当時学生だったうちの祖父は終戦間際に召集されて九州で終戦を迎えてる
すぐには帰れずやってきた進駐軍の荷物整理を手伝うことになった
でも進駐軍とはわりと仲良くやってたようでみんなギスギスすることも敗戦だって暗くなることもなかったみたい
箱が壊れた物資は廃棄する決まりだったそうで祖父を気に入ってた主計さんたちが何個かちょろまかしておいてくれたらしい
中身は何か?と祖父が聞くと主計さんは「お菓子さ!きっと美味しいぜ!」とニコニコ教えてくれた
甘党なのに甘い物をひさしく食べてなかった祖父は大喜びで礼を言って仲間のところへ箱を持って帰った
わくわくみんなで箱を開けると中には始めて見るチューブが何本か入っていた
アメリカ菓子だ〜!チューブ入りって珍しいな!ってみんなでチューブを咥えて吸ったら全員悶絶
チューブの中身はお菓子ではなく歯磨き粉ですんごい辛いミント味だった
戦時中は物資不足でチューブ型の歯磨き粉がほぼ出回ってなかったせいで祖父たちはそれが歯磨き粉と気付かなかったらしい
主計さんの一人が慌てて「すまん!あげる箱間違えた!」ってやってきたが時既におすしな状態でなんか滑稽で彼も交えて大笑いしたそうだ
祖父曰く薄暗いように思われるあの頃だけれどわりと下っ端は明るく楽しくやってたんだぞ〜とのこと
604 :名無しさん@おーぷん 2017/08/15(火)16:36:15 ID:t8i
教えてくれてありがとう
607 :名無しさん@おーぷん 2017/08/15(火)17:51:16 ID:jok
空自の黎明期にも、合衆国軍のキャンプと隣接してたんで笑い話がいっぱいあるよ
逆性石鹸を洗濯に使ったら、制服が逆に汚れたり
レモンジュース(警戒警報)という符丁で知らせを受けた人が「リンゴのジュースはあるけど」と電話口で答えた話とか
608 :名無しさん@おーぷん 2017/08/15(火)18:28:30 ID:V4w
こういう類いの話好きだ
自分の祖父は戦地に赴いたうえ帰国後しばらく様子がおかしく
一度自●を図ったこともあったとかで直接詳しく話を聞く機会を持たぬまま逝ってしまったけど
大正から昭和初期くらいに活躍した作家がたまに書いてたりするんだよね
戦争の話メインの本じゃなくてあくまで色んな話の中に
何気なく当時のことも書いてある感じ
あと戦争の話メインだし少し重いけど「ホタル帰る」という本とか
ドイツ人俘虜の資料なんか見ると
そこに“生活”があったんだなあと思う
その時代を生きた人の数だけ戦争があるというかね
テレビの特集や教科書では最低限これは書かなければという項目や
興味を引く、それでいて繰り返してはいけないと思えるような
気の引き締まる内容にするし
それは基本的に間違ってないと思うけど
実際はそこで生活している人一人ひとりに日々色々な感情が生まれていて
憎しみ悲しみに暮れることもあれば
プッと噴き出す瞬間もあったんだろうなあとか
被災時もそうだけど人ってずっと緊張した状態とか同じ感情で居続けることできないからね
戦争そのものの陰惨さやそれを受けての教訓やそういう話が一番大事なんだろうけど
同時にそういう日常の生活も大変興味深い