人が氏ぬグ.ロ.話なので苦手な人はスルー
子供の頃両親は当時どちらも夜中まで不在で、今思えば立派なネグレクトってやつ
そこから選べば物資には困らなかったし、学校からのプリントをテーブルに載せておけば
翌朝には必要なお金がおいてあった
行事にはほとんど欠席だったけど、家庭訪問や三者面談のときだけはいい親面してたな
ネグレクトが本格化したのは小学校入学後に学童に入った頃からで、週末すら両親の姿を見なくなった
おなかが空いたら米を炊いて野菜をレンチンして食べてた
母の日や父の日に絵や作文を書くんだけど、両親の顔も思い出せなくて困ったから捏造してたw
学童にいけなくなる高学年あたりから、実家の隣家のおじさんにセイ的な嫌がらせされてた
追いかけられて襲われかけたこともあったし、見せ付けられるなんて日常茶飯事
おじさんの存在から逃げるために放課後は図書室で時間を調整してから帰宅してた
帰宅に気づいたおじさんが外から玄関ドアをがたがたやる音に怯えて押入れに逃げ込んでた
おじさんに見つかるかもと怯えながら洗濯機を回して室内に干して床にクイックルしてた
ゆっくり風呂に入ってると窓から侵入されそうな気がして毎日シャワーだった
夜中になれば両親のどちらかは帰ってくるから、寝るときだけは落ち着いていられた
おじさんはうちの両親に対して異常にビビッてたからね
不思議と誰かに相談するっていう発想はなかったな
両親が仕事にいけずに久々に在宅してたので、落ち着かなくて二階の自室にこもってた
初めて見る銀世界にうっとりしながら外を見ていたら、隣家の窓越しにおじさんと目が合った
慌ててカーテンを閉めたけど気になって隙間から見たら、おじさんが我が家の裏手(リビングと反対側)から
うちの壁を登ろうとしてのが見えた
この部屋に来るつもりだ!と震え上がったけど体が動かなくて、おじさんの動向をただじっと見てた
おじさんは裏手の家の塀に登って、我が家のベランダに手をかけて、室外機を足がかりによじ登って
すべって仰向けに倒れ、塀に後頭部を打ち付けてから雪の上に落ちて、何度かじたばたしてから動かなくなった
塀と外壁の隙間1mくらいのところにおじさんが挟まるみたいにして倒れてたのはなんとなくシュールな光景だった
きゃーとか叫ぶ場面なんだろうけど、黙っていたほうがいい気がして、おじさんが動かないのを確認してから
カーテンを閉めて宿題に没頭することにした
その日は久しぶりに両親とそろって食卓を囲んだのがとにかく楽しかった
父がニュースに突っ込みを入れるのにわけわからないなりに相槌を打ってた
母の手料理(カレー)に「おいしいね!」と喜んでたら、母がにこにこしてくれて嬉しかった
その日は生まれて初めてってくらい両親と色々な話をしたけど、おじさんのことは何も言わなかった
食後に部屋からおじさんが倒れていたあたりを見たら、おじさんが同じ場所で半分ほど雪に埋もれたまま
倒れてたのでまた見なかったことにして、久しぶりにゆっくりお風呂に入った
時々部屋からおじさんの様子を観察してたら、顔がふくらんだりしぼんだり髪が乱れてた気がしたけど
体は動いてなかったのでまあいいかでほうっておいた(なぜかまったく怖くなかった)
ある朝にカラスが目を突っついてるのを見てうげーと思ってから観察は止めた
裏手のおばさんが見つけて大騒ぎになった
隣家はおじさんの一人暮らし、我が家は大人がほぼ不在でいても夜だけ、裏手は足の悪いおばさんと不在がちな旦那さんで
塀の後ろの狭い空間におじさんが倒れてることに気づかなかった
カラスが集まってきたのに業を煮やしたおばさんが塀のかげを覗いて発見されたって聞いた
優しそうな婦警さんに「変わったことはなかったか」と聞かれたので「何も知らない」と答えた
意外と人一人が住宅地、それも他人の家の敷地内で亡くなってもわからんものだなーと妙に感心したわ
新聞で探したら地方の事件として「知的障害の男性が事故死」と小さな記事になったのを見つけた
その当時は知的障害者って全員施設で暮らしてるものだと思ってたから(ボランティア活動で施設訪問してたから)
そういう人でも一人暮らしできるんだ!って驚いた記憶があるw
学校で友達から色々聞かれてめんどくさいなーと思ったけど、知らぬ存ぜぬで通しているうちに冬休みになって
新学期が始まったときにはその話題には誰も触れなくなってた
不思議なことに、その頃から母が心を病んだ
おじさんが塀のところで倒れてるのが見えるんだって騒いで、父が病院に連れて行ってしばらく入院してたけど
面会には行かせてもらえなかった
退院後もおじさんが「なぜ助けてくれない」って責めてくるからって、塀の見える部屋には行かなくなった
お母さんが病気になったら家にいてくれるかなと不謹慎なことも考えたけど、ますます仕事に没頭して
家に帰ってこなくなって、中学の途中から全寮制のところに編入させられたと思ったら、その間に家を売ったらしい
「家、変わったから」って新しい住所のメールが来て、ふーんと思ったけど、結局その家にもおじさんが
現れるらしくて、両親は何度も引越しをしてる
おかしいよね、おじさんが怪我してから死ぬまで見てた私のところには一度もおじさん来ないのに
関わりがほとんどなかった母のところに行く理由って何よw
あれから10年以上たつけど、母のところにはいまだにおじさんがついて回るらしい
父は毎年のようにお祓いに連れて行ってるんだって
来月もお祓いに行くらしくて今日父から「おまえも来るか」とメールがきたけど「行かない」って返信した
10年以上何度もこのやり取りしてるんだから、いい加減聞かないでほしいw
メールが来るたびに雪がきれいだったことやおじさんがじたばたしてるのを思い出すからいやなんだけど
寮に入ってから一度も帰省してないから両親の現状は不明だけど、今のところ私はカレーを食べられない以外は
何事もなく平和に暮らせてるw
なんでこんなことを最近になって書こうと思ったかというと父のメールが着たからなんだけど
結婚を考えた人がいたんだけど、カレーが食べられなくて別れちゃったw
なんでカレーが苦手なんだっけと考えてみても思い出せなくて、でも食べたら吐くので
アレルギーだと思って調べてもらったけど何も出てこない
もしかしてトラウマでもあるんじゃね?wwwってことで職場のカウンセラーに話を聞いてもらったら
恐らくこのおじさんの件が原因だって言われてびっくりした
私の中では冬のちょっとした事件としか認識できてなかったけど
普通はトラウマになるくらいの大事件なんだってね
多分ネグレクトのせいで色々ねじれてるようなので、結婚しなくてよかったと思った
カウンセラーの紹介で心療内科にかかるかどうか迷ってるけど
かかったところでどうにかなるもんかいなとも思うし
池沼だったんだ、そういえば遠いほぼ他人の親戚の人も池沼で家の中で孤独死して夏場でエアコンも無かったから短期間でスプラッタになってたわ
でも厄年のお祓いじゃだめだったのかなw
今にして思えば言葉も通じないし動きもおかしいから知的障害なんだってわかるけど
当時はただただ恐ろしかったね
学校の支援学級にいた子は大人しい子ばっかりだったからイメージが違いすぎた
そういえば冬場でよかったのかも
夏場のスプラッタなんてくさくて吐きそう
今じゃ外観は変えずに内装だけ変えて普通に子持ち夫婦が事情を知った上で住んでるよ
相当、処理が大変だったらしいけど庭付きでイチから買うより安かったらしいby親戚談
オカルトは信じない方なので守護霊って言われてもぴんとこない
もし幽霊になって出てきたとしても、勝手に死んどいて祟るなんて自己中相手なら
徹底的に嫌味言っちゃいそうw
読んだ限りだと言ってないぽいな
だけど、そのおじさんが死んだ原因が663に悪戯する為に侵入しようとしたって事が(時効?とはいえ)明るみになれば
更なる修羅場になりそうだね。
わざわざ言う必要あるかな?
そんなまともな判断出来ない精神状態の人間に当時あった事話してどうなると思う?きっと恨まれるね、自分を追い込む敵だと認識して攻撃的になるだろ、どうしてそんな昔の事を今になってってなる
今になってって事じゃなくて、言っていればこんな事になっていなかったかもねっ
てことじゃない?
取り敢えず一度くらいお祓いに付き合ってあげればいいのに
意識してかしてないかわからんが親への復讐じゃないの?
今までろくな事してくれなかった親に対して付き添いくらいって、そんな必要ある?産んでくれただけでありがとう、生かしてくれただけでありがとうって思うべきだと?