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:名も無き被検体774号+@\(^o^)/2014/09/14(日) 00:51:31.88 ID:s8S6PYXy0.net母親の血液を検査する。
その検査の結果次第で容態がどうなっているのかがハッキリ分かる。
さっきの同郷の看護師さんが、独り言のように「良くなってるといいですね〜」と言いながら血液を持って外に出た。
医師の顔は明らかに沈んでいた。
それは俺だけじゃなく父親も妹も気がついていたと思う。
父親は今まで以上に大きな声で母親に声をかけだした。医師に悪い知らせを言わせまいとしているようだった。
医師はつらそうに。ゆっくり話し始めた。
「え〜と、今は呼吸もあるし落ち着いた状態ですけど、
先ほど分かったんですが、昨晩に心臓が止まったときから
脳がシんでしまっている状態です。今はいわゆる脳シの状態です。」
誰も何も言わなかった。
看護師もショックを受けている。
医師が続ける。
「だからもし次に心臓が止まっても蘇生は意味がありませんので、、、」
まで言うと医師は俺の顔を見た。
俺が蘇生はやめてくださいって言うのを待っているんだろう。
俺は父親や妹ではなく、母親に向かって大声で声をかけた。
「お母さんごめんな!がんばったけどあかんかったわ。。。もし次に心臓止まってしもたら、もう、、、」まで言って俺は泣き崩れてしまった。
妹と叔母も泣いていた。
父親は母親の顔を見ながら
「そんな、、、そんなアホなことあるか、、、そんなことあるか、、、」と繰り返していた。
医師はさらに
「今から何分か何時間か、いつまでもつか分かりません。
でも脳シといってもお母さんはきっと声は聞こえてますよ。一杯話しかけてあげてください。」
ふと看護師さんをみると彼女の目も真っ赤になっていた。
医師と看護師は出て行った。
病室には家族だけになった。
父親はまた母親に話しかけだした。
さっきまでの大きな声ではなく、
小さな声で母親の耳元でありがとうありがとうとずっと言っていた。
俺も妹も叔母もたくさん声をかけた。
しばらくしてもう1人の叔母が旦那さんと一緒に病室に来た。
脳死であることをもう伝えていたので、
叔母は病室に入るなり「ねぇ〜〜!(姉)」といって母親に抱きついた。
それにしても今朝の脳死宣告以降、
看護師さんは来てくれるが医師は誰一人として病室に来なくなった。
俺らのいるICUの向かいにまったく同じタイプICUがある。
どうもさっきから人の出入りが激しい。
聞けば母親と同じ生体肝移植を、昨晩終えた方が入ったようだ。
たくさんの医師のほかにも家族らしい人もいる。
笑っていた。
うらやましかった。
少し落ち着いた俺は、コーディネーターさんのところへ行き、
なくなったあとはどうすればいいのか?葬儀屋さんとかは手配してくれるのかを聞いた。
すべて手配してくれると言う。
脳死宣告以降、病室では不思議と誰も泣かず、母親との最後の時間を大事に過ごした。
みんなが色んなことを穏やかに母親に話しかけ、
お礼を言い、ゆっくりとした時間が流れていった。
あれは今思っても魔法の時間だったと思う。
7月20日14時59分。
母親は旦那に手を握られ、息子や娘や妹に囲まれて、ゆっくりと天国へ旅立った。
叔母と看護師が妹の身体を支えるけど、まともに立っていられない状態。
父親も椅子から崩れ落ちて泣いている。
そういう姿を見てると、当たり前のように俺がしっかりしないとって強く思うようになった。
俺が頑張らないと!
俺がしっかりしないと!
これが大間違いだった。
2人の医師が言うには、感染症の原因になった菌が特定できていない。
唇を噛んだときに傷口から入ったのか、なにか器具から入ったのか、
それとも元々身体の中にいた菌が繁殖してしまったのか。
原因を追求するために解剖させてくれないかという。
こうして文章で書くと冷たい申し出のように感じるけど、
実際は俺ら家族や母親のことを充分に気遣ってくれた上での申し出だった。
今後の為になるのなら解剖してもかまわない。
でも俺の意思では決められない。
ガラスの向こうの処置室では、まだ母親の身体にしがみついている妹の姿が見える。
俺が妹の姿を見ると、2人の医師は
「ですよね。妹さんがなんて言うかですよね。」と俺の気持ちを汲んでくれた。
妹のところへ行き、解剖のことを話した。
「また、お母さん痛い思いせなあかんの?お母さん手術とか嫌いやんか。もうやめてあげようや。」
もう立派におばさんの年齢の妹が、小学生の女の子のように感じた。
医師は妹の気持ちを尊重してくれた。
妹が母親に化粧をしてあげたいと言い出した。
体につながっているたくさんの管を抜いたりする処置もある。
主治医は化粧も含めてそれらの作業を、妹も一緒にさせてくれると言ってくれた。
ありがとう
>>72
それが全部で3000円くらい
元々の肝硬変が難病指定されてるからね
その3000円っていうのは手術前にした虫歯の治療代
虫歯の菌でも命取りになるから
パジャマのままで病院を出るのは気の毒すぎる。
病院が手配してくれていた葬儀屋と軽く打ち合わせをして、俺だけすぐに病院を出た。
外は雨が降っていた。
駅まで雨に濡れて歩いた。
このときの精神状態は今思ってもどうだったか思い出せない。
でもとにかく「俺が俺が」って、気負っていたと思う。
家に着いて必要なものを用意し、猫にゴハンをあげた。
2匹の猫は丸1日放っておかれてたのもあって、さみしそうに甘えてきた。
「お母さん、もう帰ってこーへんよ」
そう言った瞬間、涙が溢れてきた。
本当はこのときに大泣きしていれば良かった。
でも、泣いたらあかん!俺がしっかりせんと。って気持ちが強くて我慢した。
家の外へ出たときに、隣に住むおばさんと会った。
「さきほど母が亡くなりました」
おばさんは「ええっ??」と驚いていた。
そういえば母親はごく近い身内にしか手術のことを話していない。
近所の人や友達には入院していることすら言っていなかった。
おばさんからしたら寝耳に水だろう。
ICUの処置室の入り口に妹がいた。
俺の顔を見るなり
「お兄ちゃん!見て!お母さん綺麗になったよ!」と言ってきた。
妹は笑顔だった。
奥に進むと処置台の上に綺麗に化粧をした母親が寝ていた。
綺麗な母親の死に顔を見た瞬間、俺の中の何かが、音をたてて切れた。
本当にプチンと音が鳴った気がした。
全身の力が全部抜け、立っていられなくなりその場で座り込んで号泣した。
我慢していたものが全部崩れた。
これまであったこと、この数ヶ月頑張ってきたこと、なによりも本当に過多すぎるくらいの愛情いっぱいでこれまで俺を育ててくれたこと、なにもかもが全部が頭の中で粉々になった。
まったく立てなくなった。腰が抜けたってああいうことを言うんだろう。
自分でも驚いたけど、とにかくその瞬間からなにもできなくなった。
葬儀屋との打ち合わせがあったけど、もう俺にはできなくなった。
あれだけ頑張ろうと思っていたのに、何もできなくなった。
そのときに自分の感情をコントロールできなくなってることに気がついた。
無理して感情を抑えていたせいだろう。
もう大声で泣くことしかできなかった。
結局打ち合わせは叔母がやってくれた。
母親は、頭の先からつま先まで真っ白い布で覆われていた。
昔、雑誌でミイラを作る過程とやらの写真があんなだったような気がする。
横で父親が小さな声で
「あんななってしもて・・・・」とつぶやいた
病院の地下の駐車場で葬儀屋の用意した車に乗るときに、お世話になった看護師さんや医師たちが20人くらいが見送ってくれた。
顔見知りになった看護師さんも何人かいる。
みんな泣いてくれていた。
これも母親の人柄だろう。
みんなの涙がありがたかった。
主治医の女の先生が妹のそばにいた。
そういえば脳死が告げられたあと、俺は主治医に聞いた。
「お母さん頑張りましたよね?」
主治医は顔色を変えずに、こちらも見ないで黙って頷いただけだった。
そのときは少し冷たいような気がした。
その主治医が妹の両肩を掴んで、すがりつくようにしていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」とボロボロと泣きながら土下座をするような勢いで謝っていた。
男性の医師が抱えるようにして起こした。
謝ることなんて何もない。精一杯やってくれた。
俺はすぐにそこへ行って、むしろお礼を言いたかった。
でもやっぱり体は動かなかった。
妹が「ここに入院したことも、手術をしたことも、何もかも後悔なんてしてませんよ」と笑って医師に言った。
主治医が「うわぁ」と泣き崩れた。
俺は医師がそんなんじゃ体も気持ちも持たんやろうに。。。と覚めたことを考えながらも、その医師の姿を見たときに心の底からありがとうと言いたかった。
あれだけ楽しみにしてたマンション。
仮通夜は俺のマンションでしてあげよう。家族全員の意見が一致した。
なにかと忙しかった。
親戚をはじめ母親の友達やらに連絡を取らなければいけない。
俺は変わらず何もできなかったので、妹と叔母がほとんどやってくれた。
母親のたいていの交友関係は父親や妹が把握してる。
もちろん、みんなに連絡した。
ただ、1人だけ、家族3人も叔母も知らない女性の名前が携帯に残されていて、電話をする前にこれは誰だろうかってみんなで調べた。
すると母親が入院してる間に届いてた手紙があって、その差出人がその方の名前がその方だった。
いかにも昔の方って感じの丁寧な字で、なんというかすごく心のこもった美しい文章で母親の病状を心配する内容で、俺や妹の身体まで気遣ってくれてた。
妹がその人に電話した。
母が亡くなりましたって。
予想通りの高齢の女性で、電話の向こうで大号泣して、かなりショックを受けてたらしい。
自分の体調のこともあって、もしかしたら通夜や葬儀には行けないかもしれない。
だからどうしても今、顔がみたいから、見に行かせてくれと。
母親は俺のマンションでゆっくりしてもらっている。
もちろんごく近い身内しかいない。
妹から俺に電話を変わったが、なにをどうしたって断れるような雰囲気じゃなかった。
鬼気迫るような感じで、どうしても会わせてくれって。
結局断りきれずに来ていただいた。
その方は85歳くらいで、肝臓も長年患ってて、つい先月心臓の手術をうけたばっかりで。
部屋に入って母親の顔を見た瞬間に、もうすごく泣き崩れてしまった。
話を聞くと、どうも西宮の病院に通院してるときに知り合った方らしく、母親との付き合いはもう20年にもなるらしい。
20年前というと母親が原発性胆汁性肝硬変って診断された時期。
叔母の話では、母親は当時すごいショックを受けてたらしい。
その頃にたまたま病院で知り合ったこの方をすごく頼って今まで色々相談していたようだ。
俺や妹のことをすごくよく知っていた。
母親は病気の悩みだけじゃなく、身内に言えないようなことまで、色んなことすべてこの人に話してた。
家族には心配をかけたくないからだろう。
母親の不安はすべてこの人が受けとめてくれていた。
実際、俺ら家族は本人がしんどいだと痛いだと言ってるのを聞いた事がない。
反対に、その方は独り身やったんで、母親のほうもその方の悩み事を色々聞いてあげてたみたい。
変わり果てた母親の顔を撫でながら、「あなたは私の支えやったのに。」ってずっと泣いてた。
妹の身体をすごく心配してて、1時間くらい妹と話ししたあとに母親に向かって
「Hさん、あなたの娘さんと私は今?がりましたよ。あなたが繋いでくれた縁は大事にしますからね」って。
帰るときに俺に、「お母さんがなくなったことはすごく悲しい事ですけど、
残ってる方たちのほうが大事なんですよ。
それを忘れずにお父様と妹さんをしっかり守ってあげてくださいね」って。
ありがたい言葉だった。
母親と一緒に過ごす最後の夜。
俺はドナーになる気マンマンだったけど、最終的には妹がドナーになった。
だから、もし将来自分の体がどうにかなったときに、
ぜひ必要としている方へ提供しようと思って登録していた。
俺みたいなだめ人間でも役に立てるかもしれない。
世間にはドナーになる人が見つからずになくなる方々がたくさんいる。
その人やその家族に喜んでもらえるなら、
臓器でもなんでも持って行ってくれと心の底から思っていた。
しかし母が脳死になり、息を引き取るまでの数時間、魔法の時間と言ってもいいくらいの穏やかで充実した時間を経験した今では、ドナーカードを持つ勇気はなくなった。
考えて考えて考え抜いた結果、ドナーカードを持つのはやっぱりやめようと。
こればかりは正しい答えなんてないし、もしかするとこの先に考えがまた変わるかもしれない。
でも今はやっぱりドナーカードを持つことはできない。
母の最期は、人間としては最高に幸せな最後だった。
旦那に手を握られて、息子や娘、妹夫婦に囲まれて静かに逝った。
そんな幸せな最後を迎えることができる人間がどれだけいるだろう。
それを思って、いつも「お母さん、良かったなぁ・・・」と心の中で声をかけてる。
読んでくれてありがとう。
なにか質問あれば答える。つーてもないだろうけど
まだ近い身内に不幸があったことがないから、
自分にはどれぐらいの重さなのかわからないけど、>>1は流石だと思う
これからも長生きしてください
ありがとう
親孝行、出来る時にしなきゃな
今でこそ多少落ち着いたけど、2年前は尋常じゃないほど後悔したわ
本当にな〜んにも親孝行してなかったからなぁ
夕方開けたばかりのティッシュが半分以上無くなったよ。。
ありがとう。そういってもらえると嬉しい
1日に親と一緒にいる時間を11時間と計算。
親が60歳から80歳まで生きるとします。すると、
親の残された寿命(20年)× 1年に合う日数(6日間) ×1日に一緒にいる時間(11時間)
=1320時間。 日数にすると55日。
今となってはそういうのもズッシリ心に響くんだけど、
親が元気だとたいていそういう事に気がつかないよな。
孝行したいときに親はなしって本当によく言ったもんだわ
うん、独身。
この当時は彼女いたんだけど、
母親がいなくなった悲しみがあまりに大きすぎて、気を回してあげれなかった。
いいおっさんなのに本当にダメ人間なんだ。俺は
いや俺はこのスレを見て>>1が駄目な人間とはこれっぽっちも思わないぞ
親が大変な時に彼女にまで気を回せる奴なんて滅多にいてないやろ
十分よく頑張ったと思うよ
明るく生きて天国のかーちゃん安心させてやろうぜ!!
自分の母親も怪我病気一つしたこと無かったのに急に。
後悔しかしてないし今でも夢に出て来たらいっつも泣きながら謝ってる
本当にな。
まさか自分の親が死ぬなんて夢にも思わないもんな。
普通に考えれば、ほぼ確実に自分よりも先に死ぬのにそのことを想像もできなかったわ。
俺も今だに夢によく見る。
決まってICUで元気になる夢。
で、起きてから泣く。
自分の場合は学生で、実家離れて1人暮らししてたらクモ膜下で倒れたって連絡が親父から来てどうにか高速バスで帰って病院駆け込んだら、呼吸器つせて脳死状態だった。
ドラマみたいに頭が真っ白になるって本当にあるんだな。
初めは目の前の状況が理解できなかった。
でもいつとニコニコして優しい叔母さんが泣き疲れた顔でよく帰ってきた、、
って言われてようやく把握して崩れ落ちた
なんか涙が止まりませんでした
お母さんも妹さんも主さんも皆さんで見送ってあげられてよかった、、、
助かる、、、ってずーっと読んでで思ってました
主さんもその家族のみなさんも元気でやってますか?
皆さんの元気をお母さんも願ってると思いました。
これからも元気でやっていってください!
主さんは最後にいっぱい親孝行したと思います。
自分が同じ立場になったら、迷わず肝臓を差し出せるか自信がない…