つ上で、最初は私は都合のいい女だった。
私が彼のことを大好きで、彼は私のことは特に好きじゃない感じ
顔のことを罵られたり
元カノの写真(美人だったから元彼がお金出してプロに写真とってもらった)とか見せられて全然違うよなって言われたり
お前何にもできないよなとか言われてもずっと好きだった。
元彼は仕事のせいでどんどん病んで
私の前に付き合ってた彼女に浮気されたこともプラスして病んで
最後には病気になった。
脳に腫瘍ができてしまってた。
それが私が18歳の冬の話で
私には病気のことを隠してて
他に好きな人ができたからって振られた
こんなに頑張って好きって伝えて行動もしたけど伝わらないことがあるんだって思った。
周りに慰めてくれる友達がいることとか
勉強したいことがあるんだから
私は恵まれてるんだって一生懸命言い聞かせた(今になってみると、本当に恵まれてたと思う)
彼と連絡とらなくなって
二ヶ月たったある日に知らないアドレスからメールがきてて
俺は手術受けて記憶がなくなるかもしれないけど、今までありがとう
もし記憶が残ってたらまたご飯でも行きましょう
みたいな一斉送信の内容のメールが来た。
すごくびっくりして、
1週間くらいたった時に思い切って返事をしてみたら
彼の妹さんから返事がきて
手術は成功したけど、記憶がほとんどなくなってしまったってことを聞いた。
そのメールが来た時はすごく泣いた。
本当に彼のことを好きなんだなって思った。
それから数日たって彼から電話がかかってきた。
記憶が全くないから、
はじめましてって言われて
あなたのことはノートに書いてたから、大体知ってるけど本当にありがとう
俺みたいな奴じゃなくて
他にもっといい人がいるよって言われて
あー記憶がなくても
私は元彼の中では眼中にないんだなって思ったけど
それでも彼が生きててまた電話ができただけですごく嬉しくて
http://shinchan.bushimo.jp/
それで彼が今度私の地元に治療のために来ることを知って
別に小説と思ってもいいよ
吐き出したいだけだから
最近このしんちゃんのゲーム癒しでやってて、昨日友達誘う時にコピーしてたのw
間違えて貼っちゃったww手が滑ったww
記憶を司る場所って脳の1箇所だけだと思ってる?wwww
私もその時そばにいなかったから
詳しくは知らないけど、
家族のことも誰だかわからなくて
全部記憶がなくなったわけじゃないけど
とりあえず忘れてることはかなり沢山あったみたいだよ。
後で書くけど、記憶はだんだんと思い出していったよ。
デートもしてすごく幸せだった。
でも彼は記憶がまだあまり戻ってなかったから、話をしても噛み合わないこととかもあったし、病気の後遺症で目があまり見えなくなってしまって手も動かせなくなってて
それがすごく辛そうで
私が支えてあげたいなってまた思ってしまった。
また頻繁に連絡をとる日々が始まって、
でも彼は実家の関西へ帰ったから
会うことはできなかった。
そのうち、記憶がだんだんと戻り出した頃に、彼は死にたいって毎日言い始めた。
電話をかけても死にたいとか生きていたくないって言葉が増えて
沢山沢山励まして、彼が死んだらどうしようって悩んで私も毎日泣いた
当たり前だけど車も運転できないし
手がうまく使えないから、
彼が大好きだった絵を描くこともできなくなってて
そんな気持ちになるのは当たり前だった。
彼には家族がいたけど、
あまり良い家族じゃなかったみたいで
死にたいって言葉と同時に家族の悪口をずーーっと言ってて
大変だなって思ってたけど、
私の家もお父さんがDVとアルコール依存症でお母さんは片付けられない人だったから
私の家の話もして
どこの家も色々あるねなんて話してた
知り合いに片目全盲のやついるけど
これは視力にもよるだろうけど大袈裟すぎだろ
とくにバランス感覚
私もその感覚はよくわからないですけど、最初は椅子に座れなくて転んじゃったり、机の角に体ぶつけてたり、結構大変そうでした。
あとは、最初から全盲の方と途中から全盲になったのとでは全然違うんだとも言っていたので、
私にはわかりませんが、大変な人は大変なんだってことだと思います。
私は携帯代が4万とか行くようになっちゃってて
(彼からはかかってこないから)
勉強の他にもっとバイト入れなきゃとかしてて
その時期は一日三時間くらいしか眠れなかった。
加えて、うちのお父さんの会社が経営うまくいかなくなってて、お父さんもめちゃくちゃ荒れて
お酒を飲んだらよく暴れるようになって
お母さんが病気になって入院することになった。
家事もしなきゃいけなくて
妹は全く手伝ってくれなかったから
毎日泣きながら色んなことしてた。
お母さんは卵巣全摘出の手術をうけるから
本当に辛そうだったのに
お父さんがお母さんに
早く死ねよって言ったせいで
私の中で今まで我慢してた色んなことや
辛くても頑張ってる彼のこととかそれを支えようとか思ってる私のこととか
ぶわーーーーって怒りにかわって
人生で初めてお父さんに歯向かったら
殴られてしまって
わたしはその日から一人暮らしを始めた
援助とかはしてくれなくて(引越し費用だけお母さんが出してくれた)
私は友達にすすめらて
水商売のアルバイトを人生で初めてした。
親にも友達にも彼にも
長年お世話になってる先生にも
そんなところで働いているなんて言えなくて
勉強が疎かにならないように必死だった。
彼は記憶がだんだんと思い出せるようになって、最初の他人行儀な接し方から以前の気を遣わない感じに戻って
でも毎日辛いしんどい死にたいって繰り返すばかりだった。
彼に元気になって欲しくて
自分も色んなことが辛くて
彼に会いたいって思うようになった。
バイト代を頑張って切り詰めて
彼に会いに行くことにした。
もっと大変な人がいる
自分は恵まれてるって思うように心がけてたのもあるし
一度だけ中学生の時に
当時親友だと思ってた友人に家の話を相談したら重すぎてなんて言っていいかわからないって言われたことがショックで
人に言えなくなってしまってた。
でも、その彼に会いに行った時に
お父さんやお母さんのことで
こんな風に辛かったんだってことを話してもう限界なんだって話もした。
精神科にも行ってたから薬も飲んでて
それを見た時は流石に彼も心配してくれた。
短かったけど、本当に楽しくて
その時は家族の中にも学校の中にも自分の居場所がなくて辛かったから
ありがとうって心から思った。
すごく辛いから泣いてしまったw
彼との旅行がおわって
私は卒業に向けて課題をしなきゃいけない時期に差し掛かった。
バイトを二つ掛け持ちしながら
勉強もして一人暮らしもして
親からは電話もかかってこないし
さみしくて一度だけ母親に電話をかけたら
あんたがいなくなって洗濯物が楽になったよ。ありがとうって言われてしまった。
水商売のバイトも
他の店に比べたら優しいお店っていうのはわかっていたけど、
元々アルコール依存症のお父さんが苦手だったのに
そんなバイトを選んでしまったから
心がどんどん病んでいった。
変なお客さんに絡まれたり、自分の安易な言葉で怒られてしまったり
接客業って本当に大変だなって良い勉強になったし、外見を磨くことの大切さや教養を身につける大切さもあそこで学んだけれど、今でも二度と戻りたくない。
彼にはずっと水商売のことは言えなくて
ただ帰りが遅くなって行ったし
連絡がマメにできなかったから
彼は束縛が激しくなって行って
その時は男友達はおろか
男の人と連絡をとることすら
許してくれないような感じだった
勉強もうまくいかなくなってきて
ご飯もあんまり食べられなくて
気付いたらものすごく痩せてた。
彼はずっと私に
死にたい
お前より俺の方が大変
お前は色んなことに甘えてる
お前の悩んでることは解決できる悩み
俺よりマシって言葉を繰り返した。
7つも上で病気してる彼からしたら
私の悩んでることなんて
健康な人間の悩みそのものでうざかったんだろうなって今は思えるけど、
当時はそれがすごく辛かった。
周りの友達にも
今までは相談なんて嫌われるのが怖くてほとんどできなかったけど、
その時くらいから初めて相談をした。
家族のことも
彼氏のことも
みんなに別れなよって言われて
親のこともちゃんと別の人を通してなんとかしてもらった方がいいよって言われたんだけど、
高校時代からの親友で
水商売のバイトも一緒にしていた子に相談をした時に
世の中もっと苦労してる人もいるのに
○○は甘えすぎ
そんなんじゃこの先生きていけないし
うざい
みたいなことを言われて
(まぁ本当にそうなんだけど)
その相談した時が自分の中で本当にギリギリでしんどくて辛かったのもあって
初めてお薬を大量に飲んで楽になりたいって思った。
そんなんで死ねるとは思ってなかったけど、
もう悩まないで楽になりたい。
何も考えたくないし
何もしたくない。
もう疲れたって気持ちに支配されてしまって、22歳の12月22日に一人暮らしの部屋で倒れてた。
23日の夜も私はお店に出勤だったのに無断で欠席したから
ママと心配してそれでうちの実家に連絡をしてくれた。
お母さんが私の家に来た時は
私は眠ってて全然記憶がなくて
気付いたら病院にいた。
赤ちゃん返りっていうのかなぁ。
情けないけど、そんな風になってたらしい。
私はその時のことは覚えてない。
けど、看護婦さんにがんばってねって言ってもらえたことだけ覚えてる。
それからは記憶が曖昧なままずっと布団に横になってた。
動きたくなかったし
疲れてた。
色んな人に私は辛くてアホなことしましたごめんなさいって電話して
なんか本当病んでたwww
お父さんもお母さんも
私がそこまでおかしくなって泣いてた。
妹も泣いてて
クリスマスとかお正月とかみんな泣きながらご飯食べてたwwwww
彼から大量に連絡がきてて、
私の実家に遊びに来てくれることになった。
親には彼のことは話してなかったから
すごくびっくりされた。
時期が時期だからお爺ちゃんもきてたんだけど、
その時にうちの昔のご先祖と彼のご先祖には繋がりがあるってことも聞いて
すごくびっくりした。
詳しく書くと身ばれするから書けないけど
世間は狭いってこういうことを言うんだなぁって思った。
彼は今までで一番優しくて
建設中のスカイツリー見に行ったり
二人で美味しいご飯食べたり
親も私の心の居場所が家族より彼にあるのを知って(お父さんとは仲直りができてなかった)
好きにさせてくれた。
色んなところへデートしに行って
そんな当たり前のこともずっとできなかったから幸せで楽しくて
生きててよかったなぁって思った。
なんていうか本当にごめんw
そういうおっちょこちょいなとこが昔からあるから、アホの子として友達の間ではたまに笑いがとれるwww
カウンセリングを受ける日々が始まった。
幸せで生きててよかったって思ったけど、
やっぱりすぐには色んなことは変わらなくて
お父さんはアルコール依存症でずっと荒れてたし、お母さんも○○が死にたくなったのは私が育て方を間違えたからだって辛そうにしてた。
妹からは家を荒れさせるんじゃねえよ、糞虫が!でも生きててよかったぁって言われたwwww
こんなゴミカスな姉でごめんと今でも思う。妹は家で唯一の癒し系だから、何度も助けられた。
妹がいれば私なんていなくてもうちは明るいから大丈夫と思う。
家族のこと
彼のこと
将来のこと
先生はゆっくり全部聞いてくれて
大変だったねって言ってくれた。
もうめちゃくちゃ泣いてしまって
あんなに人前で泣いたのは多分初めてだったと思う。
先生も泣いてて
カウンセリングってすごいなぁって思った。
これからどうしたらいいんだろうって
その日からお布団で毎日考えた。
彼は私がおかしくなってから、
私の悪口を言わなくなって
死にたいって言葉も言わなくなって
私と結婚したいからって
仕事を見つけるんだって言ってくれるようになった。
でもそれまで欠点や顔のことを罵られたり、お前なんてって二年間都合良く扱われたりすることが多かった私は
彼のことが好きだったけど信用できなかった。
毎日電話をかけてくれて
元気付けてくれた。
それは私が彼と出会った時に彼にしてたことと同じことだった。
気持ち悪い女が妄想垂れ流す話
ごめん。これからもっと気持ち悪くなる
それまでは1日に何個も何個も色んなことして、睡眠削ってても何でもできたのに
しばらくはほとんど寝てて
倒れてしばらくなんて筋肉が弱りすぎてて歩くこともままならなかった。
彼から連絡はきたけど、私は気付いたら死にたくなったし、自分が生きてるのが辛いし生きる価値がないと思っていたから
連絡してくる彼に
こんなメンヘラでわけわかんない人間になんで連絡してくるの?死にたいからやめてって毎日言っていた。
誰とも話したくなかった。
外に出るのも億劫でずーっとニコ生見たり
アニメ見たりして
それ以外は寝てた。
ご飯も食べたくなくて
すっごく痩せた。
背があるのに45kgとかになっちゃってわーい痩せた痩せたーって喜んでたけど、今考えるととても恐ろしい。
でもそんなこんなでも
大学の試験は受けなきゃいけなかったから試験は受けた。
あの時支えてくれた先生たちには本当に感謝してる。
あんな病んでて暗かったのに
本当に優しくしてもらって
卒業した後もずっと見守ってくれている。
私は本当はこんなにいい人達に守られてたんだなぁってテストの間何回も泣きそうになってしまった。
一番私を可愛がってくれてた先生が
今までで一番良かった。
頑張ったねって言ってくれて
本当に辛かったけど
頑張ってよかったって思った。
辛い時もあったし、きつい時もあったけどずーーーっと我慢して付き合った。
彼と付き合ってる時は
男との連絡禁止
家族より友達より俺優先
電話にはすぐ出ろ
会いに来た時は丸一日一緒にいないとダメ
とかルールがあって
ある程度元気になった後に
ケーキ屋さんのバイトしながら一人暮らしのお家へ帰った後も
それは続いた。
彼はお金のことも厳しくて
遊びに来た時もマックとかでしか食事しなくて
私の一人暮らしの家に来た時も
お金は殆ど使わないようにって言われて
めちゃくちゃ切り詰めて切り詰めて生活した。
私がケーキ屋さんでバイトしてる間
彼は私の家でゴロゴロして
家事とかもしてくれなくて
帰ってから洗濯物とかそのままだと
めちゃくちゃ切れられた。
その頃くらいから
何やってんだろうなーって思い始めた。
ごめんね、記憶辿りながらだからうまくかけない。本当に色々ありすぎて。
とりあえず、「顔のことを罵られたり」
こんなことをするような人間との縁を切れない
1は自分をみなおすべきでは
結婚の話をしたり、将来のことを相談してもまだ俺たちには早い。
理想論過ぎて話すのが馬鹿らしいって言われて、流されてしまった。
前よりは優しくなったとはいえ
やっぱり私ばっかり辛いなぁって感じることが多くて
彼には全然甘えられなかった。
彼にプレゼントされたものを私はすごく大切にしたけど、彼はなくしたり壊してしまったから捨てたってことが多かったんだけど、それが何回も続いたことも精神的にくる原因だったと思う。
本当はこの人は私のこと好きじゃないのかもしれない。
よくわからない。
本当に好きな相手だったら一緒に頑張ろうって言ってくれる筈だけど、
それがない。
だから、24歳になった時に
25歳までに具体的に結婚の話ができるようになれなかったら一度お別れしようって約束した。
これは私の最後の賭けでもあった。
期限つけるのは卑しいかもしれないけど、それまでに頑張ろうってお互いなれたら
それはきっと本物で、そうなれなかったら偽物だって思ったから。
資格試験も受けようと思って一昨年の冬からせっせとがんばった。
結婚したかったし、もう親にも心配かけたくなかったし、変わりたかった。
彼は後遺症はあったもののリハビリしたり、目の手術を受けて少しだけ症状が緩和して、鬱病だったしパニック障害にもなっちゃってたけど
なんとか仕事を見つけることができて
以前の私たちよりは色んなことが前向きに進んでいった。
だけど、去年のゴールデンウィークに彼がこっちに来た時にすごく嫌なことが沢山起きた。