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:名も無き被検体774号+ 2011/12/09(金) 13:51:36.09 ID:+6sjcgpa0
スペック
俺
176/70
普通の顔
渡部 豪太とか大泉洋を想像でいいと思います。
娘さん
158/?
後藤久美子の若い頃を想像でかなり大丈夫です。
娘さんは恵子でお願いします
うるさいって言われてから数分後、恵子は寝息を立て始めた。
俺は朝まで寝れませんでしたけどねっ
翌朝、恵子は普通だった。普通過ぎて俺が変だった。
でも翌日から寝るとき、ダイレクトに俺のベッドに殴りこんでくるようになった。
寝れない童/貞VS寝る中学生
朝方浅い眠りについたら即朝ご飯。激戦でした。
寝不足ながら渡米準備、引越し準備に忙しい日々でした。
俺の車や荷物は実家に置かせてもらい、
恵子の荷物はママの実家に持っていく事になっていた。
俺の荷物を実家に運ぶ時、恵子も手伝ってくれた。
俺の母と姉とは親子姉妹とお互い言い合うくらい仲が良かった。
正直、かなり二人には助けてもらっていた。
母「恵子、月に一回はウチに来なさいよ」
姉「けーこ迎えにいったげるから必ずおいで」
恵子「ありが」ぴゃーて泣いてた
実際に俺が渡米してから週一で姉が母がママもろともウチに連れてきてたらしい
夕方から19:00くらいまで再開しますが。
次回につきましては書き溜めて投下します。
すみません
特定避ける為に言わないだろうけどね
おばさんでOK
俺いま40だ。
仕事中。中間管理職。昼間。2ch。なんでこのタイミングで書き始めた俺。
そもそも仕事中になにやってんだ
狭い世界だしこの話には特に関係ないです
区切りつくのに何年かかってるんだw
だよな。
でもな、ようやく区切りがついたんだ。
そう思って書き溜めたんだよ。
なるほど、そんなことがありえるのかー
ベッドは一個だけになっていた。
恵子はダイレクトに一個のベッドに突撃していく訳だけども、
先に突撃されていると俺入り難い。
恵子「なにしてんの早く寝よ」
ベッドをポンポンとたたいて招き入れてくれてようやく入れる。
ようやく俺も寝れるようになってきた。
慣れとはこわいもので、童/貞でも女の子と一緒に寝れるんだ。
夜中、ふと目覚めると重い。
恵子が乗っている。
俺絶賛勃/起中
夢なのかどうか確認するのに数分。
現実と気付き、起こさないようにゆっくり定位置に恵子を戻す
戻らない。しがみついている。
着衣:乱れている
俺:絶賛勃/起中
恵子:起きている
起きてるぅう?
俺のムナ元にしがみついて俺を見上げていた。
恵子「んで」
俺「なんな」
恵子「なんで?」
俺「」
恵子「なんでなんもしないのよー!」顔を俺のムネにうずめて叫んだ
俺「」
恵子「童/貞!」はい
俺「あうあう」
恵子「そんなだとアメリカで通用しないよ!」
おもむろにトレーナーをまくり上げ上半身ハダカに
俺「え?は?え?」
ベッドに仁王立ち。下も脱ぐ。
ゼンラ
見下ろされている。
恵子「うるさい」と言いながらベッドを降り、カバンからゴ/ムを取り出す。
恵子「ここまでしたんだからね!後は…あとは…」
声を小さくしながらハダカの恵子が布団に入ってきた
顔が近い。ムネが当たっている。馬鹿息子は恵子のコカン辺りで唸りを上げている。
中途半端ですみません
寒さからではない。
身体を熱くして震えていました。
かすかな明かりで顔色は見えなかったけど、きっといつも恥ずかしいことがあると
顔を真っ赤に、ほっぺがより赤くなるあの顔色になっていたのでしょう。
そんな恵子に俺は理性を失った。
腕を恵子の背中に回そうと手を身体とマットレスの間に突っ込む
指先で脇を引っ掻いてしまった。
恵子「ど童/貞ああせんなよ」
俺「おごぇごぇぅ…ごめん」確かにそう発音した
恵子を抱きしめる。細い
贅肉はないけども肌がとろけるようにやわらかい。
ムネは大きい(洗濯物で知ってた)
数年一緒に暮らした女の子が腕の中にすっぽり納まっている。
俺のうるさ過ぎる心臓の音が聞こえていた。
恵子の心臓の音も大きいのだろう、身体が心臓に揺らされベッドのシーツが
シ、シ、と音を立てていた。二つの音だけが聞こえていた。
恵子「ねえ」
俺「はい」
恵子「これだけ?」
俺「はい」よっ童/貞
恵子「…ん」
目を閉じて顔を上げた。
キスをした。
俺も恵子も初めてキスをした。泣いちゃった。俺が
うれしくて、はずかしくて色んな感情がこみ上げた。
今まであった悪いことも全て肯定できる今があった。
泣き止んで、もう一度キスをした。本当に愛おしかった。
一方馬鹿息子は親心を取り戻していた。
恵子「あれ?」
俺「うん」
恵子「童/貞」
俺「処/女」余裕が生まれた!
恵子「いままでありがとう。これからもよろしくね」
俺「いいんだ」びゃーてまた泣いちゃった。
恵子「泣きすぎー」
俺「なんだろうなぁうれしいなぁ」
恵子「わたしも」
ハダカのままで明け方まで色々な事を話した。
高校から大学までの青図を話してくれた。
大学は美術系に行きたいと。
俺の学校によくくっついて来ていて、教授達のアイドルと化していた恵子は
デッサンだけでいくと必ず現役で受かるレベルまで教授達が仕上げていた。
学校の女友達ともよく俺抜きで遊んでいたり、周りに支えられて同居生活が
成立していたことも二人で感謝した。
ふぅ・・・
俺は身体/の/関/係があった女だけど『住む家が無くなった』と言われて泣いてたから『ウチ来るか?』ってなって一緒にしばらく住んでたけど何もしなかったしなー
俺の目標も話した
渡米してメシが食えるようにがんばる。
とか…割愛
でも二人の先々の話が全く出来ない。
話しようがない。
日本とアメリカ、高校生と放浪者。
悶々と考えているうちにいつのまにか寝ていた。
結局、セッ*スはしていない。
ズラしたパ*ツはそっと戻しておいて下さい。
翌朝、何も変わりない雰囲気でしたが
買い物に行った時に同時に手を差し出し手を繋いで歩きました。
幸せでした。
すみません…今日は家族のお祝い事があります。
深夜になりますが書きに戻ります。
据え膳を口元まで持ってこられても。。。
相手を女としてでなく、大事な自分の娘のように接したのだと思う
少し書き溜めて投下します
続きwktk
ママに恵子を引き渡し、えらそうに俺が
「恵子をお願いします」って頭を下げた。
ツボだったみたいで二人に号泣された。きっと色々な思いが詰まっていたのだろう。
恵子はママの実家、俺はアメリカ。
思いが強ければきっとまた点と点が結ばれる。
もう恵子が大好きでした。
何年経ったら帰国するとか具体的な目標はなかった。
自分の技量一つで結果は変わる世界なのでゴールは無いに等しかった。
そこで、飯を食って行くから飯を食わせるにジョブチェンジ。
恵子を養えるようになったら帰国って考えました。
恵子にはそれを伝えませんでした。幼い彼女を縛り付けることはしたくなかった。
渡米前後はよく覚えていません。
ストーリーを創作しても良かったのですが、しないでおきます。
俺は必死でスキルアップに勤しんだ。
酒も煙草も断ち、大会でも成績を残せるようになってきた。
いくつかスポンサーがついて、バイトの毎日から徐々に解放されていきました。
それまでに2年の歳月が流れていました。
今と違って海外との連絡方法のメインは手紙。年に数回の電話。
パソコン通信?インターネット?メールってただなの?うまいのそれ?という時代。
毎週のように届く恵子からの手紙。俺も毎週返していた。
郵便局の退役軍人のおじさんに早く帰って幸せにしてやれと毎週言われながら手紙を出していた。
恵子の生活や学校のこと、正の字で手紙の片隅にカウントされていく暗号。
離れていても身近な存在として恵子は居ました。
俺も今日は何したから晩飯のメニューまで書きまくった。
あるとき暗号が気になって電話のとき聞いてみた。
俺「正の字ってあれなに?」
恵子「なーいしょ」
俺「どんどん増えてきて目立ってしょうがない」
恵子「いくつだっけ?」
俺「14かな」
恵子「告られた回数だよ」
俺「」
恵子「けっこうモテるんだよ」
俺「ふーん」
恵子「ふーんて」
俺「モテモテじゃないか!」
恵子「そういうこと書いてるんじゃない!」
恵子「」
恵子「会いたい」
俺「高校卒業したら遊びにおいで」
恵子「いーま!」
俺「」
恵子「うそ。卒業したら美術大学行くよ」
俺「勉強はどう?」
恵子「学科は迷ってる。造形も油も陶芸も好き。おじちゃん達(教授達)もめてるよ」
俺「」アイドル取り合いか
デッサン画を送ってもらって見ているので納得。
俺なんか及びもしない域に達してる。
俺は引っ掛かっていた。年頃の娘さんが俺みたいな不安定な奴に引っ掛かってることに。
恵子からの手紙も徐々に減ってゆき、半年後くらいにはゼロになっていた。
俺の意図は普通の人のように幸せになって欲しい。
俺のような先のわからない人間に引っ掛かって欲しくない。
同年代の友達と恋をして幸せになってもらいたい。
俺のやっているスポーツがちょうど伸び悩みの時期に差し掛かっていた時期
今思うと少し病んでいたのかも知れない。
俺なんか俺なんか…
スキルアップしても大国には俺レベルは余る程いる。自暴自棄になっていた。
今これを書いていて「当時の俺バカ!!」と言いたい。
それがあったから今がある訳で…ぐぬぬ
正月には一時帰国しようかと思っていたが大会の日程が重なり断念。
恵子と連絡を取らなくなって一年弱経っていた。
大会で結果を出さないとスポンサー契約が切れてしまう状況だった。
結果
出来ない事をやって失敗し大怪我を負ってしまった。
選手生命が途絶えてしまった。
寝たきり1ヶ月リハビリを半年。それでようやく常人になれるかもといった具合。終わったと思った。
入院は家族にも伝えなかった。もちろん恵子にも。
目標を失い、生きている事に辛くなり自/殺を試みるも身体は固定されていてほとんど動かない。
なにもできない。
辛かった。
ケーブルを繋いで映った映像は燃えている神戸。横倒しの阪神高速。
なんの映画?
…だろ?
何が起きているのかわからなかった。
電話口までストレッッチャーで運んでもらい電話をするも通じない。
電話線を病室まで引っぱってきてもらい一昼夜掛け続けた。
ようやく姉に通じ、安否確認が取れた。
恵子家族と連絡を試みているところだという。
同時に怒られた。連絡しない事に対して烈火の如く怒られた。
病院の番号を伝え、安否確認取れ次第連絡をくれることに。
アメリカの病院は柔軟に対応してくれた。院長らしき人が個室を提供してくれ、
連絡がいつあってもいいようにしてくれた。
そして毎日知らない人が病室を訪ねてきて励ましてくれた。
アメリカは国は知らないが、いい人が多い。
安否確認が取れないまま寝たきり生活が1ヶ月過ぎ、ストレッチャーごと帰国する事になった。
院長?の計らいでナース付き。今はなきノースウェストのファーストクラス横で寝て帰国した。
帰国数日後
恵子は家屋の下から発見されました。
おい
彼女は俺の大学同級生宅に絵の練習に行った際に震災に遭い亡くなりました。
俺と知り合わなければそこには行かなかったであろう場所。
死んで恵子にお詫びを言いたい一心でどうやって死のうかどこなら死ねるのか
満足に動けないからここで死のうかどうやって?どうやって?
気が付くと病院の一室でした。心停止して蘇生されて生かされていた。
細かい事は覚えていないのですが、ママが病室にきてくれていて話してくれました。
実に17年前だ。
短い一生だったけどいっぱい幸せをありがとう。
あの子は一生懸命生きた。
それくらいしか覚えていない。
ママは娘が亡くなったのに気丈に振舞っていた。
俺が死んでお詫びをとかなんとか言ったんだと思う
パシーンとほっぺたを叩かれました。
娘の分まで生きろ!!!
書いてて泣き過ぎて辛い。
叩かれた後ママといっぱい泣きました。
ママは今、東北で復興支援しています。
書き溜めもこの肝心のところまで進まなかった。
泣き過ぎて辛いのと、嫁がコタツで寝てしまっているので
一旦ここで中断させてもらいます。
再開は十分書き溜めてからにさせてください。
こういう話をちゃんと聞いてやっと
震災にあったひとたちの気持ちはどんなだったのか考える
こんなだったのかって・・・マジか・・・・って
なんか…ごめんなさい。
ちゃんとしてなくてごめんなさい。
1さん今幸せですか?
恵子さんの思い出と一緒に、恵子さんの分まで幸せになって欲しいです。
モニター見えねぇじゃねぇかうあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん
仕事中なのになきそうだ
鬱展開で止めてしまってすみません。
俺は今幸せなのです。
40過ぎのおっさんが幸せとか何書いてんだと。
どんな不幸な状況にある人でも生きてさえいれば
その不幸があったから今の幸せがあるというのを書きたいのです。
今年の震災でドン底を味わっている人はたくさんいると思います。
必ず幸せは訪れます。俺みたいに時間の掛かる人も居るかも知れません。
頑張って欲しいのです。
十数年の事を書いて終了させてもらいますが、書き溜めをしてから再開させてください。
とてもじゃないが
三行では
説明できない
おっさん
語る
全部嫁
後記事⇨オーナーの娘「うちの両親フリンしてるんだって〜w」俺「え?」→バイト先のオーナーの娘を預かったのだが…【3/3】