祖母が亡くなったときが修羅場だった
確か5年生位だった頃
母方の祖母が大好きな、かなりのお婆ちゃん子だった
何でもかんでも祖母に相談していたし、祖母が泊まりに来たら常に一緒に寝てた
少し前までは一緒に暮らしていたけれど母の弟(以下A伯父)が『生活が苦しいから同居したい』と言い出した
(当時祖父も働いていたし、祖母も年金を貰っていて2人で10万くらい生活費として家に入れていてくれた)
それを祖父母に告げた上で祖父母は承諾し、A伯父夫婦と同居し始めた
そもそもこれが間違いだった(と、わたし両親も言っていた)
祖母は心臓が悪くその上糖尿病(2型)を患っていたので本当に体調がいい時だけだった
て言うか、体調がいい時だけなのは当たり前中の当たり前だと思う
でもA伯父嫁は違った
同居して世話してるんだから服を縫うのは当たり前
(糖尿病の患者に必要な食事療法を一切してない、普通に揚げ物とか食わす)
あれやこれやと祖母に縫わせていた、その上A伯父子(以下A子)は祖母に「おばあちゃんは服を縫うしか出来ないんだから縫えなくなったら死ぬしかないね」とか言いやがった、お前が死ね
上記は祖母が泣きながら母に訴えたから発覚した台詞
母はなんとかしようか、と提案したけれど祖母は却下したそう
ほんとにこの頃になんとかできてればと思わずにいられない
入院早々手術が必要だとかなんとか相談していた
子供心には、おばあちゃん早く退院しないかなぁって思ってた
退院する事なんてなかったんだけど
内科医が言うには「心臓のバイパス手術をしますが、祖母さんの体力的に1本が限界ですね」(最大3本)との事だったそうだ
この話を祖父、A伯父、B伯父、私母の四人で聞いてた(B伯父は母弟2)
繰り返しいうが上記の4人はこの話を聞いていた
手術前日あたり承諾書にサインが必要(詳しくは知らないが何本バイパスの手術か?全身麻酔を使う手術だが承諾するか?とかの書類らしい)
この日母は長らく私と私妹を置いて御見舞に来ていたので、B伯父と祖父がサインしておくから帰ってきて大丈夫だよと、言ったそうだ
母も私達を心配してその言葉に甘えたそうだ
この時自分がまだ小学生だった事が悔やんでも悔やみきれない
ベッドに乗って運ばれて行く祖母に私は「おばあちゃん頑張って!」と言って手を握った
「がんばる!」それが祖母の最後の言葉になった
手術室に運ばれて行く祖母を見つつ母を見上げたが、おばあちゃん大丈夫だよね?なんて聞ける顔をしていなかった
母の顔はもっと不安そうだった
手術が始まって暫くしてから祖父や伯父達が到着した私達姉妹は父に迎えに来てもらって1度家に戻った
後から母に聞いた話だがこの日の手術は『3本バイパスの手術』だったそうだ
3本も手術したら命の保証はできないと、あれ程念を押されていた3本の手術だった
どうして!!と食ってかかった母に伯父たちはなんて事は無い風に「先生3本でも大丈夫って言ってたじゃんw」と惚けた事を抜かしたそうだ
きっと母はこの時生きた心地がしなかっただろう
帰宅した事を悔やんだだろうし、私達の存在を悔いたかもしれない
手術が終わった祖母はそのままICUへ移動になった
1度も目を覚ます事はなかった、お葬式の日私はわんわん泣いた泣いていたらA子に「なんで私ちゃんのおばあちゃんじゃないのに私ちゃんが泣くの?」と苛立ったように聞かれた
何を言われているか分からなかった、私のおばあちゃんじゃないの?と思ったら余計に悲しくなった
A子は泣いてすらいなかった
事の全容を聞いたのは17、8歳の頃だったと思う(手術の同意書云々とか伯父嫁の暴言とか)
手術について(1本しか耐えられない)話は間違いないのか母に問うた
手術後にもう一度確認した時に担当医から『1本の体力しかないです、頑張ってくれることを祈るしかありません』と言われたそうだ
1本しか無理な手術を「大丈夫だって言ってたw」って言ったアホな伯父とか当時小学生だった事とかを思い出すといろんな感情が押し寄せて本当に心の中が修羅場だった
それから何年も経つが犯罪を犯さずにすんでいるのは単に祖母が悲しむだろうと思うからでしかなく未だに心の修羅場が終わらない
以上です
父母の弟なら叔父だからね
父母の兄は伯父
その医者、おかしくないか?
あと、肝心なところが伝聞なのが気になる
叔父さんや叔父嫁さんは180度違うことを言いそうだし
医者が1本しかもたないって言ったとしても別に3本が絶対無理ってものじゃない
単純に成功率が落ちるだけ例え話だけど
1本なら80%、2本なら60%、3本なら40%とかね
6割死ぬ手術なんておかしいだろうって思うかもしれないけど
1本だとちょっとマシになる程度3本ならある程度安定するなら
選択は患者側に任される話
詳細がそもそも不明な状態では何とも言えないけど
成功率と効果を天秤にかけるなんてのは良くある話
>>419
祖母は特に財産は無かったのでお金を入れてくれる祖父がいればどうでもよかったのかもしれません
>>420
そういう違いがあったのですね、お恥ずかしいかぎりです
お教えくださりありがとうございます
>>421.422.423 423さんの言う通り成功率=生存年数だったそうです。ちなみに3本で10%程だったそうです
つらいね
おばあさまを思い出すとしんどくなるかもしれないけど、時々思い出してあげてね
難しいかもしれないけど、憎しみに支配されないよう、その時はおばあさまとの幸せな思い出を思い浮かべて心をあたためてください
あなたやあなたのお母さまが嘆き悲しみながら生きることは、おばあさまは望んでいないと思うので、心穏やかに幸せに暮らしてくださいね