前記事⇨サイト『誰か悩んでいる人がいたら、メールしませんか?』私(少し相談してみようかな…)→まさかの事態に…【4/6】
母「あの子は、書いて、あの時ああだったな、とか覚えてるわけ」
父「そんなん、覚えんでいい」
どうも私がこれ書いてるの、見られたっぽいです
PCコタツに置いたまま、お風呂入ったりしたせいかな・・・
多分2chとか具体的には、分かってないと思うのですが、
気分的に、顔真っ赤です
今の両親との関係が一番気になってる
大丈夫、ここには母親にエ□本見つかった奴とかザラにいるから些細な事だw
私の友人が入信している所と似ていて、他人事には思えなかったりw
友人はもう良い大人ですし、それに救われて生きているような所があるから、まあいいのかなと思いますけどね…
うそ‥‥!私もくまだと思ってた‥!
はい、やはり心配かけてはいけませんね
>>566
今は仲いいですよ、会話も普通にします
>>567>>570
そうですよね、私もくまと間違えて打ちそうになるんですが、まく吉なんですw
ここで呼ぶ名前を決めるに当たって、
できるだけスレを読まれる方の名前や愛称とかぶらないように気をつけたらこうなりました
そう言われると、安心しますw
ありがとうです
>>569
ずっと読んでいただいてありがとうございます
友人の方が入信していらっしゃるんですね、
それで特に周りに大きな影響がなければ、と願います
現在まで、書ききりたいと思いますので、
またお時間あるときに覗いてもらえたら嬉しいです
それでは、おやすみなさい
>>579
こんな長文スレを読んでくださって、感謝です
ぼちぼち続けていきますね
最初の方こそ、戸惑いも多くあっただろうけど、それでも根気よく私の世話をしてくれた。
一人で寝ることのできない私の隣で寝てくれたり、 パニック発作を起こすと背中をさすってくれたりした。
私が近所の犬と仲良くなったことを、興奮して話したせいもあったのかもしれない。
生まれたての赤ちゃんを、ブリーダーさんの家まで見に行った。
6匹の子犬の中から、1匹、選んだ。
母は、どれも一緒みたいで分からないと言ったけど、私にとってはその子が特別可愛く見えた。
これは良スレだね、頑張って書き上げて!
人にもよるんだろうけど、私はシューキョーに嫌悪感しかないな(´・_・`)
私の両親も、私が生まれる少し前から現在もシューキョーにどっぷりです
もちろん私を含めた子供への教育はシューキョー中心
今は私だけシューキョーから距離を置きましたが、自分の力だけでは異常さに気づけなかったと思います
刷り込みは本当に苦しいし恐ろしいですね
夕子さんが幸せなら、なんだか救われます
レスくださったみなさま、ありがとうございます
もう書き始めて1週間になりますが、最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです
>>594
私自身はシューキョー全てを否定するわけではありませんが、
熱狂的すぎるところは、権利者に人生を振り回されてしまいますよね
>>601
最初に~と言っていただけて、ちょっと照れくさいですw
人に自分の気持ちを打ち明けるって、最初は勇気がいるけれど、
それで助けられたり、学んだり、逆に気持ちを打ち明けてもらったり・・・
人間関係も捨てたものじゃないなって思います
>>602
読んでくださってありがとうございます
日本はシューキョー国家ではないので、シューキョーって印象良くないですよね
今普通に生きてて幸せなら、それがいいなって思います
そうだったんですね、シューキョーの刷り込み教育は本当に辛いですよね
何が一番怖いかって、親は、正しいことをしている・子供の幸せのために、と思い込んでやっていることですね
親を大切にする=シューキョーを大切にする、の公式が成り立ってしまっていると、
実際に社会の軋轢で苦しい思いをしても、親を捨てられない・・・となってしまいますよね
相当大変だったと思います
これから自立編を、少しずつ書いていきますのでよかったら読んでいってください
外に出られない私の代わりに、自由に、風のように生きてほしいという意味を込めて、風太と名づけた。(実際は、風という意味の外国名)
家に帰って、風太のために小屋やエサ鉢、ぬいぐるみなどを買った。
私はあの曲を、ずっと後に知ることになるのだけれど、初めて聞いた時に泣いてしまった。
本当に、風太のことを思い出すような曲だったから。
はじめてのともだち
http://www.youtube.com/watch?v=0TAIH_DQ50A
これは泣けるな
まだ小さくて、あまり遠くまで歩けない風太を抱っこして、よく近所を散歩した。
知らないおばさんや子供に話しかけられることもあって、
緊張したけれど、風太が私の胸元で温かかったから、安心できた。
本当に、風太の存在が慰めになっていた。
まあ、子供返りした私にとっては、両親の関心が風太に大きく取られてしまって、やきもちを妬いたりすることもあったのだけれど。
チャットで他にも知り合いは多かったけれど、特にその子は私に親身になってくれた。
私は「友達には怖くて会えないけど、ケイになら会えるかもしれない」と思った。
そうして、ある日私の両親から許可がおりて、その子は私の家に遊びに来た。
行ける部分は限られていたけれど、それでも少しずつ足を伸ばして行った。
初めてデパートに行ってもパニック発作を起こさなかった。
当時の記憶はなんだか、ぼんやりしているところが多いのだけれど、とても良くしてくれたのだった。
これが、実家に帰って初めての、周囲の友人と会う機会になった。
これをきっかけに、私は少しずつSNSで再会を果たした友達と会っていくことになる。
夏の終わり、私はこうして、対人恐怖症からの脱出の糸口を見つけた。
ケイには、もう会わなくなったけれど、今でも心から感謝している。
最初の方こそ、病気の私に戸惑っていたものの、親身に話を聞くようになってくれた。
私は、幼少期からそれまでの間、自分がシューキョーを理由に遭ってきた嫌な記憶を話すようになった。
そうして、それを聞いて理解してもらうことで、徐々に信頼関係が回復していったように思う。
長兄は、私には直接言わないものの、陰でよく「夕子は大丈夫か」と心配してくれたようだし、
離れて住んでいた次兄には、よく子供のような内容の手紙を書いて、出すようになっていた。
後日、次兄が引越しをする際に、私が出した手紙が全部取ってあったと聞いて、心がほっこりした。
一日の内、18時間くらいは寝ていたのではないかと思う。
薬のせいもあるのだけれど、睡眠は病気の私にとって必要なことだったのだろう。
体力はほとんどなく、お風呂に入って髪を洗うだけでも、
ぐったりして何も出来なくなるだった。
また、私は熱ばかり出していたので、冷えピタを常用していた。
まく吉のことは、私にとって、けしていい思い出ではなくなり、
今でも大切に思いたい気持ちと、もう縁を切りたい、と思う気持ちが混在するようになっていった。
また再び、シューキョーの集会に参加もしたが、離婚が暗黙上認められていなかったので、別居している私に、
「よくそんな状態で来られるよね」と言われたこともあった。
冬になる頃、私は一旦は離婚を願ったのだが、周囲の人は「まだ早い」と言った。
病気で私の判断力は著しく低下していたため、そのような大きな決断は、もっと良くなってから、と言い聞かされていた。
実際私は感情のふり幅が激しくて、離婚したいと決意した数時間後には、私はまく吉なしでは生きていけない、と思ったりした。
みなさま、本当に優しいレスをありがとうございました
>>623
兄のことは好きですよ~
>>627
結局その後、400万円のうち200万円はまく吉母が返してくれました。
まく吉母は、1千万円ほど持ってまく吉から離れたことが、あとで通帳の写しが発見されたことにより分かったので、、
残りの200万は、まく吉に仕事が見つかった後、
父が月1万ずつ返してもらうよう催促してましたが、今はどうなってるか詳しく知りません
温かいレスどうもです、あと少し良ければお付き合いくださいね
それでは、今日も続きを始めようと思います
今日は寒いですが、みなさん風邪をひかないように温かくしてくださいね
みんな、温かく私との再会を迎えてくれた。
当時の私は、見た目も普通と違っていたのだと思うのだけれど、それでも気にせず一緒に映画を見たり、服を選んでくれたりしてくれたのだ。
本当に良い友人に恵まれて、感謝している。
遠方に住んでいるため、実際に会ったのは数回だけれど、
ネット上で私の負の部分を、根気よく引き受けてくれた。
今思うと、こっちの都合でいつも構ってと呼び出していたし、心底申し訳なかったと思う。
その年の冬休みにも、ケイは私の実家に来て、私を遊びに連れて行ってくれた。
ちなみに、ケイにはよく、「夕子は悲劇のヒロインぶってる」とからかわれた。
私は不安障害という病状があって、将来のことをネガティブに想像しては、妄想のようなそれを話していたから。
K:勝手になんか想像しないで
K:今だけ見て
K:ゆっくり病気治すといいよ^^
K:あせらなくても
K:ずっと離れないから
K:ね
ケイはとても優しく、私は慕っていた。
だけれど、同時にカウンセリングの中で、自分がケイに依存しているという自覚も生まれていた。
カウンセラーは、
「それは共依存、まく吉の代わりにしてるだけ。連絡を絶たないと、いつまで経っても回復しない」と言った。
「連絡を絶とう」、と何度も伝えては、結局出来なくて連絡をする始末。
本当に振り回してしまった。
カウンセラーのことを、「なんでそんな冷たいこと言うの?」と恨めしく思ったこともある。
「ケイがいてくれるから、私は孤独じゃないのに・・・」、と。
カウンセリングをボイコットすることもあった。
そして、彼の話が正しいこともなんとなくは分かっていたのだけれど、
いざそうなると、私は「いやだ、誰かそばにいないと、耐えられない」と拒否していた。
本当に依存症というのは、中毒のようなもので、そこから抜け出すのは、かなりの月日が必要だった。
携帯もほしかったら、自分で稼いで買えとのことだった。
そこで初めてハローワークに行き、母と一緒に仕事を探した。
私は本当に体力がなかったため、そこで選んだ仕事は、1日5時間、週に1度だけのバイトだった。
仕事内容は、単純な棚卸し作業だった。
5時間、立ったりしゃがんだりするその仕事が、私にとってはかなりの肉体労働だったのだ。
そんな毎日だった。
それでも負けたくなかった。何に、と言われたら自分に、だろうか。
両親の期待にも答えたかったのもあるが、私自身が、早く普通の社会人になりたいと焦っていた。
そこの職場は、ほとんどがおばさん達だったのだけれど、私が既婚なのに別居中ということを知ると、詳しい話を聞きたがった。
自分の家族の自慢や、噂話、それらを話す中で、私の身の上話も聞きたがる。
私は、出来る限り会話するのを避けていたが、だんだん嫌気がさしていった。
兄は、警察にお世話になるようなことも色々やらかしていたのだけれど、その時は失踪という形を取って、実家にやってきた。
私は次兄が好きだったので喜んだけれど、問題を抱えての帰郷だったため、家の中に不協和音が広がっていた。
兄宛にかかってくる怖い電話が鳴るたびに、私は怯えて、だけどここで私が弱ってしまったら、兄が家に居づらくなると思って我慢した。
すぐに限界がきて、それらが積み重なって爆発し、結局、自分が家を出て行くことに決めた。
だが、家を出るところを捕まえられて、初めて救急車に乗せられた。
普段とは違う精神病院に連れられて、医者に怒られてしまった。
次兄はそんな私の様子を見て、自分がここにいたら病気が悪くなると感じたのだろう、実家を離れて帰っていった。私のせいで申し訳なかったな、と思う。
そんなわけで、次兄がいなくなった後、私はそれまで耐えていた仕事も辞めてしまった。
なかなか思うように回復しない自分の心身に、うんざりしていた。
1年経ってもまだ、私の中には義理人情というか依存心というか、まく吉を慕う思いが残留していた。
だけれど、同時に憎しみも深く芽生えるようになってきていて、困惑していた。
あんなに愛した相手のはずなのに、まく吉が憎い。
いつかまく吉の元に戻って、一緒に生活を立て直すつもりだったのに、それに対して拒否反応が起きる。
一度こっそり市役所に行って、離婚届を取ってきたこともあった。
親に訴えたものの、医者の判断で却下されてしまった。
なにもかもが、中途半端で、一向に前進している気がしない。
「慌てないでいいよ」という親や周りの言葉はありがたかったが、
同時に、「やっぱり仕事ダメだったか・・・」と落胆した父の姿も目の端に映った。
みんな仕事をきちんとこなして、旅行に行ったり遊びに行ったり、素敵な恋愛をしたり。
お金に惜しみなく食べたいものを食べて、車を運転し、ショッピングを楽しむ。
親に週1度の仕事を送迎してもらって、なんとか行き、
それすらも辞めてしまった私には、みんながうらやましかった。
早く大人になりたい子供のように、早く健常な社会人になりたかった。
ゆっくりとしか、治っていかない。
焦っては、転んで、立ち上がっての繰り返しだった。
今頭痛がするので、続き書けるか分かりませんが、
書けたら載せますね
確実に気持ちの面とかで少しずつ前へは進んでいってるよね
過去の話だから応援しても意味ないけど、頑張れ~
体調の良い時でいいよー。まってます!
ありがとうございます
今もまだ完全には良くなっていないので、
応援、嬉しいですよー
>>654
優しい言葉ありがとです
書いてたら頭フワフワしてきたので、ちょっとだけ載せて今日はおしまいにします
体を動かす労働は合わないと感じていたため、次に探したのは事務職だった。
パソコンは引きこもってしょっちゅう使っていたから、
性に合っているかも、と思ったのだ。
その中で、ワード・エクセル使用できる方、という募集の一文が目を引いた。
年配の男性と、厳しそうな見た目の年配の女性の二人が面接官だった。
女性の方が一言、「パソコンは使えますか?」と尋ねた。
私は「使えます」と答えた。
翌日、私の元に採用通知が来た。
こうして私は、週5の半日事務に就いた。
仕事の初日、面接官だった女性が私の上司として、挨拶をしてくれた。
厳しい面持ちだったが、柔らかな口調で、私はほっと胸をなでおろした。
主にパソコンの入力作業をお願いされたのだけれど、電話や受付、職員の細かな手伝いなども業務に含まれていた。
私は初めての事務仕事に、処方薬を12錠以上服用した状態で臨んでいて、正直いって、ほとんど仕事にならなかった。
常識的な範囲の問題でも、私は理解できず、失敗してばかりだった。
周囲の職員も、徐々に私が普通とは、違うことに気づいていった。
それでも優しく接してくれる人も多かったが、明らかに私を避けて毛嫌いする人もいた。
それほど、私は仕事の出来るような状態ではなく、周りを困惑させることが多く、白い目で見られ、蔑まれることが多かった。
そんな中、上司は丁寧に教えてくれたし、呆れながらも顔には出さずに、根気よく面倒をみてくれた。
ミスばかりの私を、いつもフォローをしてくれて、それが私の支えになっていた。
自分の祖母のように思うと、この上司のためにも頑張りたいと願うようになった。
毎日、熱を出したり、体調を崩したりしながらも、親に送られて仕事場に行った。
私は、一度休んでしまったら、続けられないかもしれない、という不安感が強かったので、どんなに高熱を出してもとにかく仕事に行って、自分の席に就いた。
だが雇ってもらっている以上は頑張ろう、クビになったらそれまで、と割り切って毎日出勤していた。
お風呂はいってきます!
>>666
ありがとうございます
また明日、来ようと思います
話もほとんど終盤です
今週には終わりますので、もうすこしお付き合いください
それではおやすみなさい!
続き楽しみにしてまーす★おやすみっすー
村上春樹の1Q84に少し被る
依存て人の感覚を麻痺させるんだね
続きwktk
今日の夜、続きを載せられたらと思ってます
>>670
ツレが欝になりまして、興味あります
病んでしまうと、出来ることが極端に減りますね
やっぱり、風邪程度の時に早めに治すのが一番ですね
>>671
1Q84、読んだことがないのですが、依存などの内容なんですね
また図書館で借りて読んでみたいです
このあと、特に急展開はありませんが、徐々に治っていきますので
よかったら見届けてくださいね
初めて給与をもらった時、1ヶ月やり遂げた喜びがこみ上げてきたのを覚えている。
相変わらず毎日体調も崩すし、まだまだ仕事にならない日々だったが、それでも週5で働けるようにまで回復したことが、とても嬉しかった。
また世間への視野が少しずつ広がっていった。
その中で、私自身がずっと抱えてきた問題、まく吉との今後について、改めて見直すようになっていた。
また同じ頃、ケイとの関係がだんだん重く感じるようになっていた。
ケイは私に好意を持ってくれていたけれど、私はそれに応えることができなかった。
何度も連絡を絶つと言っては、また連絡をして、そんな依存関係にも疲れてしまった。
ケイ自身も、私に対して呆れてきているのを感じるようになっていた。
今まで何度も言ってきた言葉だったけど、今回ばかりは本気だった。
1週間、2週間と連絡を取らない日々を延ばしていった。
また、私は両親と医者に、離婚したいまでを改めて伝えた。
その頃には、シューキョーとは一定の距離を置いていたし、
離婚することに罪悪感はあったものの、それ以上に、新しい一歩を踏み出したかった。
別居から1年半、一度も顔を合わせなかった彼への、最後の手紙。
「あなたは、私を神のお告げで縛ったけれど、私はもうそこから解かれたいです。
私はもう、あなたと人生を共にすることはできません。私を解放して、自由にしてください。」
そんな内容だったと思う。
彼からの返答は、「絶対に離婚しない」だった。
私は両親に連れられて、久しぶりにパニック発作を起こしかけながら、初めて、弁護事務所の門をくぐった。
弁護士は、相手が了解しない以上は、離婚調停をするしかないと言った。
私は、裁判でまく吉に会うのを恐れた。
弁護士は、顔を合わせない調停の仕方を説明してくれたけれど、それでもまく吉の住む地元の裁判所に赴かなければならないとのことだった。
私にとって、その場所は忌まわしい土地で、まく吉と裁判所ですれ違ったら、と思うと、心臓がバクバクと高鳴った。
この頃の私ははっきり理解していたのだけれど、私のパニック発作の主因は、まく吉だった。
私があんまり調子が悪そうだからか、上司が「なにかあったら話してね」と優しく言ってくれた。
その優しい言葉に、私は端的に、離婚の準備を進めていることやまく吉とは悲惨な結婚生活だったことを話した。
上司は、「辛かったね、それは離婚したほうがいいね」と言ってくれた。
だけど、ちゃんと聞いてくれたのは、まさしく上司の人柄の良さ故で、私は本当に周りの人に恵まれたと思う。
また私は自分の気持ちを話すことによって、上司への信頼を更に厚くしていった。
そうして離婚調停が始まる直前のことだった、まく吉から手紙が送られてきた。
そこには、喉から手が出るほどほしかった、離婚届が一緒に添付されていた。
「離婚はしたくないけど、法廷で夕子と争いたくはない。あなたを解放します」と書いていた。
私はその緑の紙を見て、ほっと胸をなでおろしたような、ちょっとだけ切ないような、複雑な気持ちになって、涙を流した。
「これで全てが終わるんだな」という思いと、
「こんな紙切れ一枚に、私は長い間縛られていたんだな」という思い。
それまでの過去のことが、走馬灯のように頭の中を流れた。
こうして、結婚して3年、知り合って7年の、まく吉との関係に終止符を打った。
ふーとうとう離婚まで、話がいきました
書くの遅くてすみませんです
そうですね、私も離婚は両成敗だと思ってますよ
なんだかんだ、共依存で傷つけ合ってたと思います
人生は一度ペシャンコになりましたが、そのおかげで得るものもあったし、今は二度目の人生と思って生きています
にしても、長いこの話を読んでいただいて感謝です!
だいたい23歳くらいですね!
16才で知り合い、20才で結婚、23才で離婚という感じです
16~23・・・例え傷つけあう関係だったとしても、この大切な時期を振り回し続けたまく吉の罪は大きいと思うな
えと、内容だけに、楽しみというと失礼だけど、スレ最初からずっと見てます
ゆっくりでいいので頑張って下さい
まく吉のことは、いまだ許せない感情もありますが、ようやく過去のこととして、見れるようになりました
ずっと見ていただいて、優しい言葉、ありがとうございます
おかげで最後まで書き切れそうです
ありきたりかもしれないけれど、心機一転で髪の毛を切り、久しぶりのおかっぱ頭にした。
家族も友人も優しくしてくれた。
職場の女性に、さりげなく髪をなでられて、ふと涙がこぼれそうにもなった。
私は、その頃、色々な依存関係を絶ち切っていたので、自立しか選択肢がなかった。
パソコンも、気づけば開くこともなくなり、埃をかぶっていた。
私は、自分がバツイチになったことが非常に大きなコンプレックスになり、
こんな私に、いつか平凡な幸せが掴めるのだろうかと、不安が常につきまとった。
鏡を見ると、疲れた顔をした自分がいる。
はつらつとした、昔の私はもういない。もう若くはない、と自分を卑下した。
それと闘うのは、大変な労力がいった。
もはや私は誰かに属しているのではなく、自分の足で立って、人生を決めていかなければならない。
そのプレッシャーに押しつぶされながら、 私はなんとか日々をやり繰りしていたように思う。
友人主催の飲み会で、私は冗談半分に、「誰かいい人いたら紹介してほしいな」と言った。
そうしたら、「うん、夕子元気になってきたし、今ちょうどいい人いるよ!」 との返事が返ってきた。
こうして私は新しいであいをすることになる。
新しいであいに関しては、内容を掘り下げて書こうと思いますが、身バレしたら怒られるかな
なんて思いつつ、今日はおやすみなさい!
いつも読んでくださる方、応援レスつけてくださる方に、感謝して。
頑張れ夕子
良いであいでありますように
また明日ね夕子さんおやすみ☆
今の夕子さんは誰かのペースに乗せられて生きるんじゃなくて自分のペースで自分で決めて生きてるんだなと思います
ここまで気持ちを持っていくことは本当に大変なことですよね
応援してます!
私も依存しやすい方だからな…今の相手の事もちゃんと考えないとだな
みなさま、たくさんのレスありがとうございます
昨日は熱が高くて寝込んでいました
今日もまだ発熱が続いているので、続きは治ってからになりそうです
>>701
離婚、調停でもめなかったのは本当に精神的に助かりました
ありがとうございます、今でも弱いところは多くて、周りに流されることも多々ありますよ
自分のペースで生きていくというのは、本当に難しいです
それもちょっとずつ覚えていくのが大切かなって、ぼちぼち過ごしています
>>706
依存しちゃだめだと思ってても、なかなかやめられないですよね
自分の首を絞めちゃう気持ち、分かります
依存してるって自覚するだけでも全然違うと思います
ありがとうございます、続きは体調が回復次第、徐々に書きたいと思います
せっかくあと少しですので、落ち着いて丁寧に書けたら、と思ってます
お待たせしてしまいますが、もうしばらくお付き合いくださいませ
おやすみなさい。
夕子さんのお人柄とこのスレの方々の温かさに自分も頑張ろうと力をもらいました。ありがとうございます。
気長に待っていますので今は暖かくしてゆっくり休んで下さい。
迷える子羊に進むべき正しい道を教えるのが本当のシューキョーであって、自分がその教義を聞いて納得することで、初めて神に対する信頼が生まれる。
神がこう言ってるからこうしなさいとか、相手の心を無視して
無理矢理押し付けるようなのは、シューキョーの名を騙ったただのカルト。
シューキョーはそれが分かりやすいだけであって、何ものにも影響されず自分の存在だけで個を保つことは出来ないよ
出来てるなら、それこそ神様ですw
(まぁそう思い込んだ人がシューキョーを興すんだろうけど)
そういうとこ突かれると、人間ってすぐ壊れるというか洗脳されるかもね
長らく間を空けて申し訳ありませんでした
風邪をこじらせてしまい先週末は寝込んでいましたが、今日ようやく熱が下がりました
心配してくださったみなさま、どうもありがとうございました
再開したいと思います
そうですね、シューキョーも1歩違えば簡単にカルトに成り下がってしまうのだなぁ、と怖く思います
もちろん役立つ教えや、良心的な組織もあるとは思っていますが
>>728
そうですね、何かに依存して生きるのが人間かもしれません
特に偏ったものに傾倒しやすい人は、洗脳されやすいのかな、と思います
影響を色んなものから受けている、見識の広い人は一箇所突かれても壊れにくいのかなって
おかえりー!
無理すんな
ありがとうございます、大分からだ軽いですが、
ぼちぼちいこうと思います
ではでは、続きを書いていきます