そこは祖父名義のもので、最初は2つ上の姉と一緒に住んでたんだけど
姉が先に卒業して就職先の関係で出て行ったあと、
私自身が卒業するまでの2年間は一人暮らしだった。


























農家に嫁いだ。
ちょうど新米の季節だったので
仲の良かった友人グループの3人に新米を送ったら
AとBは
「凄く美味しい!直で送ってもらう新米ってこんなに違うんだね!」とか言ってくれて
お世辞でも嬉しかったし、そのことを義母に話したら喜んでくれて
毎年送ってあげなさいと言ってくれた。
似たような話なんだけど、晩ご飯のおかず用にお皿に盛られたコロッケを
あんまり美味しそうなので婿さんが1個つまみ食いしたら
姑が烈火のごとく怒りだし、嫁も姑の尻馬に乗って
ロが卑しいだとか婿の癖に生意気だなんて散々婿さんをなじったところ
東京の中央公園で、縄張り争いに敗れて危うく頃されかけ。
追放されたあと、各地を転々とし。
最後に近畿地方のとある山中の神社の廃墟に住まうようになりました。
ふもとに下りてはなんでもやと称して里の人の手伝いをし。
手間賃をいただいて食いつなぐ身の上でした。
その生活の中で一番恐ろしかったのは、人間です。
小2まで父親とは別居状態で母の実家で暮らしていた。
父親の家は農家で山の中、母親の実家は県庁所在地の住宅街にあった。
両親は不仲というわけではなく、俺が持病持ちで街の大きな病院に通わなければならなかったことと、一人っ子の母親の父親が要介護だったことが重なって、3歳位から別居という形になったというだけのこと。
それでも週に1度は父親の家に泊まっていたんだが、俺はその父方の家族(地域)に対して完全にヤバイ勘違いをしてしまっていた。
彼は兼業農家の次男坊で、実家の広い敷地の片隅に新居を建ててくれることになっていた。
母屋には長男夫婦が同居していて、母屋と新居は10mぐらい離れている。
詳しいことはよく知らないけど、その村ではそういうのが普通なんだって。
小1の頃、近所の友人宅が大きな農家で、いつも友人と広い庭や縁側でままごとしたり、勉強していた。
小1の頃、近所の友人宅が大きな農家で、いつも友人と広い庭や縁側でままごとしたり、勉強していた。