寒さが本格的になった十一月。
しばらくは研修生という形での勤務になる。
夕方から夜にかけて、俺のシフトが入っていた。
「はじめまして。長谷っていいます。よろしくお願いしますね」
そういって挨拶してきたのは、高校三年生の女の子だった。
俺は今二十一だから、三つくらい年下という事になる。
年下の女子高生といってもバイト先ではれっきとした先輩だ。
俺は敬語で丁寧に挨拶を返した。
寒さが本格的になった十一月。
しばらくは研修生という形での勤務になる。
夕方から夜にかけて、俺のシフトが入っていた。
「はじめまして。長谷っていいます。よろしくお願いしますね」
そういって挨拶してきたのは、高校三年生の女の子だった。
俺は今二十一だから、三つくらい年下という事になる。
年下の女子高生といってもバイト先ではれっきとした先輩だ。
俺は敬語で丁寧に挨拶を返した。
しかし、年下の先輩というのも気乗りのしないシチュエーションだ。
年下にこき使われると思うと心底憂鬱な気分になってしまう。
贅沢を言うなら、明るく陽気なおばちゃん先輩がよかったのに。
俺の鬱蒼とした気分は、すぐに長谷さんの振る舞いによって塗り替えられた。
長谷さんはとても穏やか性格で、一つ一つの仕事を丁寧に教えてくれた。
実際、俺の不出来具合はひどいものだ。
長らく引きこもってたせいもあるのだろう、単純なミス、物覚えの悪さ、軽い対人恐怖、悪い要素の全てが合わさっていた。
長谷さんも内心では俺に呆れている事だろう。それでも尚、長谷さんは俺に優しく仕事を教えてくれた。
使えない俺とは対照的に、長谷さんの仕事っぷりは目を見張るものがあった。
とても高校生とは思えない要領のよさに、勝手に自分と比較して羞恥心を覚えてしまう。
年下に頼ってばかりはいられない。俺も早く上達しなければ。
その思いが、俺のモチベーションを向上させた。
接客というのは、いざやってみると以外に何とかなるもので、既に客への応対に余裕が生まれていた。
しかし、依然として、細かいミスや分からない作業は多いままだ。
長期の引きこもり生活は脳に深刻なダメージを与えていたのだろうか?
既に俺は長谷さんに心を開いていた。
気軽、とまではいかなくとも、簡単な雑談程度なら持ち掛ける事はできる。
客の姿がない時間帯を狙って、俺は長谷さんに話しかけてみた。
「長谷さん。俺、ミスばかりしてすみません」
「ううん。最初はみんなそんなもんだよ。だってバイト初めてなんでしょ? なら仕方ないって」
人懐っこいその笑顔に、俺は一瞬はっとしてしまう。
「本当ですか? 俺に気を使ってるとかじゃなくて?」
「またそうやって人を疑うんだから」
そう言って長谷さんは俺の背中を軽く小突いた。
心臓がどきっと音を立てる。
「はは。はははは……」
俺は誰もいないアパートの一室で呟いた。
数年ぶりに若い女の子と接する機会ができて、気分が高揚しているのかもしれない。
長谷さんとの会話を思い起こし、一人にやけ面を浮かべていた。
いつものようにバラエティ番組を見ている時も
いつものようにインターネットで掲示板に書き込みをしている時も
いつものようにアダルトサイトで自慰行為を行っているときも
長谷さんの事を頭のもう半分で考えている自分がいた。
これは紛れもなく恋の前兆だ。
このまま行けば俺は間違いなく長谷さんに惚れてしまうだろう。
この手の思いが本格的な物になるとどうなるか、俺は知っていた。
碌な結末にならない。
俺が培ってきた経験則からそれは断言できる。
俺のような人間に、恋なんて似合わないんだ。
俺に恋愛は必要ない。
俺に―――。
だからちょっと可愛い女の子に優しくされると、すぐに惚れてしまうような状態になっているのだろう。
俺の長谷さんへの思いは日に日に強まっていった。
いつしか俺は長谷さんと俺が仲良くいちゃつく妄想をして楽しむようになっていた。
ひょっとしたら、長谷さんも俺の事が好きなのかも?
八方美人の長谷さんは、俺にそんな疑惑すらもを抱かせた。
結ばれるか、結ばれないか。
それはともかく、俺の毎日は明るく楽しいものになった。
長谷さんの事を考えているだけで心が躍ってしまうし、バイトの時間が待ち遠しくなる程だった。
「長谷さんって、進路決まってるんですか?」
「うん。四月から専門学校行くんだ」
四月か。
専門学校へ行くというなら、その時は彼女もこのコンビニを辞めている事だろう。
今は初冬。
四月まではまだ時間がある。
それまでに長谷さんとの関係をもっと深め、最終的には―――。
初冬といえば、もうすぐクリスマスだ。
長谷さんはクリスマスに何か予定が入っているのだろうか。
機会があればさりげなく聞いてみよう。
俺と長谷さんは勤務時間が終わり、バックルームで帰宅準備をしていた。
オーナーは真剣な表情で、業務用PCをいじくっている。
「そういえばオーナー。再来週の二十五日なんですけど。用事が入っちゃったんで、シフト交換したいんですが」
長谷さんが言った。
「二十五日……、おっ、クリスマスの日か」
その言葉を聞いて、俺の身体は氷のように硬直した。
「もしかして彼氏とデートでもすんのか?」
オーナーがにやけ面で聞いた。
「どーでしょうかねー。ふふふふふ」
長谷さんは笑ってごまかす。
俺はその笑いが肯定の仕草だと察してしまう。
少しでも長谷さんと結ばれる可能性を考えた俺が愚かだった。
ついさっきまでのアホ面を浮かべてた俺自身をぶん殴ってやりたい。
一体何を自惚れていたのだろう。
そうだよ。思い出せ。
俺はついこの間まで引きこもりをやってた屑人間だぞ。
今だって定職もなくフリーターをやっている駄目人間だ。
そんな奴に、これから新たな進路へ進もうとする前途有望な少女が、好意を抱くはずがないじゃないか。
動揺のせいだろうか、体中を汗が伝った。
そしてその汗と一緒に流れ落とされたのだろうか、俺の長谷さんに対する熱は信じられない程急激に、すぅっと引いていった。
さっきまで恋焦がれてたとは思えない程に、俺は長谷さんへの興味を失っていた。
彼女がイケメン彼氏とデートへ行こうがどうでもいいじゃないか。
元から俺の介入できる領域の話じゃないんだ。
そう、彼女のプライベートと俺の想いは、一ミリたりとも重なり合わない。
だから、どうでもいいじゃないか。
そうだろ?
クリスマスの日。
長谷さんの変わりに、小鳥遊美由紀がシフトへ入った。
小鳥遊とかいて”たかなし”と読むらしい。
小鳥が遊ぶのは天敵のいない場所。そして小鳥の天敵は鷹。
だから小鳥遊でたかなしと読ませるらしい。
スレンダーな身体が印象的な娘だ。
俺が小鳥遊さんと同じシフトに入るのは始めての事だった。
長谷さんから聞いた話によると、今年でニ浪目の浪人生らしい。
つまり俺の一歳年下って事か。
かなり高偏差値の大学を志望しているとの話だ。
女の子にしては珍しいタイプだろう。
レジカウンター内で二人っきり。
客の姿はなかった。
今こそ話しかける絶好のチャンス。
長谷さんのおかげで、俺はだいぶ人と接することに慣れていた。
話しかける事くらいなら、かろうじてできる。
「はい。そうですよ」
小鳥遊さんは長谷さんと違って、いきなりタメ口を使ってくる程フレンドリーではないらしい。
「じゃあもうすぐ入試ですね。調子はどうですか?」
「まぁ、今年こそはって感じですかね」
「そうっすか。頑張ってください」
「ありがとうございます」
これ以上会話は広がらなかった。
どうやら小鳥遊さんもおしゃべりが得意なタイプではないらしい。
仕方がないので、俺は寡黙に仕事をこなして行く事にした。
会話もないまま、黙々と仕事をしていると、ハプニングが起こった。
明らかにガテン系のごっつい親父が俺のいるレジに来て
「おぃ。これ宅配便でおくりてーんだけどよ」っと一言。
「申し訳ございません。こちらの方で宅配便は承っていないんですよね……」
「あっ、嘘つくんじゃねーよ!! 他の店舗ではやってもらえたっつーの! あぁ!? あんちゃん、ワレに喧嘩売っとんのか、ゴラァ!!」
ガテン系の親父はそう叫ぶと、カウンターを拳で叩き付けた。
その迫力に圧倒され、俺の軽いパニック状態になってしまう。
「あ……、えーと……、そのー、ですね……。こちらの方で宅配のサービスは……」
「あぁ!! はっきりせんかゴラァ!! うじうじしとるんじゃねーぞ坊主ぅ!!」
最早、俺にはどうすることもできない。
丁度今、オーナーは外に出かけてたはずだ。
誰にも助け船を出してもらう事ができないじゃないか。
どうすればいい、どうすればいい、どうすればいい!?
「さっさとしろよ! こっちは時間がないんじゃ!!」
「こちらの方で宅配便を受け付けることはできませんので、お引取りください」
誰かが凛とした声で、ごろつき親父に一言言い放った。
いつの間にか俺の横には小鳥遊さんが立っていた。
「あっ!! なんじゃその物言いは!! コンビニ店員の分際で偉そうな口を聞きおってぇ!!」
「こちらで宅配便は受け付けておりませんので。他のお店を当たってください」
小鳥遊さんは堂々と言った。
怯えた要素は億尾にも見せていない。
「おのれぁ!! ふざけやがってぇええ!!」
「あまりしつこいようなら警察を呼びますよ」
警察という単語に男は怯んだ。
どうやら警察を呼ばれるのは、まずいらしい。
「っち。糞が。覚えとけよ!!」
捨て台詞を言い残し、ガテン親父は去って行った。
「す、すごいですね。よくあんな堂々とした応対ができますね」
「大抵のクレーマーは、警察の存在をちらつかせれば引きますからね」
そう言って、小鳥遊さんは笑って見せた。
俺はその笑みの虜になってしまった。
どうやらまた恋をしてしまったらしい。
長谷さんへの想いが冷めたと思ったのに、すぐに違う人を好きになってしまうなんて。
やはり、長い間孤独を強いられていたのが大きいのだろう。
人の温かさに触れると、すぐに惚れてしまうようだ。
しかし生憎、俺と小鳥遊さんのシフトは重なっていない。
この前のクリスマスのように、シフトの交換でもない限り、また二人で仕事をする事はできないだろう。
俺は小鳥遊さんの事を想いながら、会えない事をもどかしく想いながら、しばらく仕事を続けていた。
事体が急転したのは一月の中旬の事。
どうやら長谷さんが進学を理由に、一月いっぱいで辞めてしまうらしい。
長谷さんのいなくなった埋め合わせで、毎週木曜日の夕勤で小鳥遊さんと組める事になったのだ。
嬉しいニュースだった。小鳥遊さんと会う理由ができたのだ。
失礼な話かもしれないが、この機会を生み出してくれた長谷さんには感謝をしなければいけない。
俺は一ヶ月ぶりに小鳥遊さんとの再会を果たした。
彼女の身体は相変わらず華奢で、か弱いイメージを持たせた。
俺は胸中でサンバのように弾んでいた。
この日の為に考えてきた面白い話をして、小鳥遊さんと親密になろうと目論んだ。
目論みは成功したらしく、小鳥遊さんは俺の考えたくだらない小話に、関心を引いてくれた。
俺はますます小鳥遊さんの事が好きになった。
それからの一週間は長かった。
毎日毎日、小鳥遊さんの事を想い続ける日々。
小鳥遊さんに会える木曜日をただただ待ち焦がれていた。
この時期から、俺はダイエットを始めた。
引きこってたせいで、全体的に脂肪がついていた。
それでも中肉中背程度なのだが、痩せれば痩せる程女の子にもてるというのが俺の持論だ。
俺は軽い食事制限と、中距離のジョギングを日課にしようと試みた。
「入試、どうでした?」
「まぁまぁ、って感じですかね。悪くはなかったですよ」
「よかった。受かってるといいですね」
「はい。ありがとうございます。もし受かってたら、それはきっと池田さんのお祈りのお陰ですね」
そう言って、小鳥遊さんは笑って見せた。
そういえば俺がお祈りしたから大丈夫だ、なんて話をしてたっけ。
彼女がしょーもない俺の小話を覚えていてくれた事が嬉しかった。
しかし、白状すると、俺は本心では彼女に受験を失敗して欲しいと思っていた。
もし受験に合格して進学を決めてしまえば、彼女がバイトを辞めてしまう可能性は高い。
それに、もし受験に合格して有名大学へ進学してしまったのなら、俺の立場がないじゃないか。
大学中退の元ヒッキー。
高学歴エリートに囲まれて生活をする彼女が、こんな情けない男に心を寄せる理由がないのだ。
小鳥遊さんの合格を本心から祈れない自分の心は、薄汚れているのだろうか?
いや、違う。人間、誰しも同じような思考は持っている物さ。
この手の黒い感情は、誰もが皆、心の中にひた隠しにしているのだ。
俺の小鳥遊さんへの想いは、未だ強くなり続けていた。
小鳥遊さんが愛おしくて、愛おしくて仕方がない。
長谷さんに抱いていた恋心が、そこらの蟻んこ程に思えるくらいに、俺は小鳥遊さんを慈しんでいた。
しかし今は、毎日が辛く、苦しい。
一週間に一度しか会えないというが辛いのもそうだが、小鳥遊さんに思い焦がれるあまり、胸が張り裂けそうになる。
彼女が他の男と性行為をする妄想を勝手にして、勝手に怒り狂っている自分がいた。
老婆になった彼女が「あの時は楽しかった」と昔を回顧する妄想を勝手にして、勝手に涙を流している自分がいた。
彼女が欲しかった。ただただ彼女が欲しかった。
肉欲ではない。彼女の温もりが欲しかった。
性行為はいらない。布団の中で、彼女と抱き合い、温もりを感じたかった。
彼女を独占したかった。
彼女が他の男に取られてしまうのではないかと、気が気でなかった。
痩せなくてはいけないという強迫観念が頭を襲う。
今や俺は一日に千カロリーも摂取していなかった。
腹が減って辛いときも彼女の事を考えれば、なんとか頑張る事ができた。
それでもどうしても空腹に耐えられなくなった時は、好きなものをたらふく食べた後に、トイレに戻した。
痩せなくては、痩せなくては、痩せなくては……。
二月 三週目。
「あれ? 池田さん、少し痩せました?」
小鳥遊さんのその指摘を受け、俺は喜びに打ち震えた。
ダイエットの効果が早くも現れた事、それを彼女に気づいてもらった事に、俺は心の中で歓喜した。
しかしそんな喜びの色も、すぐに打ち崩されてしまう。
「あっ、そういえば。私、大学受かりましたよ」
膝からがくんと崩れ落ちそうになる。
「すげー! おめでとうございます。俺、すっごい嬉しいっすよ」
もちろん仮初の言葉だ。本心ではかつてないほどに動揺していた。
「所で、何処の大学受けたんですか?」
俺はおそるおそる訊ねた。
虚脱感が身体を支配し、その場で崩れ落ちそうにった。
「すげー……、旧帝すか」
帰宅途中、俺は一人咽び泣いた。
旧帝の奴らに、元引きこもりフリーターの俺が勝てるわけないだろ……。
おまけに二流大学中退だしな。
諦念の気持ちが沸いてくる。
高学歴の奴らが、彼女といちゃつく妄念に、頭が狂いそうになる。
コンプレックスが俺を苛んだ。
一流大学在学イケメン運動神経抜群医学部法学部高偏差値金持ち外車帰国子女政治家天才ノーベル賞芥川賞ジャニーズ官僚。
二流大学中退元引きこもり現フリーター地味ネガティブコミュ障無資格精神病貧乏屑人間駄目人間自宅強制送還。
一流大学在学イケメン運動神経抜群医学部法学部高偏差値金持ち外車帰国子女政治家天才ノーベル賞芥川賞ジャニーズ官僚。
二流大学中退元引きこもり現フリーター地味ネガティブコミュ障無資格精神病貧乏屑人間駄目人間自宅強制送還。
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二流大学中退元引きこもり現フリーター地味ネガティブコミュ障無資格精神病貧乏屑人間駄目人間自宅強制送還。
一流大学在学イケメン運動神経抜群医学部法学部高偏差値金持ち外車帰国子女政治家天才ノーベル賞芥川賞ジャニーズ官僚。
それらの言葉が俺の頭の中でぐるぐると回る。
道を走る車に飛び込みたい衝動が沸くが、彼女の笑顔を思い出し何とか抑制した。
まだ、まだ可能性はあるさ。
コンビニ強盗が彼女を襲うが、俺が命を張って強盗を撃退。
彼女は命がけで自分を守ってくれた池田辰雄にラブ。
ははっ。ありうる。なんだ、まだ可能性はあるじゃないか。
俺は一人寒空の下で高笑いをあげるのだった
悲劇のヒロインか。
そうなのかもな。
ここまでが第三章です。
もうすぐ終わります。