普通の家庭に育った。普通の男。
留年の理由がこれまた最悪で、なんだか意欲がなくなったっていうか
大学に行く意味がよくわからなくなって、ずっと家でパソコンいじってた。
親には学校に行ってるって嘘をついている。ほんと最低。
バイトも最近行きだしたって言ってるけど、ほんとはしてない。
そんな最悪で最低な生活をしているときに
親からの連絡があったんだ。
2年も留年したんだから、これからのことをちゃんと聞かせてほしい
そんな連絡だった。
親父は透析っていうのを受けていて
健康状態はかなりよくない。ちなみに身体障害者1級っていうのになるらしい。
それでも、2ヶ月前に会ったときには入院するほどでもなかったと思う。
親父のことはかなり好きだし、普通に心配だった。
それにこれからのこともちゃんと話さなきゃとも思った。
だから連絡があった次の日に家に帰ることにしたんだ。
いつもどおりに家に帰ったきたけど、最初かあちゃんの姿をみたら
(あれ?かなり疲れてるな)って思ったんだ。
見ただけで思うんだから、本人はかなり疲れてたんだと思う。
どうしたの?って聞くと、親父の容態がかなり悪くてずっと看病してたそうだ。
親父は、熱が出て、意識がモウロウとしていて、おまけに眠れないっていうかなりひどい状態だった。
その状態が2日間も続いて、それを寝ずにずっと看病してたんだって。
そして、いまからまた病院に行くってかあちゃんが言ったから
今晩は俺が看病するよ。って言ったんだ。
(あ、やっぱりめんどくさいかも)って思った。んー最低。
でも、一度言ったことだし、しょうがないかって看病することにした。
かあちゃんは「そりゃ助かるわ!」ってうれしそうな顔してた。
「やっぱめんどくさい」とか言わなくてよかったって思ったね。
一度言ったことは最後まで責任持てる人間になりたいもんだよね。
夜の10時くらいだったかなぁ・・・
病院に着いたら、なんとなく行きたくない感じがあったんだけど
たぶん、親父の弱った姿を見たくないからだったと思う
まぁ、そんなこと言ってられずに親父の部屋に向かった。
聞かされたとおり、かなり弱ってて、かなりきつそうだった。
俺は「とおちゃん帰ってきたよ。大丈夫?」ってありきたりな感じで言った
親父は一言「おう」って感じだったとおもう。
なんかその一言のトーンだけで、めちゃくちゃやばい状態だなって感じたね。
親父は「いいよ」って少し声を張って言った。
いやだとか言われなくて安心したね。ちょっとうれしかったしね。
かあちゃんが帰る前に、妹が卒業写真を見せにきた。
親父は目もあんまり見えてないみたいで、軽く相槌うつ感じだった。
俺もみたけど、あんまりかわいくない妹が満面の笑みで写ってた。
まぁかわいんだけどね(笑)
そして母ちゃんと妹はさきに帰っていった。
それは変な沈黙じゃなくて、俺と親父はいつもこんなかんじ。
親父はきつそうだったし、俺はなにもせずに親父を見てた。
正直、なーんにも考えてなかった。ただぼーっと見てただけ。
そのうち親父から水がほしいとかの声がかかったくらいで
とくになにもすることもなく時間が過ぎていった。
俺は麻/雀を覚え始めようかなってとこだったから、
携帯の麻/雀ゲームをダウンロードしてピコピコやってた
あとは親父のそばで携帯いじりながら座ってた。
眠かったけど、看病だからこんなもんかってがんばって起きてた。
そしてあっという間に朝になった。
親父はやっぱり眠れなかったみたいだったけど「おはよう」って言ってた。
朝だしなんかしゃべろうと思ったけど、親父は呂律が回らない感じだった。
なんか唾液が出にくくなってるらしく、口があまり回らないらしい。
だったら水を飲めって話なんだけど、透析の人はあまり水分を取っちゃだめで
水を口に含んで「くちゅくちゅ、ぺっ」ってするようにしてたみたい。
親父は「かわいい看護士がいっぱいいるぞ」なんてこと言ってたな
俺は「そんなんどーでもいいよ」なんて言いながらちょっと期待してたのは秘密。
ちょい寝まs
続きが気になる
誰も見てなくても続けるつもりだったけど
やっぱ見てくれてるとうれしいもんだね。ありがと
朝食の時間がきた。さっきも言ったとおり、唾液が出にくくなってるから
ご飯があまりうまく食べられないみたいで、いままであまり食べてなかったらしい。
でも俺が「ご飯食べる?」って聞くと、「がんばる」って一言つぶやいた。
言ったとおり親父はご飯を食べた。
すべて食べるとまではいかなかったけど、8割は食べたと思う。
ほんとにがんばってた。
誰もが血圧測ったことがあるとおもうけど、大体
上が(100〜140) 下が(60〜90)くらいかな?
でもこのときの親父は上が 40 しかなかった。
起き上がると一気に血圧が下がって目の前が真っ白になるらしい。
意識がモウロウとしているのもここからきてるが一番おおきいとおもう。
でも親父は、がんばって起き上がって食べたんだ。言ったとおりに。
そして食べ終わると「**(俺)がいると元気がでる」て言った。
こんな大学サボってて、嘘ついてた馬鹿息子でも元気がでるの?
もっとちゃんとしてればよかった。とかいろいろ思った。
でも、俺がいるだけで元気が出るって言うんだから、そのくらいならいくらでもしてやる。
いまこれ書いてるとこ、姉ちゃんに見られて焦ったw
心配するくらいすごいことをしたんだと思う。
母ちゃんは「おぉ!すごいやん!」ってとってもうれしそうな顔してた。
俺が「ぐっすり眠れた?」って聞くと「うん!おかげさまで!」って元気に答えた。
ちょっと後ろめたさはあったけど、帰ってきてよかったって思ったね。
最低だけど、役に立ってんじゃん とか 馬鹿なこと思ってた。
そして救急車みたいな、患者を運ぶやつに親父と一緒に乗って大きな病院に向かった。
「残念やねw」って俺も笑って答えた。
移動ってのは患者にとってかなり体力を使うみたいでちょっときつそうだった。
何回か口に水を入れて「くちゅくちゅ、ぺっ」ってしてあげた。
(俺看護してるぅ〜♪)なんてちょっと親孝行した気分になった。
それよか早く大学卒業して、働けって感じだよなw
この部屋は入院費は無料で、親父には悪いけど、我が家もお金があまりないし(俺のせい)
ちょっと我慢してもらおうと思ってた。
だけど親父が母ちゃんに「ねぇ、一人部屋がいい。一人部屋にしようよ」って小声で言った。
母ちゃんは「一人部屋は、一日五千円かかるんよ?それでも一人部屋がいいの?」
親父「一生の願いや」笑いながら言ってたな。
こんとき俺は(えぇー・・・もったいない)なんて今からこのときの俺をぶん殴ってやりたいような
ほんと最低なこと思ってた。
んー。俺どうしてこんな馬鹿なの・・・
大部屋だと夜の七時が面会できる時間だった。
親父、一人はさびしかったんだと思う。それに眠れないし。不安だったんだと思う。
母ちゃんは「わかったわ。じゃあ一人部屋にしようね」って結構すぐ決断した。
入院期間は2週間って予定だったし、7万円かな。
俺働かないとって思ったのも事実。はよバイトしとけ俺。
今日と明日で検査をして、それから治療を考えますってことだった。
親父は笑って「ちゃんと生きてますよ」って答えてた。呂律が回ってない弱弱しい声で
それでも俺は安心したんだ。頭はハッキリしてるじゃんって。
ご飯も食べれたし、なんとかなるだろうって。
親父のことだから、なんの心配もいらないって。
俺のもっとも尊敬する人だからね。よくなってもらわないと困るって感じだった。
みんな知ってると思うけどイチローが活躍したやつね
それを見て俺が「やっぱイチローはすごいなぁ!」って言ったら
「やっぱりな」って少し上から目線だったな。
いつもどおりの親父で笑ったw
イチローが打ったら親父は元気になるなんていうしょうもない賭けをしてた
しょうもないけど勝ってよかったよ(笑)
まだ続くよ。ちょっとドタバタしてた
その日の夜、親父は眠れないだろうから漫画とかiPodとかいろいろ準備して、寝ない気満々だった。
でも、親父のイビキが聞こえてきたんだ
寝れたんだな、俺も寝ようかなって思ったけどなんとなく起きてた
途中少し起きた親父の口すすいであげたくらいで、特に会話もなかった
朝になった。
たぶん本人にとってはかなりきつい食事だ。
俺が「ご飯食べれる」って聞くと「がんばる」って小さな声で答えた
なんだかその言葉が やけにせつなかった
暴飲暴食。この言葉がしっくりくる。
このせいで肝臓を悪くして透析するようになったのだから
自業自得といえば自業自得だ。
お酒も飲めなくなったし、ご飯もあまり食べなくなった
俺がお酒飲めるようになったら一緒にたくさん飲もうと思ってただけに残念。
食べれらるように体を起こす。
起こすと血圧が急激に下がる。親父は我慢強い人で弱音を吐くなんてことめったにないけど
起こしたときは「あ゛ああああ!」って声をあげる
目の前が真っ白になるらしい。
俺も貧血のときに目の前が真っ白になるが
なるっていっても十秒程度。だけど親父は一分から五分、悪いときはずっと真っ白らしい。
寝たきりだったから肩こりでサロンパスをはっていた。
見るからにボロボロの状態だった
唾液が出にくいから食べやすいお粥。ゆっくりだけど少しずつ食べていった
途中また目の前が真っ白になり、頭が痛くなって「あああああ!」って声上げながら
普通はこういう光景を見ると可哀想という気持ちになると思ってた。
だけどそのときの俺は(がんばれ!もうちょっとだ)って応援する励ますことしか頭になかった
どんどん食べて元気になってほしい
だから少し無理してでもご飯を食べてもらいたかったんだ
自分も2留したわ
>>32
下手な文だけど、読んでくれてありがと。
この食事もがんばって8割は食ったと思う。
俺は(全然大丈夫じゃないか、こんなにがんばってる。きっと良くなる)って信じてた。
それでも、ときおり見せる親父のきつそうな表情が俺を不安にさせた。
たぶん、俺の想像以上、いや、もう考えられないくらいきつかったんだと思う。
でも親父はつらい表情をあまりみせなかった。
つらさなんて本人にしかわからない。つらかったらつらいって言ってもいいんだよ親父。
しゃべると口が渇くから、何回も何回も口を水ですすいでやりながら話した。
でもこのときからだったかな。親父が少し変なこと言い出したんだ。
親父「あのな、あれはなんだろうなぁ・・・エジプト・・・シンガポール・・・
いやちがう、アラブだ」
俺「なにそれ?」
親父「いやな、いろいろな世界の景色の絵が見えるんだよ。目をつぶると自分がその景色に
飛んでいけるんだ。そして目をあけると現実にもどる。
そしてまた目をつぶると別の世界の景色の絵に変わってるんだ」
俺は親父が嘘をついているようには感じなかった。おかしくなったとも感じなかった。
ちょっとは変なこというなぁとは思ったけど。親父の話を真剣に聞いた。
親父「はは、そうかも」
旗から見たら、ほんとおかしな会話だと思う。実際書いてる今の俺もそう思う。
でもこのときの俺は楽しかった。やたら変な会話がとっても楽しかったな。
しばらくすると検査の時間がやってきた。
俺「いってらっしゃい」
親父「うん」
1時間もしないうちに親父は帰ってきた。母もこのとき病院に来た。
俺「どやった?」
親父「うーん・・・」
見てくれてありがと。
この日は俺が人暮らししてるところに帰る日だったんだ。
親父が心配でも大学に行かなくちゃいけないし。
そろそろ卒業しないとほんとにやばいからね。今も十分やばいけど。。。
母「ちゃんとがんばって卒業するんで!」
俺「うん。がんばる。」
なんか一年前も同じ会話したような気がする・・・
母「パパ、ムー(めんどいから俺の仮名)帰るってよ!」
父「おぅ。世話になったな・・・」
俺は首を縦に振るだけで何も言わずに病院を出た。出てから気持ちは変わっていた。
今まで自分は何をしてたんだと、なぜ意味もない時間を過ごしてきたんだと。
後悔しながら、それとこれからのこと考えながら電車で帰った。
はやく気合いれなおせって話だよな・・・w
でも確かに親父が入院したことで気持ちは前向きになったんだ。
遅かろうが、なんだろうが、親父が入院することがきっかけになった。
ほんと・・・追い詰められないとなにも気づかないというか、最悪だよな。。。
親孝行もしたいし。お金もちゃんと稼げるようになって自立しなきゃ。
今までにないくらい色々なことを考えた。
そして気合を入れなおして電車を降りたそのとき、携帯が鳴ったんだ。