前記事⇨サイト『誰か悩んでいる人がいたら、メールしませんか?』私(少し相談してみようかな…)→まさかの事態に…【3/6】
みなさま、レスありがとうございます
いつも読んでくださってありがとうです
まとめてお返事させていただきますね
まず、気分を害された方、ごめんなさい
内容的にも、読んでて苛立つ気持ちも分かります
私自身が、当時の自分を書いていて苛々するのですから
今の私は、全く別の視点で自分を見ています
詳しくはまとめて書きますので、よろしくお願いします
洗脳についてのお話を書こうと思います
これがないと、本当の意味での自立とは言えないので
今までとは違った意味での、重い話になりますが、 お付き合いいただけたら幸いです
ありがとうございますw
それでは、始めます
今日の話は、ちょっと特殊な環境の話なので、理解しがたいところともあるかと思いますが、
読み流していただけたらと思います
私はここまで、あえて書くことを避けていた内容がある。
それは、洗脳されていた、とタイトルで語っている本当の意味。
細かく分類すると、マインドコントロールに当たるのかもしれない。
もちろんまく吉に依存しきっていたのもあるのだけれど、ここで洗脳という言葉を使うのは、シューキョー的な背景があるからだ。
他のシューキョーのような俗的なものではなく、真実の世界がそこにある、と信じていたからだ。
そのシューキョーでは、いわゆる神の教えに絶対服従せよ、との戒めがあった。
神が人生の全てで、神の仰ることには、完全に従わなければならない、というもの。
神を喜ばせるために、人生を捧げる。
これが、すべての基盤になっていた。
まく吉と出会った時、私自身が、すでに非常に熱心な信者だった。
カウンセラーになりたいと思っていたが、それも神ありきのこと。
神に従うことにより、人生は良い方向に導かれる。
もしも、苦境に立たされたとしても、それは神が与えた試練。喜ぶべきこと。そう本気で信じていた。
すなわち、
人生の全ては受動的だった。
私の両親は熱心なシューキョー家だったので、シューキョーが教える「理想の家族像」を、子供たちに実行したのだ。
一番最初の記憶として、幼稚園の時に、それはすでに行われていた。
ぜんざい、というのはお餅を神棚に捧げたのち、食べられる正月の食べ物。
それを食べることは、違うシューキョーにお供えしたものを、食べるということだった。
それは、丸い餅ではなく、四角い餅を使ったぜんざい。「夕子ちゃんはこれを食べて」そう言われた。
私は、なぜ自分だけが、他の子と違うのか、同じものを食べていけないのか分からなかった。
「夕子ちゃんは、鳥居をくぐらないで、こっちから入って」
なぜ、自分だけ同じ行動をしては、いけないの?
幼稚園の私は、疑問に思いながらも、みんなに引け目を感じるようになっていた。
こんな風に親からのシューキョー的な要求が多かったせいもあるのだろう、幼稚園の先生は、私を快く思っていなかった。
疎まれ、虐待に近いことすらも、されるようになっていた。
自分は悪い子だ、人より劣っているんだ、そう思うようになっていた。
その頃から、女性に対する恐怖や不信感が形成されていく。
何か悪いことをすると、「神様に謝りなさい。なぜ神様の言いつけを破るの?」
そのような叱り方をされていた。
それは、一般的な教育とは、毛並みが違う。
「嘘をついてはいけない」など、道徳観念の同じものも多かったが、
相容れないものも、多かった。
他の神を祭る、という理由で。
お祭りの日、私の兄弟は、みんなでベランダから花火を見ていた。
休日は、学校の友達と遊ぶことも許されなかった。
シューキョーの集会に参加することを第一にすべき、という方針だったから。
元々、田舎町で、ただでさえ近所づきあいが悪いと村八分になるようなところで育ったのもある。
顔色を伺うことばかりだった。私は他の子と違う、異端なんだ、みんなより百倍いい子にしないと、嫌われる。
いつも自己主張することなく、誰かについてまわっていたように思う。
そうしていれば、いじめに遭うことだけは、回避されたから。
熱心な部活だったため、私はそれが原因で、「なぜあの子は、休みの日に部活に来ないの?」と煙たがられ、しまいにはいじめられて、辞めてしまった。
「**してはいけない」
というのが大変多く、そして何より神を第一にしろ、という教えが根底にあった。
中学生になって、一度だけ、シューキョーの集会に出るのをさぼって、友達と遊んだ。
帰ってきたら、母は怒っていて、父には、「おまえは俺の子じゃない」と背を向けられたまま言われた。
その時の衝撃は、大きかった。
一度破っただけで、もうお父さんの子供じゃないんだ・・・
とても悲しかったことを覚えている。
私の両親が、常識的に考えておかしな部分の多かった私達の交際をあっさり認めてしまったのは、そこにある。
非常に狭い見解の中に私はいたのだ。
そして、私が、まく吉と出会う頃には、それは「当然」となり、むしろ誇るべきことのようになっていた。
あなたは、助手席に座っているべきであって、運転手になってはいけません」
そのような説教があったと思うが、それが正しいと心の底から思っていた。
一般的な常識よりも、シューキョーの常識が、私の中には植えられていた。
そして、それが絶対だったこと、全ての行動に制限と指示を与えていたことが、洗脳という言葉につながった。
なぜなら、昔の私が最も愛したものを、否定し、洗脳と、(悪い意味で)呼んでいるから。
そうした側面で、過去のことを振り返ると、ある一貫した事実が垣間見える。
神との誓いは、絶対に破ってはいけないもの、裏切ってはいけないものと教え込まれていた私にとって、それは命よりも大切と思われるような、強い効力を持った「契約」だった。
私は、その誓いに縛られていた。その誓いを守ることは、何よりも大切にすべきこと。
「私達が付き合うことは、神に従うこと」
「別れるということは、神に背くこと」
それが全ての判断の根源にあったと言っていい。
それは様々な場面で行われていたのだけれど、その一つを話したいと思う。
私の目標は海外の専門学校に行くことだったため、私は高校3年生の1年間、交換留学制度を使って、渡米しようと思っていた。
試験自体は受かったのだが、候補者は3人、結果抽選をして、私は当選しなかった。
失望して、そのことをまく吉に話すと、まく吉はこう言う。
神様が、すべてが分かるまでは、言ってはいけないと仰っていたから、今まで言わなかったけど。夕子は、私のところに来るべきだって。
私、まく吉の近くで英語を学びなさい、と仰っている。
あなたたちは、神が結んだ者たちだから、離れてはいけないって仰せになっているよ」
「神があなたたちを引き離してはならない、と仰せられる」
「誓いを守れ」
その言葉を繰り返し、聞かせたのだった。
また、短大時代に別れ話が出た時に、
「わたし(神)との誓いを破ってよいのか、破滅の道を歩むことになるがよいか」と言われた私は、
そこで自分の別れたいという意志を諦めてしまう。神という存在は、私にとっては絶対だったから。
「~することが、神のため」
「~しなければ、神に背く」
このような第一事項が念頭にあった。
今現在の私は、当時自分が書いた、「神様のことを綴った何らか」を読むと、吐き気がして胸が痛くなる。
当時の自分が気持ち悪すぎて、受け付けないというか・・・
「これは神様に喜ばれることか?」ということがあった。
「これは神様が望んでいるか?」
なので、「神様もそう言ってる?」と、まく吉に聞くようになっていた。
「神様もそう言ってる?」
まく吉「-―だよ」
「神様がそう言ってるなら、そうする」
こんな感じで。
すべての決断に、神の許可というものを求めていた・・・といえばいいのかな。
私はまく吉にも依存していたけれど、最も依存していた相手は、神という名前をしていた。
(この頃、カウンセラーに指示されて、日記をつけるようになっていた)
これは今の私が読むと、すごく気持ち悪いです、「神様」連呼の自分が怖いです。
また、それとは別に、病んでしまった私と、両親の折り合いや、親の葛藤も伝わるのではないか、と思います。
午後、父が(シューキョーの)集会から帰ってきて、こう言った。
「おまえの友達に会ったぞ。(頭を指差して)ココが今ちょっとおかしいから来れないんだって伝えといた」
ひどい。
「具合悪いのは(胸を指して)心だよ」と言い返した。
「それじゃあ肺が悪いと思われるんじゃないか」・・・本当にどうしたものやら。
本人はおどけているつもりか知らないけれど、こっちは本当に傷つく。
「ひどすぎる!」と言い返した。
母はそんな私たちを見て、「ほんと、こうゆうふざけ合ってるのを見ると楽しいわ」と言った。
・・・本当に心が痛んでるんですけど。言い返せただけましかもしれない。
父は確かに良いところもたくさんあるが、口が悪過ぎる。
評価主義はもううんざりだ。しかし、父は別に悪い人ではない。
ただ、それらの言葉は今の私には耐えがたい。
まく吉に泣きついて、今日の分の日記を読んでもらった。
「うつが治っても、家庭環境が同じだとまたうつが再発するから、これはちゃんと言ったほうがいい」と言われた。
「神様もそう言ってる?」と聞いたら、うんと答えたので両親のもとへ行った。
そうして、今日の分の日記を(・・・耐えがたい。まで)読んでもらうことにした。
母は無言で私の背中をちょっとぶっきらぼうになでた。
その後、数分後父は戻ってきて、私に「ごめんね。俺が悪かった」と言ってくれた。
それから私がお風呂に入っている間、私の心の病について話しているみたいだった。
少し落ち着いた。
夕飯の時、私は黙々とご飯を食べた。ずっと神様の名前を呼びつづけた。
そうして、ご飯を食べ終わった後、私は父のそばに行って言った、
「頭をなでてもいいよ」
「よしよし。かわいい、かわいい、小さい頃はこうやってよくなでてやったなぁ」と言っていた。
安心した。
「頭をなでてもいいよ」と言えたことに、神様に感謝した。
両親も、支える辛さがある中で、それでも私の気持ちを受け入れてくれたことに感謝した。
全て備えてくださった、神様に感謝する一日だった。
「感謝してるんだよ。ありがとうね」と言って父の頭をなでた。
それから母にも抱きしめて、「感謝してるんだよ」と言った。
「分かってるよ」と言ってくれた。
今日はよく眠れるといいな。神様、ありがとう。
私の両親は、当然だけれど、心中して帰ってきた娘に対して明らかに困惑していた。
そこまで生活が荒廃していたというのは知らなかったのだから。
帰ってきた私はパニック発作を度々起こすし、幼児返りを起こすしで、以前までいたはずの、「しっかり者」の娘は幻想に消えてしまった。
なぜ病んでしまったのか、相当頭を抱えただろう。
私の前では泣かなかったけれど、両親は、泣いていたと思う。
このことも含め、今後私がどのように親と関係を修復していくのか、まく吉への依存心、シューキョーの教え、
それらからの、解放と自立を今後書いていこうと思います
とりあえず今日書き溜めた分は以上ですー
一番胸が痛いところだから
今の私は両親に感謝しているし、出来れば批判的なことは書きたくありませんでした
それに、子供の頃にシューキョーやってるということで、いじめられた経験があるので、
人に話すのが怖かったのです
でも、ここを書かずには通れないかな、と思ったので書きました
「神様がコロせって言ってるよ」って言ったら、誰かコロしてたの??
無理せず続けて欲しい
なんだか、小恥ずかしくて、泣き絵文字が、なんか照れてしまいます
>>470
それはないですね
まく吉<<神様 っていうところがあって、
その神様の教え、という中には「人をコロしてはいけない」などもあったので
>>471
優しい言葉をかけてくださって、ありがとうございます
>>471
レスつけてくださったみなさん、ありがとうございます
早く自立と解放編が読みたいです…
こんな重い話を読んでくださってありがとうです
書き始めて5日、まったく爽快感のない話でごめんなさい
次こそ、自立と解放編書きますね!!
それは、ありましたね
一応、ジサツは罪、とははっきり教典にないのですが、黙認上で
だから、まく吉は死ぬ死ぬ言っても、結局死ななかったのかもしれません
ちなみに私は、心中を図った時の心境をこう綴っています、
(色々USBを漁っていたら、心中10日後に書いた文章が出てきたので)
(ああ、やっとだ。やっと、楽になれる)
私は死の恐怖よりも、楽になれることの喜び、そして神様への罪責感よりも、死ねることの喜びを思った。
です
私は茶碗蒸しを食べるのですよ
今、寒いので居間でこれを書いてるんですが、母がやたらこっちを見てきますw
最近PCに向かってばかりだから、心配してるのかも
男性経験は1人だけ?
一つお願いなんですが、たまに幼児夕子たんVerの語りを混ぜてもらえないでしょうか
私はね、茶碗蒸しを食べるんだよ。ぎんなんがね、とってもキラキラしてて、まるでお星様みたいなんだよ。みたいな。
夫婦生活は、全くなかったですね
まく吉薬の影響でry だったのです
ただ、私相当病んでたので、してないのに、妊娠したんじゃないかって悩んで検査してましたw
実際、半年以上、ストレスで女の子のものが止まってたので
今思うと笑えるんですけど、当時は処〇受胎的なものがあったらどうしようかと思っていたのですよ~コワイですよね
>>479
幼児verの語りですか!
回復までの間に、かなり子供っぽい発言連発してる日記とか残ってるので、それをちょいちょい載せるかもしれません
>>479さん、私の子供っぽかった頃のしゃべりまねるの上手ですw
無理してしちゃうと、何か萎える…しかしシューキョーと親ざ合わさると子供はスポンジの様に吸収しちゃうんだね。
子供時代をもっと楽しく過ごせたと思うと、気の毒だなぁ。
マジで涙が出てきた。
これから幸せになって
今幼児語で書こうと思っても、やっぱり書けないんですよね
あの頃だけのものだったんだなぁって実感します
きっと、子供時代に親に甘えられなかったから、
あの時期にたくさん甘えたのだと思うのですよ
>>482
幸せを願っていただいてありがとうございます
長文、読んでくださって嬉しいです
みなさまも、ゆっくり休んでくださいね
明日また来ます
おやすみなさい
応援してるからな
おやすみ
神仏ってのは人の中にしか居ないもんなんだ。
神社仏閣にも、空の彼方にも、地の底にも、別次元にも、御神体の分子構造の隙間にも、どこにも居ないんだ。
幸せって何だ?幸せってのは生きる事を満喫する事だ。
(生きるとは?ってとこから考え始めるとダメね)
神だろうが、何だろうが、人が何かしらの行動•思考に及ぶ際に、それを制限するものがあったとしたら、イコールそいつは不幸をもたらすもの以外の何ものでもなく。
神が人を苦しめだしたら、そいつはもう神とは呼べない。
最大の問題は、人は皆、意識(脳)を完全共有できないって点。
百人いたら、百の神と、百の幸せがあるって事。
さて、きのう見た若い娘のパ〇チラをオカズにオ〇ヌして寝よ。
そこそこ幸せだな、俺。うん。
神々しい話した後にオ〇ヌで締めんなw
ところで「神が○○言ってる」とかお告げだとかって、まく吉みたいな奴が吹き回ってて良いのか?
厳しいシューキョーだったら「そんな端くれが勝手に語るな」ってなると思うんだが…
ちょっと気になったんだけどまく吉って夕子さんと全く同じシューキョーではないんだよね?
大元が一緒で別の宗派みたいな感じだと結婚は問題なかったの?
いちお夕子さんも同じシューキョーでないとダメとしてるとは書いてはあるんだけど何故結婚が許されたのかな?と…
あとそのシューキョーは結婚前の男女がふたりで会うこともダメと言われてなかったですか?初めてまく吉に会う時や会っている時抵抗なかったですか?
共依存地獄ですね
しかもシューキョーがその地獄を深めているように感じました
早く夕子さんが立ち上がる話読みたいです!
ゆっくりでいいので…
レスつけてくださったみなさま、どうもありがとうございます
>>490
>神が人を苦しめだしたら、そいつはもう神とは呼べない。
本当にそうですね
私も今は、そこそこ幸せですよ
兄は見事にグレました
私は兄がグレて親を困らせてる姿を見てきたので、グレることはできなかったですね
お告げ云々ですが、シューキョーの中でも「シューキョー法人」を名乗っていて、割としっかりしたところでは咎められる行為かと思います
まく吉は、色んな宗派に入っては、抜けて・・・を繰り返して、最終的には組織自体が小さいサークルに所属して、自分がリーダーになっていったので、咎める人はいませんでした
本人曰く、とある宗派では、
「神に愛されたカリスマ王子」と呼ばれていたらしいですよ
カ・リ・ス・マ・王・子で朝飯吹いた
質問ありがとうございます
シューキョーに関しては、
C
宗派A<
D
大元<
E
宗派B<
F
のように分かれていました
細かく分類すると数十以上かもしれません
私の家がCに属していたとすると、当時まく吉が名乗っていたのはDで、
うちの両親的に、宗派が近いのでOKだったみたいです
つづきです
私が高校生の頃は、男女交際のあり方について、良し悪しの話はあまりされてきませんでした
交際自体が、タブーのような雰囲気があったので、それ以前の問題でしたね
なので、もちろん抵抗感はありました
でも会うだけなら、割と似た宗派の別地域の人たちと集会があったりして、会って仲良くなることは良いこと、という風潮があったので
まく吉も同じシューキョーだから悪い人ではない、という概念の方が強かったですね
付き合った後は、交際はタブーだけど、結婚を前提にした交際ならば、
むしろ誇るべきこと、と思い込むようになりました
おばさま達に絶大な人気があったそうですよ
口が上手なので、最初はどこに行っても、誉めそやされていたみたいです
でもその内、めっきが剥がれて、抜けては別の宗派に行き、、を
繰り返していたみたいですね
どのシューキョーも、どうしていろんな宗派にわかれちゃうの?
しかも宗派間で対立したり争ったりしたりしてるし
490で出てる
茶碗蒸しは美味しかったかな?
そーいえば中学の頃“正座したらダメ!!!”って子がいた
その子、柔道の授業受けてなかったわ&確かに家庭環境があまりよろしくなかった
全く別のシューキョーの人と結婚よりご家族も抵抗ないですよね
しかもまく吉口うまそうだし
男女交際についても納得いきました
私も親戚が夕子さん一家と同じシューキョーをしていますが、大変ですよね
普通の幼少期や青春が送れないということはそのシューキョーに浸かりきっていれば問題ないのかもしれませんが、そこと心の距離を置いて他の世界を見た時自分が得られていないものや無意識の内に失っていたものの多さに苦しむのではないかなぁと思います
そのシューキョー自体を否定するつもりはありませんがせめて自分が分別がつくようになってから自分でいくつかの選択肢の中から選んでいけたらよかったですね…
うっかりしてたら二度寝しちゃいました
>>502
宗派のリーダーごとに、重んじるものが変わるため、分派するというがあります
それで自分のところが一番正しい、っていう身内びいきがあって対立があるんですね
>>504
おはようございます
茶碗蒸し美味しかったですよ~カニ風味でした
>>505>>507
今日は休日ですよー
やっぱりいましたか、学校に1人くらいはいるのかな
私は自分とはシューキョー違うんですが、体育の応援団に出られないシューキョーの友達を見て、ちょっと親近感がわきましたよ
>>509
そうだったんですね
親戚の方がどれくらい熱心かは分かりませんが、あまりに行動規制が多いと心配になりますね
子供に関しては、やっぱり分別がついてから教えて選択させた方がいいと私も思います
理由の理解できない子供は、それで社会の摩擦に苦しむことで自分に自信のない子になったりします
私のシューキョーで育った子には多い傾向です
>宗派のリーダーごとに、重んじるものが変わるため、分派する
確かに一般的な団体とかグループならよくわかるんだけどでもそれって、シューキョー団体としてどうなの?
分派すること自体が教えにそむくことにはならないの?
分派は、悪いとされていたと思います
なので、それぞれの分派が、「自分のところが正しく、他が分派」と名乗ったり、
あるいは、「あの宗派はもはや、神の意向に背いてしまった。原点に立ち返ろう、ここが真実」といったりでした
そのシューキョー団体には、教典がまずありきで、その教典は真実というところがありました
ですが、その教典は、色々な解釈が出来るようなものだったので、
リーダーの解釈に基づいて、それぞれの組織が形成・運営されていましたね
そうですね、大元は絶対、ですね
今まく吉と離別した頃の話を書いていますので、
もうちょっと書き溜めたら載せ始めますね。
しかし小学生だった末っ子だけはのめり込み学校でも宣言して活動しているようです
上の子供達は進学や就職まで親とシューキョーのことで頭を悩ませたりしていました
中でも一番の悩みはやはり男女交際でシューキョー始めた頃には恋人もいたりして突然それも色々言われ、学校帰りに偶然同級生の異性と歩いていただけで咎められ、友達とのクリスマスパーティーや初詣もダメ、日曜日のバイトもダメと大変そうです
色々な元二世の方のサイトとか見てきましたが苦労されてるなぁと思います
夕子さんが自分の足で人生を歩いていく姿、傷だらけだろうけどたくましく思います
大変だったんですね
信じ始めの頃って、特に熱心になりがちで、子供にも強要することが多いみたいです
親戚のお子さんたちが、これから親元を離れた後、健やかに成長することを願っています
話は戻って、父とまく吉が激しい言い争いをした後。
私とまく吉は、父の判断で別居することになった。
私は当初、それこそ「ふざけんな、神様へ」に見られるようにまく吉に対し怒り、もう離れたいと思っていたが、
それもまく吉がいなくなると、すぐに寂しくなってしまった。
すでに重度の依存症になっていた。
別居して1日目
まく吉がいない。
どこを探しても、まく吉がいない。
神様、悲しいよ。悲しくて悲しくて仕方がないよ。
まく吉がいない。
さっきまく吉から留守電が入ってた。
「夕子の声が聞きたいので、電話ください」
私だって、声聞きたい。
私だって、電話したい。
でも、神様は、しないほうがいいって言う。
だから、私はそれに従う。
だいすきで、だいすきで。
でも、だめなの。
依存しちゃ、だめなの。
我慢・我慢・我慢。
留守電に何件もまく吉の伝言が入ってくる。
悲しげな声。
抱きしめてあげたい、今すぐ飛んでいって。
でも、できないんだ。
うぅ・・・神様のぼけなすー
もう、さびしくて、めっちゃさびしい
もう、、ばかー
誰に頼ればいいんだろ。。。
迷惑かけたくない私と
頼りまくりたい私と
混乱・迷走中!!
今日、黒の子猫が、家の近くにいたよ。
私が近づくと、逃げちゃうの。
4・5回繰り返して。
それでも逃げちゃうの。
だけど、かわいそうで、かわいそうで。。。
ポップコーンを、少しだけ、置いておいたよ。。。
もう、なんか苦しいよ。
まく吉に会いたい。。。
まだ、2日しか経ってないのに。。。。
結局、私は、ひとりぼっちみたいで;;
もう、なんか嫌になっちゃった;;
私とまく吉は共依存の関係にあったため、
まく吉がいなくなった空白は、大きすぎるものだった。
胸にぽっかり穴があいてしまって、まく吉の代わりの依存先を探していたようにも思う。
主にチャットなどで誰かと話すことを好んだ。
だけれど、私は正真正銘の精神障害を患っていたため、どうしても相手に依存しがちになり、離れていく人も多かった。
そんな中で、私の依存を、受け入れてくれた人もいたのだけれど、その後、私はその人を1年以上に渡り、振り回してしまうことになる。
心療内科の待合室ですら、誰かに手を握ってもらっていないと、パニック発作を起こしてしまうくらいだった。
当然、コンビニなどもだめだった。
人がいるところは、ダメ。人工の光が強いところも、ダメ。
その頃、私は自然に対して感動していた。
引きこもっていたせいもあるのだろうけれど、全てが新鮮で、綺麗で、ドキドキの連続だった。
朝焼けや、晴れ渡るような空の青、青から赤へと変化していく夕焼けのグラデーション。
それらが、あまりにも心を打って、世界はこんなに美しかったのだということに、改めて感動した。
夜空も黄色がかって明るいような場所だったけれど、実家から見た夜空はたくさんの星が瞬いて私の心を癒してくれた。
庭で綺麗な石ころを探したり、小さなお花を見つけたり、そんなことが嬉しくてしょうがなかった。
本当にもう一度子供になったみたいだ、と思った。
今日、たまたまお昼がぜんざいでした
昨日ぜんざいについて書いてたので、ちょっとびっくりしました
貴重な体験談ありがとう。すごく参考になります。
読んでくださってありがとうございます
こんな話が参考になるといっていただけて、感謝です
神様崇拝はいいけど、恐れ多くも神様の名を借りて
自分の考えを押し付けるとか怖すぎる
そうですね、怖いなって思います
熱心なところは、特に、、ですね
子供口調の私の日記、最後の転載です
みんな聞いて聞いて!
今日ね、すごいことがあったんだよ
お庭に行ったらね
この前ポップコーンをあげた、黒い子猫がいたんだよ
すっごくかわいいから、私ついていったの
そしたらね、道路にぴゅーって飛び出しちゃったの
知ってる人に会うのが怖くて、ずっと避けてたレッドゾーン!!!
すごく怖かったけど、黒猫がおいでって言ってるみたいだったから、
思い切って通学路に出たよ
すごくドキドキしたよ
昔よく通った道なのに、たくさんお花が咲いてるのを初めて知ったよ
林の中も探検したよ
そしたらね、大きな2本の木が支え合うように立っていたの
風がながれるたびに
木の葉がさらさら、さらさらってささやくんだ
それがあんまり綺麗で、眩しくて、感動したよ
私、ずっと子どもの頃からここに住んでるのに、こんな木があるなんて知らなかったんだ
田んぼがあってね、しゃがんで見たら、ちっちゃいよつばのお花がいっぱい浮いてたよ
私、田んぼ道はいつも通っていたはずなのに知らなかったんだ
大発見!!
指でそっとかき混ぜたら、くるくる、くるくるって黄緑のお花がまわるの
それがとっても可愛くて、うれしくなっちゃった
レッドゾーンをもっともっと、って進んだよ
そしたらね、新しくできたおうちに大きなわんちゃんがいたの
最初わんって吠えられてびっくりしたんだけど
大丈夫、こわくないよってにっこり笑って、じーっと見つめたの
そしたらね、鼻の先っぽを柵からつきだして、甘えてきたよ
私すごく嬉しくて、ぎゅーってしたよ
いいこだね
私もきみのこと大好きだよって
いっぱいなでたよ
夕子のことすきだよって
ゆってるみたいだった
長い間いっしょにいたよ
もっといたかったけど、あんまり遅くなるとお母さんが心配するから
またくるからねって
バイバイって手を振ったよ
またきてねって言ってくれたの
お外に出るのはすごくすごく怖かったけど、
外はキラキラしてて、すごく綺麗だった
また来るからね
この時、行動範囲が庭から、通学路まで広がった。
こうやって、ちょっとずつパニック発作を起こさずに、外を歩けるようになったことに、感激していた。
私が広場恐怖症を克服する、最初の一歩だった。
私の今後に、大きな糧となった出来事。
当時とある大手のSNSに登録していたのだけど、ネットを通じて、シューキョーで仲良くなった幼なじみ、中学・高校の友達とそこで再び連絡を取るようになった。
(それでも、当時の私が、これは読んでもらっても平気かな?と識別したものを)
そこに公開していったのだ。
私はシューキョーのことでいじめられた過去があったため、
自分がシューキョーに入信していたことすら、知らせてない友達も多かった。
まく吉と付き合っていたことも、短大進学時に、ごくごくわずかに話しただけだった。
そんな友達に対して、心中だの、別居なんだの、と日記で書いていたのだから。
ドン引きしても、全然おかしくないような、そんな内容だったのに。
「大変だったね」とか、「早く元気になってね」とかそんなコメントをしてくれた
私は、それがとても嬉しかった。
友達はみんな、「元気になったら、一緒に遊ぼうね」そう言ってくれた。
それは到底無理な話だったが、そう言ってくれる友達がいることに、本当に、本当に感謝した。
私、何も出来なくなっちゃったけど、病気だけど、それでもみんな友達でいてくれるんだなって。
もちろん、それで離れていった人もいたように思うけど、ほとんどの親しかった友人は、私の日記を読んで、温かい言葉を贈ってくれた。
自分のことを人に理解してもらうために、周囲の友人に、自分の気持ちを話す。
それがずっと出来なかった私にとって、大きな、大きな一歩だった。
僕もシューキョーで虐められたことあります
だからほとんどの友達に言えません
読んでて親近感湧きました
ありがとうございます
今日はこの後出かけますので、続きは明日になりそうです
とりあえずスレは覗いてますので、レスは見てます、よろしくです
なんだか、ものすごく長文になってしまいすみませんです
そう言っていただけて嬉しいです
>>561
一度、それでいじめられると言えなくなりますよね
そして、そのことで問題があっても相談もできず、
誰かにアドバイスをもらうことが出来なくなったり・・・
でも、大丈夫ですよ
真剣に話したら、ちゃんと受け入れてくれる人は、いると思います