前記事⇨サイト『誰か悩んでいる人がいたら、メールしませんか?』私(少し相談してみようかな…)→まさかの事態に…【5/6】
初めの印象は、背が高くて、ちょっと落ち着きなくて。
笑顔が優しいかんじの男の子だった。
ぐいぐい引っ張ってくタイプじゃないから、ショッピングモールの中をどのお店に入ることもなく、ぐるぐる歩き回った。
映画を見ることにした。
離婚の傷が癒えてない私にはキツイタイトルだった。
だけど、彼は私がバツイチだと知らなかったようなので、 何もいわずに見た。
会った当日に言う勇気もなく、なんだかひどく冷めた気分で。
デートなんて、久しぶりで、すごく緊張したのを覚えている。
ただ、バツイチだと知らない彼に、どうやっていつ、それを伝えようかということだけが頭に残った。
最初はカフェに行って、 パフェを食べた。
話の中で、短大を出てから、地元に戻るまでの生活に興味をもたれた。
私は短大を出てすぐ、結婚をしていた・・・
そのときの痛手で私はその後2年間、うつ病と対人恐怖症になったのだけれど。
会ってすぐ、目の前のパフェを食べながら笑顔で切り出せるほど、私は勇気が無かった。
ほんとは男性ボーカルの曲が好きだけど、女の子らしい歌を歌った。
写真を撮ろうっていわれて、少し体が近づいて。ドキドキした。
夕飯は、バツイチを告白しようと思って、居酒屋に行った。
だけど時間があまって、夕方5時に行ったから、外は青空。酔えなくて。
結局言えないまま店を出た。
覚悟は決めていた。
ぽつぽつと話し始める私に、彼は本気で驚いていた。
まだ、22、23歳。
私も彼も、周りにバツイチの子なんていない。
まして、子供も出来てないのにバツイチなんて。
若すぎる結婚と離婚だった。
驚いたけど、ちゃんと話してくれて嬉しかったって言ってくれた。
帰りの車、沈黙がつづいて、私は嫌われたかな、って不安でいっぱいになっていて。
車を降りる直前、彼は、ぎゅっと抱きしめて、「大丈夫だよ」って言ってくれた。
好き かもしれない
そんな感情が芽生えたのは、きっとこの時。
行きの車で2時間、何を話そうかと前日たくさん悩んだけれど、実際は会話が弾んでそんなに気にならなかった。
最初、ショッピングモールを回って。
私が可愛いと言った小さなヘアピンを彼が買ってくれた。
彼は、デートはずいぶん久しぶりだと言っていて。私もかなり緊張していて。
観覧車に乗ったときは、隣同士になって、ドキドキして。
一緒に夕日が落ちるのを見ながら岬の先まで歩いたけど。手をつなぐこともなく。
このまま友達なのかなぁ、って思いながら。
久しぶりに長い間夕焼けを見ていた気がする。
まるで線香花火が落ちるみたいな、その大きな日の玉に。
ゲド戦記の主題歌を思い出していた。
鷹はいつも さみしかろう
音も途絶えた 風の中・・・
波の音。砂浜。夕暮れの海。
上京していた頃、前の旦那と見た海が重なって。なんだか胸がちくちくして。
なのに、口から出てくるのは、相手を笑わせるネタばかりで。
心がちぐはぐなまま、遊園地に戻った。
このままずっと時間が止まればいいのに、って思ったりして。
終わって、手、離さなきゃ、って思った時。
腕から外れた手を、彼がするっとキャッチして、私の手を握ってくれた。
初めての手つなぎ。
車に戻るまで、ほんの数分だったけど、嬉しかった。
「なんか、夢みたいな一日だったよ~」って、何度も言った気がする。
久しぶりのデートはなんだか甘酸っぱいのと、胸がしめつけられるのとで、私は不思議な感覚に陥っていた。
彼の仕草とか、隣で笑っている姿に胸が高鳴って、でも同時に、私が相手でいいのかな、なんて思ってしまったりして。
私がちゃんと普通に恋愛ができる、という自信がいま一歩持てなかった。
場所は、夜景が見える山の麓。
「好きです、付き合ってください」
ありふれた台詞なのに、とても新鮮な気がした。
恋愛に臆病になっていた私には、彼があまりにも眩しすぎた。
照れたような笑顔に惹かれるように、「よろしくお願いします」そう答えていた。
ほんと、ありふれた交際のスタートでしたが、それが私には初めてで新鮮でした
>>761
そう言っていただけると、嬉しいです
今日はここまでにします
また明日来ますので、どうぞよろしくお願いします
みなさん、本当にありがとうございました
自分も20代前半までエホバやってたから
葛藤とかわかるわ。
おやすみなさい。
はよ幸せなとこを見せつけてくれ!
>>764
そうなのですね、一度できた価値観を破っていくのは大変だったと思います
>>764さんもこれから幸せになってくださいね
>>766
ありがとうございます、今日はもう体調も大分良いですよ
>>767
当時を振り返った恋愛日記を元に書きました
恋愛の甘い思い出は本筋に出てこないかぎり、あまり書かないつもりでいましたが、もうちょっとたくさん書きたいと思いました、ありがとです!
彼氏彼女、その響きになんだかくすぐったくなったりして。だが、同じくらい、不安でいっぱいになってしまった。
私はまだ自分のシューキョーに未練があったため、一般的な男性と付き合うことに抵抗があった。
私の両親がどんな顔をするだろうか、という心配も頭をよぎった。
母とはその頃、自分の悩みを言える関係になっていたため、私は紹介してもらった男友達と付き合うことになったことを悩んだ末に伝えた。
母は心配していたが、とりあえず見守ってくれることになった。
昔だったら、自分の交際関係を親に伝えるなど考えられなかったのだが、話して親に認められることは、私にとって大きな後ろ盾になった。
シューキョーのことや病気のことは話してはあったけど、今一ピンときていないようだった。
その上、とにかく私は体力がなかった。
それまで仕事行くだけでも精一杯な中で、デートを週2,3回したら、私の体力は限界を超えて常に体調不良になってしまっていた。
私は良い子でいたい意識が強すぎて、自分の体調が悪くても誘いを断れないし、意見も上手に言えなかった。
残すことはいけないこと・失礼なこと、その感覚から無理していつも平らげていた。
そんな日々が祟ったのか、付き合って1ヵ月半が経つ頃、私は風邪を悪化させて倒れてしまった。
10日ほどの点滴生活で、何も食べられない毎日が続いた。
彼は心配してくれたけれど、私は自分の体が人よりも弱いことを改めて感じて辛くなった。
幸いだったのは、その間も仕事にだけは行けたことだろうか。
子供が出来たらどうするのか?結婚前に関係を持ってもいいのか?
そもそも経験がなかったため、それらはとても難しい問題に見えた。
周りの友人達がカップルになったら当たり前にしていること。
それが私にはとても高い壁のように感じた。
そこをちゃんとしておかなければ、安易に付き合っていてはいけない、と思った。
「これからも一緒にいられるといいね、だけど、もしいられなくなった時に悲しませたくないな」
そんな悲観的な言葉が出てくることもあった。
そうして、私は点滴生活から回復した後、彼に別れを切り出すことになる。
最初に話し合いが出来そうなお店に行き、周りにお客さんがいないのを確かめて、私はこう質問した。
「もしも今後性的な関係を持つことで、子供ができた場合、どうしたらいいと思う?」
これは、別れる前に、はっきり聞いておきたいと思ったことだった。
聞くのは勇気がいったが、これから別れると思えば、なんとか言葉にすることができた。
「うーん、分からないけど、もし今子供が出来ても育てていける環境と自信がないから、
やっぱりおろすしかないかもしれないね」
彼は誤魔化すわけでもなく、正直に思っていることを言ってくれた。
その実直さはとても素晴らしいことだと思うのだけれど、私自身は、おろすという行為は受け入れられなかった。
「私は、子供をおろすことなんて考えられない、出来た命を簡単になかったことには出来ない。でも確かに今の私達じゃ、子育ては無理だね」
そう答えた。
私は、自分がその時感じていたことを全て伝えた。
性的な関係を持つのは今の私達には難しいことや、だけれどそれでは彼氏にとっては酷かもしれないこと。
そのほかにも付き合ってみての思いを伝えた。
彼は、「別れたくない」と言った。
そして、
「夕子のいうこともよく分かる。自分達で子供を育てられる自信が持てないうちは、性的な関係を持たないようにしよう。俺は夕子が好きだから、我慢できるよ」
そう言ってくれた。
私も彼本人に関しては、とても優しくて正直で良い人だと思っていたので、これからも付き合っていけるんだと思ったら、嬉しかった。
今思うと、この別れ話をした後、
私達の本当の交際はスタートしたと言っても過言ではない。
私は純粋に幸せを感じるようになっていた。
彼は大変だったと思う。
それでも大事にしてくれたし、私はますます彼を好きになっていた。
彼がお酒に酔って、失言をした。
それは私の現在を、否定するような蔑ろにするような言葉だった。
私は、本当はそんな風に思っていたのかと感じて、泣いた。とても深く傷ついてしまった。
初めて本気で怒ったし、悲しくて泣いた。
自分の意見を伝えるのは相変わらず苦手で、無理をすることも多かった私だけれど、この時を境に、私は自分の感情を表していけるようになったと思う。
ちなみに彼は私の前ではあまりお酒を飲まなくなった。
恋人であることの喜びや、関係が円滑になっていくのを感じていた。
隣を見れば、彼がいる。
一緒にいろんなところへ行き、笑い合ったり、いろんな感動を共有したり。
泣いたり怒ったり、そんな当たり前のことが普通に出来ることが嬉しかった。
彼との仲もようやく落ち着きを見せ始めた頃、一つの電話が私を脅かした。
まく吉からの、着信。
私の携帯に知らない番号から電話がかかってきていた。
ディスプレイには着信拒否をしている相手だと通知されているが、着信自体は履歴にしっかり残っている。
そして、留守電メッセージも入っているようだった。
私は恐怖に身を震わせた。
着信拒否をしても、履歴とメッセージが残ることを初めて知った。
結局、母に留守電メッセージを代わりに聞いてもらうと、大したことのない世間話的な内容だったらしい。
私は安心すると同時に怖くなった。
パソコンメールなど、連絡手段は全て封鎖したつもりだったのに、携帯は着信拒否していても電話は繋がるのだと分かったから。
毎晩、悪夢にうなされるようになり、寝つきも悪くなった。
その後も、2・3回の着信があり、私は携帯自体を変えることにした。
「これで本当に終わった」
ほっとしたのも束の間、今度はアマゾン経由でシューキョーの本が送られてきた。
私はそれをアマゾンに送り返したが、内心びくびくしていた。
まだこんなにもまく吉に対して恐怖心を持っていることを思い知らされて、愕然とした。
そこには、自分と夕子が調停を持ってして別れたのは間違いだったこと、
夕子がいなくなって友人も徐々に離れていったこと、自分は夕子を一生愛しているが、
夕子が自分や神を裏切っても、許してあげるということが長々と書き連ねられていた。
私はあまりにもその文面が気持ち悪くて、身の毛がよだった。
大きなショックを受けるとともに、冷静に考えることもできるようになっていた。
だけど、その依存先にも呆れられてしまったのだろう。だからまた、私に執着しようとしているのだ。
私を愛しているのではなく、ただ依存先がなくなって矛先を私に向けているだけ。神の名を語って私をまた縛りつけようとしているだけ」
そう思った。
つまりつらつらと書かれている中の、「夕子がいなくなって、友人が去っていったこと」
これがメールを出した本心だということを理解した。
かなりの動揺を覚えたが、両親や彼氏、友達にカウンセラーに相談して、
この後SNSを退会してからは、まく吉からの連絡はない。
読んでくださったみなさま、ありがとうございました
まく吉は寂しい人間だね、相手を追い詰めてでも自分が可愛い。
20以上離れた女性に未練タラタラだし、情けなさすぎる。
男性なら守ってあげたい!と思うだろうね…彼氏と上手く行きますように。
夕子ちゃんが幸せになれますように、てか引き取りたいぜよ!
もうじき終わってここを見に来ることもなくなると思うと寂しいぜ
残りあとわずかになりましたが、少しずつ書いていこうと思います
>>794
読みやすいと言っていただけて嬉しいです
口下手なので、会話では聞き取りにくいですがw
>>796
私もそう思います
シューキョーの具体的な名前は明かせませんので、ご想像にお任せします
>>799
ありがとうです
彼氏との話は今後また出てくると思います
>>800
長文ですが全部読んで頂いてありがとうございます
ありがとうございます、そう言っていただけると照れくさいですw
以前は女性が苦手でしたが、今はもうほとんど克服したので、
むしろ男性よりも女性の友人といるほうが落ち着くくらいになりましたよー
私ももうすぐ終わりだなと思うと寂しいですが
最後まで書ききりたいと思います
それでは、今からぼちぼち書いていくので
投下ペースは遅いかと思いますがお付き合いくださいませ
初めてリアルタイムで読ませてもらうよ。
ありがとうございます
遅いですが、更新していきますね
続きです
心中した直後は、私は神様に「生かしてくれてありがとう」と感謝した。
そこから、現実とシューキョーやまく吉との狭間に立つようになって憤りも覚えた。
「シューキョーがなければ、私の家族はこんなにも歪まなかったのではないか、まく吉に人生を振り回されることもなかったのではないか」と。
だけど友人ではない人たちに、別居や離婚に関して白い目を向けられたことも事実だった。
私の知っているシューキョーとは、世間一般以上に狭い常識の道があって、
そこから外れた者はもはや立っていることが出来ない、弾かれるのだということだった。
父は子供の不祥事に役員を辞め、母は集会に顔を出すことがなくなった。
それがあってこそ、私は一般の男性と交際できるようになったのだし、シューキョーの教えによって自分の人生を決めることなく、選択肢も広がった。
私は彼と付き合うようになってから、日本古来の場所へと行きたがった。
京都の清水寺や伊勢神宮などに赴き、初めておみくじも引いた。
彼氏に「やっぱり違うシューキョー信じてるからじゃない?」とからかわれた。
私はただくじ運がないだけだと思うけど。
子供の頃に近くにあったけれど知らなかった世界を見たかったのだ。
触れて見て自分で感じてみたかった。
そうして、自分の意志で判断していきたいと思った。
ただ神様はどこかにいるのかな、と思っている。
もし将来、子供が生まれてもシューキョーに通わせたいとは思わない。
自分で見て感じて、選んでいってほしい。
その中で神様を信じることになっても信じなくても、どちらでもいい、心が健康で健やかな子に育てばと願っている。
最近久しぶりに熱を出して仕事に行って、フラフラしながら仕事をした。
そのときに、何度か足元がおぼつかなくて物につまずいたりしたのだけど、それが懐かしく感じた。
以前の私は、体の機能がやりたい動作に追いつかなくて、よく怪我をしたものだった。
いつも青あざばかりを足にくっつけている私に、「誰かにやられているわけじゃないよね?」と心配されたこともあった。
ようやく仕事も慣れ、まだ時に突拍子もないことをして周囲を驚かせてはいるけれど、女性職員との折り合いもよくなって、今では月に一度は食事に行くような間柄になった。
特に酷い状態を受け持ってくれた上司には、心から感謝している。
一番多い時で15錠ほど飲んでいただろうか。それが、月日を重ねる度に減っていった。
2錠減らしては、1錠増やすというような、歩みの遅い減らし方だったけど。
本当は一気に減らしたかったし、時に薬に頼る自分が情けなくてみじめになったこともある。
だけど「今は治す時、薬を飲んでいるおかげで、仕事ができる。
自分の神経を守っている」と言い聞かせていた。
硬かった蕾が一気に花開くように、ここ半年で私の病状は飛躍的に良くなったと思う。
今はほとんど安定剤を服用せず、睡眠薬を気持ち薬のように半錠飲むまでになった。
>>816の書き込みを見てちょっと泣きそうになってしまった
親に「こうすれば間違いない」ってレール引かれても、子としてはやっぱり自分で見て感じて自分で決めたいんだよね
親心を無下にしてるような気もしてしまうけど、これって我儘じゃないと思うんだよ…
シューキョーで苦しめられてる子が少しでも減ってほしい
こんばんは、私も会えて嬉しいですよ
そうですね、子を思って敷いてくれるレールには感謝することも多いですが、
自立していくためには、いつかそのレールから降りて自分でレールを敷いていかなければならない時期が来ると思います
シューキョーはまた特殊な世界なので、余計・・・
いつも読んでいただいてありがとうです
続きます
あ、祈ってると言ってもシューキョー的な奴じゃないですw
まだ20代ですから何でも出来ます!失った物はすべて取り戻せますよ!
心中後、最初に出会ったカウンセラーが長年にわたり、私を診てくれていた。
色々と衝突もあったし、治療を一旦やめたこともあった。
だけど今ではカウンセラーが言いたかったことや、教えてくれることがどうして私に必要なのかよく理解できる。
他の誰かが言えないことを、私のために言ってくれたと思う。
カウンセリングに費やした時間はゆうに200時間を越える。
私自身の依存癖によって出来た、直していかなければならない歪みは残っているものの、それらを毎日正しながら、成長し合える関係を築けるようになった。
嬉しかったメールをひとつだけこっそり紹介しようと思う。
普段口下手で長文メールなんて送らない彼から、病気の自分に自信をなくして落ち込んでばかりいる私に送られた、1通のメール。
夕子の持っているものを知ってほしいからいってるんだよ
俺は夕子のことかわいいって思うし、病気だってもう治ってきてるし、体力だってついてきてるし、何も気負うことない
特に病気なんかは不幸があって一時期辛かっただろうけど、
それを乗り越えて今の状態まできたんだからそれは誇れることだよ
夕子はもっと自分が強い人間ってことを自覚してほしい
夕子は自分の弱点ばっか考えちゃうけど誰だって弱いところはあるし、俺なんか欠点の塊だよ
性格なんてものはなかなか直らないから、すぐには無理だろうけど俺は夕子のことを強い子だと思ってるから」
これまでのことも理解して、それでも私のことを病人扱いするわけでもなく、ちゃんと向き合ってくれる人なんだと思ったら、とても嬉しかった。
彼とはいずれ、結婚しようという話が出ている。
今度結婚する時は、本当の意味で、お互いを支え成長させるパートナーとして、共に人生を歩んでいけたらと思う。
いや、結婚する前からすでに歩き始めている、かな。
結婚は節目であって、伴侶としての関係作りはすでに始まっているのだから。
両親も老後の生活に入り始めたし、口うるさくもなったけれど、誰よりも私のことを心配してくれている。
私が一番弱った時、最も助けてくれた人は、やはり両親だった。
全身麻痺になったり子供返りを起こしたりした私を、根気強く見守ってくれた。
子供の時には感じなかった愛情を並々と受けて、今の私は胸がいっぱいになっている。これからは私が親孝行をしていきたいと思う。
病気になって初めて知ったものや得たものは、失ったものよりも多かったと、
そう思っている。
今年亡くなった風太にも。ありがとうを伝えたい。
亡くなる少し前、やたら私の膝に入りたがって甘えてきたのは、きっと何かを予知していたのかな。
風太のぬくもりや、元気な笑顔が忘れられないよ。
私の代わりに、風のように自由に生きてほしいと願ったあの子はもういないけど。
今は私自身が、風のように自由に外を行き来して、笑って、毎日を生きているよ。
大人になった私は、泣くことをやめて、前を向いて歩く強さも手に入れたよ。
たくさんの元気をくれて、ありがとう。
悲しい時やこっそり泣いている時は、さりげなくひざの中に来て私を温めて。
「僕をなでてもいいよ」って言ってくれて、ありがとう。
風太がいなくなって寂しいけれど、泣いてばかりいたら心配かけちゃうから、
ちゃんと毎日自分の足で立って歩いていくよ。
風太のこと大好きだったよ。
また、いつか会おうね。
夕子
今日は書いている間にたくさんの方にお会いできて嬉しかったです
来てくださってありがとうございます
今日が最後の話になりましたので、来ていただけて嬉しかったです
>>824
優しいお言葉、ありがとうございます
今は自分で自分の人生を選んで生きていく責任感や、そこから来る恐怖と闘いながら、
毎日幸せに生きています
ありがとうございました!
周りの人達の温かさに気が付いて、感謝できるなんて素晴らしいよ。
当たり前過ぎて気が付かない人もいるもんね。
夕子ちゃんの立てたこのスレ、初めから見守ってたけど、毎回楽しみにしてたし、考えさせられる事が多かったよ。
素敵な時間をありがとう!
こちらこそ読んで頂いてありがとうございました
書き終えてレスを読んで、PCから顔をあげたら、
母が「なにをニコニコしてるの」といぶかしげな顔をしてました
ずっと見守っていただきありがとうございました!
自分の過去を振り返って書こうと思ったのは、VIP+のみなさんの体験記などを読んで、私も書いてみたくなったのが最初のきっかけでした。
約10年分の話ですので、書き始めたらかなりの量になるのは予想され、
書ききれるか不安はありましたが、始めるなら最後までやり遂げたいと思って臨みました。
最初にまく吉のことを書こうと思って過去の日記などを漁っていて、驚愕したことがありました。
あれだけ私の人生に深く関わっていた人なのに、その人をどんな愛称で呼んでいたかをすっかり忘れていたのです。
ああ、こんな愛称でまく吉のことを呼んでいたな、と。変な感じでした。
連呼されているその名前が、まるで他人が書いたもののように思えました。
それほど、私は忘れていたのです。
名前も、顔も、口癖も、色々なことを。
辛かった頃のことを書き始めると、私は当時の気持ちに感情移入しすぎてしまって泣いてしまうことも多々ありました。悔しいやら悲しいやらなんやらで。
今思うとあの頃の私は本当にバカだったのですが、当時は真剣そのものでした。
できるだけその頃の気持ちに沿って書いていったつもりです。
当時嫌っていた人たちの言い分も、今は理解しています。
私が自分の過去をここまで深く振り返り、記述することは、今後ないでしょう。
全て忘れ去ってしまう前に、どこかに残しておきたかった。
思い出をテキストとしてここに移しておくことができて、不思議な満足感に包まれています。
きっと未来の私が読み返したら、「バカなこと書いてるなぁ」って鼻で笑うのかもしれませんが。それもまた、いいかなって思うんです。
文章が甘くて読みにくい所も多いのですが、長らく温かい目で読んでくださったみなさまに、心から感謝しています。
VIP+は本当に優しくて、いつもレスを読みながら、
よし書ききるぞ!というやる気と、当時の私への慰めをいただきました。
みなさまと同じ時間を共有できて嬉しかったです。
本当にありがとうございました!
壮絶な人生があるもんだといろいろと考えさせられました
また、>>1が回復していることが嬉しく思えます
ご無事でなにより
+が優しいのではなく、優しくなる雰囲気なんだよ。
少しづつ進んで行こうな。
三歩下がって五歩下がる俺が言うのもなんだけどさ。
おい。一歩たりとも進んでねーじゃねーかw
夕子たん感動の最終章見たぜ!
いつぞや、たまには幼児verで書いてくれよーと書いたものです。茶碗蒸しがね、とっても美味しかったんだよw
今回はこのスレの暖かさも妙に居心地がよかったよ。VIPPERといえど人の子。暖かいものには暖かく跳ね返すんだな、と何か感動した。VIPPERは写し鏡だな。
それもまた夕子たんの所業ゆえ。失ったものもあったが、得たものも大きかったな。
また何処ぞのびっぷらスレで会おうぞ。アディダス!
夕子さんのこれからの人生が幸多いことを祈ってます。
うまく言えないけど、ありがとう!
シューキョーって親の影響は大きいよね。前に自分はエホバだったってレスした者だけど、結局自分はエホバの組織から排斥され親と兄弟とは絶縁状態。
シューキョーって幸福になるためのものなのに家族がバラバラになる状況を作り出すなんておかしいと何度も思ったよ。
夕子ちゃんは家族を大切にして親孝行してな。彼氏とも幸せになってな!
シューキョーは幸福を求めるものじゃない?
幸せに生きたい、幸せに死にたいって願いの塊。
もしくは、不幸になりたくない、かな。
毒にも薬にもなるんだろうなぁ。