あんな医者ばかりなら、きっと日本の病気の子供達は今より幸せになれるだろう
そう思うぐらいの先生だった
今から20年ほど前の話
当時の記憶が曖昧だけど、先生は30〜精々40歳だったと思う
眼鏡の似合う温和な先生だった
田舎の小児科病院だから、今思えばあまり良い立地じゃなかっただろうと思う
だけど、俺の母親はいつも片道一時間タクシーに乗って俺を通院させてた
それほどに腕が立つ先生だったということだ
俺は生まれた時から病弱だった
幼稚園には二箇所通っていたが、一箇所目の幼稚園には「欠席しすぎ」という事で退園させられた
二箇所目の幼稚園にも殆ど通った事がない
未だに幼稚園がどこにあるのか俺は思い出せない
それどころか、当時住んでいたというアパートの事も思い出せないほどだ
小学校以前の思い出はそのまま病室の思い出と言ってもいい
ただ、とにかく身体が弱かったんだ
アレルギー検査をすれば全てに反応するし、気管支が弱いから直ぐ喘息を起こし呼吸困難になる
高熱が出た結果、指一本動かせなくなったこともある(この時の記憶だけ何故かはっきりしているが、針が全ての皮膚を突き刺したまま体を動かすような痛みだった)
どの病院に行っても根本的な解決にはならず、ただその時の病状を抑えるだけ
母は怪しげな漢方もどきやら宗教やらハーブ療法やら色々手を出したが、もちろん効き目なし
そこで紹介されたのがA小児科医だった
A先生を掛かり付け医にしてから、俺の病状は劇的に改善する!
…なんて事はなかった
むしろA先生の治療を無視するかのようにどんどん酷くなる体調
でも諦めずに治療してくれる先生
入院棟にいたこの中には、退院してないけどいなくなる子もちらほらいた
母も俺がそのうちの一人になると覚悟してた
だけど、小学校に上がる一年ほど前から俺の身体は不思議と良くなってきていた
免疫がようやくついたらしいとかなんかそんなこといわれた気がする
小学校入学前にやっと完全に退院した
その三年後にA小児科医は潰れた
小児科医って患者の親から裁判起こされやすいらしいな
先生はあまり裕福な医者じゃなかった
弁護士も強い弁護士じゃなかったんだと思う
その積み重ねから土地と建物を手放すことになったらしい
あんないい先生の病院なのになんで潰れなきゃなんないんだろうと母と話した記憶がある
中学生になった俺はインフルに掛かった
しかも一晩で40度越えの大記録だ(この時はうわごとのように奇妙な発言ばかりしてたらしい)
でももうA小児科医はない。
母親は縋る気持ちで県中央部の総合病院に連れて行った
ちなみに母親は地元の病院を信用してない
誤診が当たり前の糞医者しか残ってないからな(俺も感染性胃腸炎をただの嘔吐下痢と診断されたり散々だった)
立っていられずにロビーのソファーに座り込む俺
春先なのにジャンパーとコートという超極寒スタイルで寝込む俺の耳に、聞き慣れた声が入り込んだ
A先生だった
自分の病院が潰れた後、ここに拾われたらしかった
とにかくぐったりとする俺に、先生は注射し始めた
ロビーで点滴され始めるという珍しい光景だったが、それほどに危険な状態だったらしい
点滴のおかげで楽になった俺
その後無事インフルエンザ全快
A先生はあの病院にいたんだね!と喜ぶ母
その数年後、完全に失踪するA先生
夜逃げしたのか自殺したのかはわからん
A先生にもう一度会ってお礼が言いたいんだけどできないなあってふと思い出した話
詳しく話すと身バレすると思って省略したら省略しすぎて話す事無くなったわ
ごめんな
医者って仕事は花形に見えるけど、実際はそうでもないんだよなあってことと
いい医者が必ずしも生き残れるわけじゃないんだよだなあってこと
ごめんな先生…
でも何年も海外にいたんじゃ失踪したかと思っちゃうよ…