今で言うと自閉症か何かだったのかな。ほとんどしゃべらなくて、唸り声のみ。すぐ癇癪を起こして噛みついてきた。
その噛みつきが容赦なくて、皮膚が破れて血が出てもさらに噛んでくる。
私は学級委員だったからその子のお世話係だった。
でも4年生ともなると男女の体力差が出てくるし、暴れ始めたら抑えるのなんて不可能だった。
要するに私が生贄になって噛まれたり叩かれたりし、その間に先生が授業を進めていた。
その子がなぜ普通学級にいたのかは知らない。
たぶん校長の方針か何かだったんだろうと思う。
その校長が赴任してくるまでは特殊学級が校内に存在していたのに、急に廃止同然になったから。
「S君は(私)さんになついていて信頼してるから」
「(私)さんを人間的に成長させる機会ですよ」と言ってお世話係を外してくれなかった。
結局親と先生と話し合って「学級委員でいる間だけは我慢する」ということになった。
学級委員は学期ごとに選挙で決める制度だった。
でも代わりにお世話係したい人なんているわけもなく、先生も私に押しつけていれば楽だったので
担任が「(私)さんでいいか?いいなら挙手」→私と親友数人以外全員挙手
という感じで三学期までやらされた。
そして卒業式が間近になった。
私はいつもの通り「式の間ずっとS君をおとなしくさせておくように」と命じられた。
無理だということはわかっていた。
S君は大柄で、三学期には体力の差は歴然としており、S君は私をなめきっていた。
S君はなぜか私の左腕にばかり噛みついてきたので左腕はボロボロだった。
式の間中おとなしくさせておくには私の左腕をずーっと噛ませておくしかなかった。
私は予行演習の時点で何かがブツっと切れて、もうこれ以上我慢はできないと思った。
親とは「学級委員でいる間だけは我慢する」と約束していたから、親のところへ逃げたら叱られると思っていた。
実際は叱られるどころか、親に謝られたけど。
祖母に泣く泣く今までのことを訴えたら、事態があれよあれよと動いて
私は卒業式に出なくていいことになった。
それどころか5年に進級するまで休んでいいことになった。
私は知らなかったが死んだ祖父は県政に関わっていた人らしく、祖母は議員の知人がたくさんいたようだ。
どう抗議したのか、数日後に校長から祖母に謝罪の電話がかかってきた。
私はS君とS君親の急襲を避けるため、祖母の家にいた。
祖母は校長に
「子供からの訴えには取り合わず、偉い議員から叱られたら掌を返して謝罪ですか。
恥を知りなさい。何のために教育者になったのか。あなたの教育者としての志をお聞かせ願いたい」
といった内容の言葉を返していた。
ハンズフリーじゃなかったので校長の声は聞こえなかった。
でも祖母が「何を泣いているんです!気持ちが悪い!」と大声を出したので
うわあ、校長泣いてるんだ…と驚いたし引いた。
校長はもちろんいい年齢の、堂々とした校長らしい容貌の人で、泣くなんて想像もできなかった。
でも母と祖母が話してるのをその後立ち聞きしたら、
啜り泣きどころか子供みたいにしゃくりあげちゃって話にならなかったらしい。
今思うと色々アレだけど、当時は「校長が祖母に泣かされた」というのが一番衝撃だった。
496 :名無しさん@おーぷん 2017/08/16(水)11:26:12 ID:btJ
こんなクズどもにあなたの1年を滅茶苦茶にされたって他人事ながら怒りを感じるよ。
強い立場の人が身内にいて良かったね。