ありがたいこと大変なこと嫌なことたくさんあったがここで言いたいことはひとつ
「衣類は個人から募る(個人で送る)べきではない」
自分の体験した修羅場を書いてみたいと思う
被災者のためにと衣類を送ってくださった方々の善意まで否定する気は毛頭ない
ただ現実的に被災地で何が起こったかを知ってもらえたらありがたい
災害直後から届き始めた衣類の寄付は
マスコミの「冬用衣類が足りない!」(ちょうど季節の変わり目だった)という報道を受けて爆発的に増加
あっという間に狭い体育館を埋め尽くした
四方の壁にうずたかく積み上げられる段ボール箱
床が見えないほどの服、服、服の海…
もちろん食料品や生活雑貨など衣類の他にもさまざまな種類の物資も続々と届く
しかし個人から送られてきた衣類ほどスタッフを苦しめる存在はなかった
まず仕分けの手間。普通の物資を1とすれば衣類の箱は10というほど手間がかかる
男性・女性・子ども。上衣・下衣・肌着・上着。そしてサイズ
せめてこれだけでも分類した状態で入っていれば御の字だがそんな箱はほぼない
箱を開き一枚一枚手に取って確認する
これは女性のセーター、Mサイズ。こっちは子どものズボン、140センチ。
見た目ですぐに判断できる服ばかりではない。
これは紳士?婦人?どっち? サイズのタグはどこについてる?
畳んである服を広げて基本情報を確認し、また畳んで分類する
これが想像以上に膨大な時間と手間を要する。やってもやっても衣類は減らない
それどころか次々に新手が送られてくる
被災者が泥だらけで復旧作業をしている状況で
ひらひらのワンピース、タイトなミニスカート、スーツに礼服。誰が着るだろう
さらに、見るからに古くくたびれた服、汚れが目立つ服
こうした需要のない服、人には勧められないような服の割合は実に3〜4割にも達した
しかしすぐに捨てることはできない
ゴミ袋ひとつとっても災害の片づけで不足している上、マスコミの目もある
「善意」をゴミとして捨てていると報じられたらどれだけのバッシングを浴びるか
結局「使えない服」として分類された大量の衣類が少なくない場所を占拠していく
また、被災者に衣類を選んでもらうのも一苦労だ
場所がない中でぎゅうぎゅうに並べた服を、被災者が自分のサイズを探してかき回す
せっかく分類しても、衣類置き場はすぐにカオス状態になる
ぜいたくを言うなと怒られるかもしれないが被災者にもプライドがあり
特に発災から日がたってくると、服も「着られれば何でもいい」とはならない
しかし個人から送られてくる衣類というのは大半が「うちではもう誰も着ない」服だ
気に入っていて今よく着ているという服を送ってくる人はいない
しかしデザインが古いとか何度も着て色が落ちてきたとかそんな理由で着なくなった服は
たとえ被災者だってできれば着たくないに決まっている
結果的に選ばれるのは数少ない、本当にわずかな新品や新品同様の服
それ以外はいつまでも山となって残る
ほとんど見つけられないのが肌着と靴下だ
この二つは中古で人にあげるということがまずないので
送るとしたら新品になるが、わざわざ新品を買って送ってくれる人はほとんどいない
いても個人レベルなのでせいぜいが5セット、10セットといったところ
これが本当に苦しい
肌着や靴下の不足は本当に深刻で、服と一緒に並べようものなら数秒でなくなる
そこで避難所内に不公平感が出ないようなるべく平等に配布したいのだが
数百人の被災者から5人、10人をどうやって選べばいいのか
高齢者、持病のある人、どんなカテゴリー分けでも難しい
冬用肌着と靴下はかなり最後の方まで不足したままで
肌着がない、肌着がほしいという被災者の要望にはほとんど答えられなかった
もっとも効率的だったのはだいぶ経ってから実現した企業からの支援
衣類メーカー、肌着メーカーが「新品」を「大量」に送ってくれた
一人〇点限りとはいえ全員に行き渡る新品
さらにひと箱に同じサイズの同じ製品が入っているため仕分け不要のありがたさ
正直涙が出た。そのくらい仕分けはきつかった
服の山に埋もれているのに肝心の被災者の求めるものはないという状況もきつかった
こうした状況は自分の居た避難所だけで起きたことではない
各地からの応援職員、大震災を経験したボランティアに話を聞くと全員が同じ事態に直面していた
「新品しかいらない」「同じものを大量にほしい」「古いの汚いの送るな」「需要考えろ」「仕分けして詰めろ」
などとはなかなか公言できないものだ
なので、結果として同じことが繰り返されているのだろう
被災地では、特に発災直後はスタッフが不眠不休で働かねばならない
そんな中で衣類の仕分けはあまりに過酷であった
多くの人員が割かれ、貴重なスペースを奪われ、他の業務に支障をきたすことも多々あった
箱を開き、服を取り出し、サイズを確認し、誰も着ないと判断した服を再び別の箱に詰め、積み上げる
手間をかけても最後に被災者の手元に届くならまだしも
言い方は悪いがゴミを捨てるまでの手順をわざわざ増やしているようなものだから
災害直後の極限状態の中では徒労感も一層激しかった
自分の実感としては、衣類に関しては個人からの中古品の寄付は受けるべきではない
被災地の人手を奪った上に誰にも利用されず最後はごみとして処分され処分費用がかかるのは
寄付してくれた方の善意にも沿わない結果だろう
例えばこれまでの災害で寄せられた義援金などをどこかにプールしておき
新たな災害が起こった時にそれを財源として企業から新品を供出してもらうような形が最適ではないか
これはただの思いつきだが、災害列島の日本では次の災害は近い将来必ずどこかで発生する
その時、被災地で働く人たちが自分と同じ苦しみを味わうことのないよう祈るばかりだ
モノは運ぶのも、置いとくのも、分別管理するのも、それらを常に維持し続けるのもずっとコストがかかるっていうのはわかってもらえないよね
アメリカ軍は戦闘部隊なんかより物資輸送や物流管理部門に最高のエリートを配置するって話を聞いたことがあるよ
古着処分出来て善いことした気にもなれて送った側はさぞ満足だろう
しかし現場では徒労しか待ってない現実
このギャップは徹底周知すべき案件だよね
プリントには助け合いの心を学ぶ機会ですと書かれてた
つまり目的は教育で、被災者支援は二の次ってこった
こんな今不明なことをやらせる教師も悪いと思うよ
荷物は期限ギリギリの保存食も詰め込んでトラック3台分くらいになって運ばれていった
まずもってマスコミが小口の物資を支援とは扱わず混乱を助長する迷惑行為という報道姿勢をとるべきだし、SNSでも拡散されるべき。
被災地が個人からの受け取り拒否をしても問題視されないだけでなく、個人で送った人がおかしいと言われる程の空気を早急に醸成しないといけない。
個々の避難所や被災者の声を拾って「今何々が足りません」と放送して終わるのではなく、どうやって該当の物資の大口支援を増やせるのか、物資整理人員が足りていないことなどをもっと報道すべき。
取材陣は身軽なんだから、近隣避難所の需給や余剰を1日ごとにでもリスト化して共有すればいい。
配送側の問題として、だれが物資ベースへの配送をしているのかと、だれがその物資の受付をしたのか。
もし宅配会社とその関連会社が行っているなら、それらの会社の怠慢でしかないだろう。
災害発生時には、受付時にその物資の宛先と内容を確認して、役所や避難所、物資ベースでは個人の物品寄付は受け付けない事、代わりに各社の配送センター宛で受け付け、独自に整理分配する旨を伝えるなりするのはどうか。
そして被災地近隣の配送センターなどで各社の責任で個人物資の整理分配を行う。もし自社でやりたくないなら、受付そのものを拒否するべきで、ただ右から左に配送するのは怠慢でしかない。
もちろん、それだけのリソースにかかる費用を全て各社のボランティアに期待するのは間違いなので、各物流会社と政府や自治体が「災害時小口支援物資活用基金」みたいなものを募集するなり寄付金から割り振れば良いかと思う。