もちろん叩いてくれて構わない。
俺がどんなに妻に酷いことをしてきたか、懺悔したい。
妻は高校時代の同級生で、7年付き合って25歳で結婚した。
当時、俺の父親は商売に失敗し、7千万ほどの借金を抱えていた。
今の時代ならあっさり自己破産だろうが、当時はそんなことは許されなかった。
そんな俺だったが、当時の彼女だった妻が結婚をしぶるとは考えもしなかった。
借金だらけだったから、両親も親戚も猛反対だった。
反対を押し切った形で結婚を決めた。
結納はなし。
指輪も、彼女の親の手前があるので用意したが実は彼女自身の貯金で買ったものだった。
結婚すると決めて、俺の親に報告したとき
お袋は「○○(俺)は30まで結婚させたくないのに。」と、嫌な顔で言った。
親父は「勝手にすればいい。」と言い、すでに嫁いでいた妹だけが「おめでとう。」と言った。
そのあと、にやっと笑って「いっしょに借金返すんだね。」と言った。
「みんなで頑張れば、家2軒程度の借金、すぐに返せるよ。」と俺に言ってくれた。
俺は前向きで明るくて元気のいい彼女に励まされた。
親戚たちも彼女に好意的で、彼女なら何とかしてくれるかもね、と俺に言った。
結婚式の費用は借金返済に当てようという彼女に、俺の親は
「とんでもない。長男と長女の結婚式で披露宴もしないなんてそんな恥ずかしいことはできない。だいたい、☆☆(彼女)ちゃんの親に申し訳ない。」と言った。
俺達は普通の結婚式を挙げ、披露宴をすることになった。
出席人数は俺側70人彼女側27人。
費用は折半でということになったが実際は全額彼女の貯金。
嫁入りに先だって、お袋は彼女に
「着物は最低これこれ揃えてこい」と言ったらしい。
結納も無いのにと彼女は少し怒っていたが、大半は揃えた。
お金を使わないでも親が恥をかかないようにと、
俺は式場のカタログモデルにされ、彼女は古くて安い結婚衣装を選んだ。
式の6日前、彼女の父親がくも膜下出血で倒れた。
彼女は式を延期してくれと言った。
俺の親は、「お父さんが生きてるうちに式をあげなくてはいかん。死んでからだと面倒だ。」と彼女の前で言った。
彼女は泣きながら延期してくれと、頼んだ。
親が生きるか死ぬかと言うときに、結婚式など出来ないと。
俺の親と仲人は延期する気などさらさらなかったようだ。
彼女の叔父さんが、俺の親と仲人に「ばか野郎!そんな家に姪はやれん!この話はなかったことにしてくれ!」と病院中に響き渡る声で怒鳴った。
「破談にして、慰謝料をもらえばいいじゃん。」俺は妹を怒鳴った。
そのまま式場へ直行し、事情を話して延期をお願いした。
式場の担当者は、「当然ですよ。そんな大変な事情でしたら、キャンセル料も不要です。お父さんがお元気になられたら、晴れて式を挙げましょう。」と言ってくれた。
幸いにして彼女の父親は回復、結婚式は3ヶ月遅れで挙げた。
3月末なのに、この地方には珍しいものすごい大雪が降って、
4時間も延期になったのはご愛嬌か、神様が反対してたのか。
当時『お前がどう考えてどうしたのか』が抜けてるぞ。
すまん。
俺はあまり何も考えていなかったと思う。
彼女はしっかりもので、任せておけば何とかしてくれる。
甘えていた。
意外にあっさり入居許可が出た、その通知が俺の家に届いたとき、俺の親は妹を呼んで話し合ったらしい。
市役所へ勝手に入居辞退の電話をしたのは妹だった。
俺が呼ばれたとき、妹はもう戦闘態勢だった。
「別居ってどういうこと?親を見捨てる気?それならそれで、一切の縁を切って出てってちょうだいね!」
親も「何を考えとる!別居だなんてふざけるな!」
「借金を返すために嫁に来る奴が別居してたら、借金が増えるだけじゃわ!」と3対1で責められ続け、俺は市営住宅をあきらめることにした。
どうせいずれは同居するんなら、最初から同居しても同じかもしれない。
借金の返済のためだったら、それは仕方がないだろうと思った。
彼女も納得してくれると思っていた。
>借金を返すために嫁に来る奴
己で返せやボケ!……だな。
借金を返すために嫁に来たんじゃないんだ。
結婚するんだから、あなたの家の借金を一緒に返すのは当たり前だと言ってくれた。
>「別居ってどういうこと?親を見捨てる気?それならそれで、一切の縁を切って出てってちょうだいね!」
こんなこといわれたら、渡りに船で俺なら速攻絶縁だな
こんなバカ親子+7000万の借金とおさらばできるなんて最高じゃん
ぜつえんしてすっきりさっぱりして
嫁とラブラブ生活してるぜ
お前バカだなー
まったくだ。
そのとき縁を切っておけば、彼女を壊すことも無かっただろう。
子供たちも泣かずに済んだだろう。
今になって口惜しい。
お前らが羨ましい。
あのときの俺には、親を助けなくてはいけない、という強い義務感があった。
親や妹のいう矛盾点にも気づかなかった。
彼女は黙って従うのが美徳だと信じていたようだ。
彼女が電話の向こうで絶句したのがわかった。
数秒の無言の後、「…仕方が無いよね。」と、彼女の声が聞こえた。
気が抜けた声だった。
俺はほっとした。彼女がどんな気持ちでいるのか、考えもしなかった。
自分が責められなかったことだけにほっとしていたと思う。
新婚旅行。
彼女は海外を望んだが、俺は日本語の通じない場所が面倒だった。
彼女の希望はグァムだったのだが、俺の希望で沖縄にした。
「結婚したら海外なんて行けないかもしれないのに。」
「義妹ちゃんもハワイだったのに。」
彼女にしては珍しく、長いこと愚痴っていた。
が、借金をしている親戚の手前もあって、親も海外には反対だった。
その2年前の妹の結婚のときには、「せめてハワイくらいは…。」と婿に言ってたがw
ドラマだと思って聞いても感情移入できないんですが。
そうだな。
誰がまともだったんだろう。
彼女の妹、彼女の叔父さん。
彼女の親父はマシなほうか。
俺の両親と妹は最低だった。
仲人も、今となってはどうかと思うよ。
新婚旅行は楽しかった。
彼女は「こんなに幸せでいいんでしょうか?」と笑った。
帰って来た夜から彼女の地獄は始まったようだ。
思いだし思いだしして書いている。
結婚式にもらった祝儀はすべて俺の親が持って行こうとした。
「今まで俺らが出しているから貰ったもんだ。俺らが貰って当たり前だ。」
親父がこう言ったので、彼女の妹が「お姉ちゃんのお友達の分だけは返して下さい。」と言い式場でちょっと喧嘩になりかかった。
俺の妹が後で返すから!といいその場は収まったが、返してはくれていないらしい。
彼女の希望もあったんだろうけどさ。
「妹が…」「親が…」ばっかりで、一番の当事者であり、妻である彼女を守るべきお前がさ「傍観者」でしかいないってどういう事だよ。
そのとおりだ。
俺は彼女の「いいよ。そのくらい、仕方が無いじゃん。」という言葉を間に受けたし
彼女はあまり愚痴を言わなかった。
よく「あなたの親兄弟の悪口を聞かされたら、気分良くないよね。」と言っていた。
それでもときどき、俺の親のことで愚痴り始めると
「親の悪口は聞きたくない!」とシャットアウトしてしまった。
じゃなくて、お 前 が 一 番 最 低 なんだよ!
一応最後まで聞きたい
黙り込む、という手段で、彼女の言葉を奪っていたんだと思う。
俺の住んでいる地方は(他もそうかもしれないが)
嫁に来たらまず近所に挨拶回りして、ご先祖様の墓参りをするらしい。
俺はこれを知らなかった。
新婚旅行の翌朝。
彼女は「ご挨拶回りするなら、着物に着替えないとダメですよね。」とお袋に言った。
お袋は、「このへんで近所に挨拶回りする嫁なんて訊いたことも無い。」と笑った。
俺は披露宴に隣人ということでご近所がほとんど来ていたので、そんなもんかと思った。
彼女は不審そうであったが、それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ、お墓参りにいくのじゃない?」と言ったが、お袋も何も言わなかったので
「まぁいいんじゃないの?」と流してしまった。
それは大失敗だったことが後からわかった。
聞けば…。
「以前にスーパーで隣の奥さんに会ったので挨拶したら無視された。
気づかなかったんだろうと思っていたら、今日あなたの叔母さん(近所)に叱られた。
何故挨拶回りくらいしないのか。
姉さん(俺のお袋)からあなたが「近所へ挨拶なんて面倒だからしない」といった話聞いたけどあまりに非常識過ぎる。
近所をバカにしてるのか。みんな怒っている。そう聞かされた。
これはどういうことなの?」
お袋に事実を確かめにいったら
「挨拶回りくらい常識なのに、しないほうが悪い。恥をかかされたのは私だ。」と言う。
「お前がしなくていいと言ったじゃないか。」といえば「そんなこと言うはず無い。」と言う。
話にならないのでそれ以上追求できなかった。
彼女も「もういいから。私は気にしてないから。」と言ったので、そのままにしてしまった。
彼女は挨拶回りの品物(洒落たタオル)を用意していたが、それらはいつのまにか無くなっていた。
妹が勝手に持っていったことがわかったのは、数年後だ。
夕飯が早いので、夜中に腹が減ったというと、彼女はやきそばやチャーハンを作ってくれた。
料理は上手かった。お袋が下手過ぎたかもしれん。
お袋は買ったものを並べるだけの主婦だった。
はじめて肉団子を作ったとき、親父が「こういうものは家でも作れるんだなぁ」と感心していた。
が、口に入れてすぐに吐き出して「これ腐っとる!」と言った。
彼女は驚いて、親父が吐き出した肉団子を口に入れた。
「別に大丈夫だと思うけど…。」
その言葉に親父もまた肉団子を口に入れ、「うん、美味いわ。」と言った。
買ったものと違って柔らかかったから、という理由だった。
お袋が「おかしなもん作るからいかんわ。」と言った。
彼女は黙って下を向いて食べていた。
俺は…何も言ってやらなかった。
彼女をかばうべきだったがしなかった。
それは理由があった。
「お義母さんと私が喧嘩になったら、お義母さんの味方になってあげて。
大事な息子を取られて、その息子が嫁の味方しちゃったら、お義母さんの立場がなくなるよ。
私には後でフォローしてくれればいいから、お義母さんの味方してあげてね。」
この言葉に甘えた俺は、見て見ぬふりをし、そのうちにフォローすらしなくなった。
当時の妹は当時の亭主を連れて毎週2泊しに来ていた。
続きは明日とか言わんで、要約して最後まで書いてくれ。箇条書きとかでもいいから。
完全な精神的DVだぞ、これ。
細かく書きすぎて、ウザイな。
この後、妻は妊娠して親に報告した。
お袋は「産む気なの?」と一言。
さすがの妻も、一晩中泣いて怒った。
これには俺が「俺の子を殺せというのか。」とお袋に怒った。
妹が「子供なんか産んだら、働けなくなるでしょう!」と言った。
当時、俺の給料は全額借金返済に回っていて、家族の生活は妻の給料に頼っていたからだ。
つわりのひどい間、お袋は「つわりなんて気の持ちよう。私はつわりなんか無かった。」と言い続けたらしい。
このことは、後で出てくる離婚調停の席で初めて聞かされた。
米の10kg袋2個を担いで、台所のある2階に運ばされた話も聞いた。
お袋が「そんなこともできんなら、子供なんか産めるわけが無い」と言ったらしい。
子供が産まれて妻は会社を辞めた。
特技があったので、土日にお袋に子供を預けて働きに出てた。
平日はおふくろも働いていたからな。
妹が「お母さんにタダで預けるの?保育料くらい払いなさいよ!」というので毎回3,000円払っていたらしい。
仕事は5時間程度家を空けることになる。
子供が1歳の誕生日、妹と妻が派手な喧嘩をやらかした。
原因は「態度が悪い」と妹が難癖をつけてきたかららしい。
妻は出ていくと言い、妹は「金も返さないんなら出てけ!今すぐ出てけ!」と妻の衣類をタンスから引っ張り出して外に投げ捨て始めた。
子供の1歳の誕生日ケーキも蹴り飛ばしやがった。
俺は妹を殴り、車のキーを持って出ていこうとした妻を追った。
妹の当時の旦那が身体をはって車を止めていてくれた。
その夜、妻と話し合って、出ていくことを決めた。
金は妻が隠し持っていた結婚前の貯金を使うことにした。
妻は今でもこの76日間が人生でいちばん幸せだったと言っている。
1ヶ月後、俺は仕事を辞めさせられた。
親父が勤め先(仲人で債権者)に来て勝手に退職させると言って退職金までその場で受取ったらしい。
76日後、仲人と親父がトラックで乗りつけて、
俺らの家財道具を一切積みこんで実家へ運んだ。
元の部屋の元の位置に収まった家具を見て、妻は涙も出ない様子だった。
「お前らが同居して借金を返す条件で、銀行が金を貸してくれたんだからお前らが出てったら、親父たちは首をつるしかないんや。
わかってやってくれ。」と仲人に言われた。
納得するしか仕方がないと思った。
妻は38kgまでやせ、ものを言わなくなった。
髪は後ろ半分無くなって、かつらを被るようになっていた。
背中から腕にかけて湿疹だらけで、幽霊のようだった。
子供の幼稚園入園が近づいて、妻は働き始めた。
土日は式場のバイト、平日は近所の家で内職の手伝い。
もともと人懐っこい性格なので、近所の人からは好かれるようになっていた。
娘の入園と同時に、妻は保険会社に勤め始めた。
俺は大反対したのだが、「保育料が払えない」という妻に、勝手にしろと言うしかなかった。
妻は保険会社で大活躍だった。
1年後には、本社で表彰されるくらいになっていた。
妻の給料は増え、家族の生活は贅沢になった。
一年後と言うなら、追加の資格もとれていない筈だが、それでも表彰って凄いと思う。
引っ込め
駄コテ
その反対、保険をとってこなきゃ、凄い辛い環境だし。
友達、家族にまずはいってもらって、そうしながら「そこから」ラインを作った人が、表彰されるって感じだよ。
そう、本当にすごかったようです。
保険会社に入るときに、親父が条件を出しました。
「親戚と近所と友達に保険を勧めるな。」
そういう中で、毎日夜遅くまで頑張っていました。
俺を含め家族はみんな「飯はまだか!」「風呂の仕度はどうした!」と感謝どころか「働かせてやってるんだ」という態度でした。
もっとも、保険会社の事務で働いていると聞かされていて実は生保レディだと知ったのは半年後のことでしたが。
コネがないと、表彰なんてありえない。
彼女が結婚前から子供が産まれる前まで勤めていた会社の社長が彼女を可愛がっていましたから、ずいぶん紹介も貰ったようです。
バブル崩壊前で、世間の景気も良かったし。
受けたのは新人表彰(全国7位)なんで、そんなにすごくないのかもしれないです。
「男と寝て保険貰ってるって、近所中で評判になってる」って。
そうかもしれない。
けれど妻は泣き言一つ言いませんでした。
ずっと後の話ですが、カウンセラーの先生に聞かされて印象が強かった言葉です。
「奥さんは誉められたことの無い人です。だから、保険会社で保険を取るたびに誉められてそれが嬉しくて、そういうところに生きる喜びを見出しちゃったんですね。」
おい、昔。ココまで引っ張って、夜遅いから明日とか言うな。
きっちり吐き出せ。
いいのか?かえって迷惑かと思って明日にしようかと思ったんだが。
つか、突っ込んでくれたほうが話しやすいかもしれん。
脱線するかな。
妻は妹を平手打ちし、取っ組み合いの喧嘩になって親父が妻を殴って(ぐーで)2人を引き離したという事件がありました。
俺は仕事にいっていて知らなかった。
このことも、当時の妻からは「ちょっと転んだだけ」と聞いていて離婚調停で知ったことの一つです。
そのころの妻は、ボーナスのたびにお袋にねだられるまま、バッグだコートだと買って与えていて嫁姑は上手くいってると思っていました。
妻は家事に手抜きをしませんでした。
時間には幼稚園に子供を迎えに行き、いったん家に帰って夕食の仕度をし
お袋が帰ると娘を預け、また仕事にいきました。
帰りはいつも10時過ぎで、帰るなり洗濯物を片付けアイロンをかけ翌日の米を研ぎ…
夫婦の会話はまったくと言って良いほどありませんでしたがもともと会話はあまりなく(俺が無口だから)気にしませんでした。
そのうちに二人目を妊娠しました。
6年振りの妊娠でした。
妊娠する気配はなく、最初の子供が女だったのでお袋や親父の「男を産め」攻撃は激しかったです。
下手に一人いると、周囲は気配りなんぞしてくれません。
「あなたは子供よりお金が好きなんだね」と
お袋と仲の良い同僚に言われたと泣いていたこともありました。
産まれたのは男で、妻はこの子供を一切お袋に預けませんでした。
最初から無認可託児所と保育ママさんに預け、親父はめったに男孫を見たことが無いと妹にこぼして、妹が怒鳴り込みまた大喧嘩になるという繰り返しでした。
出産後、長女の保育園の都合もあるので実家に帰らなかったのですが退院した夜から夕食の仕度をしていました。
それが身体に良くないということをあまりわかっていなかった私です。
お袋も何も言いませんでした。というより、「早く仕度してよ」と言いました。
妻は何も言いませんでした。
黙って夕食を作りあげて、部屋に帰って横になっていました。
お前ら今すぐ一家首吊ってsh(ry
出産後にその仕打ち
台所にも入りません。
毎日長男と外食して、コンビニでお弁当を買って帰るようになりました。
お弁当は私と長女の分です。
私とも口を聞きません。
冷たい目で薄ら笑いを浮かべてちらっと見るだけ。
汚らわしいものでも見るように、視線を合わせようとしなくなりました。
長女が産まれてすぐのころに、ダブルベッドでは眠れないと私が言ったので
眠る部屋も別、顔も見ない日が何日も続いて、ちょっとこれは…と思ったころ
私宛に裁判所から封書が届きました。
結婚調停の呼び出し状でした。
となりの部屋に眠る妻からの調停?私は混乱しました。
が、怖くて妻を起こしてまで事情を聞く勇気はありませんでした。
家事をしなくなって家族の反応は?
家事をしていてもしていなくても、ぶつぶつ言うのには変わりありません。
お袋は親父に車を出させて、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜屋に行ってたようです。
親父が朝出かけようとする妻に「おい☆☆、今度また餃子作ってくれんか。あれはまぁまぁ食えるでな。」と言って
妻に無視されて怒っていたこともありました。
「☆☆(妻)ちゃん、男がいるらしいよ。義妹ちゃんが聞いてきたの。」
青天の霹靂でした。
もともと妻は男好きのするタイプです。
美人ではないのですが…小西真奈美に似た感じ、でしょうか。
男が出来ても不思議は無いと思いました。
離婚調停は、その男といっしょになるためなのか?と思いました。
お袋がなおも言いました。
「おとうさんと義妹ちゃんが、ここのところ毎日☆☆ちゃんを尾行してるけどまだ証拠は掴んでないみたい。
でも、アパート借りて家財道具とか揃えてるのよ。呆れてものも言えない!」
「最近はお金も1銭も入れないし、ご飯も作らないしどういうつもりなのか、あんたがしっかり聞いてちょうだい。」
「まったくもう。借金返すためにもらってやったのに、恩も忘れていい気になりやがって。」
その後、お袋と激しく言い争いになったのですが、内容を覚えていません。
義妹ちゃんて?
妻の妹が自分の姉の不貞を昔 ◆JRps2MHPuE の母親にチクって
昔 ◆JRps2MHPuE の父親と一緒に自分の姉を尾行してたってこと?
いいえ、私の実の妹です。
妻にとって義妹になるので義妹ちゃんと書かせていただきました。
それまで普通に「妹」って書いてたじゃん?
急になんで義妹にする必要が?
ま、別にいいけどさw
すんません。
わかりやすくしようとして、かえって混乱させてしまいました。
ハゲと湿疹は、保険会社入社後には綺麗に治っていました。
身体もぽちゃぽちゃしてきて、けっこうそそられてしまいました。
長男ができたのはそんなころです。
肩を掴んでゆすったこともありましたが、「会社に遅れるから離して」と静かに言われ離すしかありませんでした。
「調停で話しましょう。差しで話すのは無駄だから」と言われました。
冷たい口調でした。水をかけられたような気持ちとは、ああいう状態のことだと思いました。
調停ではさんざんでした。
2人の調停委員のいる部屋に、交替で入って話すのですが20数項目にわたる妻の訴えの、そのひとつとして、「それは違う」ということができませんでした。
すべてにそのとおりです、というしかない。
そんな状況で、女性の調停委員さんが言いました。
「あなたはそれでも人間ですか。何故そこまで妻が酷い目に遭っているのに知らん顔できるんですか。」
調停委員さんはボロボロに涙を流していました。
結婚前に親父に金を貸していたこと。
結婚してかたら貸した額の合計が400万以上であること。
返してほしいと言った妻に、「お前に借りたことなんかない。もらっただけだ。」と言ったという笑えない笑い話さえありました。
長女妊娠中に、妹が週に2泊することでの負担。
風呂が深夜電気温水器だったため、妻が入浴するときはいつも水だったこと。
その他、細かいことはいっぱいありました。
妻から言われたこともいっぱいありました。
いちばん驚いたのは、借金の主債務者である銀行に、親父が返済を終了していたことと
そのことを責めた妻を親父が殴り、怪我をさせていたことです。(診断書を見せられました)
何も言うことはありません。
「奥さんは離婚を望んでいらっしゃいますがどうしますか?」という調停委員さんの言葉に
「私は別れたくありません」というのが精一杯でした。
>借金の主債務者である銀行に、親父が返済を終了していたことと
↑
意味が良くわからない
親父の借金は、いろいろなところで借りていて
銀行が4000万円、農協が2000万円、親戚や取引先関連が1000万円でした。
もちろん、すべて私と親戚が保証人です。
そのいちばん大きい借金が終わったことを、仲人から聞かされたのだそうです。
仲人は大きな保険に加入してくれて、親戚なども紹介してくれていたので
妻は毎週顔を出していました。
仲人の奥さんが「☆☆ちゃん、良かったね。銀行(の借金)が終わったからほっとしたでしょ。」と妻に言ったのだそうです。
その前日、親父は妻に「銀行返済分がちょっと足りない。15万貸してくれ」と金を持っていったらしいです。
銀行への借金が終了して、2ヶ月以上経過していましたが、私も知りませんでした。
どこへ行っても視野に親父の車が入る、妹がうろうろしてる。
高速で100km走っても、やはりついてくるというのは尾行されてるということだろうと書いてありました。
バカ過ぎる親父と妹です。
二人目の産休中、妹の子供を世話させられた話もありました。
私の台湾旅行での行動も、証拠付きで提示されました。
裸の女性の肩を抱いている記念写真です。
私も裸に近い格好です。
どこで手に入れたのだろう、と思いました。
そうです。
当時妻は湿疹激痩せかつらの時代でした。
妻は魅力的でなく、レスは半年以上にわたっていました。
しかも、裸で女と…何してんだ?お前。
最低です。
本当に最低です。
しかし、当時はバレなきゃいいと思っていました。
その台湾旅行の真っ最中に、お袋の親父…つまり私の祖父が亡くなり、旅行から帰らなかった私の代わりに葬儀の手伝いに行った妻はずいぶん酷い目に遭ったらしいです。
お袋の親戚は皆、お袋の話を真に受けていて、妻はかなりこき使われたようです。
しかし、そういうのは「長男の嫁」なんだから当たり前だと思っていたのも事実です。
すまん、昔、途中でなんだがお前とお前の父、母、妹は人じゃない。
本当に恐ろしいよ。
妻が後ろからモニタを覗き込んでいて、お礼を言ってくれと言っています。
そういって下さるだけで嬉しいですと泣いています。
子供達の為に吐き出してるんだよな。
過去を懺悔して、子供と元奥の為に頑張ってくれ
今、どれだけ反省しようが、鬼畜であることは間違いない。
でも、子供たちが可哀相だな。
養育費を支払っている事にしてほしい…orz
涙出て来た
オレも>>246
じゃねーけど、コワイ。
ヨメさんと一緒に見てるが、泣きそうだ。
安心汁。
鬼畜はそれほど棲息していない。
書類に判子を押し、裁判所を先に出て妻を待ちました。
やがて出てきた妻をお茶に誘いました。
妻はうなづき、近くの喫茶店に入りました。
妻と向かい合ったのは、何年か振りだったと思いました。
妻はとても美しく見えました。
艶々のさらさらストレートの髪の毛は、私のいちばん愛したものでした。
色白の顔に、ピンクの口紅が似合っていました。
黒のスーツにピンクのブラウス?が見え隠れして、
ゆらゆらしているイヤリングがセクシーだと思いました。
失おうとしているものに愛着を感じるのは、人のサガでしょうか。
手放したくない、と強く思いました。
「悪かった」と言いました。
「うん」と妻が言いました。
「言ってくれれば良かったのに」という私に
「何度も言ったよ」と言いました。
次の瞬間、妻がにっと笑いました。ぞっとするような笑いでした。
「聞こえなかったんだものね。」
…何も言えなくなりました。
2人の子供の親権は妻。養育費は、事実上無給の私には払えないだろうと
「払えるようになったら一人につき2万円」と決めていました。
当時の長女は小学校の2年生。
ぎりぎりまで転校させたくなかったのと、親と妹の介入を避けるために在宅のままで調停を申したてたと言いました。
「あなたはどうせ、親にも妹にも話してないでしょ。私も実家に一言も話してない。」
用意周到な妻に驚くばかりでした。
「明日の朝、引越業者が私と子供の荷物を取りに行きます。
今夜、長女と長男を連れて家を出ます。
住むところは用意してあるけどお父さんと義妹ちゃんが見つけたところはやめたから。」
てきぱきと話す妻に、黙ってうなづくばかりの私でした。
「じゃあ先に帰るね。まだ仕事あるし。」と立ちあがった妻。
最後に私をじっと見つめて言いました。
「あなたが市営住宅を断ったときに別れれば良かった。私は本当にグァムに行きたかったのに。」と言いました。
何かもう、頭の中を真っ白にしたい気持ちでした。
私はずっと涙を流しながら、ひたすら台を見つめていました。
神様が恵んでくれたのでしょうか。
大勝ち。夜までに15万円ちょっとの現金を手に入れ、これは妻にやろうと思いました。
この元手も、先月末に妻に貰った小遣いです。
妻は毎月私に5万円渡してくれていました。
夜8時を回ったころ、家に帰りつきました。
妻はせっせと荷物を作っていて、長女が小さな弟と遊んでいました。
「おかえりー」妻の明るい声に、裁判所のことは夢だったのじゃないかと思いました。
数ヶ月前の、妻が家事をやっていたころの家にもどったようで、
そのままの日が続くような気さえしました。
「コーヒー入れてくるからね」妻が立ちあがり、2年生の長女が私を不思議そうに見上げています。
長女は目を丸くし、「何で?」と言いました。
「ママはもう、パパもおばあちゃんもおじいいちゃんも一緒に暮らせないの。
もう我慢の限界なの。長女ちゃんはママといっしょに新しいおうちに行こうね。」
長女は「転校」と「引越し」だけを聞かされていたようです。
「パパはいかないの?」「うん。」「何で?」「うん…。」「何でー!」
長女が激しく泣き出しました。
「やだー!パパもいっしょじゃなくちゃやだー!!」
つられて長男も泣き出しました。
妻は冷たい表情です。
どうすることもできないまま、泣き続ける長女と長男。
やがてドアを蹴る音と「えーかげんせれ!何時だと思っとる!クソ嫁がっ!」と親父の怒鳴り声。
私は立ちあがり、ドアを開け親父の胸倉をつかみいいました。
「お前、誰に食べさせてもらった?ふざけるなよ。」殴ろうと思いました。
「やめてっ。」と妻が飛んできました。
手を離すと親父はぶつぶつ言いながら階下へ降りていきました。
妻が泣いています。
激しく声をあげて泣いていました。
「早くそうやってくれたら、早くお父さんに怒ってくれてたら、こんなことにならなかったのに。」
延々6時間以上、声が枯れて出なくなるまで、いや出なくなっても泣き続けています。
「パパもいっしょ!パパもいっしょじゃなくちゃダメー!!」
「パパがいかなくちゃダメなのー!長男くんとママとパパと私と、4人家族なんだもん。パパもいっしょじゃなくちゃダメなのー!!」
4人家族!そうだ4人家族なんだ。
私の中で、何かが光った気がしました。
「☆☆、俺も連れてってくれ!!玄関でもべランダでもいい、どこでもいいから俺も行く!」
妻はあっけに取られています。
「親は捨てる。縁を切る。親戚も仕事も捨てる。お前と行く。」
もう駄々っこです。
今からでも氏んでこい。
お前の親よりも妹よりも、お前が一番罪が深いよ。
鬼畜なんていったら、鬼畜に失礼だ。
年数だけで言えば、ここまでで結婚から9年ちょっとくらいか。
この後がまだまだ長いので、明日、テキストをまとめてからアップしたいんだがどうだろう。
って、誰もみてないかw
皆さんすみません。
私も限界ですので、今夜?はもう寝ます。
かなり気分の悪い終わり方だろうけど…。
明日また頑張って書くよ。
すまんが、お休み。
つきあってくれてありがとう。
うわー、それであんなたが新居についていって、
そしたらもれなくあんたの両親と妹もやってきて、
多少は強くなった嫁の戦いは続くってやつか?
かなり近いw
が、ここからは嫁姑の問題ではなく
俺と妻との問題になっていく。
お袋は別居した途端に「優しいお姑さん」になって
妻は感謝していた。
あんたのおかんもあれだが、嫁さんもあれだな。
それだけ酷い扱いをされてもまだ付き合おうなんてな。
ばっちりマインドコントロール効いてるし
女性は少し自己中位が幸せになれるような気がす。
本人の文章から妻に対して
全く申し訳ないという気持ちが伝わって来ない。
ネタでもネタじゃなくても充分気持ち悪いな。
結局こいつ、自分が楽になりたいだけなんだよ。
悪いことした方は謝ったり愚痴吐きでスッキリできるけど
された方、謝罪を受け止める側はずっとモヤモヤを抱えることになる。
これからずっとかみさんは心の底からスッキリ出来ない。
一人の人の半生(これから先は知らんから一生とは書かない)を台無しにしたんだ。
どんなに頑張っても埋め合わせしきれない。それだけの事をしたのにな。
そのとおりだ。
俺は自分が良ければ良かったんだ。
カミーユみたいになったのか?
カミーユってのが何だかわからないが、
妻の病気は複雑性心的外傷後ストレス障害という名前だ。
調子の悪い日は家から1歩も出られない。
こんだけ酷い目に遭わされてんのに、まだ縁切ってないのかよ!?
最低だなお前。
どうせ嫁さんが「そこまでしなくていい」って言ったので…とか
言うんだろうけど、そんなもん遠慮と建前だってまだわかんないのかよ。
そういう時は無理やりにでもこっちから絶縁しないといけないだろ!
今優しいのは老後の介護をしてもらわないといけないからだろ。
本当は嫁さんは、あんだけ苛め抜かれたクソ婆の顔を見るたんびに
辛かったんだと思うよ。
そうかもしれない。
確かにお袋は急に優しくなった。
それは孫たちに会いたかったからなのか介護目的かわからんが
女房は別居後、一度も俺の実家に行かなかった。
仕事場にお袋と親父が会いに来たときは、普通に接していたらしい。
親父もお袋も、新居には一度も来なかった。
お前はお前の環境が変わらない事に一生懸命なんだな。
だから嫁が酷い目にあっても、嫁が大丈夫と言えばそうなんだと
安易に思い込むんだな。
ああ、こんな奴にあんないい嫁さんが…。
まったくそのとおりだ。
俺は自分が変わらない毎日を過ごせればそれで良かったんだ。
怒った妻の口癖は
『あなたは自分が毎日温かいご飯が食べられて、ゆっくりお風呂に入れて
気持ちよく寝られれば、それで良かったのよ!』
この言葉がすべてをあらわしていると思うよ。
うちの嫁も心療内科系患って長いですが
最近少し無理しない事が解って来たと言ってます
奥さん辛いけどゆっくりと時間をかけてご自愛下さい
明けない夜はありません
恥って言葉を知らない人間は強いわw
腐れ外道>昔