叩かれ覚悟です。
母が兼業膿家の次男と再婚。
養父の実家の長男様(養父の兄)には彼女さえできなかったため、初孫男子で跡継ぎフィーバー。
その中で、母と継子の私はよそ者扱いで、いびりの対象になっていった。
ある日の朝、隣の農家から、地元では有名な地鶏を数羽お裾分け。それも生きたまま。
養父の母(以下、婆)とその親族が、私の母にしめさせようとするも、
母はうろたえるだけでできず、婆とその親戚から言外に、
都会の女は役立たず的な嫌みを言われてpgrされてた。
それを裏から見てた私が出て、鶏を押さえて首をつかみ、一気に引き折ってしめた。
婆と一緒にpgrしてた義家族の親戚が引く中、躊躇無く包丁で首を落とした。
首から血抜きしてる最中も、しばらく死なずに暴れてばたつく鶏で親戚は軽く修羅場。
ついでに、婆が物心もつかない弟のためとに、どこからか貰ってきたウサギ。
先住犬に怯えたのか、凶暴化して手をつけられず、また数日前に爺の虐待で大怪我させてた。
そんな状態でも病院へ連れて行かず土間に瀕死で放置されていたため、ついでと言ってはかわいそう過ぎるけど処分。。
兼業農家とはいえ、田や畑のほとんどを人に貸してる状態で、実態は家だけが農家風のサラリーマン家庭。
残った畑もちょっと大きい家庭菜園程度。
昔は畜産も盛んだった地域だけど、婆とその親戚は家畜を扱ったことも鶏をしめたこともなかったと後で聞いた。
(後に分けて頂いた隣の方から聞くには、処理してからお裾分けするつもりなのを、婆がそのまま借りていったと聞いた。)
顧問がどこかから実験用のマウスとラットを数匹ずつ貰ってきて、その世話を時々手伝っていた。
両方とも数が増えて困るも、愛護派が処分はかわいそうと主張。
そのうちに飼育場所も餌も足りなくなり、共食いを見てしまった愛護派の保護も手詰まり。
その段階でも顧問は自分たちで話し合って決めろと放置。
先生から方法を習い、多くを生きたまま頸椎脱臼させて処分していたため、慣れるつもりもなかったけど、いつの間にか苦ではなくなってた。
また、過去に鶏の解体の見学もしたことがあり、手順だけは覚えていた。
なお、すぐに地鶏をいただいた方からレシピも聞いて、ほとんど余すところなく調理。
網焼きも、手間をかけてガラを数時間煮出して作った地鶏出汁の鍋も絶品で、夜は母と隣人老夫婦と楽しみました。
その後、婆が私を避けるようになったのを利用して、婆の趣味の部屋だった元牛舎の2階を自室として占拠したのがDQN。
婆が溺愛してたアホ犬を、時々〆るふりしてたのもひどいDQN。
婆が寝ている間に、羽布団に毟った羽を毎晩まくDQNまでしました。
ずっと忘れてたけど、ふとしたきっかけで思い出したので、叩かれ覚悟で投下しました。
ウサギも隣人が解体方法を知ってたので、私自らちゃんとしたけど、
食べたい人が少なくて余ったため少々困り、
近所の友人の職場へ出稼ぎに来てた多国籍の外国人たちへ提供。
時々近所の野良の犬猫や鳩や、人によっては昆虫を捕まえて、
週末はよく会社の裏庭でBBQパーリーしてると聞いてたので、
友人と一緒に持ち込みました。
日本語と英語とラテン系の言葉混じりで言葉はあまりわからなかったけど、
ずいぶんと喜ばれました。そのまま謎肉BBQまで付き合った・・・
その後、私は流行りの濃厚豚骨ラーメンを食べながら、
スープに使われている豚の頭骨の中身の話をしてしまってドンびかれる、
立派なKYに育ってしまいました。
今が幸せでありますように
確かに漢だと思う。
私からもその後の幸せを祈る。
乙でした
あなたは正しい。
今はもう脱出に成功し、医療系の資格も取って、養父一族とは距離を置いて自立して幸せに暮らしています。
謎肉には、骨が付いていたので、どんな動物なのかだいたいはわかっていました。
人の手の上でしか生きられない生き物なら、なるべく苦しまないようにしてあげるのが、
一番なのかなと思って、それは今でも答えは出ていませんが、そうやっていました。
とりあえず、今は生活習慣の関係で、犬は飼いづらいけど猫は飼ってます。
本当は、白くて小さくてかわいいマウスも、白くてもふもふなラットもウサギも飼いたいけど、
先住猫との共存はムリだと思っています。
今後は人を看て生きていくつもりです。
おつ。
無事に脱出出来て良かったね。
でも、シメて解体して食べられるスキルって、精神的なことも含めて
命を正しく捉えられる貴重なスキルだと思う
>>141
あれは最高の傑作だった
ワンピースなんて子供だましがいつまでものさばっててあれが不遇なのは本当に
納得できない
日本の読者は見る目がない
鶏を締めたあと、美味しい食事をしたことだけは、たまに思い出していたのですが、
その時の義理の親戚の反応はすっかり忘れていました。
養父の母のいびりターゲットは主に実母でしたが、
私にも「居候の癖に、一人前のご飯食べてるんじゃないよ」などと言ってたこと。
朝食に卵かけご飯を一人で離れて食べてるときも、わざわざ近くまで来て、
「贅沢」と言われたことなども、思い出したくなくて忘れていました。
当時の私を知る親友と、この時の話をしたら、
「ただでさえ心を許していない相手には無表情で怖かったのに、
そんなことしたら、その養父母も親戚はすごく怖かっただろうと思う」と笑い飛ばされて、
なんだか楽しくなってきましたw
ウサギは何とかしなきゃと思い悩んでの選択です。
「絞めるからには食べよう。ちゃんと役立てたら供養になる」と、
まさに150さんの言うとおりの考えてやりました。
小学生の頃は偏食があったのですが、この一件以来、
食材を無駄にすることと食べ物を残すことに、神経症並の抵抗ができて、
偏食がすっかり治りました。命のありかたについては今でもいろいろ考えています。
あと、ふぐの卵巣は勘弁してくださいw それでは名無しに戻ります。
そうした意識を持つだけでなく、実行できることが凄いです。
乙でした。幸多い人生を。