母が再婚したときの話。
学年こそ1つ上なものの、数ヶ月しか歳は離れておらず、姉というより友達感覚ですぐ仲良しに。
新しい生活にも慣れたころ、母の再婚相手(A子父)は海外へ単身赴任となった。
そんな頃、学校で校長室に突然呼び出された。
校長先生とA子担任がいて、A子は泣きじゃくっており
先生から「A子は家でつらい思いをしている。家での様子を教えてほしい」と。
母の態度が実子である私とA子で不公平。A子は継子いじめをされていると訴えたらしい。
いつも一緒に遊んでいたし、身に覚えのないことなのでポカーンだった私。
A子の普段の態度と先生へ訴える姿があまりにも違い、仲良しと思ってただけにショックだった。
緊急家庭訪問となったが、結局のところ父親不在のA子かわいそう、継母である母ひどいとされた。
A子が不公平と訴えたのは持ち物や習い事に関してのこと。
いじめと言ったのは母に怒られたことだった。
母はA子へ「歯磨きしたの」「早く寝なさいよ」「お箸の持ち方は・・・」とか注意くらいで
怒鳴ったり叩いたりはしないし、やさしく言い含める感じだった。
A子父は娘に対して女の子っぽい文具や洋服を買うといったことに気が回らなかったらしく
一緒に暮らし始めてからA子へ買ったり、欲しがった私の物を譲ったりした。
習い事はA子父の教育方針でさせてなかっただけ。
それからA子を腫れ物扱いする生活となった。
私の持ち物でもA子が気に入れば、どんな思い入れがあろうが譲ることとなり
A子を注意できない母はA子の代わりに私を叱った。
A子が自分で気付くようにとの思いだったらしい。
習い事も解禁となったが、先に習っていた私が上手なのは不公平ということで
しばらく休まされた。
しかもA子は学校で忘れ物(宿題含む)をすると、
用意したのに家で誰かにランドセルから抜かれると言い訳してた。
A子父が帰国してから母は離婚した。
当時A子は実父と離れて寂しかったと思うが、誰も幸せになれなかった結婚だった。
なかなかいい話だけってわけにもいかない
A子に対して母親であること放棄した母親の責任だな
他所様からの目を気にして、
A子を野放しする方針で育てるなら
そりゃ幸せにはならんわな
これ母親には打つ手がなかっただろう
何をやっても継子いじめ扱いで、下手したら自分の実子に影響がでるし
帰国まで耐えただけでも一応大人の責任は果たしているんじゃないかね
二年生の少女がそんな嘘をつく(妄想が膨らみすぎたんじゃないよね)なんて
733のいうとおり母親には手のうちようがなかったんじゃないかな。
自分の子との付き合いだけの中から、何とかなるだろうと予想を立てるのは仕方ない
複雑な家庭でさらに単身赴任はしなければよかったんだろうけど事前に予測は立てにくい
A子もつらかったろうな
自分に注目集めるためにそれぐらいするだろ
実子だって、学校で注目集めたくてつかなくていい嘘付いたりするものだ
実子が学校で似たような嘘付いたら当然、そこで叱るの止めたりせず毅然と対応するだろうけど
同じこと出来なかったのは、やっぱり母親の問題だよ
継母いじめのレッテルがよほど嫌だったんだろうな
おそらく母親本人も平等に愛せないことに悩んでたんだろうな
で、痛いとこを思わぬ形で突かれたから、
あっさり母親業放棄したゃったんだと思う
まあ、平等に愛するのが難しいなら
早かれ遅かれ破綻したと思うよ
ただ、母親とA子のどちらが割りを食うか程度の違いだろ
母はいじめなんてしてないけど、
継母という立場と子供が訴えてるし・・・と信じてもらえなかった。
母の注意はA子に入浴や歯磨きの習慣がなかったり、好き嫌いが激しくて、
食べたくないものは隠してやり過ごしたりと当然だったと思う。
それをいじめと言われたら、なにも言えなくなってしまったらしい。
それからは私を叱ることでA子を間接的に注意していた。
A子のお箸の持ち方がおかしかったら、私へ正しい持ち方を示したり。
やり方が生ぬるいし私は不満だったけど、あとでフォローもあった。
家族になった当時の写真はみんな笑顔だったけど、A子にとっては嫌だったのかな。
校長室に呼ばれるまでA子の気持ちに気付かなかった。
A子父は母を信じてくれたので、そのままA子との生活は続いたけど
A子が実母へ引き取り直訴して泣き叫んだり(電話はするも実母から面会拒否)
定期的に学校に呼び出されたり、家庭訪問があったりとA子父帰国まで修羅場も続いた。
どうすればよかったのか今でもわからないけど、みんなつらかったと思う。
現実で修羅場にあったら最適解を見つけるのは難しいよ
こういう場所だと何が何でも完璧にやらなきゃ叩く人はいるからあんまり気にしないほうがいい
私も母は連れ子同士で再婚するという覚悟が足らなかったと思うし
当時は我慢ばっかりだったので、擁護する気になれない。
母自身、再婚したのは世間知らずで浅はかだったと言ってました。
×2を叩かれている母は私実父に相続財産を狙われDVで離婚しました。
以前、書き込んだこともあります。
ATMと家政婦失って残念だったのはA父だと思う。
後出し乙といわれそうですが、母たちは約2年付き合い、その間、子供連れて旅行したり
お出かけして双方、打ち解けられたと籍を入れました。
A子はA母が精神的に不安定、A父が仕事で不在がちだったので
家政婦まかせだったらしく、それまで放置気味だったと思います。
一緒に暮らしはじめてびっくりすることも多かったですが
母がA子の髪の毛を結んであげて、お母さんがいるとうれしい!って言われたり
仲良しだと思ってたので呼び出しに衝撃でした。
A父の海外赴任は1年限定と最初から期間が決まっていたので途中放棄できなかったようです。
育児放棄と言われてますが、注意する→A子学校で騒ぐ→家庭訪問とループするため。
真剣に向き合わなかったとの非難は当然ですが、当時はどうしようもなかったです。
大変でしたね。どんなに準備期間を費やしてもお互い努力しても
どうにも出来ない事があるって言うのは身にしみるよ。
誰にとってもどうしようもなかったってわかるよ
ここで727母を非難してる人の事は気にしないでいいと思う
彼らの人生で母親に対して消化しきれない何かがあるんでしょ
絡まれてお気の毒でした