当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。
祖母をこき使っていたが祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。
その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。
その昔、昭和十年代と推定されるが
日本海側の雪国の農村から集団就職で祖母は街へ出てきた。
そして住み込みである店で働くこととなった。
その店の主人夫婦には子供が一人いたが、幼少の頃に亡くなった。
それから十数年経った頃に田舎から出てきて店で働き始めた祖母は
主人夫婦の亡くした子供と同い年だった。
祖母は亡くなるまで一切語らなかったのでどういう経緯があったのかは分からない。
だが、祖母の産んだ私たちの母の父親は、この店の主人だった。
妻との間に最初にできた子と同い年の女性に手出すとか
一体どうなんだこの爺さんは。
爺さんは子供ができない嫁を捨てるわけでもなく
そのままなし崩し的に祖母の産んだ母を認知して四人で一緒に暮らしていた。
優柔不断だったんだろか。
祖母は大人しい人だったが、爺さんの嫁は性格きつい人だったので
爺さんも祖母も何でも言いなり状態になってしまっていたのかもしれん。
そんな家庭で母は育ったわけだが
母の男を見る目のなさから想像するに
家庭内での爺さんの父親としての機能は
あまり高かったとは思えない。
その後、母は父と結婚して、姉と私が産まれた。
ある種の専門家で、私たちが住む家にも仕事道具がいっぱいあったし
趣味にも通じる仕事だったので、仕事なのか趣味なのか
家でも押し入れを利用した作業スペースで何やらやっていた父を憶えている。
で、爺さんの葬式が終わってしばらく経った頃、姉は小学校に入学し
五歳の私は幼稚園でいじめられたりなんだりで家にいたりいなかったり。
そんなある日、当時の私は夜は母親と一緒に寝ていたのだが
私が夜中に目を覚ますと母がいない、ということが度々起こるようになる。
で、朝に目を覚ますと母はいる。
夜中に目を覚まさなかったときや、目を覚ましてもとにかく眠くてまた寝てしまったときにも
母はいなくなっていたと思うが
母がいない→不安、となったときの私は容赦なく泣き叫んで父や姉を起こした。
私が幼稚園でいじめられて登園拒否とかする前、
母はある工場でパートをしていた。
そこで知り合った男が母の浮気相手だった。
私が素直に幼稚園に通っているうちは母は自由な時間が結構取れたと思うのだが
私が登園拒否したりするようになってから
思うように浮気相手に会えなくなったので夜家を抜け出す、ということを始めたのだと思う。
そんなある日、またいつものように夜中に母がいないのに気付いた私は父と姉を起こした。
朝、目が覚めても母はいなかった。
父は、私たち子供に朝食を作って食べさせた後会社に電話を入れ
さらに小学校に電話して姉を休ませて私たちを車に乗せて出掛けた。
車を運転しながら父は無言だった。
20分ぐらい走った頃だろうか、古びた感じの四階建てぐらいのアパートの前に車を停めた父は
私たちを連れて階段を登り、ある部屋のドアの前に私たちを立たせた。
そしてドアを激しくノックすると、そのまま私たちを置いて走って去ってしまった。
開いたドアから母が出てきた。
父はそれっきり家に帰って来なかったと思う。
その後、姉は祖母の元へ。
私は母と母の浮気相手と一緒に暮らすことになった。
母の浮気相手が祖母と婆さんの所に挨拶に行ったときの記憶があるが
何故か婆さんの方に浮気相手が母との結婚など認めん!などと罵倒されていた。
母の浮気相手は異常な人物だった。
母が不在のときに、姉と私の前で下半身裸になって陰毛が何故生えるのか説明されたり。
あとは、子供に言い聞かせる、ということができないようで
とにかくいきなりパンチが飛んできた。
何年も後になって、あれは私のあの振る舞いに怒っていたんだ、と分かったりしたが
なにしろいつ何時パンチを食らうか分からなかったので私としてはビクビクして過ごすより他なかった。
週末に姉と、もしくは単独で
母と浮気相手の住む家に行ったり行かなかったりの生活だった。
祖母が大好きだった姉はあまり母の元には行きたがらなかったが
多分浮気相手のことも嫌いだったんだろう。
小学校に入って最初の夏休み、姉と私は父の所に行くことになった。
母と三人で生まれて初めて新幹線に乗り、東京へ行き
東京駅で母は私たちを父に引き渡して帰って行った。
当時父は子持ちの女性と再婚していたが
その女性は姉と私にも優しく接してくれた。
父の所に来てから三日ぐらいで姉がホームシックになり送還されたが
私は結局夏休み中ずっと父のところに居た。
8時だヨ!全員集合の公開生放送にも連れてってもらった。
駄々こねたりして父の再婚相手の女性を困らせてしまった。
今になっても申し訳かったと思っています。
夏休み終了と共に再び新幹線に乗って祖母の住む家に戻った。
それ以来、父には会っていない。
伝え聞いた話によると、詳細は不明だが父は事故を起こしたり
再婚相手と別れたり病気で倒れたりまた再婚したりして
現在は埼玉県某所で店を開いてて健在。
さて、自宅に戻った私ですが
あるとき、小学校に入学して別居するようになってからついぞなかった
母の浮気相手のパンチを久々に私が食らったときに
母と無言パンチャーは大喧嘩に発展し、そのまんま別れたっぽい。
だから婆さんと一緒に住むのはどうしても嫌なようだった。
祖母は義理堅かったのか、黙々と婆さんの世話をしながら生活していたが
浮気相手との生活が破局した母は祖母を説き伏せたのか
婆さんを老人ホームに放り込み、祖父の遺した家も処分して余所へ引っ越すことになった。
祖父家は借地に建っていたし、台所は土間で風呂は外にあるなど
古い作りの家だったので大した価値はなかったと思う。
引っ越しと共に転校し、やっと慣れたかなという頃に
母が遊園地に遊びに行こう、と言い出した。
当日、三人で遊園地に行くと見たことのない男がいた。
間もなく、その男と一緒に暮らし始めることとなった。
その男に連れられてその男の故郷に引っ越すことになってしまった。
北海道根室市。
丁度私が小学校二年から三年に上がる直前の春休みに引っ越した。
共同の玄関で靴を脱いで各々の部屋へ、トイレは共同のものが外にあり風呂はない、
という古い造りの木造アパートだった。
こんな寒い所で冬場に銭湯まで歩くのはイヤだ、となってすぐ引っ越し。
風呂付き一軒家の借家だったが台所の床が明らかに傾斜していた。
このへんまでは母のお相手はまあまあ大人しい男だった。
しかし、地元に戻って飲み歩きを覚えてから雲行きが怪しくなってきた。
金が入っても飲み屋のツケ払うとスッテンテンとか。
母祖母相談して男が仕事で留守の間に自家用車で逃げたのは小学校三年の冬休みだった。
釧路からフェリーで東京まで移動すると、
何故か東京で男が待っている。
母が連絡したのかもしれないが、車から発見された可能性もある。
そのまま車で青森まで移動、青函連絡船に乗って函館からまた車で移動で家に連れ戻された。
数日家を空けていたら風呂には氷が張り、
授業で育てていて冬休みで持ち帰っていた水栽培
球根のヒヤシンスは花が咲いた状態で凍り付いていた。
半年も経つと元の木阿弥。
次の年の秋には逃亡再決行となった。
はるばる地元に戻って借家を借りて住み始めたが
どうも知り合いの伝手で男に発見されてしまったようだ。
その後、どう話が進んだのか知らないが
借家に祖母と姉と私を残して母だけが北海道へ行くことになった。
が、半年ぐらいで男と一緒に戻ってきたと思う。
それからゴタゴタしながらも数年が過ぎる。
この間、ウチは非常に貧乏だった記憶がある。
晩御飯のおかずがサラダだけでサラダでご飯を食べる、とか。
中学校に入ってから知らない間に姉はすっかりおかしくなって
タチの悪い連中とつるむようになっていた。
私が中学校に入学したとき、またしても母は家族を巻き込んで逃亡する。
男に見付からないように、と知り合い等が一切いない場所へ。
車も家に置いたまま列車に乗って移動。
冷蔵庫もなければ自転車もない生活だった。
この頃、母の勤める店に母をいたく気に入っている常連のハゲオヤジがいて
店に来るとき母に花束を持ってきたりしていたらしい。
私としてはあまり気にしていなかったが、母には何か思うところがあったのか
夏休み前にはさらに移動。
縁もゆかりもない場所から前住んでいた所から結構近くに戻ってきた。
そこでも母は水商売で働いていたが、そんな生活に嫌気が差したのか
また反省してるフリだけは上手な酔っぱらい男と暮らすことになってしまった。
逃げる前に住んでいた家に戻る話が出て、姉は仲がいい友達がそちらに居たから戻ったが
私と祖母はしばらくの間それまでいた家に残った。
まあ数ヶ月もすると家計が苦しくなって強制的に戻されてしまったが。
中学三年になっていた姉は珍走と仲間になったり突然家出したりとか
特殊なスキルをこなすようになっていた。
家出した姉を捜してる最中に母が倒れたりしていた記憶がある。
根室出身のアル中男は保護した姉をラブホテルに誘った、とか聞いたのは何年か後のこと。
でも夏前には逃亡。でしばらくの間行方不明。
見付かったときには珍走の男と同棲していた。
この辺りの姉の行動についてはよく分からないが
気付いたら地元のヤクザの組長の愛人になって
ウチと同じ市内でアパートを借りて貰ってそこで暮らしていた。
ヤクザと一緒になって後ろの車に追突させて相手脅して金取ったりしてるうちに
痛くもないのに痛い痛い言って痛み止めの注射打たれてたら肌がボロボロになってしまっていた。
あるとき、母はアル中と別れた。
入れ替わりに今度はウチにヤクザが出入りするようになった。
姉のところとは別の組の男だったが、その男にも妻子はいた。
親子して何やってんだろか、という感じで私と祖母は見ていた。
それから間もなく、ウチには悪戯電話が殺到するようになった。
後から聞いた話によると、主犯はウチに出入りしていたヤクザの嫁らしかった。
ウチが電話番号を変更すると、どこから嗅ぎ付けてきたのか
私のバイト先に電話してきて私から電話番号を聞き出そうとしたり。
間もなく発見、連れ戻されて組長交えてお話、となったときに何故かウチが会場。
えらい騒ぎになっていたので私は家を出て、近所の歩道橋の上から通り過ぎる車を眺めていた。
姉を連れて逃げた男はウチでの話し合いが終了してから別の場所に移され
相当ボコボコにされたという話。
ヤクザが何をして生活費とかを稼いでいるのか知らないし興味もなかったので
ウチの母が何をやっていてもとくに関心なく毎日仕事に通っていたのだが
ある日、家に帰ると祖母だけで母がいなかった。
祖母に聞くと、警察に連れて行かれたと。
競馬のノミ行為とか野球賭博とかやってたらしい。
一部の新聞にも載った。
母と付き合ってたヤクザは数日サウナとかで過ごしていたが
弁護士と共に現れて警察に出頭した。
その後、半年くらい留置所にいて
保釈金と弁護士への謝礼を払ったら不正な稼ぎの蓄えはなくなったようで
ヤクザは嫁と離婚し、ウチの母と再婚した。
母に再婚の相談をされたときは、好きにすればいいがこちらの姓は変えるな、で済ませた。
母の相手はヤクザから抜けて運転手を始めた。
今度は見付からなかったが、母には連絡があり
方向音痴の母が会いに行くのに付き合わされたりした。
ウチから100km以上離れたパチンコ屋で住み込みで働いていた。
姉はその後、その男と入籍。男の子が産まれて数年。
貧乏DQNが見栄張ってローンで中古ベンツとか買うもんだから払えなくなって
ウチにまでローン会社から電話が掛かってきたりしていたが
結局その男は余所に女作って姉の所から逃げた。
子連れでバツイチの姉は、間もなく別のDQNを見付けて一緒に暮らし始め
母の反対も聞かずに入籍したがコイツは確か半年位で消えたと思う。
その次、よくまあホイホイとDQN男が釣れるな、と感心するが
姉は私より年下で長男で初婚、という男を釣り上げた。
子持ちバツイチなんてよく相手の親が許したもんだ。
結婚式場で披露宴までやっていた。
あ、そういえばデキ婚だったと思う。なら親も仕方なしに許すか。
産まれて数年はよかったらしいがそのうちに姉旦那は(姉の話によると)
自分の子と姉の連れ子の扱いに極端に差を付け始めたそうなのでまた離婚することになった。
これで姉はバツ3で二人の子持ちとなった。
その間、私は付き合った相手が親に結婚せっつかれて見合いして結婚するってんで別れて
次の相手と付き合い始めた頃に即離婚した前の相手が戻ってきたのを捨たら
付き合ってる相手に浮気されて別れて数年経ってまた別の相手と付き合って
また浮気されて今回は浮気相手が既婚だったので配偶者も巻き込んでゴタゴタして
付き合い長かったので復縁したはいいが結局別れて、などとやっていた。
祖母が亡くなったときには、姉はまた別の男を連れてきた。
この男はDQN風味は薄く、かなりまともな男に見えたが数年後いなくなった。
姉はその後もどういう伝手か知らないが、遠方の男と一緒に暮らすとか抜かして
長男を無理矢理一人暮らしさせて次男を連れて遠くに行ったが
程なくして帰ってきた。
やはりまともに機能する父親がいない家庭で育った子供はダメなのか。
私はいまだに独身です。
匿名掲示板だから聞きにくい話をきくけど
それだけ母親彼氏が変わったってのに
姉が一度ホテルに誘われた程度で
姉妹ともに一度も性虐待はなかったの?
もしあったなら、男関係がうまくいかないのは
それが原因てことは考えられる?
お疲れ
リアルで面白かった
ところで、姉と母、それから母親の元彼氏や元旦那は
今何してるの?
知ってる範囲で教えてほしい
姉は形だけの中卒みたいだけど、
彼女は勉強はからっきしだったけど絵がすごく上手くて洋画に詳しくて尊敬していた。
ある日彼女が「私、保育園も一緒だったんだよ」と言い出して
でも彼女の苗字の鈴木(仮)はいなかったようなと思ったら
「わたし4回苗字変わってるの、うちのママどうしょうもないからさぁ・・・」って
別々の高校に行くことになって卒業式に絵は描き続けて欲しいって言ったら
「わたし、もうそういうことやれないかも・・・・・・出来たら、ね!」
Aちゃんが幸せでありますようにと、不惑超えた今でも時々思い出す。
実話なら、話の内容よりもむしろ記憶力に感心した。
それだけ似たようなDQNが、入れ替わり立ち替わり
姉や母を交えて出入りを繰り返していて
1人1人の期間だの転居したり同居したりだの
語れるほどに覚えてるな…
漫然と同じ家、環境にいるより
転居、異変等があった方が記憶されるのかも。
ソースは自分。
幼い頃、父親の仕事の都合での数度にわたる転居や
進学したり就職したりの転居が記憶の栞になってる感じ。
その時の事を結構鮮明に覚えてる。
まとめて読んだけど、ずーっと修羅場って感じ
一つ一つのエピが結構重い
投稿者は感覚が半分麻痺してるのかも
まるでアマゾンの下手糞なレビューに見えたわ~
とりあえずお疲れ
>>69
母がどうだったのかは分かりません。
姉については、私にはパンチで虐待男はなんかしてたかもしれないですね。
私と姉はそんなに仲がよろしくないので、そこまで込み入った話はしたことないです。
>>72
母は今でも元ヤクザの再婚相手と暮らしています。
姉については上記のように仲よくないので息子二人と暮らしてるでしょうが詳細は不明です。
父以外の母の相手は誰に関しても、今どこで何をしているのか知りません。
私にパンチ繰り出しまくっていた人については
今はとうにジジイでしょうが会う機会があったらそいつが死んでも構わないから
助走付きで全力パンチを叩き付けてやりたい気持ちは今でもあります。
>>73
現在の私は自営業です。一応なんとなくアーティスティックな仕事をしています。
ときには一ヶ月位学校に行かずにいたこともありますね。
私は小中学校で9回転校しました。
>>77
私の姓は二回変わっています。
最初は父の姓、次は酔っ払いの姓、現在は母の姓です。
祖母と爺さんは婆さんがいたので当然結婚できなかったのですが
爺さんが母を認知したので祖母と母は別の姓でした。
>>79
昔から現在に至るまで、役に立たない記憶力が何故か発達しているのです。
昔からの友人に『お前そんなことよく憶えてるな』と言われることは多いですが
役所の手続きとかは行く度に忘れて挙動不審者になっています。
>>110
麻痺というか、母親が夜な夜な家を抜け出していた、という状況があって
それは自分が四歳か五歳位の頃のことだった。
毎晩寝る前に母に『今晩はいなくならない?』ってベソかきながら聞いてた。
しかし夜中に目が覚めると母はいなかった。
そんな状況に対応するために『あまり気にしない』という能力が付いたのだと思う。
今になってもまずいことが起こっても危機的状況になるまで何もしなかったりする。
>>114
私はノンフィクション以外の本はあまり読まないのでその本は知りませんでしたが
アマゾンのレビューを見る限りにおいてはあまり面白そうではないですね。