病棟に入る前に、荷物を調べられ、カミソリ、ライター、つめきりといった「凶器になるおそれのあるもの」はすべてナースステーションに預ける事に。
財布や携帯電話も病棟には持ち込めない。
病棟とエレベータに通じる廊下は大きなガラスの扉で仕切られていて、普段は鍵がかかっている。患者が入退院などで出入りする時だけ、開く。
入院してはじめの一週間は、外出、面会、電話は禁止。
ちなみに、窓に鉄の柵はかかっていないが、どの窓も10センチ以上は開かないようになっている。
「私物を極力病室に持ち込まないように」と看護士さんに注意される。
病棟は慢性的に物不足で、ちょっとしたおやつや本、化粧品、洗剤、ありとあらゆるものが盗みの対象になるとのこと。
定期的な外出が許されているのは比較的軽症な患者さんだけで、たいていの人は年に数回のレクリエーション以外で病院の外に出ることはないらしい。
お風呂は週に2回、月曜日と木曜日。
およそ15分間隔で、みんなで順番に入る。
浴室の中と脱衣所に一人ずつ看護士さんがいて、トラブルが起こらないように見ている。
2日に一度、「買い物」の日があり、それぞれ、係りの看護士に自分の欲しいものを伝えて買ってきてもらう。と言っても、病院に一番近いスーパーにしか買出しに出ないので、そこにないものはいくら頼んでも買ってきてはもらえない。
タバコはみんなセブンスター。1日の本数を定められていて、毎朝ナースステーションに並んで決まった本数を支給される。
コーヒーも1日の量が決まっているらしい。午後に一杯。インスタントコーヒーをスプーン1さじといった具合。
病棟の中の時間は、規則正しく、のんびりと過ぎていく。
入院歴の長い患者さんは、なにがしかの役目を持っていて、デイルームのテーブルをふく役、トイレを掃除する役、喫煙室の灰皿を交換する役、などがある。
自分を男だと思い込んでいるタケちゃんは、ところかまわず服を脱いで身体を拭くのでそのたび看護士に「タケちゃん!あんた女の子なんだからね!」と叱られている。
そのタケちゃんに密かに思いをよせているウチヤマさんは猫背がちにいつもタケちゃんの後ろをついて歩いている。
病棟で入院歴が一番長いというヨシさんは、ティッシュペーパーの箱をとても大切にしていて、食事の時はかならずデイルームの自分の席まで持ってくる。
席をはずすときは、タオルを箱にかぶせ、近くにいる人に「ちょっと見とってね」と頼み、小走りにかけていって用を済ませる。
患者同士の小競り合いは多い。
差し入れされた菓子をみんなで食べようとデイルームに持ってきたら、誘っていない○○さんが一番多く食べた、とか、貸したテープ(CDではなく)を汚して返されたとか、些細なこと。
長く入院している患者さんのほとんどは、家族の面会もなく、退院するあてもない。
家族がすでに亡くなっていたり、病気だったり、受け入れを拒否されて、生涯を病棟で過ごす。
入院する前の自分のいた現実社会で、みな時が止まっている。
髪型や着ている服、聞いている音楽、すべて、その頃の流行で止まっている。
患者たちが話す内容には、時系列がない。
たった今のことを話しているかと思えば、10年も20年も前の事を脈絡なくつい最近のように話す。
そしてみんな、嘘をつく。
「来年のお正月は家に帰って家族と過ごす」とか
「結婚する前に付き合っていた彼氏と、新しい土地でやり直す」とか
「ここにいる間にTVや雑誌で勉強しているから腕はいい。退院したらすぐ知り合いの事務所でデザイナーとして働くことになっている」とか
「車の免許をとりに教習所にいく」とか。希望に満ちた嘘。
週に一度の診察で、毎週みんな「退院はいつですか」と先生に聞き、「まだ当分ないね」と答えられ、そのたびに傷つき、診察のあとのデイルームは「先生に許しを得たあれこれ」の悲しい嘘であふれる。
一度、トランプをもってきていたのでみんなでやろうと思い声をかけたが、看護士さんに「みんな、トランプっていってもババ抜きもできるかどうか・・・怪しいのよね」と言われ、なんとなく落ち込んでやめておいた。
タケちゃんは、数ヶ月前に外出許可をもらって食べに行ったラーメンのことを、嬉しそうに何度も話してくれた。
「車の中で作っていて、外にあるベンチで食べた。スープが黒くて、暖かくて美味しかった。」と、繰り返し。
病棟で出される食事はごはんもおかずも、いつも冷え切っていた。
年末、クリスマスが近づくと一時退院で病棟の半数の患者が自宅に帰る。
「変にあおると余計寂しがって不安定になるから」という理由で、病棟内はいつも通りの毎日。
大晦日だけは、紅白歌合戦が終わるまでデイルームの灯りとTVがついており、夜更かししてもいいことになっていた。
私は鬱病が酷くなって休養入院という名目でしばらく過ごしてましたが、患者同士で病名を聞いたりするのは暗黙のうちにタブーになっていて、具体的には聞けませんでした。
断片的に聞いた話では、キッチンドランカー、分裂症、躁鬱、てんかん、などなど。
今は総合失調症とか境界例っていうのかな?病名にも時代が感じられます。
普段はとても上品そうな穏やかな奥さん、といった感じの人が突然切れて大声を出して暴れ出し、意図的に布団に漏らしたということで、男の看護士数人が飛び込んできて両腕を掴まれて保護室に連れて行かれていました。
病棟においてあるアルバムに、患者さんたちが参加してきたレクリエーションなどの写真がはってあるんだけど、今いる患者さんのすごく若い頃の写真があったりして。「これ、いつの?」とか、聞けなかったな。なんとなく。
でも、患者さんはみんな優しかったです。
夜、消灯が近くなると寂しくなってしまって。
泣いてたら近くにきて慰めてくれたり肩をなでてくれたり。
おやつやなんかがちょこちょこなくなるのを除いては、みんな良くしてくれました。
>217
ごめん、もうやめるよ。
漫画家サイバラの元旦那を思い出しちゃった。
泣いてたら近くにきて 慰めてくれたり肩をなでてくれたり。
ここで泣いた。
優しすぎるんだろうな。
退院の日、家族が迎えに来て、荷物をまとめていたらタケちゃんが部屋まできて、ブレスレットをくれた。
「ありがとね」と答えたが返事はなく、黙ったまま自分の病室に帰っていった。
ウチヤマさんが、今日はタケちゃんでなく私の後をついて歩いている。
振り向くと、「退院ですかあ〜」とぼんやりした声と顔で聞いてくる。
「はい」と答えるとなにやらもごもご言いながら離れる。
またしばらくすると私の後ろにいる。そして振り向くと「退院ですかあ〜」の繰り返し。
退院するつい3日前に、ビーズ細工を教えてくれたナガサキさんにお礼をと思い、ナガサキさんの好きなインスタントコーヒーを持っていったが、黙々と編み物に専念していて、こちらを向いてもらえなかった。
ベッドの脇に、コーヒーを置いてきた。
「パーラメントを買ってきて欲しいのにいつも断られる」と言っていたウネちゃんに、家族に頼んで買ってきてもらったパーラメント2箱を「今までありがとう」と言って渡すととても喜んでくれて、「でも、こういうこと、あんまりせんほうがいいよ。みんな、欲しくても手に入らないものが沢山。味をしめると、みんな、一時入院の人にたかるからね」
「あんたは、もう来ないだろうからたかられることもないけどね」
最後に、先生に「ここの患者のことは忘れなさい。
電話番号や、住所や、聞かれても絶対教えちゃだめよ。あなたとここの人たちは、住む世界が違う。関わりと持とうとしちゃ、だめだよ」と念を押された。
鍵のかかったガラスの扉があいて、迎えにきた家族と帰っていく。
看護士さんたちが「おめでとうね」とにこやかに送ってくれた。
その後ろで、無関心を装った患者さんたちが病棟の入り口で黙ったままちらちらとこちらを見ている。
目があうのが何故か怖くて、振り返ることができなかった。
よかったね。おめでとう。
今でもたまに病棟の暮らしは思い出しますけどね〜。
変わらないゆったりした時間が流れてるんだろうなあ。
短い間だったけど、印象深い出来事が多かったな。
>よかったね。おめでとう。
ありがとう。
立ち直って良かったね。