前記事⇨サイト『誰か悩んでいる人がいたら、メールしませんか?』私(少し相談してみようかな…)→まさかの事態に…【1/6】
ここまでで既に洗脳されてるってことかな?
1が余りの困惑のせいか、既にまく吉に依存していたせいなのか、そこで振れなかったのは痛手だろうね。
ただ、信じなかったら自分はしぬとか年が離れた子に結構好きに言ったりとか、なんかメンヘラな気がしてならん。
多分、クズ吉の一方的な言い訳で自分が悪かったって思う辺りでもう洗脳されてるんじゃない?もう自分で事の善し悪し決めてないし。
周りから責められ、頼れるのはクズ吉だけだった海外旅行も要因の一つとして。
帰宅したので今日も少しずつ書いて載せていこうと思います
起きたらたくさんレスついてて嬉しかったです
洗脳に関しては、この後更に色濃くなっていきます
重く暗い描写が増えていきますが、それでも良い方、読んでいただけたら感謝です
こんなに読んでくださってる方がいてくれたと思ったら、嬉しかったです
>>129>>132
そうですね、全ての決断の背後に、まく吉が存在するようになっていたので、ある意味この時点でも洗脳されつつあったと言えるかもしれません
文には載りませんでしたが、シューキョーの教えによって、こうすべき、と方向付けされることも多々ありました
お察しのとおり・・・な出来事がこれから増えていきます
まく吉は今頃・・・分かる範囲で、最後に近況も話したいと思います
彼は、ほとんど仕事に行かなくなっていた。
そして、貯金が全くなく、生活費のために借金をする有様だった。
当時、
「自分の家族(母と妹)を養うために、お金が必要だったから、貯金は出来なかった。今も、生活していくためには私が借金をしなければならない」と聞かされていた。
実際のところ、まく吉はよい給料を貰っていたし、貯金できないというのはおかしな話だった。
浪費三昧の贅沢な生活をしていたのは間違いないのだけれど、まだ社会経験のなかった私には検討がつかなかった。
「家賃の安いアパートに引っ越したらどうかな?」
「出費を抑えることはできないのかな?」
そんな、家庭に突っ込んだ提案をすることはあった。
だけど、
「母に月これだけ渡さないといけないから無理だ、母は高齢だしお金もかかる」
そう返されては、私にはどうすることもできなかった。
「実は、今すでに100万程借りているんだ・・・」
そんな事実を吐露しはじめたまく吉に、私は焦りを感じていた。
当時借金というと、私の中のイメージでは、CMにあるような悪徳金融会社しか思い描くことが出来ず、早く返済しないと、金額が膨れ上がるのでは・・・と思った。
そうこぼす彼を、私は学生ながらに、支えたいと思った。
そうしてアルバイトを始めて、月に1、2万円ずつだが渡すようになった。
彼は、「悪いよ・・・でも助かる。ありがとう」そう言って受け取っていた。
まく吉はしょっちゅう、ジサツ未遂をほのめかすようになっていた。
明け方も。授業中にも。夜寝る前にも。
私がメールに気づけなかったり、電話に出られないときがあると、
何十通という勢いでメールが来ていた。
「ねえ、電話に出てよ」
「早く来てくれないと死んじゃうよ」
「私が死んでもいいの?早く来てよ」
「今、枕元に首吊り用の縄を用意してるよ」
私のせいで彼が死んじゃうの?怖いよ・・・いつしかそんな意識が埋め込まれていた。
慌てて電車に乗ると、彼の家まで駆けつける。
着いたら、まく吉をなだめすかして、眠るまでそばにいて、帰宅する。
そんな日々を送っていた。
「授業中、メールに気づかなくたって仕方ないじゃない・・・そんなに言われても、どうしようもできないよ・・・」
とため息をつく時も多かった。
また、私は想像力や感受性が豊かなほうだったので
(影響を受けやすいおばかさんとも言う)、彼が首吊り用の縄を使って死んでいるシーンなどが脳裏に浮かんでは恐怖におびえていたのだった。
にしてもこの男、さりげなくモテてるよな
許せない
そんなこと、誰にも相談できなかった。
親しかった地元の友達とも、連絡を取ることが少なくなっていた。
短大で新しく出来た友人には、そんな重い話をして引かれるのが怖かった。
両親は、兄の問題にかかりきりだったし、事情を話したら連れ戻されると思い、言えなかった。
進学に当たって、「何かあったら、連れ戻すからな!」そう言われていたから余計に。
電話を切った後、携帯をふすまに投げつけて、嗚咽して泣いたこともあった。
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、「助けて・・・誰か・・・」そう嘆かずにはいられなかった。
だけど、私にはどうしたらいいのか、分からなかった。
孤独感に押しつぶされそうだった。
顔も知らない相手に話を聞いてもらう時間が、安らぎになっていた。
彼は、日曜日に、彼自身が立ち上げたシューキョーサークルに私が来ることも強要した。
私がバイトなどを理由にして拒むと、「夕子来ないの?じゃあ私も行かない。いいんだね?リーダーの私が行かなかったら、みんな困るけど」
そういわれて、仕方なく行っていた。
堂々とした態度に、説得力のある話し方、サークルメンバーの相談にも根気良く乗っていた。
みんなが彼を慕い、信頼していた。私は冷めた目でそれを見ていた。
彼の仮面をかぶった上面な話なんて、退屈だったしあくびもした。
「夕子さんは、サークルに来てもやる気が見られないし、きちんと話を聞いてないですよね。どうも幼すぎると思います。
もうちょっと態度を改めるべきじゃないかと思うので、まく吉さんから注意してもらえませんか」
私が幼い?どっちが?
サークルに私が行かないと行けないっていうから、辛くても行ってるのに・・・
悲しいやら腹立たしいやらで、気持ちの整理がつかなかった。
レスくださったみなさま、ありがとです
まく吉の精神は子供だな
お疲れ様
ありがとです!!
ミロでも飲んでちょっとまったりします~
しかもターゲット以外には普通に接するハイブリッドw
待てよ…それは全て演技で、実は心理学の著名人とやらとグルになって何か実験してるとか…!
昔から好きなんですよね
子供の頃よく飲みました
>>175
それわかります~
素朴な味わいがいいですよね
メンヘラですね、確かこの頃は心療内科も通い始めていたと思いますが、
神の力で治癒するからなんとか~と言って、薬をまともに飲んでいませんでしたね
実験は・・・ないと思われますw
休憩小話でほっこりしました
私もほっこりしましたw
それでは続きを載せたいと思います
また重い話になりますがすみません
住んでいたアパートは築50年の古い建物で、虫が寄り付いていたので、ある日、部屋でバルサンを炊いた。
その翌日、部屋の中央に、一匹だけ、仰向けになって死んでいる例の虫を見て、最初はただただ不気味だった。
なぜ真ん中にぽつんと亡骸があるのかな?
例の虫は苦しみながらも殺虫剤のついてない床へとたどり着き、結局死んだのだった。
「これは私じゃないかな・・・」
そんな風に、ふと思ったりもした。
後押ししてくれたのは、ネットで相談を聞いてくれたタケさんという人だった。
「その彼はおかしいよ。別れた方がいい」
再三言われて、私もなんとか今の状況から脱出したいと決意した。
「私と夕子はすでに一つだからね。私は夕子だけを一生愛し続けるからね」と。
なんと言われても、私も限界に達していたので、無理やり距離を置くことにした。
ただジサツだけは避けたかったので、電話もメールも返さなかったけれど、拒否はしなかった。
そんな風に、ふと思ったりもした。
それが、本当に不思議なんですけど、バルサンを炊くと、例の虫って仰向けになって死ぬんですよね
死ぬと虫って仰向けになるのかな?
私は生物学はよく知らないですけど、本当に不気味でした。
その間、私も久しぶりに学校の友人と気兼ねなく遊んだり、飲み会に参加したりした。
だけど、表面上の付き合いという感じが強くて、なかなか心を打ち解けることができなかった。
好意を寄せてくれる男の子もいたけれど、「若い男は下心しか持ってないから近づいてはいけない」
シューキョー的にそう教えられていた私は、デートに誘われても、どうしても一歩踏み出すことができなかった。
まく吉とは、そういう関係は持っていなかったから。
「頼むから復縁してほしい、夕子がいないとだめなんだよ。私が一生愛するのは夕子だけなんだから」と懇願された。
情が動いたけれど、その時は断って門前払いをした。
彼は、「別れても、私の気持ちは一生変わらない、一生愛し続けてるからね」と言って去っていった。
その言葉は何気にそのとおりだなw
バラの花束とかないわー
俺は死んだGを見たのは一回しか無いけど、そんときは生きてんのか死んでんのか分かんないうつ伏せだったな。
もしかしたら天井から落ちたのかもよ? だいたい何とかコロリンとかを毒と見抜けずに食べるじゃん。
まあバルサンの恩恵を知らない俺には何とも言えんけど、ちょっと興味湧いた。
気になったのでちょっと調べてみました
雑学辞典から。
ゴキブリを殺虫剤でかけると、必ずといっていいほど仰向けでご臨終を迎える。キブリだけでなく6本脚の昆虫、ハエやセミの死骸はみんな仰向けになり、空に向かって死んでいる。
なぜでしょうか。
これは昆虫のもつ三対六本の足に理由がある。つまり、ゴキブリの脚はすべて内側に向かって、折り畳まれるようになっているので、脚の先が内側を向いていると、立っていることが不可能だ。
うつ伏せではバランスがとれなくなり、このためいやでもひっくり返って、天を仰ぐ姿勢になってしまう。
そうすると当然ながら、横向きに倒れる。でも、ゴキブリは平べったいので、横のままでいられず、仰向けになってしまうのだ。
自然環境では、ゴキブリのような甲虫は背中が下になる方が安定しているため、一度ひっくり返ると元に戻る力が働かないということもあります。
また死後硬直で足が固まり、コロンとひっくり返るという説明もできると思います。
だそうです
しかし勉強になた
続きよろ
その後、しばらくして他の男性から告白された。
それは、ネットで知り合い、まく吉の話を聞いてもらっていた、タケさんだった。
私は悩んでいた。
友達経由で知り合った人たちとは違って、彼には私の事情を理解してもらっている。
他の男性と付き合うのが怖くなっていた私だったけれど、この人なら、と揺れていた。
そんな頃に、まく吉からの電話が鳴った。
なんというか、その頃の私はすでに依存症になっていたかもしれませんね
別れたのはいいものの、一人が耐えられなかったというか
情けない話です
「私達は、2年前、神の前で互いに一生愛し合うと誓ったよね?それを反故にするの?それはつまり、神を裏切ることになるけど、それでもいいの?」
神を裏切る・・・すでにシューキョーに染まりきった私にとって、それは重罪行為に感じた。
返事にとまどった私に、まく吉はこう続けた。
「夕子、正座して聞きなさい。今、神がこう仰せられています。
夕子よ、あなたは、私との誓いを破るのか。私との誓いを破ることを、私は許そう。
しかし、それによってあなたの人生が荒んだものとなるのは承知しなさい。
もう一度聞くが、あなたは私の誓いを裏切るのか?」
私は、その言葉に口をつぐんだ。とても重みのある言葉に感じた。
そうして、結局私は、裏切ると言うことが出来なかった。
私は、まく吉の下に戻っていった。
「元彼とよりを戻すことになりました。やはり付き合えません、ごめんなさい」と伝えた。
するとタケさんは、
「そっか・・・。ごめん、辛すぎる・・・。俺・・死ぬかもしれない」と言い出したものだから、私は仰天した。
神のお告げとかワロエナイ
なんで夕子の周りは死にたがりばっかなんだ
「とにかく会ってほしい、今一人でいたら、おかしくなりそうだ」というタケさんと会うことにした。
そうこうして、慌てて出かける準備をしている真っ只中に、まく吉から電話があり、「今どこにいるの?」と言われたので、
パニック状態に陥っていた私は、「今、ある男性のところへ向かっているの」とつい口を滑らせてしまった。
まく吉は発狂した。
私はますます混乱した。
まく吉の母からも、「あんたが来ないとうちのまく吉が死んじゃう。あんたのせいよ!早く来なさい!」と言われた。
あの時のことを、世間的には修羅場と呼ぶのかな?
体が2つもない私は相当焦った。私のせいで、人が死ぬかもしれない、
そう思うと胸が痛くて倒れそうだった。
自分を持ってないというか…育った環境のせいでこんな面倒に巻き込まれる不遇
理由に納得はしていなかったもの、話し合いの結果、タケさんは落ち着いた様子で、
「わかったよ、なんか来てもらっちゃってごめんね。彼氏が心配だろうから、帰りなよ」そう言ってくれた。
ちなみにまく吉は薬を吐き出して、事なきを得たようだった。
彼の母には恨み言を言われたけれど。
主体性のなさ、というのは本当に今ひしひしと感じています
自分で責任を持って行動することから、ずっと逃げてきたのかもしれませんね
>>221
まく吉のお母さんも、心療内科に通っていました
彼はサークル内の女性とまたも親密な関係になっていた。
その女性(ユミさんとする)に頼まれて、ユミさんの部屋に行って一晩泊まったと聞いたり、彼女が手を握ってきた、など。
彼の話はいつも、「相手の女性が誘ってきた」という口ぶりだった。
当時の私は、それでも彼を信じていたので空恐ろしい。
ただ、性的な面では、彼は潔癖だったので安心していた。
自分では、ほとんど自覚はなかったけれど。
気づけば、また季節は巡り、卒業まで半年の時期になっていた。
私は、そんなまく吉の束縛に対しても、ずいぶん慣れてしまっていた。
異常という感覚が麻痺していたのだろう。
いわゆるそれに近い状態だったみたいです
更に、クスリ投与の関係で、まったくだったみたいです
シューキョーやってる教祖とか喰いまくりなんだろうな
精神病自体があまり知られてなかったので、特に反対されたり意見を言われることはなかった。
何より、自分が、幸せだと信じたかったのかもしれない。
ある日、シューキョーサークルからの帰ると、まく吉から電話があった。
「今日、帰り道に、何考えてた?」
私は、これからの将来どうなるのかな・・・という思いに耽っていたところだった。
私が行こうと思っていた専門学校は海外の学校だったため、9月から新学期が始まる予定だった。
「そうか、将来のことを考えていたんだね。結婚のことは考えなかった?」
「うーん・・、まく吉の年齢を考えたら、先に結婚してから専門学校に行く準備をしたほうがいいかな・・・とも思ったよ」
まく吉は意味深な雰囲気で間を取ると、こう言った。
「実は今日、私達は卒業後結婚すべきだってお告げが来たんだ。夕子にも同じ思いが与えられたみたいだね」
「え、そうなのかな?でも、そんなことあるのかな?」
「これは間違いなく啓示だよ。私には分かる。夕子、結婚のこと考えてみてほしい」
私はその時、まく吉の言葉を完全に信じていた。
もうこれが運命なのかな、と感じていた。
今、どん底にいるけれど、これ以上のどん底はないだろう。
あとは、良くなるだけ・・・そんな期待を抱くようになっていた。
それまで進学のために貯めていた100万程のお金は、ささやかな結婚の費用に当てることに決まった。
まく吉が会社にあまり行けていないことは、両親も知っていたが、そこまで酷い状態だとは思っていなかったのだろう。
再度、挨拶に来た時、まく吉はパリっとスーツを着こなしていた。
借金のことは隠して、会社に行けていた頃の年収を提示して、大丈夫だと安心させた。
結果、4年近くにわたる交際の末の結婚ということで、許しがでた。
そして、結婚式当日。家族だけでの小さな結婚式が開かれた。
純白の花嫁衣裳に包まれバージンロードを歩く私の写真は、幸せそうな顔をしているように見えた。
そこでひとつハプニングが起こる。
私は式の途中で、眩暈を起こして倒れかけてしまったのだ。
その後は、ずっと調子が悪くて、なんとか式場の進行をこなしているところだった。
その日、私が事前に知らされていた予定では、私の家族と、まく吉の家族は、母と妹とその娘だけが来ると聞かされていた。あとはまく吉の友人が二人。のはずだった。
ヴァージンロード…
そして1時間にも及ぶ電話。
まだ肌寒い季節に、私は袖なしのドレス一枚で、駅構内で震えていた。
まく吉は暗い顔をして戻ってきた。そしてこう告げた。
「妹の旦那さん、夕子のことすごく怒ってたよ。せっかく来てやったのに挨拶もしないなんて非常識だって。
これだから若い子と結婚したらダメになるって。妹の旦那さんも、バツ3だけど若い子と結婚したときは、すぐに離婚したんだって。私が代わりに謝っておいたからね・・・ひどい目に遭ったよ」
「妹の旦那さんが来るなんて聞いてないよ・・・。顔も知らないけど、いったいどの人のこと?」
「来てたんだよ、夕子が挨拶しないから、私が怒られたんじゃないか!」
結婚式当日なのに、非難されて泣きたい気持ちになった。
お風呂入ってくるですよ
読んでくださってるみなさま、ありがとです
この後も、暗い話が続きますが、いつか希望が・・・よろしくお願いします
「ハハッ ワロスwww」で終わってる話
夕子の生真面目すぎるとこは性格もあるだろうけど
もともとの性格、判断能力の低さに40過ぎの男が付け込んだ話だな
みなさまレスありがとうございます
気になったところをいくつか
>>248
まく吉の母は心療内科に通っていて、妹の家族が引き取りました
妹はというと、まく吉が会社に通えなくなって借金をしはじめた頃に、結婚して家を出ました
自分のお金はきちんと貯金していて、すぐにマイホームを買っていました
友人はシューキョー関係の人が2人ほどしか。一人はサークル仲間のユミさん
もう一人は、遠方に住んでいる男性で、どちらも結婚式に参加してくれました
>>249
そのとおりですね
絶妙なまとめだと思います
釣りだったらいいのに(´・ω・`)
結婚してからの話です
内容的には、16才から現在までの、折り返し地点かな、という感じです
最初の方こそ、まく吉は出勤してくれて、私も家事にいそしんでいたが、結局1週間も経たないうちに、また仕事に行けなくなってしまった。
いつしか、再びジサツ未遂を繰り返すようになり、勝手にネットショッピングをしては浪費をして、借金は膨れ上がるばかり。
結婚して1ヵ月後、彼はとうとう会社からリストラされた。
これ以上どん底はない、と信じていたけれど、更に落ちることがあるなんて。
結婚して、さあ頑張ろうという意思は、もう消えてなくなっていた。
だんだん家から出るのが怖くなってしまい、買い物やゴミ出し以外では外出する機会も減っていった。
人の目が怖くて仕方なかった。
恥ずかしい話ですが、私は過去の日記なども読みながらこれを書いていて、そして時々思い出して泣いてしまっています
今はほんと、もうとっても元気なんですけどね
ずいぶん当時のことも細かくは忘れてしまったので、会話形式などにできないところもあります
読んでて辛い。
優しいお言葉、ありがとうございます
>>257
今現在の私は、幸せですよ
ずいぶん長い時間が必要でしたけど、今は元気に生活しています
ありがとうございます
当時は、自分を責めてばかりでしたが、今はもう大丈夫です
では、続きです
「元気にしてる?」
その問いかけに、作り物の
「うん、元気にしてるよ」の返事が、出来なくなっていたから。
もう元気なんて、どこにもなかった。
ただ、絶望だけ。
話の冒頭にでてきた、児童保育のSさんの奥さんから、贈り物を頂いた。
だけれど、私は完全な無気力状態になっていて、お礼の手紙ひとつ書くことが出来なくなっていた。
数週間後、
「うちの奥さんが贈り物をしたのに、お礼ひとつよこさないなんて、失礼じゃないか」とお叱りのメールをもらった。
それを読んで、私は泣いてしまった。
「うちの奥さんが贈り物をしたのに、お礼ひとつよこさないなんて、失礼じゃないか」とお叱りのメールをもらった。
それを読んで、私は泣いてしまった。
実は、短大時代でまく吉と別れようかと悩んでいた時、
Sさんにだけは相談できるかも・・と思って、私は幾度かメールをしたのだけれど、返事は一度も返ってこなかったのだ。
あの時、SOSを出せた唯一の知人はSさんだけだったので、切なくなった。
でも、それすら出来なくなってしまった自分。
しなければいけないことも、何もできない。ぼーっとしていると涙がにじんでくる毎日。
ベランダに出て、ここから飛び降りたら楽になるかな・・・そう、カウントダウンしては、理性が押しとどめて部屋に戻るような、そんな暗い気持ちに苛まれていた。
まく吉のジサツ未遂で、あれだけ苦しめられた私が、同じことをするのは間違っている・・・みんなに迷惑をかけてはいけない・・・そう自分を戒めた。
勉強会という名目で。
深夜、私が、ふと目を覚ますと、まく吉はその女性に電話で愚痴をこぼしていた。
「私が辛いのに、夕子は起きてくれないんだ。私がこんなに苦しんでいるのに、体をゆすっても、起きてくれないんだよ」
寝ているだけなのに、なんでそんなこと言われなくちゃいけないの?
四六時中、まく吉の相手を出来るわけないでしょう・・・
私には色々な感情があったはずだけど、ほとんどが機能しておらず、ひたすらにどうでもよくなっていた。
冬の到来と共に、私の大好きだった祖母が脳梗塞で倒れた。
おばあちゃんは、とても温かくて、にこにこと笑顔の絶えない人だった。
私が返事が出来ない状態に陥っても、毎月のように絵葉書を送ってくれていた。
結婚が決まった時に、両親には「絶対に帰ってくるなよ」と言われたけれど、祖母は「辛くなったら、いつでも帰ってきていいんだよ」と私を送り出していた。
知らせを聞いて急いで実家に帰り、祖母の入院している病室へと向かった。
ようやく会えた祖母は、目を開けることも、口を利くことも出来なくなっていた。
私は手を握り締めて、耳元で話しかけた。
おばあちゃんは、私の手を弱弱しく握り返してくれた。温かい手だった。
何度も何度も、話しかけるたびに、ゆっくりだけど、ぎゅっぎゅっと手を握ってくれた。
私は泣いていた。
なんでおばあちゃんに手紙を返さなかったんだろう?話せる間に、もっと色々なおしゃべりをしなかったんだろう?
ごめんね・・・ごめんね・・・
脳梗塞で、意識は火事に包まれているような苦しい思いをしているという話を医者に聞いていたが、それでも祖母は私が話しかけて手を握ると、微笑んでいるようだった。
それが、何よりの慰めだった。
おばあちゃんが好きだった、童謡の歌をラジカセで流しながら、
面会時間ぎりぎりまで、私はおばあちゃんに会いに行っていた。
母は、「おばあちゃんはみんなにお別れを言えるように、頑張ってたのよ」と言った。
私があんまり悲しむものだから、兄は元気付けようとからかって笑わせてくれた。
父は、夕子が泣くのを初めて見た、と母に向かってつぶやいていた。
私の心には、ぽっかり穴が開いてしまった。
今日はそろそろ眠りたいと思います
祖母が亡くなり、もうしばらく辛い話が続きますが、まもなく転機も訪れます。
また暇な時に覗いてくれたら嬉しいです
次の書き込みは、遅くても月曜日になりそうです
今日もお付き合いしてくださって、どうもありがとうございました
おやすみなさい
さすがに気の毒になってきたな
ニートだけど割と快適だしな
レスつけてくださったみなさま、支援してくださった方々、どうもありがとうです。
>>283
私はまだ学生だったので、特に金銭に関して要求されたことはありませんでした。
社会人で、稼ぎのある人だったら、ある程度お金を要求されたかもしれません。
ちなみに私の実家が通っていた宗派では、生活に支障をきたすような悪徳な取り方はしていませんでした。
来ていただいてありがとです。
待っていてくださる方がいると思うと、嬉しいです
内容は暗い話がもう少し続きますが、良ければ見ていってくださいね
ありがとうございます
今区切りのよいところまで書いていますので、もうしばらくお待ちくださいませ