私と友達(以下、友)は中学と高校が同じ、家も近所、一人っ子同士で母親同士も友達
高校を卒業してからは大学も就職先も離れていたし
さらに結婚してからは夫の仕事の都合で引っ越したり、子供が生まれたりして
年賀状のやり取りと、年数回の電話くらいの付き合いになっていた
(メールやラインが普及する前の話)
いつもの近況報告かと思ったら、妙に硬い声で「入院することになったの」と言う
友のところは娘より一歳下の女の子が一人(以下、友子ちゃん)
私が「もしかして、友子ちゃんに弟か妹が?」と考えかけたら
友「わかんない病気なの 検査入院なの」
私「えっ!?」
友は最近体調不良で、医者にかかってみても原因がわからず
紹介状をもらって大きな病院で検査入院することになったそうだ
「あれま、でもここではっきりさせておいた方が後々安心じゃない?」と言うと
「そうだね……」と元気がなかった
医学のことは詳しくないから友から聞いた話をはしょって書くと
検査入院してもわからず、他の病院を紹介してもらってまた検査入院してというのを繰り返し
かなり具合が悪くなったころ、ある大学病院に行きついた
そこでやっと、病名がわかった
驚くことに、日本で数例しか症例のない、珍しい病気だった
友「道を歩いていたら宇宙から降ってきた隕石に当たった、くらいの確率よねー」
病気の治療というのは統計と経験値だそうで、そんな数少ない症例は治療法が確立されていない
しかし放っておいたら友は確実に命を落とす
治療法が確立されてないわけだから、言い方は悪いがすべてが人体実験みたいなものだ
友「ともかく試さずにしぬより試してしんだ方がいい」
そんな手探りの状況で、入院期間は伸びていく
保険の効く治療ばかりではないし、かかる費用も増えていく
友と旦那さん両方の実家からの援助もあったが、すぐに消えていく
なにしろいつまでかかるかいくらかかるか見当もつかないのだ
旦那さんは大車輪で働いたが、問題は幼稚園の年中さんの友子ちゃんだ
初めは友のお母さん(以下、友母さん)が見ていたが、
友子ちゃんはやんちゃで元気いっぱいの子で、還暦の友両親が育てるのはきつくなってきた
旦那さんの実家は新幹線の距離で、預かってもいいと言ってくれたが
これまでのように頻繁に友の見舞いには連れていけなくなる
そんな友母さんの愚痴を聞いた私の母が、私に伝言ゲームのように情報を伝えてきた
私は夫を説得というより一方的に宣言し友の見舞いに行って言った
私「何年の付き合いだと思ってるの! 友子ちゃんはうちが預かる」
友「えっでも(私の)旦那さんにも迷惑が」
私「うちの娘は実は一歳違いの双子だったって言うから」
友「なにそれ」(笑)
友子ちゃんはしばらく我が家で暮らすことになった
冷静になってみると夫に申し訳なくて、子供達が寝てから土下座して謝った
夫「複数の子供がいるって案外いいねえ 友さんが治ったら、二人目考えようか」
ありがたくて泣けた
友子ちゃんはやんちゃな子のはずが、うちではおとなしかった
子供なりにどう振る舞ったらいいか考えているようだった
うちの娘はむっつりもっさりタイプなんだけど
「お風呂一緒に入ろ、洗ってあげる」などと友子ちゃんに気を使っていた
夫も娘も後光が差して見えた
様子を見に来た私の母が、並んで眠る友子ちゃんと娘を見て
「こんなかわいい子がいるのに、友さん可哀想に……神様は意地悪だ」と言って泣いた
友本人も
しかし経験値を積んでいった成果は表れ、何年目かで病状が好転し始めた
いきなり治るものではないが、「薄紙を剥ぐように」良くなっていった
見舞いに行っても、ほんのわずかずつ血色が良くなっていくのがわかった
ただ、手術を含めた長期間の治療で、体そのものがボロボロになっていた
病気の克服と同時に、後遺症の治療もあり、体力も回復させねばならない
本当に時間がかかった
まず、一日、外泊許可が出た
友子ちゃんは友に貼りついて離れなかった
外泊許可が週に一度ほどになって、やがて通院でよろしいとなって、退院できた
でも家でも寝たきりだった
旦那さんが病院に車で送迎した
毎日の通院が三日に一度、一週間に一度、一ヶ月に一度となって
このころには、友は休み休みだったが家事もできるようになって、友子ちゃんも家に戻っていた
三ヶ月に一度の検査を受ければよいということになって初めて、主治医から「勝利宣言」が出た
電話で報告を受けて、私と娘で「いえーい!」とハイタッチした
夫と二人目を考えてみたが、どうも神様は、うちの子は一人で十分と判断したようだ
娘は小学六年生、友子ちゃんは五年生になっていた
その後の検査も半年に一回でよくなり、今は年一回
大人は誰でも年一回くらい健康診断するものなんだから同じようなものだ
後から聞いた話だと、病名がわかった時、友は旦那さんに離婚を切り出したが
旦那さんは「僕と結婚したせいでこんな病気になったかもしれないんだから責任は取る」と答えたそうだ
大学病院の主治医は、友の症例で論文を書いて、博士号を取得できたそうだ
友「人の病気をネタにして、稼ぐなってのよねえ」
私「いやそれが医者の仕事でしょ」
いまどき媒酌人を立てると言うから古風だなと思ったら夫と私をご指名
娘は友人代表でスピーチをする
「友子ちゃんてば年下のくせに先に結婚する」と口ではぶつくさ言っているが、顔が笑っている
絵を描くのが好きな友子ちゃんに、結婚祝いで数万円もする外国製のパステルのセットを贈ったんだそうだ
そういうものに疎い夫はネットで確かめてびっくりしていた
ああもう興奮して今から眠れない
病気に関しては、私は当事者でなく又聞きばかりの上にフェイクも入れたので不正確です
難病だったのは確かです
一行で書けば、友達が難病にかかったが生還した、という話です
願わくば、すべての病気の人が、一時は大変でも「勝利宣言」できますように
その論文から治療の裾野は広がって助かる人がまた増えるんだね
皆お幸せそうでよかったよ
なんだか泣けてきた