ありがたいことに夫はもちろん義両親の協力も得て、定期連絡以外では毒両親の影を感じずに済んでいました。
義両親は上品な感じなのに、義父の部下が毒親持ちで大変な苦労をしていたのをサポートしていた経験から、私の事情も理解してくれています。感謝しかない。
私の人生の中で圧倒的に幸せな時間を過ごしていました。
コトの起こりは元旦。
なんと、義実家に毒両親から年賀状が届いた。
私たちは入籍だけで式はしておらず、毒両親の要求で形だけやった両家顔合わせも毒親の住んでいる地域でやったりと、義実家の住所は毒両親に漏らしていない。
私たち夫婦は世間が休みの日ほど忙しくなる仕事なので、義両親が気を遣って伏せていたため、その事実を知ったのは4日になってから。
正直、血の気が引きました。
が、今年は5日6日が土日のため、その日にできる事は無く、翌日から不安なまま仕事。昨日、義実家に作戦会議を兼ねた新年の挨拶をしに行きました。
義実家に着くと義兄夫婦と子供たちが先にいました。
新年の挨拶をしていると出前のお寿司(義母は本人も認める料理下手なので集まるときは基本出前)がきたので配膳をして、お昼を頂きながら義実家恒例行事の新年の抱負宣言(夫兄弟の小学校時代の宿題だったのが習慣化)がはじまりました。
宣言、といっても軽いもので、義父は碁会仲間ともっとLINEをしてスマホの操作を覚える。義母は自分の料理で義父に美味しいと言わせる。みたいなものです。
和気あいあいと進んでいたのですが、そこで義兄嫁が「(私)ちゃんとご両親を仲直りさせる!」と高らかに宣言しました。
義両親や義兄が何を言ってるんだと騒然としているあいだ、なんだか私は急に気持ちが凪いでしまってボーッと義兄嫁を見ていました。
なんか、 すごいいい顔してました、義兄嫁。
話があっちゃこっちゃとびながらも、私以外の皆さんが聞き出した内容としては
・義兄嫁の入ってるサークル(物を作る系)が私の地元のイベントに出店?した
・たまたま私の毒両親が来た
・体験講座みたいなものに毒母が参加した
・私と母が激似なのと名字で義兄嫁がピンとくる
・義兄嫁と毒母が連絡先交換
・仲良くなる(外面はとてもいい)につれ、私とあまり会えなくて寂しいと毒がこぼす
→仲直りさせてあげよう!!
で、私夫婦の住所は知らなかった(義兄も含め休日忙しい職種なので年賀状などのやり取り無し)ので義実家の住所と新年の挨拶の日を伝えたとのこと。
つまり、毒両親がここに来る!?となって慌てて私たちは帰り支度をはじめましたが、義兄嫁が妨害する。
義兄達が義兄嫁を止めようとするも、事態がわかってない子供たちがお母さんをいじめるな!とそれを阻む。と、パニック。
知られてしまったものは仕方ない。懇意にしてる弁護士(後から聞いたら義父の友人)を呼ぶからこの機会に(私)さんとご両親が会わなくて済むように話をしよう、と。
そして義兄嫁には、片方だけの話を聞いて勝手をはたらき、挙句の果てに許可もなく他人に住所を教えるという行動は人としてどうなのか。子供の親なのだからもっと慎重に行動しなさい、と言いました。
義兄嫁はハッとした顔をしましたが、隣の義兄(とても怒っている)を見て拗ねていました。
義兄嫁は厳格なお父上とあまり会話した事が無く、苦手に思っていたところ、子供が産まれた辺りからお父上の態度が一気に軟化し、今では良き父娘の関係が築けている、というようなことを言っていました。
私も同じようになるに違いないと思っていたみたいですが、うちの親は厳格なのではなく、毒なんだよ……
で、新年早々申し訳無いが、と義父が弁護士さんを呼んで、義母が慌ててお寿司を弁護士さんのぶん追加注文して、義兄家族を帰して……と慌ただしくしながら待ったのですが、何時間経っても毒両親が来ない。
あまりに来ないので緊張感がもたず、クリスマスに義母にプレゼントしたゲーム機をテレビに繋いでみんなで対戦しながら(弁護士さんがめちゃくちゃ強かった)夜まで待ったけど、やっぱり来ない。
翌日(今日)も私夫婦が休みなのをいいことに、弁護士さんがお帰りになるような時間を過ぎて盛り上がっても、来ない……
結局義実家に泊まって、今朝、恐る恐る毒両親に電話しました。
結果、私夫婦と義両親と義兄夫婦が私実家に今までの不義理について頭を下げに来るのを待っていた。何故来なかった!当面顔も見たくない!!と、斜め上の回答がきました。なんじゃそりゃー!!
義兄嫁に伝えてもらったところ、驚愕してました。
で、昼過ぎに帰ってきました。
夜中までゲームしてた反動でついさっきまで寝ていて、今起きてこれを書いています。
うちはたまたま不発に終わったのでよかったですが、思ってもみないところに親と仲直りをさせようとする勢力って潜んでるものですね……
義両親は、義実家の住所くらいでは何もできないだろうとは思う、と言いつつも、引っ越しも含めて今後の対策を弁護士さんと考えるそうです。
もともと転勤族だったから平気よー!と言ってくれましたが、申し訳無い気持ちでいっぱいです。
年明けから疲れました……
つい先日、義兄嫁に元がつきました。
前回は、ほぼ絶縁状態だった私の毒両親に偶然出会った義兄嫁が、隠していた義実家の住所を漏らし、あわや襲撃……と思いきや毒理論で「しばらく顔も見たく無い」と言われた。というものでした。
私にとって義両親は、夫とともに家族の温もりを感じさせてくれる大切な人です。
対して毒両親は、真綿で首を絞めるような、嫌な思い出の象徴です。
毒両親から逃げ出すまでのエピソードは数え切れないくらいありますが、中でも強烈なものを挙げれば
・幼児が慣用句の意味を知らないと朝まで書き取りさせる
・小学生が友達と遊ぶのを阻止するために毎日習い事をさせ金食い虫と怒鳴る
・中学生が部活の大会に行くのに我が家のみ送迎を拒否して退部に
・大学の願書を提出日の朝に燃やす
ざっとこんな具合です。
特に願書は高校でとりまとめて取り寄せと提出をしてくれていたのが災いし、諸々が間に合わず、結局1年浪人する羽目になりました。
奨学金とバイト代で大学に行くつもりでいましたし、毒両親も反対しなかったため油断していたのですが、まさかわざわざ鞄を漁ってまでなんの得にもならない嫌がらせをするとは思いませんでした。
浪人していなければ出会えなかったであろう条件のバイト先で主人と出会ったので、人生はどう転ぶかわかりませんね。
義両親との顔合わせで出会いはバイト先と言ったら「浪人させてやった俺の手柄!」とばかりに願書の封筒はライターではうまく燃えなかったから、仕事道具のバーナーで燃やしたと鼻息荒く語っていて、破談になるのではと肝を冷やしました。
そんな毒両親と縁ができてしまうにも関わらず、私を受け入れてくれた義両親には感謝してもしきれません。
だからこそ、何をしでかすかわからない毒両親に義実家の住所が知られたというのは、生きた心地がしませんでした。
もっとも、義兄嫁が住所を漏らした件はきっかけに過ぎず、数年中に義母の実家の方に引っ越す予定があったとのこと。
私は知らなかったのですが、義両親は昔からそのつもりで計画を進めていたらしく、義兄と夫も承知の上で、もう終の住処は決まっているのだとか。
義両親のロマンティックな思い出がある土地だそうで、頬を染めた義母さんから「また今度ゆっくり聞いてちょうだい」とお茶に誘って頂いたので私のための嘘ではなさそうで一安心。
毒両親は先述の通り「顔も見たく無い」と言っていたにも関わらず、半月もしないうちに連日連夜電話がかかってくるようになりました。
どんな方向に暴発するかわからないので動向を探るためにも可能な限り出てはいましたが、繋がった瞬間に一言だけ暴言を叫ばれて切られるという繰り返し。
地味にダメージを受けつつも、嵐が過ぎるのを待つしかないと2週間耐えた頃、義兄から電話がかかってきました。
義兄が仕事から帰ると、家には子供たちしかおらず、4歳の子と2歳の子が寝室から毛布を運んできて、二人でくるまって呆然としていたそうです。
子供だけで長時間放置された経験が無かった二人は帰ってきた義兄にしがみついたまま動けなくなってしまったとのこと。
朝からなにも食べてない、お腹がすいた、という子供達に何か食べさせてやろうとしたが、義兄嫁が買い置きの食料を嫌ったためすぐに食べられる物が無く、何か買ってきてくれないか、というヘルプコールでした。
お互い住所は知らなかったのですが、まさか知るきっかけがこんなことになるとは思いませんでした。
あと、余談ですが片道1時間以内と近場だったのも驚きました。
私たちと義両親が駆けつけ、子供たちが食事をはじめてから、私と義母は子供達に付き添い、男性陣は義兄嫁を探しはじめました。
義兄嫁実家や近場の友人などはすでに義兄が電話していましたが、義兄嫁さんは持病があるので急病人として運ばれているかもと手分けして電話しましたが手がかかりは掴めず……
男性陣が手詰まりになった頃に子供たちが眠り、そこで私はスマホが妙に静かだということに気が付きました。
着信ゼロ。強烈な違和感がありました。
毒両親から鬼のようにあった着信が、今日に限って全く無い事を伝えると、義兄の表情がサッと変わりました。
前の晩、義兄嫁は「失敗を挽回したい」というようなことを言っていた気がする、夕飯の魚が焦げていたのでそのことかと思い、頑張れよと適当に返事をしてしまった、というのです。
ちょうどその時、義兄宅の電話が鳴りました。義兄がとると、義兄嫁実家からの、義兄嫁が帰ってきたという電話でした。
とりあえずどこかで倒れたとかでは無くて良かったと、時間も遅かったので一度そこで解散となりました。
当日、義兄を送り出した後、子供たちが機嫌よく遊んでいのを見て、私実家に長居しなければ大丈夫だろうと出かけたらしいです。
そもそも、義兄宅から私の実家は片道3時間はかかる距離にあります。
それを何故、小さな子供がいて「長居しなければ」なんて気持ちでいられたのかと義兄は怒髪天だったのですが、義兄嫁は参加しているサークルの友達に子守を頼んだとのこと。
義兄宅は鍵がナンバーロックなのですが、以前急な子守を頼む際にサークル内の友人に教えていたので、出かけてから誰かに頼めばいいやと思っていたと。
しかも、義兄嫁が覚えられないからと語呂合わせにしていたナンバーを「ウチはイイクニ(仮)だから」などと口頭で、しかもサークルの他のメンバーも普通にいるような場所で公言していたらしく、義兄宅はサークルメンバーなら誰でも入れてしまうような状態だったそうです。
そういうわけで義兄嫁はサークルのラインに「子守お願い!」と投下して意気揚々と出かけたのですが、誰も子守に駆けつける事無く義兄の帰宅まで子供たちは放置されてしまったのですが、何事も無かったことだけは幸運だったと言えるでしょう。
義兄嫁は私の実家に着いて毒両親に迎えられたのですが、
「(義実家)の家の者でもない嫁風情が1人で何をしに来た」
「うちとは家の格が違うんだ、舐めてるのか」
「(義実家)の連中を連れてくるだろうと思って甘い顔をすれば付け上がって」
「(私)が孝行しない損失分はお前に補填させる」
などと毒両親は宣って家業を無理矢理手伝わせようとしたとか。
一応補足をすると、家の格などというものを比べるのであれば、どう考えても義実家の方が圧倒的に超えられない壁何枚挟むんだよってくらい上なんですけどね。
毒父が会社勤めが出来ない人間であるため起業したのが当時の景気と需要に運よくハマったのがよくわからない自信のもとなのですが、従業員は毒母のみの零細から成長しなかった上に現在は閑古鳥が大合唱しているんですがね。情けない。
しかし、腐っても資格商売なので無資格の義兄嫁には当然手伝えません。
それなら配達をと車に乗せられそうになるも、義兄嫁は免許も持っていなかったので役立たずと文字通り叩き出されたと。
その際にスマホが壊れたので誰にも連絡が取れず、毒両親の仕打ちに腹が立って実家に帰ったそうです。
帰りはスマホが使えなかった為に迷って遅い時間になってしまった、悪気は無い、まさか誰も子守に行っていないなんて思ってなかった、私は悪くない!と言いながら持っていたハンカチを投げつけられました。
全く痛く無かったですが、私に投げつけてから泣き出した義兄嫁に返してあげたらひったくられたのだけは解せません。
結論からいうと、義兄嫁は浮気をしていました。
今回、ナンバーロックの事もあって義兄がサークルの代表者に連絡をとって発覚したそうです。
サークル活動の時はついでに用事や買い物、気晴らしも済ませておいでと義母が長めに子供達を預かっていたし、義兄は子煩悩で休日は家事と子供達を引き受けており、義兄嫁の自由時間はかなりあったとのこと。
なので義兄嫁がサークルメンバーに子守を頼むような状況そのものに違和感があったため詳しく聞いてみたところ、浮気相手が名乗り出たそうです。
義兄嫁は泣くばかりでしたが、義兄嫁両親がかわいそうになるくらい謝り倒し、離婚されて当然だと言ったところで急に泣き止んで一度だけ謝り、離婚に同意しました。
その場では諸々の条件などが決められなかったのですが、長い話し合いも終わり、義兄嫁が離婚届にサインをしました。
子供たちは疑いようが無いほど義兄にそっくりでしたし、どうやら鑑定などもしたようですが、義兄が強く望んで義兄嫁が放棄したため親権は義兄になりました。
義兄と義両親の引っ越しも済み、届けを出しに行く間、義兄の子供たちと私夫婦でお留守番をしながらクッキーを山盛り作りまして、帰りに寄った義両親と、お正月にも駆けつけくれて今回も力を借りた弁護士さんも一緒になって盛大なお茶会をしました。
毒両親達は義兄嫁を叩き出して以来沈黙を貫いているのが怖くはあるのですが、弁護士さんと義父が色々と策を練ってくれていますので、頼りになるお二人にお願いしようと思っています。
以上、超絶長くなってしまいましたが、一通りのことが終わりましたという報告でした。