語るほどじゃないけど深夜だしだべりたい気分。
まとめみたいにうまく語れないしネタも既出感あるわー
なんでみんなあんな波乱万丈なの
今回も誰もいないし、ひっそりあげとこ
定員割れ高校に主席入学して調子こいてたら、
県内の国立大学に落ちた。
滑り止めも受けてないし受けるつもりなかったから
卒業して予備校生になった。
過疎った田舎ではいい子ちゃんで通ってたけど
実家出たとたん、髪染めてピアスあけてやりまくったわー
田舎者のイモ姉ちゃんだったなぁ。
はずいわー。そんなんで予備校は3ヵ月で中退。
仕送りもらってるくせに、
バイトの給料で好きなもの買って遊びまくってたら、
まるで自分の力で生活してるような錯覚に陥り、
学生には戻りたくなくなった。
親には軽く説教されたが後は自由にさせてくれた。
残りの学費も何も言わず全額払ってくれた。
バイト先変わるたびに男も変わった。
井中いた時は想像つかなかったけど、
男といちゃいちゃするって簡単なのな。
一番印象に残ってるのが、
夜勤倉庫に努めた時の「中指さん」
世の中知らないイモ姉ちゃんは、
前の人のがでかすぎたのか、中指さんが中指過ぎたのかわかんなかった
標準ってそんなもん?
チャットの談話室で知り合って、
ボイスとウェブカメで毎日話してた。
遠距離だったのでその間もやり放題。
でも本気で惚れてたので、
自分の中ではこの人が最後の彼になるから、
最後の前に遊んどこうというわけの分かんない理屈たてた
2年間遠距離して、お金貯めて元旦那のとこへ引っ越した。
といっても、すぐに同棲したわけじゃなくて、
元旦那んちの近くのアパート借りた。
田舎に舞い戻ってきました
>>12
BBAはそれなりに積んできたので誰かに聞いてほしいのよ
ここでスペック
私:引っ越した当時20歳
派遣バイト綱渡り
元旦那:50歳
バツ2.身障という問題物件
おけつの青いイモ田舎はそれすらカコイイと思っていた
ありがとう
若気の至りとしかいいようがないけど、
その時の私は本気で元旦那に惚れていた。
人生観とか生き様とか、
おっさん物件なのもステキとか思ってた。
年の差婚とかもありかなーなんて考えてしまってた。
ただ、つきあった当初からの条件が
子供は望まないことだった。
年齢差だし身障だしお金ないし、
子供は育てられないと。
お花畑な私は、
子供なんていらんからこの人と結婚したいと思った。
本当に好きだった。毎日楽しかったなー。
あらさー
これは約10年前の話です
元旦那は普通の職場では働けないので
(とはいっても日常生活は普通)
身内会社で使ってもらってた。
給料タダ同然。身内みんな腐ってる。
さっさとやめてやりたい一心で
投資信託の分配金だけで食ってけるようにコツコツためていた。
投資信託?なにそれおいしいの状態の私は
毎月の分配金みてぶっとんだ!
各銘柄に偏らず投資しして、
うまく天秤がとれててどれかがこけても大丈夫みたいになってた。
将来に不安がないように、
EXCELできちーーーっと家計簿つけてて
寸分の無駄遣いも許さないような人だった
私は逆に、
実家出るまで炊飯器も触ったことないようなやつで、
まあ、一人暮らしはしてたけどまともな家事もできなくて
掃除も料理もテンでだめ。
そのへんはまったく合わなかった。
最初は手とり足とり、躾をするように教えてくれてた。
おかげでスキルかなりあがった。
これは本当に感謝だわ。
やっと自由の身だー!
とばかりに、趣味の海外旅行に飛び回った。
年2,3回。アジアばっかり。
国内旅行よりずっと安い。
私も派遣プラプラだったので休みはどーとでもなる。
知らない世界を体験できて、
ますます乙女フィルターに磨きがかかり
50のおっさんがキラキラかっこよく見えた。
かなりメタボなのに。
この頃、
予備校代を全額出してくれた親とは半絶縁状態になってしまった。
両親大好きっこな私は
この状態がつらかったが、現実から目をそむけた。
今が楽しくて楽しくて仕方なかった。
ずっとそんな浮世離れした幸せな生活を送っていた時、
父親が折れてくれた。
「お前が本気なら身を固めろ」
泣きながら感謝した。
ずっと帰りたかった実家に、
元旦那を連れて帰省した。
両親もばあちゃんも複雑な顔をしてたけど、
娘をよろしくと最終的には了承してくれた。
付き合って5年目にしてやっと入籍できた。
アパートを解約して、元旦那家に入居した。
元旦那家にはトメ様がおひとり。
トメ様はばあちゃんと同い年w
アパート借りててもほぼ毎日通ってたから
トメ様ともある程度仲良し。
前妻と結婚してた時に
二世帯にしてくれたのがありがたかった。
トメ様はこんな小娘と住むのはおもしろくないだろうが、
徐々に家族になっていった・・・気がする。
趣味の海外旅行に没頭し、私とも入籍でき
元旦那は人生のピークを迎えていた。
そんな矢先、トメ様が倒れた。
脳梗塞を患って、それに伴って認知症が始まった。
最初はもちろん、
ふつうの年よりのボケかな?ぐらいだったけど
ゆっくりだけど確実に症状は進んでいった。
これからって時に、
おふくろが認知小になったと、旦那の落胆ぶりはひどかった。
もちろん実母が認知小って事実はつらいけど、
好きな時に海外旅行に行けなくなってしまった。
私は旦那が仕事をやめ、
ボケたおばあちゃんと3人で家にいるのが息苦しくて、バイトを増やした。
嫁が元クソ女で五十のおっさんと結婚してたなんて
もちろん全部ゲロってるよw
トメ様の症状はゆるやかに進行。
それに伴い、家の中の空気がギスギスしだした。
完璧を求める旦那は、
食べる前に「いただきます」が言えないトメ様の頭を叩く。
最初はとめに入ったが、
あたりまえだが毎回言えないトメ様にだんだん私もイライラが募る。
旦那と一緒になってトメ様をののしる。
トメ様はだんだん無感情になっていく。
私は日によって立ち位置が変わる。
旦那側についたり、トメ様側についたり。
そんな自分に自己嫌悪でゲロゲロ・・・。
下のお世話は私担当。
う○こを漏らすようになって、強制おむつ。
トメ様泣いてた。
トメ様のう○こをふく私。
子供を産まない約束の私は、
自分の子供のおむつは替えれなくて、
なんでこんなばあさんのおむつ替えてるんやろって卑屈になってた。
感覚がマヒってく私。
もちろん、体罰ばかりでなく、
足腰の劣化を抑えるためにお散歩に連れ出したりしてる。
だから近所からみると面倒見のいい息子夫婦。
旦那のイライラは私にまで飛び火。
家事が苦手なのは相変わらずだが、
何度言っても治らないイモ田舎。
ほこりが舞ってても掃除機かけないし、
水赤ついても洗面所洗わない。
これじゃあ認知小の年寄と一緒だぞ!と叩かれる。
反抗期のようにギャービー言い返すと、
その態度はなんだ!と長い説教が始まる。
私も学習しなくて、
地雷を踏んでは怒らせて、反攻しては説教が始まる。
だんだん、ただただひたすら謝るしかしなくなった。
もうそれすら面白くなくて、手があがる頻度が増えてきた。
ベッドに戻ってきたときに、
たまたまのびをした私のグーが元旦那の口にヒット。
歯医者に行ったばかりの差し歯がとれた。
なんか逆鱗に触れ、ベッドから落とされ、家から追い出された。
眠くてぼーっとしながら、
携帯片手に、5km先の24Hファミレスまで歩いた。
なんでこんななっちゃったんだろーなー、
昔はこんな人じゃなかったのになー
なーんて思いながら泣きながら歩いたな。
間違って当たっただけで、あんな怒るかな?普通
夜が明けて元旦那から電話があった。
車で迎えに来てくれるかと思ったら、
「さっさと帰ってこい」ガチャ
生理がこなくなった。
あんだけやりまくってた時でも、
生理とまったことなんて一度もなかったのに。
もちろん元旦那んとこ引っ越してきてからは
一度も遊んでないので潔白
(ちなみに引っ越した直後に遊んでたことがバレて修羅ばったことがアリw)
検査薬使ったら見事に陽性だった。
私は内心、やったー!と思った。
子供は諦めてたし、
旦那説得できるわけないと思ってたから、
既成事実で出来ちゃえばもう産むっきゃないっしょ!
赤ちゃんでもできたら家のギスギスも収まるっしょ!
トメ様も喜んでボケなおるんじゃない?
なんてお花咲かせてたら、
旦那が土下座した。
「本当にごめん!手術してください!」
わんわん泣きだすからビビった。
子供いらないとかいっときながら
いちゃいちゃのときもゴムなんかつけたことないし、
まあ、いずれできるだろうなって私も漠然と思ってたのに、
いざ出来たらこのうろたえ様・・・
元旦那には子供が3人。
3人とも親権前妻。
そのうち2人は近所にいて、週1ぐらいで面会してる。
子供たちが小学校あがるころ離婚して、
それからヒッキーになってしまった。
長男は今もカウンセリングうけてる。
次男は社会(学校)復帰できてる。
前妻や実姉にあんたのせいだと言われたことが
今もトラウマなんだとか。
もし産むというなら俺はタヒぬとか言って
ナイフだのライターだの持ち出した。
ドラマのように、
やめてえええええあなたああああと言いながら
足にしがみつくしか出来なかった。
とりあえず手術するということにして、その場を収めた。
トメ様にはもちろん話さなかった。
相変わらず「いただきます」
が言えないトメ様を叩く元旦那。
いただきますを10回言え!犬でも待てできるわ!
と説教。
フォローすら出来ない私。
ベッドに入った時、
元旦那はずーっと謝り続けてた。
「初期の手術は負担軽いから。一緒に病院行くから。」
「今日いちゃいちゃしたら痛みなく子供あぼんできるかな」
そんなようなこと言ってた気がしたけどよく覚えてない。
頭がイってしまった私は、
あぁ、そんなつらいトラウマを抱えて、
元旦那様はなんてかわいそうなんだろうと思ってた。
でも赤ちゃんは産みたい。手術したくない。
こわいこわいこわいこわい・・・
ぐるぐる考えてたら、旦那はいちゃいちゃして
私のおなかの上に足を乗せて寝てた。
周りはみんなおなかおっきい幸せ妊婦さん。
待合室でずーっと泣きじゃくってる私・・・。
絶対ワケありだ~って目で見られてた・・・。
ヒスでも起こして逃げ出したいけど
そんな勇気もなかった。
診察室に入って、内診が始まる。
尿検査では陽性反応だったが、
妊娠初期過ぎて卵が見えないと言われた。
この時は妊娠4週目。生理予定日直後ぐらいだった。
実は望まない妊娠で、手術したいと元旦那が先生に言った。
手術するにも初期過ぎて無理なので
来週きてくださいと言われた。
先生も淡々と受け答え。
もっと「え!?なんで?どうして!?」とか
聞いてくれるのかと思った・・・。
私は予定してたバイトをすべてキャンセル。
いたくない家にいた。
元旦那が不安定過ぎて、
リスカでもするんじゃないかと気が気でなかった。
トメ様はデイを利用してたけど
その週はたしか週4ぐらいに増やした。
元旦那は人が変わったかのように優しくなった。
付き合いたてのようにイチャイチャしてくれた。
近場のショッピングモールで、
固い財布の紐を緩めていろいろ買ってくれた。
そしてすきあらばいちゃいちゃしていた。
子供あぼんしないかな~とでも思ってたのかな。
私はそれが幸せすぎて、ずっとこの時間が続けばいいのにと思ってた。
トメ様がいない。元旦那が元の優しい元旦那に戻ってくれた。
こんな幸せなことはない。
でもどうしても手術はいやだった。
不思議なことに、その渦中にいると全然見えないものだよ・・・
その間、同時進行でネットにも相談してた。
もしこんなふうにスレ立てれたら、
ここにも相談しにきてかかもしれない。
回答は「早く目を覚ませクソ女!
クズ旦那から今すぐ離れて実家へ帰れ!」ばっかりだった
この期に及んでお花畑は
「デモデモダッテ」で回答者をイラつかせた。
でもやっぱ、赤ちゃんだけはあぼんしたくない!
手術はこわい!とすんでのところで目を覚まし、
その相談スレではちょっとした英雄扱いされたw
検診に行った次の日に、
元旦那が出かける用事があるので、
その隙に荷物まとめて実家帰ろうと思った。
検診は赤ちゃんが無事に育ってるかを確認するために行くんだと決めた。
そしていよいよ検診の日。
「卵が確認できません」
今はスレタイのとおりなんで、ご心配なさらず!
大嫌いな内診を我慢して受けてたら、
先生が「卵が見当たりません」と言ってきた。
正常に妊娠していれば、受精卵があるはずが、それがない。
可能性としては、
・子宮外妊娠
・すでにあぼん(←元旦那ktkr)
・成長が遅いだけ
とのこと。
もう現実が理解できず涙腺決壊。
あぼんならともかく、子宮外妊娠なら命が危ないので、
今から大学病院へ行ってください!
と紹介状書かれた。
なんで?子宮外に妊娠してるんなら
玉子を子宮の中に戻せば赤ちゃん生きるんじゃないの?
と、まだお花咲いてた。
でもあんま先生緊迫するんだから、
あたしタヒぬのかなー?なんて思った。
ま、でも子宮外妊娠なんてそう珍しい事ではないらしいけど。
誰も見てないだろーけど今日はおちます。
今旦那が起きてこないうちに・・・w
明日も立ってれば続き投下しまーすノシ
地元の産婦人科から紹介されて大学病院へ搬送。
またまた内診すると、やはり玉子行方不明。
子宮外妊娠かあぼんと断定。
成長遅れはありえないと言われた。
もうこの時点でまともに診察受けれない私。
いすに座れず泣き崩れて、看護士さんに支えられる。
んでこの大学病院のクソジョイ
「まああぼんなんて10人に1人がしてるからね」
とほざきやがった。
仮にそれが事実だとしても今この場で言うか。
てめーそれでもメスか。
女医なんてみんな冷酷ってか淡白なのかね。
で、やはり子宮外妊娠の可能性が否定できないので、
その後は車いすに乗せられ、
MRIだの心電図だのいろいろとられまくった。
でも今日明日でタヒぬわけではないので、
いったんその日は家に帰された。翌日手術。
こうやって客観的に自分の過去みると
「こんなにかわいそうな私~」
に酔ってた感するなー
トメ様の介護をこんなに若い年でがんばってる私~
地雷物件の旦那様を引き取ってあげてる私~
今思うと吐き気がする・・・
本当にその渦中にいるときは、酔っているという感覚もなく、
自分の事かわいそうともなんとも思ってなかったんだよな
(ただトメ様の介護に関してはすげー思ってた)
DVなんて呼べるほどひどい仕打ちされてないけど、
きっとDV被害者の気持ちってこんなん?なんかな
自分がこんなメンヘラまがいだとは・・・
よく目が覚めてくれた、と思いたい
たしかこの日は、
いただきますを言えなくてもスルーされた気がした。
落ち着いたところで、
両親に手術の件を伝えるため実家へ電話。
妊娠したんだけど子宮外で手術とだけ言うつもりだった。
母親が出た。なんて切り出せばいいかわからない。
私「あのさ・・・」
母「主婦板(架空)の相談者って、あれあんたのことでしょ」
私「・・・(絶句)」
母「最初、あれ、なんか似た境遇の人だなって思ってたら・・・
ずっと読んでったら確信したよ。>>1だなって。
なんで・・・、なんでお父さんとお母さんに相談してくれなかったの?なんで・・・ウッ」
私「(嗚咽でしゃべれない)」
まさにカオス。なんでかーちゃんが知ってるんだ・・・。
でも確かにその相談スレはかーちゃんでもたどりつけるような場所ではあった。
うかつだった・・・。ネットこえー。
ただ、軽く装飾した中で
娘だと確信した母親はすごいなって妙に感心した覚えがあった。
母親っちゃこーいうもんか。すげーなかーちゃん。
元旦那があぼんしてくれと言ってきてること、
トメ様の介護絶賛継続中なこと、軽くDVってることもバレた。
それでも両親は、とにかく体を大事に、手術がんがれ、
遠距離で今日明日には行けないけど、
落ち着いたら必ず行くとだけ言い、
元旦那には電話をかわらずに切った。
元旦那は私の体を気遣ってくれた。
「明日手術がんばろーな」
とか言ってた気がする。
あぼんせずとも赤は始末できた、
でも私にタヒなれちゃ困る、みたいな心境?
でも赤が天に召されてしまった私の耳には何も入らなかった。
最後の最後に玉子確認。やはりありません。
ただ、子宮の中に卵がなくて、でも子宮の外にも卵がないの。
エコーで探してもどこにもない。
ふつー子宮外妊娠ってのは、
卵管とか卵巣に着床してしまうパターンが多い。
もしかしたらもうあぼんしちゃったけど、
子宮内に妊娠のなごり物質が残ってるから、
妊娠反応が継続してるだけかもね、
ってことで切り分けのために流産の後処理手術を行うことに。
悶絶して、過呼吸で動けなくなってしまった。
擬似的に陣痛起こすと同じ事。
まさに妊婦のように叫びまくった。
間違いなく人生で経験した中で最悪の痛み。
耳元で器具を入れた助手が、クソ女医に
「す、すみません、
私が何度か出し入れしちゃったから
患者さん痛がらせちゃったんですかね」
クソ女医「そーいうことは患者さんに聞こえるとこで言わないで」
冗談抜きで、恥ずかしいとかいう余裕もなく、
2,3人に抱きかかえられながら担架に移った。
コハーコハーしながら、入院病棟へ移された。
個室だった。ワケアリだから?
やっと呼吸が落ち着いたころ、
今度は手術室へ移動。
手術は全麻で、あっという間に終わった。
あまりにいろいろありすぎて、赤の哀しみが薄れてしまった。
感傷に浸ってる余裕もなかった。
術後、問題発生。
「妊娠数値が下がりません」
ヤブなんかな~?
大学病院なんだがね。(←ヒント方言w)
助手もイラつくが、
クソ女医は一生許せねー
慣れでぽろっと言っちゃったかもしんねーが
こういう粘着系患者もいるんだぜ
ただ、やっぱり上手だろうと下手だろうと、
処置は過呼吸もんです。
つづき。
妊娠数値が下がらないってことは、
妊娠継続しているってこと。
流産処置をしてもダメ→子宮外妊娠にケテーイ(・∀・)!
ただ、エコーで探しても
卵ちゃんがどこにもいない、どこにいるの!?
体内のどっかにはいるはず。
どっかわかんないとこで着床して成長すれば、
血管破裂したりなんかしたりして、
タヒの危険がたたた高まる・・・ (((( ;゚Д゚)))
どこにいっか分かんないから、手術してさがそっか!!
ってことで、本日二度目の手術開始!
腹腔鏡(ふっくうきょう)手術は
おなかを切る手術より回復が早いとか。
実は元旦那がその手術の様子をみていたんだそー。
「スイカみたいにパンパンだった。
妊婦よりでかかったんじゃないかな?」だそー。
妊娠後期に陣痛触発するために
やられたから凄い分かるわ
マジ痛いですよね・・・・゚・(ノД`;)・゚・
痛いなんて言葉じゃ言い表せられないお。
がんばって赤ちゃんが生まれてくるならまだしも。
パンパンおなかで卵捜索していると、
見つかった場所が意外や意外!
なんと直腸の裏に着床していたんだそうです!
みなさん、各自ググって、直腸の位置をイマジンしてごらん。
ちょちょちょ直腸ってwwww
おまえどんだけ方向音痴やねんwwwww
これには大学病院のお偉い先生も
(←手術は男性でクソ女医じゃなかった)
初めてみるレアケースと言われた。
既出だけど、子宮外妊娠って、
普通は卵巣や卵管に着床してしまうもの。
卵管や卵巣は左右にそれぞれあるので、
仮に子宮外妊娠で着床しても、どちらか摘出してしまえばおk。
ただ、直腸はさすがに・・・摘出できないっしょwwww
ってことで、出来る限り取り除くというアナログ戦法。
術後、妊娠数値は下がったものの、
びみょーに妊娠継続中?というわけわかんない結果になったので、
抗ガン剤を2度ほど打った。口内炎がやたらできた。
余談ですが、卵ちゃんを捜してる最中に、
両卵巣にでっかい腫瘍が見つかった。
悪性ではないので今すぐとんなきゃいけないわけじゃないけど、
ついでなので取ってもらえた。
しかも一日に全麻手術2連チャン。氏ねたね・・・
体が全身筋肉痛で、リクライニングあげるだけで悶絶。
のどが渇いて乾いてしぬ。
夜中に2時間起きにくる看護士さんに飲ませてもらうが
口から水だーだー。
たんがからんでしぬ。おなか痛くてせき込めない。
2日目は廃人。3日目からは動けたけど、
ガスが出ないと食事抜きと言われ
点滴引きずって歩きまわった。
いただきます言うから食べさせておくれよー・・・
ただ、今の医療というのは素晴らしくて、
術後たったの5日で退院できた!
こーんな大手術をしたのにすげー!
退院の日、写真をもらった。
腫瘍の写真。定規の上に並べられてた。
どっちも直径5センチぐらいのもにゅもにゅ。
その左右の腫瘍の間にあった、真っ赤な小豆大の物体。
それが私たちの赤ちゃんだった。
写真を渡され、
退院手続にと看護士が部屋を出た後、わんわん泣いた。
元旦那は背中をさすってくれたがウザかった。
もうこのころウザいという感情が湧いていた。
自分の今までの人生に
どんな意味があって理由があるのか、考えてみてもいいかも
そして人との出会いは運と縁とタイミング
自分と関わった全ての人は
様々な縁とタイミングによって関わり繋がってきている。
その意味も考えるのも良いかと
ありがとうございます。
まさに私の座右の銘にしたいようなお言葉です。
赤ちゃんが私のもとに来てくれたことも、
元旦那と縁があったことも、
すべて意味があるんですよね。
その通りだと思います。
退院した後は、私はもぬけの殻になってしまった。
もうどうやって
この家で生活していけばいいか分からなくなった。
もうトメ様の介護したくないよー。
元旦那もいやになった。
あんな好きだったのに、こんなに冷めてしまうもんなんかなー
でもたった5週間だけでも、
おなかの中に赤ちゃんがいた事は事実。
赤ちゃん産みたい産みたい産みたい産みたい!
でも離婚したくないよー。
やっぱまだ好きだもんなー(←まだ重傷orz)
どうしよー。もう子供は無理なのかなー。
説得する気力がない。心全折れ。
行動する気力はないので、
このまま生活を変えずに送ってこー
と、なかば諦めの境地に達した所で、
決定的な一言が。
近くの神社にでも手を合わせに行きたい」
元旦那「行ってもいいけど・・・」
「その子はお前の事をコロそうとしたんだぞ?」
プ ツ ン
音がしたね、確かに。
むーりーーーしゅーーーりょーーー
やっと目が覚めた。
なんでこんなメタボおっさんに粘着してたんだろ私。
ここで一気に冷めた。
でもここまでの事言われないと
目が覚めないほど頭湧いてたんだな、私。
でも、ヒス起こして離婚だーー!
と言える勇気がないへたれ。
その場では「うん、そうだね」なんて返事した。
氏ねばいいのに私。
でもその晩に勇気を振り絞って
「離婚したい」とベッドで言った。
言いながら自分でも現実味がなくて、
元旦那も冗談だと思ってる。
もういろいろすり減りすぎて、涙簡単に出る。
自分に言い聞かせるように、
「離婚するから」って毎日言ってた。
そりゃー冗談だと思われるよね。
その当時にvipを見せてやりたかった。
もっと用意周到にやれよ。
今の旦那さんはいくつ?
今旦那は32です!私は28です!!!
って言いたくなる!!元旦那殴りてえ!
DV系男と一緒にいたら
自分が正しいのか間違ってるのか分からなくなる
しかも友達や家族に相談とかできないんだよね
よかった、共感してもらえて・・・
元旦那「・・・なんで?もっとお前の事幸せにしてやるって言ってるじゃん」
私「私・・・やっぱ赤ちゃんが産みたい。旦ちゃんの赤ちゃん産みたいよ・・・」
元旦那「はぁ?!俺があれだけ苦しんだのに!?おまえはまだそんなこと言い続けるのか!?」
私「私といる限りずっと言い続けるよ・・・旦ちゃんも苦しいだけだよ、離婚しよう・・・」
元旦那「赤ちゃんのことは頼むからあきらめて。手術も終わったんだし、また海外旅行いこう!
どこがいい?おまえが好きなバリか?アンコールワットもまだ見てなかったよな。
ベトナムもいいよな!俺ベトナム行きたいと思ってたんだ~!お前どこ行きたい?」
私「・・・・・・・。」
これ以上何も言えない私。へたれすぎて氏ねる。
決して理詰めされてるわけじゃないのに、
どこかで離婚したくないとまだ思ってたと思う。
話はぐらかされたり、
時には愛してる愛してるって泣きじゃくられたり・・・。
旦那「お前がそこまで子供産みたいっていうなら、おふくろがタヒんだら産んでもいいぞ。
介護と育児の両立は不可能だからな。譲歩してやる俺やさしー」
私「お花ぱあああ♪赤ちゃん産めるんるんるん!」
数時間後
私「頭湧いてることいってんじゃねーぞボケ(とは言えない)」
旦那「じゃあ、あと10年たったら産んでもいいぞ」
私「お花ぱあああ♪あと10年あと10年!」
数時間後
私「クソが5年後なんてマルコーじゃ。
っていうかてめーのトラウマはその程度なんか?」
旦那「お前!俺がトラウマ抱えてるのに
こんだけ譲歩してやってんじゃねーかこのあまー!」ビンタ
私「ごめんなざあああああいいいい」
頭湧いてるのは私だっつうの・・・
5年後→10年後の間違いです・・・orz
レスミスやらなんやらよみづれーなーこのスレ
ついにこんな生活に耐え切れず、
こっちに引っ越してきてからの唯一の友達のところに行った。
彼女は姐御肌で、
全部一気にゲロったらかくまってくれた。
精神軟禁状態の私はご丁寧に、
「今日は姐子ちゃんとこに泊まるから」とごほーこく。
相談スレでも言われたけど、
私たちは夫婦というより擬似親子のような感じだったかも。
姐子ちゃんの家には子供が二人。上が2歳、下が3ヵ月。
そんな大変な状況の中で、何日もかくまってくれた。
感謝してもしきれない、人生の恩人。
それは人間として立派なものだよ。
愛が冷めても元旦那にちゃんと情が残ってたんだよ。
ただたんに情を与える相手を間違えちゃっただけなんだよ。
ありがとうございます。
そう言っていただけるととてもありがたいです。
本当に情しかのこんなかったなー。
こういうの同情って言うんでしたっけ?
姐子ちゃんちと元旦那家を往復する日々が約2週間続き、
ようやく決着が。
お願いだから離婚して下さい。私を開放して下さい。
と何度も頼んだ。
ついに旦那が折れてくれた。
離婚しても俺がお前を一番愛してるからなと。
私も嫌いで別れるんじゃないから、
とかまた湧いたことを言ってた気がする。
なんていうんだろ、ちょっとしばらくの間お別れ、
みたいな、離婚の意味をお互い履き違えてる感じだった。
でも私は胸の中では嫌悪感でいっぱい。
きもくてきもくて仕方なかった。
でも同じぐらい悲しさもいっぱいだった。
そんな中でも、
ホームセンターででかい段ボール買ってきたりして、
準備は淡々とこなした。
旦那の目の前で荷物まとめてて、
「手伝おうか?」と言われた。
「頼むからほっといて!」と叫んだ(情緒不安定過ぎワロw)
でも車持ってないので、
結局宅急便で送るのに集配センターまで持ってってもらった。
どういうつもりで運転して、荷物持ってたんだろう、元旦那は・・・。
両親が8時間かけて元旦那んちへ来てくれた。
父は激昂するでもなく、
「娘がお世話になりました」とあいさつした。
元旦那はトメ様を席から外し、
離婚届を埋めていった。
「もうこれ書くのは3度目だよ、ハハ・・・」
だって。しらねーよ。
保証人欄に両親が記入し、
「確かに記入させていただきました」
と、とてもビジネスライクに終わった。
あっけなかった・・・。
最後に、トメ様にあいさつ。
私「お義母さん、本当にお世話になりました。
毎日ひどいこと言って本当にごめんね。
旦ちゃんと二人で仲良くね。本当にごめんなさい」
トメ様「あんた・・・、わしのせいで出て行くんか?
わしがボケとるで、わしのおしりふくのいやで出て行くんか?
頼むからもう少し辛抱して下さい!旦を一人にしないでやってください!」
元旦那「おふくろ・・・、もう決まったことやから・・・」
私「お義母さん・・・、本当にごめんなさい・・・」
元旦那「お前!おふくろの目を見て!おふくろのせいじゃないって言ってやれ!!」
私「お義母さん、お義母さんのせいじゃないから!ごめんね、ごめんね・・・」
これから二人で生活していくのがどうしても心残りだった。
元旦那は本人も自覚はあるが
本当に介護に向かない性格だった。
昨日出来ていたことが今日出来なくなるのが許せなくて、
何度も何度も繰り返しやらせたり言わせたりしていた。
言えない場合は頭を思いっきり叩いてた。
はっきり言って
認知症じゃなくても忘れるよそれぐらいってことでもねちっこく説教していた。
最初の頃は間に入って止めていたが、
私も毎日となると感覚がマヒっていった。
それでも耐え切れなくなって、
元旦那に内緒でケアマネに相談した。
ケアマネが元旦那に連絡を取ったが、
旦那はケアマネとの話し合いを拒否した。
代わりにチクった私がだいぶ叱られた。
「お前のせいであそこの施設を利用しにくくなる、どうしてくれるんだ」と。
本当に心配だった。
トメばあちゃん、ごめんね。
どうか、元気でいてね・・・。
なんかおかしい気がする
っぽいですよね・・・
でもはっきりいって
アスペ化したのはこの妊娠騒動がきっかけです。
でもDVの気はその前からありありとあらわれてたけど・・・
離婚届を書き終わって、
両親とともに元旦那家を出た。
出る間際、元旦那が
「遠くからお越しでお疲れでしょうから、
今晩は泊って行かれませんか?」とか
最後の最後まで湧いたことを言っていた。
別れ際には元旦那もトメ様も泣きながら手を振っていた。
私は家を出たとたん、
呪縛から解かれたようにさっぱり冷めきっていた。
あーー、終わったんだー。
トメ様には悪いけど、
姿が見えなくなったら心配も薄れてしまった。
(でも本気で心配してたのは事実です!)
もちろんその夜は予約したビジホに3人で泊まった。
近くの居酒屋で祝杯をあげた。
いやーメシウマ!酒がうまかった!
アルコールも何年も飲ませてもらってなかったな~!
辛気臭い話はなしに、まじでこの時は盛り上がった!
いろいろぼろぼろ落ちてった気がする!
約2ヵ月、仕事も家事もな~んもしないで日々を過ごした。
でも、ニートの方には悪いけど、
なんもしないで過ごすのって2ヵ月が限度だったwww
でも幸せな2ヵ月だったなー。
実家で思う存分甘えられたし、一人旅行にも行ったし!
たまーにロミオメールが来たりして、
フラバして吐いたこともあったけど、楽しさが勝っていた!
思ったほど後遺症が少ない事に自分でもびっくり!
地元の友達と遊んだり、飲みに行ったり、
体ってこんなに軽かったっけ!?って感じだった。
あぁ、こんなメンヘラBBAでもちょっとは幸せ感じちゃっていいかしらテヘ☆
はーい!もーちょっとでハッピーエンドですよー☆
やっぱりそう思ってたの
あたしだけじゃなかったんすね
せまーい田舎の世界に舞い戻ってきて、
ただいまマイホーム!って感じの日々。
親の知り合いのコネで、次の仕事も見つかった。
順風満帆だったけど、地に足がついてる感じだった。
19、20のころのクソ女だったころの自分ももういない。
メンヘラの自分はたまにこんにちわしそうだったけど、
ゆっくり蓋してこうなーって思ってた。
よし!ニートな日々に別れを告げ、
明日から働くぞ!と意気込んだ日の夜11時。
元旦那から着信があった。
電話は初めてだった。
しかも夜の11時・・・。
体が硬直して動かない。
早く切れろ早く切れろ早く切れろ早く切れろ早く切れろ
しばらーく鳴って、ようやく切れた。
心臓が暴れて寝付けない
ばかやろー明日から仕事なんだよ
と思っていたら、
次は隣の部屋の父の携帯がなった。
こちらもだいぶ長くなってた。
父は寝室とは別の部屋に携帯置いてたので起きなかった。
くそーなんなのいったいせっかく平穏な日々だったのにー
頼むからかきみださないでほしいよーと半べそかいてたら、
メールが来た。
面白いぞ
「おふくろがタヒにました」
今度は心臓が止まりそうになった。
トメ様が・・・タヒんだ?
電話に出ないようなのでメールします。
今朝おふくろがタヒにました。
あの後、何度説明しても、俺たちが離婚したことは
おふくろが原因だと思ったままタヒにました。
おふくろを追い詰めたのはお前です。
お前がお袋をコロしました。
それだけ言いたいと思いメールしました。」
トメばあちゃん、本当にタヒんじゃったの?
なんで・・・あんなに優しいばあちゃんだったのに。
あたし、元旦那と一緒にいっぱいひどい事言った。
こんな小娘にあんなののしられて、どんなに悔しかっただろう。
なんでもっともっと優しくしてあげなかったんだろう。
元旦那の言うとおり、トメばあちゃんをコロしたのは私だ。
じゃあ、おながいします(切実
>>100
ありがとう、おBAちゃんがんばるよ
耐え切れなくなって、朝5時ごろ、両親の寝室へ行った。
私「トメばあちゃん、亡くなったって・・・。旦からメールきた・・・。」
両親「え・・・・・・」
父「つらいけど、何もできることはないよ。
お前のせいじゃない。絶対お前のせいじゃない」
5時半。再度私の携帯がなる。
父「このまましつこく連絡がき続けると厄介だから、出てみろ。
何かあったらすぐにかわれ」
私 こくん・・・ 電話に出る
「・・・もしもし」
元旦那「・・・・・・メール読んだんか」
私「・・・・・・はい」
元旦那「どうおもっとるんや」
私「・・・・・・・ごめんなさい」
元旦那「おふくろをコロした人間のこの先を、俺が応援できるとでも思うか!!」
私「・・・・・・・本当にごめんなさい」
元旦那「俺はお前をゆるさんからな、一生許さんからな!!」
ガチャ
涙腺決壊
父「いい、いい。よくやった。
もうこれで終わりだ。もう何も考えなくていいんだ」
元旦那最低だし庇うつもりもないけど、
誰かのせいにしないとやってられなかったのかもしれないと考えると結構辛い。
そうか・・・。最後まで悲劇のヒロイン演じていたけど、
元旦那の気持ちまで気が回らなかったな・・・。
その後元旦那から連絡が来ることはなくなった。
コンディション最悪だったが、
出勤初日からあぼーんは出来ないので、涙拭いて出社したったよ!
元旦那の家から車で8時間の実家も、
一応は場所知られてるから凸の心配もあって、
しばらくは家族全員防犯ベル携帯してたけど、
取り越し苦労だった。
後日、旦那と共通の友人から聞いた。
トメ様が亡くなったのは2月だったのだが、
朝、元旦那がトメ様を起こしに行くと、
押入れの中で寝ていたらしい。
朝にはもう冷たくなっていたんだとか。
もう自分の寝床もわからないほどボケが進んでいたのか、
進むほど頭を叩かれたのかはわからない。
トメ様の御墓に線香をあげに行きたいと本気で思ってるが、
今も叶わないでいる・・・。
わざわざ墓前まで行かなくても
そこまで思っててくれるだけでトメさん喜んでると思うよ
ちなみに元旦那は
「恥かかされた」「臨機応変」とかよく言わなかった?
地元に戻って、仕事も始め、
リア充化した>>1ことわたくしは、
その3ヶ月後には今旦那と運命的に出会い、
恋に落ちました♪
うっほ!恋愛たのすぃーい♪アドレナリンでまくり~☆
今旦那くんは、年は若いし、
優しいし、家事もきっちりこなせ!とは言わないし、
なんていうか、身分相応!
価値観いっしょ!とーぜんですが、DVしません!
そして何よりちょーーーーイケメン☆なの♪
どれぐらいイケメンかっていうと、
宮川大輔をこ太りにした感じ!ね?イケメンでしょ!?
狭い田舎では、旦那両親は私両親と共通の知り合いだし、
ばあちゃん同士も近所のお茶のみ友達だし!
もう姑のおむつ替えることないし!ひゃっほーう!
そして今は結婚2年目なんですが、
なんとベビちゃんに恵まれました!!
もーまじ、鼻のあなに入れてもいたくないくらいめんこい!
こんなにわが子はめんこいのかっていうね!
どれぐらいめんこいかっていうと、
鈴木福君をシュっとした感じ!ね?めごちゃんでしょ!?
やーもう今の生活幸せすぎて、
急に人生イージーモードになってまいっちゃいますわ~♪
このスレで何が言いたかったかっていうと、
うちの旦那マジイケメンだし
息子はマジイケジュニアだわーってこと!
楽しく読ませてもらった
>>1は北海道の人?
今は楽しんでそうでよかったわ
幸せにな!
ありがとうございます!
東北人です。いんや、こめらっちゃめんこいな~
>>108
ありがとうございます!
いやー、幸せすぎてやばいっすわーw
>>110
ありがとうございます!
幸せすぎておなかいっぱい!
だれも宮川大輔のこ太りにはつっこんでくれないのねん
でもマジでイケメンだから!
男見る目ないって言われてもイケメンだから!!
一応ハッピーエンドということにさせて下さい(^-^A;
今の生活は本当にかけがえがないほど幸せで、
絶対に失いたくありません。
そう思ってるのに、未だに元旦那の夢をみることがあります。
決まって、私が逃げていて、元旦那が復縁を迫る夢。
でもFB見てると、トメ様がいなくなって、
さらに海外飛び回ってるようで
きっと向こうは私の事はこれっぽっちも思い出してないんでしょうね。
これでいいんですが、
なんかやっぱさみしいな(ってまだ病気なんか私は)
FB見る癖もいい加減やめなきゃ・・・
今旦那との子供を妊娠した時、
まず正常妊娠かが本当に不安でしたが、
ちゃんと子宮内に妊娠が確認された時は泣いちゃいましたね。
あと、最初の内心の時は、
あの器具を付けられたこと思い出して、
「(台から)おろしてください!おろしてください!」
てさわいじゃった・・・
未だに内診は怖いけど、
今度は赤ちゃんのため!とがんばれました。
一時は本当に子供を産むことをあきらめた人生だったけど、
こんな180度違う人生を歩めて本当に幸せです。
元旦那との生活も楽しかったし、
すべてが嫌な思い出だとは思いたくない。
自分の経験値かなりあがった!
スキルもあがった!海外旅行もうできなくてもいい!
こうやってネタにして楽しんでやる!
よし!>>1で言った自分語りスレが完結してよかったわ!
あんまタイピングしてるとさっきからベビが起きそうで怖い・・・
明日からまたROMりーに戻ります。
皆さまお付き合いありがとうございました!!!
もしまだ明日も見てたら、1の兄弟構成と、
幼少期~思春期位の親との関係を軽く聞きたいな。
親との関係っていうのは、仲が良かったとか、
言いたいことがあまり言えなかったとか、なんでもいいんだけど
答えられたらお願いします~
あのね、実家での生活は
何不自由ないリア充家庭でした。
兄弟は5個下の弟ひとり。
家族旅行は頻繁!キャンプだの山登りだのよくしたな~。
親との関係は良好で反抗期もなければ
父親キモ期もゼロでした。成人してからも良好。
だから愛情もらえてなかったから
クソ女になったとかメンヘラに粘着したとか、その可能性はまったくなし。
じゃあなんなんだろうね。
その原因はいまだに自分でもわからないよ。
正直生活レベルは落ちたと思う。
でも離婚前の生活と今の生活を比べたら
何百倍も、何千倍も、何万倍も
楽しいし、幸せだわ。
>>1に素敵な家族ができて、
幸せつかめてほんとに良かった。
幸せが続くように祈ってるよ。
人生終わるまで半々だってよく聞くけど、
苦労した分何かしらの形で返ってくるって信じれればいいね。
勿論今後も色んな出来事があるだろうけど、
俺もかなりの不幸な家庭だったんだけど、
トラブルが起きた時は、
その不幸だった経験があるから乗り越えられる
って前向きに利用してる。
そうなれるほど強くなれればいいね