前記事⇨俺「お母さんな、生体肝移植するから」母「移植!?」俺「大丈夫やで、いまどきの医学はすごいねんで」→母親の余命が…【2/4】
駅のそばのコンビニの前で父親と別れ、マンションに戻った。
心身ともに気絶しそうなくらいに疲れ果ててはいたけど、お風呂に入った。
風呂に漬かっているときに人生でおそらく最大の溜息が出た。
この2ヶ月のことを振り返ると、そのときは安堵しかなかった。
本当に良かったと思った。
12時過ぎに起き、携帯の着信を確認したけれどどこからもかかってきていなかった。
もし何かあれば、病院からはまず俺の携帯に連絡が入るようにしていたので、少しホッとした。
叔母に連絡をした。
ほとんど叔母のことは書いていなかったけれど、叔母には本当によくしてもらった。
余命宣告されたときも、手術を決めたときも叔母だけには伝えていた。
母親の妹にあたるけど、本当に仲の良い姉妹で、
母親は週に2回か3回は午前中を丸々つぶして叔母と電話で話していた。
よくあんなに話すことがあるなと何度も思ったことがある。
そして叔母も母親と同じ原発性胆汁性肝硬変と診断されている。
この病気は親子間での遺伝はないけれど、
稀に兄弟間で遺伝することが分かっている。
叔母もそうだった。
何年後か何十年後には母親と同じことになる。
叔母は自分のこともあってか生体肝移植をすると
助かるというのを俺が伝えたときは心から喜んでいた。
手術が無事に終わったことを伝えると、
今朝の俺と同じくらい大きな溜息をついて「よかった・・・」と言った。
従兄弟のNにも連絡をした。
本当なら連絡を取るほどの仲ではなかったかもしれない。
でも5月のバーベキューで連絡先を交換してからは、頻繁に連絡をとって経過報告をしていた。
俺と一番年齢の近いNは、もしも妹の肝臓がうまく移植できなかったときは、
自分の肝臓を移植するつもりで、手術をしていた
昨日はいつでも病院に行けるように準備していたらしい。
「血液型が違うにいちゃんよりも、俺ががやったほうがええやろ?
俺血液型おばちゃんと一緒やし。」
ありがたかった。
昨年結婚して、2週間前に子供が生まれたばかりの
従兄弟が何のためらいもなく、そう思っていてくれたのは本当にありがたかった。
すでに妹は手術の翌日の夜にICUから高度治療室へ移されてた。
後日に聞いたが、実は妹の容態も手術直後はかなり危険だったらしい。
大量出血し、事前に用意してた自己貯血を使い果たしたような状態だったらしい。
妹は普通に会話ができた。
痛い?と聞くとまだ麻酔が効いてるからそうでもないと言っていた。
でも麻酔が完全に切れる明日からは地獄の痛みだと看護師さんに言われたと笑っていた。
母親のところへ行った。
ICUに入るときに、麻酔からは覚めているので声をかけてあげてくださいと言われた。
母親は目を瞑っていたが俺の「お母さん」という言葉にすぐに目を開けた。
まっすぐに俺の顔を見る。
ただ様子がおかしい。
俺の顔をじっと見ているのに、俺だと分かっていない。
ただ目を開けてじっと見ているだけ。
「分かるか?手術終わったんやで。頑張ったな」
声をかけても、何の反応も無い。
ただ俺の顔を見ているだけ。
母親の目には何の感情もなかった。
生まれてから今まで、母親からこんな目で見られたことはない。
かなりショックだった。
これがICU症候群か・・・
夢と現実の区別がつかないような状態になるICU症候群のことは知っていた。
64才の母親が15時間に及ぶ手術をしたんだから、
ICU症候群になるかもなぁって最初から思ってはいたが、
実際に母親がそうなるとやはりショックだった。
まぁ時間が解決するだろうと深く考えないことにした。
「また来るからな。もうゆっくり寝とき」と言うと静かに目を閉じた。
言葉はちゃんと通じているみたいだ。
時間差で父親も様子を見に行ったが、やはり同じような状態だったらしい。
妹が早く動けるようになればいいのにと思った。
妹なら母親の正気を早く取り戻せるかもしれない。
一目見て母親の様子が変わっていることに気がついた。
下唇が血だらけになってパンパンに腫れあがっていた。
どうも麻酔からしっかり覚めるにつれ、
ICU症候群のせいなのかベッドから逃げ出そうと暴れるようになったらしい。
体の管を抜こうとするので、抜けないように工夫をしたところ今度は自分の唇を噛みだしたという。
多分、現実を理解できない母親は怖くて仕方ないんだろう。
起こしていると可愛そうなので、しばらくは寝かせておくと言われた。
俺は母親の精神状態のことよりも、下唇の傷が気になった。
感染症は大丈夫なんだろうか?
まぁ素人の俺が心配するようなことは医師はとっくに手を打っているだろう。
何も言わなかった。
数日にわたって俺と父親と叔母が交代に様子を見に行った。
とにかく一日も早くコチラに戻ってくれるようにと声をかけ続けた。
妹も車椅子に乗ってICUに顔を出せるくらいに回復した。
ある日、俺と妹がいつものように声をかけていると、母親が涙を流した。
まだ意識がハッキリ戻っていない状態なので、
どういう涙なのかはわからないけど、俺と妹は直感で
「怖くて泣いているんだろうな・・・」と思った。
同じ手術を受けた人のブログやらを読んでいると、
一番つらかったのは手術後の2週間だったとみんな書いている。
今が正念場なんだろう。
がんばってくれとしか言えなかった。
他の人たちならもうとっくに意識を回復しているはず。早い人ならICUを出ている人もいる。
母親はまだだった。
とにかく意識を正常に戻すのが先決なので、
実家の猫の写真をICUの母親の目の届くところに貼ったり、
よく朝、道上洋三のラジオを聴いていたので、
枕元にラジオを置いてみたりいろんなことをした。
そのかいもあって、本当にゆっくりとではあるが母親の様子は良くなっていた。
母親の様子は朝と夕方と夜に自分の病室を出てICUへ
様子を見に行ってくれていた妹がLINEで教えてくれた。
ある日、父親の「早く元気になってまた温泉いこうな」という言葉で少し笑った。
医師も看護師も喜んだ。
確実に良くなっていた。
2週間がすぎたころ、腎臓が悪くなっていた。
一時的にそうなるのはよくあることだけど、問題は肺のほうだった。
なんらかの理由で肺に水がたまっている状態で、それが元で肺炎を起こしかけていた。
医師は、水びたしになった肺を放っておくことはできないので、すぐに処置をしたい、でも免疫の無い今の状態で体にメスを入れるのは感染症の危険もあり
非常に危険だが背に腹は変えられないといった意味のことを言った。
この頃は妹はほぼ回復していて、いつでも退院できる状態だったが、
母親がそんな状態では退院なんかできるわけもない。
病院もそれをわかっているので、妹はずっと入院したままだった。
「さっき先生に言われた。お母さん感染症にかかった。」
妹からLINEで送られてきた。
一言で感染症といっても色んなパターンがある。
軽度なものから重篤なものまで色々。
「先生はなんて?」
の質問にたった一言
「危険な状態」と返ってきた。
目一杯、感染症について調べた。
そういう性分なんだろうけど、
病院へ行く前にとにかく調べるだけ調べてできる限りの知識を詰め込んでおきたい。
病院で医師に今すぐどうこうではないけれど、
少しやっかいなことになった。みたいなことを言われた。
その日の夜、また妹からLINEがあった。
「先生が話しあるって。明日の朝お父さんと一緒に病院に来て。」
この日は眠れなかった。
怖くて怖くて仕方なかった。
一晩中Facebookに何か書き込んでいたと思う。
家族3人で担当医師のところへ行くと、カウンセリングルームへ通された。
その部屋には俺ら3人のほかに医師やコーディネーターさんなど7人くらいいた。
直感で良くないことなんだと思った。
良い知らせなら担当医師1人で充分だ。
悪い知らせだからこそ、フォローするためにこんなにたくさんの人がいるんだろう。
医師がゆっくり説明しだした。
腎臓も良くならないし、感染症のせいもあってか肺炎がどんどん悪くなっていっている。
ついには最後まで頑張ってた移植したばかりの肝臓もつられるように悪くなり始めた。
正直言ってここでこうして話している間にも心臓が止まってもおかしくない。と
3人とも何も言葉が出ない。
妹は医師の顔をじっと見ていた。
父親はずっと下をうつむいていた。
俺は「もう何もできることはないんですか?」ときいた。
「いえ、まだ試していない治療もあります。もちろん私らはあきらめてはいません。」
そういうと一呼吸おいてから
「ただ、、、さっきも言ったようにいつ心臓が止まってもおかしくない状態です。
だからもし、心臓が止まったとき、、、どうしますか?蘇生しますか?、、、
一度止まってしまうと、お母さんの場合は
内臓がボロボロなんで正直言ってそこから回復するのは厳しいです。」
医師は顔を上げている俺に向かってそう言った。
俺は父親のほうを見た。
父親は目を真っ赤にして、震える声で搾り出すように「できるとこ、、、まで、、、やってほしい、、、よな?」と俺に言った。
つまり心臓が止まっても蘇生して欲しいということだった。
俺も気持ちは一緒だった。
「蘇生してください」
俺がそう言うと、医師は妹のほうを見た。
妹は何も言わなかったが医師と目を合わせ頷いた。
俺は医師と妹のそのやり取りになにか違和感を感じた。
とにかくもし心臓が止まっても蘇生するということで落ち着いた。
部屋を出て、3人で妹の病室へ向かった。
フラフラになった父親に声をかけた
「お父さん、あのな。なんとなくやけど、
お母さんギリギリのとこまでいってもなんとか助かるような気がするわ。」
父親は
「・・・お前がそう言うなら、お母さん助かるかもな」
俺はなぐさめではなくて本気でそう思っていた。
その日の夜、20時頃に妹から連絡があった。
「お母さん、今晩が山場らしい。でも今日を乗り越えたら希望がもてるって。」
ちょうどそのとき、俺のマンションに父親が来ていた。
俺は父親には「山場」とは言わずに「明日になれば希望が持てるかも」とだけ伝えた。
明日の朝、一緒に病院へ行くことにして父親を帰した。
どうも落ち着かない。
今日のうちに病院に行かなくてもいいのだろうか?
妹に聞くと「先生にはお兄ちゃんとお父さんは明日の朝来るって伝えたけど、
今日来いとは言われなかったよ。」
何か胸騒ぎというかとにかく落ち着かなかった。
思い切って病院へ行くことにした。
駅へ向かう途中で父親に電話をして、
「今から行くけどお父さんは明日の朝に来たらええから」と伝えた。
もうすっかり暗くなった病院のロビーを抜けて、ICUへ向かう。
ちょうど部屋に入るときにすれ違った看護師に
「あ、お兄さん、お母さん頑張ってますから声をかけてあげてください」と言われた。
時計を見ると22時前だった。
病室では俺と母親の2人だけだけど、
病室のすぐ外では3人くらいの医師が母親の容態を映すモニターとにらめっこしている。
俺は母親のそばに座り、パンパンにむくれあがった母親の手を握り
「お母さん、きたで。もうちょっとやで頑張ろうな」と声をかけた。
部屋では呼吸器から聞こえるシューシューという音と、
たくさんある機械から規則的に鳴るピッピッという音だけしか聞こえなかった。
おそらく母親の血圧の数値が表示されているモニターをぼけーっと眺めていたとき、
急にその数値が0になったり200になったり乱高下しだした。
あれ?と思った瞬間、外にいた医師たちが病室に飛び込んできた。
おれは反射的に母親のそばを飛び退いて、病室の壁に張り付くようにした。
医師たちは大きな声で、なにか単語だけで会話していた。
母親の着ていたパジャマのボタンをすごい勢いで外した。
裸にされた母親の上半身を1人が少し浮かすように抱えあげる。
別の医師が、ベッドと母親の背中にできた隙間に鉄板の様なものを差し込んだ。
母親の上半身を戻し、鉄板の上に寝かせる。
1人の医師が母親の上に覆いかぶさるようにして、
両手の平を合わせて、母親の胸にあて、力いっぱい叩くようにして何度も押し始めた。
何度か胸を押すと、急にその動作を止めて医師たちはいっせいに時計を確認しだした。
また胸を押し始める。
またやめて時計とにらめっこをする。
分かってはいた。
今、母親の心臓が止まって、蘇生をしてるんだと分かってはいた。
でもなにか夢の中にいるような感じでボーっとその光景を見ていた。
心臓マッサージを何度か繰り返すと、全員がホッとしたような顔をして病室から出て行った。
「はい」とだけ答えた。
妹が上の階の病室から降りてきた。
「お母さん、さっき心臓止まった。。。」というと
妹は小さな声で「うん」と答えた。
父親に電話してすぐに病院に来るように伝えた。
叔母にも連絡をした。
俺と妹は医師に呼ばれた
「お兄さんは一部始終見てたから分かるでしょうけど、先ほど心停止しました。今朝お話したときに言われたように蘇生しました。もし次にまた止まっても蘇生しますか?」
俺は即答できなかった。
今朝、蘇生してくれと言ったことは間違っていなかった。
もし蘇生しないでくれと言っていたら、母親はさっきシんでいた。
父親も妹も死に目に会えなかった。
俺だけしかいなかった。
でもさっき心臓マッサージをされている母親を見てしまった今は、
強く今度も蘇生してほしいとは思えなくなっていた。
シんでほしくない。何が何でも死んで欲しくなんかないけど、
もう一度あんなことをするのかと思うとつらくて仕方なかった。
医師にはもうすぐ父親がくるので相談させてくれとだけ言った。
実は昨日の晩、妹は医師に同じことを聞かれていたらしい。
「もし心臓が止まったらどうしますか?」と。
妹は「蘇生しないでくれ」と言っていたらしい。
もうこれ以上しんどい目に合わせたくないから静かに逝かせてやってほしいと。
ただ、このことは自分だけじゃなく兄と父親にも聞いてくれと医師にお願いしていた。
そして、きっと兄と父は蘇生してくれと頼むと思うので、
そのときはどうかそのようにしてあげてほしい。と伝えていたそうだ。
今朝の医師と妹のアイコンタクトはこれだった。
俺と父親が、妹の言ったとおりにお願いしたので、それでお願いしますという合図だった。
妹は普段から母親と仲がいい。命を助けるために何のためらいもなく自分の肝臓まで提供した。
手術後も、可能な限り、自分の病室ではなく母親のいるICUでずっと様子を見てきた。
多分妹の判断が正しいのだろう。
父親が来た。
少し前に心停止したことを伝えた。
黙っていた。
次にまた止まったらどうする?の質問にはずっと黙って考えていたが、
小さな小さな声で「お前に任せる」とだけ言った。
俺は医師のところへ行った。
「次に止まってもまた蘇生してください」と伝えた。
もう蘇生しないほうがいいんだろう。
そんなことは充分に分かっていた。
でも俺には「蘇生しなくてもいいです」の一言は絶対に言えなかった。
母親にシんで欲しくなかった。
まだまだ話したいことがたくさんある。
親孝行なんてなにもしていない。
絶対に絶対に助かると信じてここまで頑張ってきた。
今まで膨らむだけ膨らんだ希望を自分でしぼませることはできなかった。
妹のところへ行き、つぎも蘇生をお願いしたことを伝え、謝った。
妹は「いいよ」と言ってくれた。
叔母が来た。
もうすでに泣きじゃくった顔で、部屋に入るなりベッドの母親に抱きつき「あんた、いかんといて〜」とすがった。
何時間か前に言われた、明日まで生きてれば希望が持てるということをふと思い出した。
それって今も有効ですか?
看護師さんに聞いた。
このままいけば朝まで生きている可能性は少ないけれど、逆に言えば朝までもてば悪くなるスピードが緩やかになっているということだから、朝まで頑張れば希望はあると思いますよ、と言ってくれた。
朝まで頑張れ。
ただでさえ、ほとんど寝ていない上に疲労もピークになっていたので、何度か席を外して寝るように言ったけど、15分もすればすぐに戻ってきた。
多分、朝まで話しかけ続ければ、アッチに行くに行けなくなって戻ってくると信じているんだろう。
朝まで持ちこたえれば何とかなる。
朝になればもう1人の叔母も来てくれる。
みんな必死だった。
「あの、もしかしてお母さんやお父さんの出身って○○県の○○島ですか?」
「うん、そうやけどなんで?」
「え〜!私その○○島の船着場の近くが実家なんです。さっきからお父さんが話してるのを聞いててもしかしてと思って。」
父親にそのことを伝えると母親のベッドを挟んで、その看護師さんと父親が盛り上がりだした。
まるで母親も一緒に3人で話しているように見えた。
その看護師さんは、俺ら家族が帰省したときに、必ず寄るうどん屋さんの娘さんだった。
父親は喜んでいた。、
母親に「おい聞いてたか!この看護師さん○○の娘さんやて!」と声をかけていた。
看護師さんもなにか嬉しそうだった。
俺はどうにも複雑だった。
すごい偶然だ。本当にこんなことってあるんだと思った。
でも一度止まった心臓を再び動かし、その間に父親や妹や叔母が勢揃いし、あげくに担当の看護師さんが同郷だなんて、そんなもの出来過ぎてると思った。
俺からすれば、今日この場で母親が死ぬフラグとしか思えなかった。
頑張った母親に神様がほんの少しのご褒美をくれたんだろうなとしか思えなかった。
このときに俺は「ああ、お母さん、死んでしまうんか・・・」と思った