率先してイジメてくれていた担任教師を帰宅中に待ち伏せして
ぶっ飛ばしてやった。ついでに土下座させて詫び状書かせた。
どんなイジメをされていたかは、リクエストがあったら書き込みます。
2ちゃんだから、そのつっこみはされると思いますた。
脳内じゃなくて本当の話なんだけどな。
だってイジメられかたがハンパじゃなかったんだもん。
じゃあ、なんでいじめられるようになったか、そのきっかけからよろすく。
書きまつ。ちょと長くなるかもしれないのですが、読んでやって下さい。
私のいた小学校は1,2年、3,4年、5,6年で担任が変わるのですが、
5,6年の時の担任からイジメを受けました。
私は別に目立つ方でもなく、成績も特に悪いわけでもなかったですし、
4年生まではクラスの連中ともそこそこ仲良くやっていました。
しかし5年生になり、クラスの班決めの時の事です。
突然担任が「お前は4.5班だ。一人でいろ」と私の机を教室の一番隅っこに
持ってゆき、私は担任の言うことに逆らえもせず、その日から一人ポツンと
授業やその他諸々の行事を行う事となりました。
担任が初日からそのような事をすれば、他の生徒も当然私に対する扱いも
同じようになってゆきます。
私を除いたクラスの生徒41人+担任の計42名対私という図式が出来上がりました。
一旦切ります。
続きです。
さて、このような図式が出来上がってからというもの、私の小学校生活は
筆舌し難いものとなりました。
42名のイジメは枚挙にいとまがないのですが、幾つか述べさせてもらいますと、
例えば給食の時。ある日給食ででたデザートのゼリーが一つ足りない事がありました。
小学校の給食は班ごとに机を寄せて、号令の元に一斉に食べ始めますよね。
私は班活動に入れてもらえなかったので、いつものように教室の隅で一人、号令を
待っておりました。するとその日の給食当番が担任に「ゼリーが一個足りない」と報告を
していました。普通であれば先ず担任が、「ゼリーが一個足りないけど、誰か余分に
持って行っていないか?」というような形で確認を取り、その後給食室に足りなかった旨を
報告して貰って来る、といった処理をすると思うのですが、私のいたクラスでは違いました。
先ず担任が「そういう事をするヤツは一人しかいないだろう」となり、次に「ゴゥルァ、>>1!!
チットこっち来い!!」と教室の前まで呼び出されました。
私が何の事か判らずにキョトンとしていると、担任はツカツカと歩み寄ってきて私の髪の毛を
鷲掴みにし振り回しながら「テメェだろ!?テメェが盗ったんだろうが!?アァ?」と大声で威圧。
そのまま有無を言わさず、10分位の間殴る蹴るの暴行を受けました。
暫くして担任は飽きたのか、「テメェ、かあちゃんがPTAだからって調子に乗るんじゃねぇぞ」
と捨て台詞を吐き、給食当番にはにこやかに「給食室から貰って来なさい」と指示を出し、
給食の時間が始まりました。
すいません、後一回で終わらせます。
殴られた私の顔は2.5倍位に腫れ上がり、痣だらけでした。
無論、自宅へ帰った時には両親から「何があったのか?」と小一時間問い詰められましたが、
親へ迷惑を掛けたくないと思っていたので、「遊んでいて階段から足を踏み外した」と答え、
両親が学校へ乗り込まないようにしておりました。
まぁ、こんなことが2年間、ほぼ毎日のように続いていたわけです。
何度も「死んでしまおう」と思いましたが、やはり両親が悲しむ事を考えると死ぬ勇気も
出ませんでした。
そんな私の唯一の心の拠り所は、10歳から習い始めた空手でした。
元々は「強くなりたい」という気持ちで始めたのですが、いつしか「復讐してやる」という
気持ちで毎日稽古に通っていました。
コケの一念というものは凄いもので、中学二年で初段を頂き、高校一年で2段に昇段し、
ついに心願成就の日が来たのです。
ごめんなさい。もう一回だけ書かせてください。
高校2年生のある日、学校からの帰り道に地元の駅で私に辛酸を舐めさせ続けてきた
その担任が帰宅しているのを目撃。私は後を着けてその担任の自宅のある駅まで行きました。
ヤツは埼玉の某市に住んでおり、当時そこはかなりの田舎で日が落ちると人通りも無く、
襲うにはもってこいの場所でした。
私はさりげなくヤツを追い抜き、正面を振り返ると顔を上げ、一言「その節はお世話に
なりました」とだけ告げ、顔面以外のあらゆる場所に打撃攻撃を与えました。
一通り復讐が済み、うずくまるヤツに対して「何故、当時私に対してあのような仕打ちを
したのか」と問うと、ヤツは余りにも稚拙な回答を寄越しました。それは・・・
「3,4年生時の担任から、オマエの母親がPTAをやっているから注意しろ、と報告があった。
オマエがつまらない事を母親に報告すると厄介だったから、絶対に逆らえないように
してやろうと思った。」というものでした。
私は悔しくて涙が出ました。そんな下らない理由で地獄の日々を送らされていたわけです。
故にその場で土下座をさせて、持っていた紙とペンで詫び状を書かせました。
以上が事の顛末です。長くなってしまい申し訳ありませんでした。
思い出すだけで涙が出てきてしまいます。
ちなみにその担任、私が留学している最中に肺ガンで死んだそうです。
帰国した時、母親から聞きました。
俺は月1回だったかな?の班決めドラフトの時
最後まで一人残る事が多かったなw
んで周りが俺に気使って、俺のみえないとこでジャンケンしてんのよ
そのうち俺も慣れてきて「早くしろおらっ」
「毎度のことなんだからくじ引き制にしろ」
ってな感じになってきたよ(w
よーは考え様なんだよ
そういう状況なら状況でそれを逆手に取ってプラスにもっていく
42対1なんてシチュエーションなかなかないんだから
それを楽しまなきゃ
もし、それでも駄目ならその時はその時で
考えりゃよかったじゃん
レス、ありがとう御座います。
そうですね。仰る通りだと思います。
しかし当時、私にそこまでの知恵が回らなかったと言う事と、
何より親を自分のゴタゴタに巻き込みたくなかったと言う事が
頭にあり、どうしても言い出せませんでした。
今でも夢に出てくる事があります。
復讐を果たしたものの、何をやるにも自信が無く、
人の目を気にしてビクビクしてしまう癖が着いてしまいました。
お休みの日はいいですけど、毎日会社に行くのが苦痛ですよ(w
職もなくなるし。
まだ悩んでるなら精神科行ってお薬もらえば楽になるよ。
精神科ではないですが、今でも催眠治療に通っています。
良くはなっていますが、異常にミスを恐れる所が治ってません。
治療前のカウンセリングの時、先生に「何故その当時にキチンと
親に相談しなかったのか?」と小一時間(ry
そうしていればここまで異常なミスに対する恐怖心はなかっただろうと
言われてしまいますた。( ´ロ`)
PTAをやってる母なんて複数人いるはず。
そうですよね。私にもよく理由がわかりません。
ただ、私の母親の友人(PTA仲間)が言っておりましたが、
小学3,4年の時の担任が私の母を大変嫌っていたそうです。
その担任からの申し送りがあったからではないでしょうか。
私のいた小学校の一般教師はPTAを敵視していたようです。
母は別段人に嫌われるような人間ではなく、寧ろ人付き合いも
良いですし、交友関係も広いほうです。
いずれにしても今となっては本当の理由は判りません。
真相を知っている当の本人は既にあの世へ逝っていますし。
地獄の底で苦しんでいることでしょう。ざまぁありません。
すごい粘着質な人だなぁ
普通は子供の頃の事って、その時はすごい辛いことでも
以外と忘れてしまったりするもんだけどね
何かのショックでトラウマになるというのとは違うし
やはりすごい執念深いとしか言いようがないな
そのエネルギーを他に使ってほしいな
そんなくだらない奴のこといつまでも考えて憎んでいるというは
すごい無駄なことのような気がしてならない
こういう人とは関わり合いになりたくないなぁ
何気なく言った一言でずっと恨まれて
20年くらいたってから いきなり刺される
(゚Д゚)ハァ? なんで? ってなことイヤだよー ・゚・(ノД`)・゚・。
「何気なく言った一言」どころのレベルではないと思うが。1の話は。
若干言い方に棘があるような気がしますが、
仰る事はいちいち尤もであると思います。
しかし、今もそうかと言ったらそんな事ないですよ。
私も一角の地位にもなりましたし、ちゃんと成長しました。
まぁ基本的にはやられた人間じゃないと、あの苦しみは
判らないって事で。
小5、6は本当に多感な時期ですから、
些細なことでも非常につらいはずですよ。
学校というのは閉鎖的空間ですし、
クラスメイトも教育委員会もあてにならないものですから。
1さんが復讐をしても過去が消えるわけではないとは思いますが、
このあとはその呪縛から逃れて楽しく暮らすことを、
一種の報復にしてみたらいかがでしょう。しかしつらかったね。
どうも(TдT) アリガトウ御座います。
今はケコーンしてますし、良い妻と
かわいい息子にも恵まれています。
ついでに賢いワンコもおりますよ(・∀・)
息子の為にも一日も早くその呪縛から逃れて、
模範となる父親になりたいと思いまつ。
連続カキコすまそ。
お幸せに。