あるまとめで、発達障害の姪の面倒を押し付けられて
ありました。そこのコメ欄では、その姪が加害者だと
糾弾されていました。当人ではもちろんないのですが
私は姪の立場の人生を歩んでいます。辛くて脳みそが
限界なので、吐き出させて下さい。ネタと思って
頂いてかまいません。
私は生まれつき四肢の一部が欠損していました。
エコーの段階で気付き産むかどうか一悶着あり
結局私は産まれました。両祖父母は私が産まれるのは
反対だったそうです。実母が反対を押し切って
私を産んだそうです。その時にカ〇ワの娘はいらないと
いうことで、実父と実母は離婚しました。
そして、実母と実母の実家で暮らすことになりました。
その頃のことはあまり覚えていません。
ただ、実母のことは好きでした。だから、実母が
帰ってこなくなった時、私は4歳でしたが
どうして帰ってこないのか、何度も同居していた
伯父伯母夫婦に聞いたのを覚えています。
祖父母は私のことを疎ましく思っていたのを
感じていたので、あまりはなしかけませんでした。
ここで、実母実家の家族構成を書きます。
実母→4歳の時に帰ってこなくなった
伯父→実母の弟
伯母→伯父の妻
祖父母→私のことは嫌いだけど、実母と伯父は
大切なようだった。
従姉妹→私と同級生の伯父伯母夫婦の娘。
子供の時は仲良く遊んでいた。
実母が消えてから、家に「おかあさん」は
伯母さんしかいなかったので、私は自然と
伯母をおかあさんと呼ぶようになり、
実の娘でないことは理解しながらも、私のお世話を
全部してくれる伯母を本当の母のように思うように
なりました。
気付いていましたが、あまり深く考えませんでした。
ご飯を作ってくれて、お風呂に一緒に入ってくれて
髪を結ってくれました。大好きなおかあさんでした。
従姉妹はおかあさんといつも一緒に寝れて
羨ましかったです。だから私はおかあさんに一度
私もおかあさんと寝たい、と言いました。
従姉妹が泣いて、おかあさんが従兄弟を泣いて
私の要求は流されてしまいました。
その時もさみしいとは思ったけど深くは
考えませんでした。自分が愛されていないとは
夢にも思わなかったからです。
私は義肢を使わずとも、日常生活は殆ど自立
出来ているので、従姉妹と一緒に普通学級に
通いました。さすがにクラスは違いましたが
一緒に登校して、学校の話をして、喧嘩もたまにして
普通の姉妹のようでした。私にはそう感じていました。
小学校3年生の時から、私はイジメにあいはじめました。
それまでも、不思議そうに聞かれたり
からかわれたことはありましたが、もっと陰湿な
いじめを受けました。物を私が取れない所に置いたり
机や教科書にイタズラをされたりしました。
私は伯母に相談しました。従姉妹は多分私が
いじめられているのを知っていたと思うけど
クラスも違うし、従姉妹に気を遣われるのが
恥ずかしかったので、従姉妹には何も
話しませんでした。おかあさんは私のために
何度も学校まで来てくれました。いじめっ子の
親とも話し合ってくれたみたいです。
いじめは辛かったけど、どうせこの体じゃ
いじめられるのも自業自得な気がしていて、
いじめを受けた辛さよりおかあさんが
私を守ろうとしてくれた事がすごく嬉しかったです。
いじめは完全にはなくならなかったけど、だいぶ
軽くなりました。小学校5年生になった時に
伯父と伯母は離婚することになりました。
でも、おかあさんは私を連れて行ってくれると
思ったんだけど、それはダメだと言われた。
悲しくてショックだった。おかあさんに縋って
嫌だー!おかあさんと離れたくないっ!と
お願いしたけど、ダメだったんだよね。
その時は、血が繋がってないからいけないんだと。
だからしょうがないんだと自分に言い聞かせた。
それでもおかあさんは、私のおかあさんだからっ!
おかあさんとの絆を確かめたくて、何回も何回も
別れるその時までおかあさんに繰り返し言った。
唯一ある寮制の児童福祉施設で暮らすことに
なった。県庁所在地のあった実母の実家と
違って、最寄り駅もないような山奥にその施設は
あって、物理的にすごく離されてしまった。
伯父と離婚した後のおかあさんの連絡先を私は
知らなかったから、いつかおかあさんが会いに
来てくれると信じてずっとずっと待っていた。
私のいた施設は虐待にあった子が多かったけど、
虐待親でも面会には来る人も結構いてさ。
羨ましかった。私は障害者だからこの施設でも
割といじめられた。でも友達も出来たから
最悪な環境だったけど、タヒにたくなる程では
なかったなー。地元出身のお金持ちがクリスマス
お盆、お正月にパーティー開いたりプレゼント
くれたり、お小遣いをくれたりして
夏休みや冬休みはボランティアの学生が
遊んでくれて。嫌な思い出ばかりではない。
とにかく、おかあさんを待ちながらそこで
暮らしていた。私の頭の中ではおかあさんの
生活が落ち着いたら、きっとまた一緒に
暮らせると信じていた。そのまま、施設で
高校卒業をむかえた。結局おかあさんは
会いにきてくれなかった。私は障害者枠で
自動車部品メーカーのライン工場に就職できた。
就職も決まったら本当にありがたい!って感じで
もとの県庁所在地のある土地に就職出来て私は
これでやっとおかあさんに会いに行けるのだと
すごく浮かれていました。お金があまりなかったのと
勇気がなかなか出なかったので、就職して
2ヶ月経ってからようやく伯父のいる、私の
幼い頃育った家を訪問しました。そこでおかあさんの
ことについて聞こうと思ったのです。
伯父が1人で暮らしていました。
迷惑そうでした。そして、そこで初めて
伯父伯母夫婦が離婚した原因が私にあることを
聞かされました。
伯父いわく、はじめから伯母はあまり私の世話を
するのは乗り気じゃなかったそうです。
それでも、施設にいくよりは…と世話を
してくれたそうです。何度も伯父に私が
伯母をおかあさんと呼ぶことを窘めて欲しいと
言われたそうです。そういえば、伯母を
おかあさんと呼ぶとき、たまに
私はあなたのおかあさんじゃないのよ…と
言われましたが、血縁上はそうだけど、
おかあさんはおかあさんじゃん、くらいにしか
思っていませんでした。伯母は私を傷付けない様
強くは言わなかっただけで、迷惑だったんですね。
あたりまえのことなのに、私からしたら家族だし
信じたかったんです。愛されていると。
してくれたのは、同級生の従姉妹にいじめの
とばっちりがいかないようにということでした。
そして、いじめの対応を伯母がしている姿を見て
従姉妹が自分の母親なのに私の為に必タヒに
なっていると思い、伯母に何度も私だけの
お母さんだよね?と確認していたうです。
いつも従姉妹とは姉妹みたいに仲良しなつもり
でしたけど、従姉妹にとっては私は母親を
奪おうとする邪魔な存在だったんです。
伯母は従姉妹に被害が行く可能性や従姉妹の
精神安定の為に別居して私と離れたいと
伯父に提案したそうですが、祖父母が断固拒否し
結局離婚となってしまったそうです。
伯父は伯母に私がかわいそうじゃないのか、と
私を庇ったせいで離婚になったといいました。
祖父母、伯父、伯母、従姉妹。
私が家族だと思っていた人たちは私のせいで
家族と離れ離れになりました。全員私を
迷惑に思い、恨んでいることでしょう。
最初に書いたまとめのコメント欄には、
姪を加害者だとたくさん書かれていました。
私も家族にとって加害者だったと思います。
書かれていました。確かに、私は産まれるべきではなかった。
実母を恨む気持ちもあります。何で産んだんだ。
迷惑に思って恨むくらいなら
始めから捨てて欲しかったと感謝すべき伯父夫婦に思うこともあります。
ずっとずっと母とまた暮らせることを、会えることを支えに生きてきました。
私が、足がない事でいじめられた時部屋で泣く私に
「あなたは強いから、神様があなたをこの形にしたの。
私や従姉妹よりもうんと強い力を持っている。
あなたには乗り越えれないことなんて何もない」
そう言ってくれたおかあさんの言葉を辛い時いつも
思い出していた。今だって、おかあさんという
言葉を見聞きすれば、伯母の顔が浮かぶ。
伯母に疎まれて捨てられた。最初から迷惑でしか
なかった。そのことを考える度に泣き叫んでしまう。
おかあさんに会いたい。
私は産まれた時から人を不幸にする加害者なんだ。
ずっと何でも乗り越えれると思ってきた。
意味もなく、障害者になったわけではないと。
でも、無理だ。おかあさんに嫌われていた。
本当にごめんなさい。
でも今でも諦めきれない。本当に?
本当に愛していなかったのか。いじめられた時
一緒に泣いてくれたのも、運動会頑張った時に
抱き締めてくれたのも、全部愛情じゃなかったのか。
私が迷惑だったなら二度と私は関わっては
いけないと分かっている。
でも、私は誰かにこの気持ちを知って欲しかった。
おかあさんは私の事嫌いでも、迷惑でもやっぱり
私はおかあさんが大好きだし、おかあさんに
お世話してもらえた時間が私の宝物だってことを。
本当はおかあさんに知って欲しかったけど、
それは出来ないから、ここに吐き出しました。
本当にたくさんの人を不幸にしました。
愛情がなかったわけではないと思うよ
ただ、娘に対しての愛情とは違う
同じ釜の飯を食う仲間の子に対するもう少しゆるい愛情というか。
子供だった750にとっては伯母はお母さんと同一だったんだろうけど
伯母さんにとってみれば降ってわいたような義理の姪の世話と
我が子へのフォローでくたくたになったんだろう
子供で、大人からの世話と愛情が必要だった750が悪いわけではない
ただもう、伯母への執着は捨てるように努力するしかないね
私も762と同じ意見だな。
私も親なので、自分の子と甥姪ではやはり違う。守らなくていけないのは自分の子。
ついでに言うと、実弟の子と夫姉弟の子でも違う。
更にいうと、姉(子なし)曰く、私の子と弟の子でも違うらしい。
普通の親戚関係なら何の問題もなかったと思うけれど、750の環境では無理だと私も思う。
もしかしたら、従姉妹は精神的にかなり追い詰められていたのではないかな
親の愛情を奪われたくないと、実の兄弟相手でも思うのだから。
たぶん何回も言っていた「深く考えない」は本当は違うでしょ。
本当はわかってて気づかないふりしたんだよね。
子供はそうやって自分の心を守るんだよ。
悪いのはあなたを守らなかった実の父母。
他の人は等しく被害者だと思う。
まだ若いのだし、これからは自分の人生を楽しみなさい。
自分の家庭を作るといい。
そして夫や子供に愛情を注ぐといいよ。
重すぎると言われないように気を付けてね。