うちの子6歳1年生です。娘の小学校には特殊学級(障害児クラス)があり、
感情をもってしまっているみたいです。
明らかに自分たちと違うことに戸惑いもあるだろうし、一方的に
そう言う感情を持つ事に対し責めるのは違うのかな?と考え、そういう人達
は今のように生まれることを望んだんじゃない、両親だって苦悩があった筈、
自分の子だからすごく大切なはずだetc・・・と簡単な言葉で伝えました。
理解は出来た様子です。でも解ってても娘の言葉そのままでいえば
「体が変な動きしてて怖い・顔も変な顔するから気持ち悪いとどうしても
思っちゃう。私ってひどいよね。解っててもどうしても思っちゃうの。
この前なんかあたしはこんな風に生まれなくて良かった!って思っちゃった
んだよ!」と泣いて告白するんです。つづきます・・・・
最初はそんなふうに思っちゃうのって仕方ないかも。でも誉められる事
じゃない。そのうち自然に受け止められると思う。意識し過ぎなくて
いいよ。・・・を簡単な言葉で言ったんです。
でも娘は、ますます矛盾した感情に拍車がかかり6歳児なりに苦しんで
るみたいなんです。
下校して帰宅後、今日はいけないって思ってもこんな事思ってしまった
と落ち込み気味に語り、休日までも街中で偶然あった障害のある人に対し
思ってしまったひどい事を時には目を潤ませて語ります。
なんでここまで意識して悩んでしまうのか解らなくなってます。
私の言ってる事の論点ずれてたかな?どう思いますか?
私の身内でも障害者がいます。実父なんですが、私が中学生の頃に
脳出血で半身不随・言語障害になりました。
実父ですし、私も大きかったので心の準備は出来ていたはずでしたが、
父が退院してきた時は戸惑いました。
これからも一つ屋根の下で暮らすのだから、受け入れなければ成らない。
助けなければ成らない。でもどうしていいか分からない。怖い。
当時はそんな葛藤がありました。
でもそれは、父の努力(リハビリ)と時間が解決してくれました。
当時の私は自分の葛藤を誰にも言う事が出来なかった。
心の中で怖いと思いながらも、それを許せない自分がいる。
それを>>141さんに言える勇気がある、正直で優しい娘さんですよ。
無理に優しくしようと思わなくていい。
無理に助けようと思わなくていい。
でも、もしまた学校で特殊学級のお子さんと会うことがあったら一言、
「おはよう」と言ってみるのはどうでしょう?
ほんのちょっと勇気を出せると楽になるかもしれないですよ。
>>143に同意。
私だって、正直に言えばお子さんの様な気持ちを抱いていました。
でも、実際そういう人と接してみたら、なんて事はない。普通でしたよ。
ただ、話し方が特徴があったり、外見的にちょっと変わったところがあるだけで
皆優しい心の持ち主だったり、ちょっと人見知りだったり、
けっこう意地悪な事を言う人もいたりと千差万別でした。
でも、子供の頃は、話し掛ける勇気すら持てなかったかも。
中傷したり、変に態度に表さなければ、別に「怖い」と思ってしまう事は
無理に改善しようとしなくていいと思います。
「怖いの?どこが怖いのかな?見た目かな?
そうだね。ちょっと○○ちゃんとは違うかもね。でも、見た目が怖いと
すべて怖いのかな?違うよね。見た目では何もわからないよね。
その事に○○ちゃんが気づいているなら、それでママはいいと思うよ。」
みたいな感じでやんわりと認めつつ前に進む展開で行ってみては?
人間として、そういう感情を持つのは当然の事。それをおかあさんに話せるのは、
信頼関係が築けている証拠です。
実際、世の中きれい事では済みませんし。
そういうことを考えることが間違っているとか、恥ずかしいとか、頭ごなしに否定せず、
「そういう感情を持ってしまう自分を、責め続けなくてもいいよ。悲しいけれど、誰の心の中にもある気持ちなんだよ」
と、受け入れてあげればいいのではないでしょうか。
慣れの問題だと思いますが。
幼稚園時代から、障害のある子も、軽度ならヘルプの先生がついて
同じクラスだったので家の学区は、まるで兄弟に障害者がいる子達のように
自然に接しています。月日の解決をまたれたらいかがですか。
それに障害者といっても、今現在病気の子から、病気の後遺症で、
今は元気な子など、いろいろです。うちは、なぜ障害になったか?と
子供に聞かれたら、病気だとシンプルに答えています。
あなたが、かぜをひくのと同じように、たまたま重い病気にかかったといってます。
生まれつき障害のある子は、お母さんのお腹の中で病気になったといってます。
今は、残された力で、できる勉強や暮らす力を身につけるために勉強してる
と言ってます。気をつけていても、みんな風邪なんかの病気になるし
だれが病気になってもおかしくないんだよ、っていってますが、
娘さんには、きついかも知れません。
ちょっち自分語りになっちゃうんだけど・・・しかも長文スマソ。
私、幼稚園から同じクラスに知的障害(表現間違ってたらスンマソ)の子がいて
小さい頃は普通に遊んでたけど、だんだん学年があがるにつれ「なんか違う」
「もう一緒に遊びたくない」って悩んだ。
結局その子は授業内容についていけなくなって、途中から障害者クラスに
移ったんだけど、当時はそういう事情がわからなくって、すっごく自分を責めた。
自分達が遊んであげなかったから、自分達が「あの子はなんか違う」って
考えたせいで、クラスを変えられちゃったのかな?とか・・・。
中学校にも特別クラスがあって、遠足とか事あるごとに「合同クラス」ってなって
一緒に行動するんだけど、やっぱり「なんかイヤだ」って気持ちはぬぐえなかった。
よく、「クラスに障害のあるお子さんがいると、子供たちはやさしくなる」
って話を聞くけど、自分はちっともやさしくなんかなれなかった・・・って思ってた。
今でも、やっぱり苦手。というか、ちゃんと接したことが無いのでよくわからない
っていうのが正しいのかもしれない。たぶん、外国人の人をジロジロ見てしまう
ような感覚(失礼!)と同じで、決して「恐怖心」はない。
世の中には、本人を前にしてひどい言葉でからかったり、いじめたりする
ヤツもいる。たとえ学校に特別クラスがあって、接する機会が多くても、
そういうヤツはいた。お嬢さんは、ホントにやさしい子だと思う。
悩んでるお子さんを見てると辛いかもしれないけど、
みんな言ってるとおりそのまま受けとめてあげればいいと思う。
私なりにいろいろ考えて娘に言い聞かせてたつもりでしたが
色んな方の意見を聞けて、私にはそこまで考えが及ばなかったと
気付かされた点がたくさんありました。
娘に色々アドバイスしてる私自身の中にも、きれい事を言ってる自分
特別視してしまう自分がいて葛藤もありだいぶ苛々してる部分があったようです。
娘が毎日毎日、こう思ってしまう自分はひどいと6歳児なりに悩んで私に
逐一その思いをぶつけてきて142で書いたようなことをアドバイスしていたんです
が、娘は何も変わらずに相変わらず「今日も自分はひどかった」を
延々なので「あなたはママの話をどう受け止めてるわけ?あなたが前に進まない
んならもう話してこないで。ママはもうこれ以上何を言っていいか解らない。
いつもぐじぐじ悩んでるあなたなんかきらい!そんなあんたの方がよっぽど
気持ち悪いと思うけど?!」
これ・・・言っちゃたんですよね・・・我が子をすごく傷つけてしまった。
でも、落ち着いてきました。ちゃんと謝ろうと思います。
そしてもう一度、熱くならずに話してみようと思えました。
人間誰だって見慣れないものには恐怖を感じるものです。
極端な話、犬嫌いの人は小さな子犬を見ただけでも怖がるでしょう。
その心理は誰にだってあるものだと思います。
娘さんにはこれからまだまだ、沢山の時間と心の変化があるでしょう。
「少し勇気を出せば楽になるかも・・・」と書きましたが
今の娘さんにはまだ無理だとも思いました。
先走った事書いてごめんなさい。
正直な気持ちを打ち明けた、そのままの娘さんを受け止めてあげてくださいね。
お母さんに話すことで許してもらう、または
気持ちを軽くしたくて話しているんだと思うんですよね。
皆さんも言ってますが、何かをわからせるより先に
受け止めてあげるほうが先なのではないでしょうか。
気持ちが落ち着いてから後で、知識や得た経験から
何かを子供なりに導き出す手助けをしてあげるのが
良いような気がします。
やさしいお子さんですよね。